リングボーイズ「そろそろかな!」
「うん」
「ドキドキするね!ゲンイチローくん!」
「ん」
ゲンイチローくんこと真田弦一郎は、満面の笑顔で自分のほうをみる少年に、唾を飲み込みながら頷いた。
彼と自分とではドキドキの意味が違う気がする。彼のドキドキはワクワクで、自分のドキドキはブルブルだ。その証拠に自分の風船を持つ手が小刻みに震えているのがわかる。
「2人とも扉はこちら側に開くから、もうちょっとだけ後ろに下がれるかな?」
見たこともないくらい大きな白い色の扉の前に立つ全身黒いスーツのお姉さんが2人に微笑む。
「はい!」
とハキハキ答えて頷く少年は、くせ毛をふわりと揺らしながらお辞儀でもするかのように優雅に後ろ足を下げた。慌てて弦一郎もそれにならう。
「風船よし、うさいぬよし、リングも大丈夫です」
もう1人、白ブラウスに黒パンツ姿のメガネをかけたお姉さんが2人の持ち物をチェックして黒服のお姉さんに報告している。
ふと右に目をやると、イーゼルに飾られた自分とよく似た顔の青年とその恋人が微笑んでいる絵がこちらを見ていた。
真田弦一郎、5歳は今更ながらちょっぴり後悔している。
『弦一郎に指輪を持ってきて欲しいな。』
今日の主役に言われて
それを条件付きとはいえ引き受けてしまったことを。
『結婚式で指輪の交換の時にリングボーイをしてくれないか?』
そう言われて一番最初に浮かんだ感想は、
何をするんだろう?だった。
結婚式はもちろん生まれて初めての経験だ。
それがどういうものなのか想像したこともない。
この世に生まれ落ちて5年の、しかも男子なもので、けっこん、というものがこの世に存在していることくらいしか分からないから、具体的に何をするのかさえピンときていなかった。
そして、何をするか理解した時に浮かんだ感情は
恥ずかしい。
だった。
着慣れない小洒落たスーツに着られて、大勢の人の前を歩くなんて。自我が芽生え始めた弦一郎5歳には恥ずかしい以外の何者でもなかった。大勢に見られるのに慣れていないわけではないが、テニスの大会とはわけが違う。
せめて袴なら、まだ良かった。着慣れているから。だが、「俺は弦一郎のスーツ姿が見たい!」と言った主役、こと兄の一声でダークグレーのスーツに決まった。
母も「いいじゃない可愛いわ、こんな時にしか着せられないものね」などと言っていた。
自分では似合うとはとても思わなかったが、試着した際には家族が、そして今日会った親戚が皆口を揃えて可愛いと褒めてくれた。
嬉しくはない。かっこいいならともかく可愛いなんて言われても、ちっともだ。
ただ参列するだけなら、そこにいるだけで良いから耐えられると思った。でも結婚式の最中に指輪を、兄とその恋人のいるところ、1番前まで持ってくる係だなんて!!
みんなこんなぼくをみるじゃないか!!!
やだ!!
反射的にそう思った。
でも弦一郎が持ってきてほしいと願う兄の願いを無視は出来ないとも思った。大好きな兄の大事な大事な日だと分かっていた。姉になる人も自分に優しくしてくれる。大好きな2人だ。
大好きな人たちの大切な日にその願いを叶えたい。だから言ってしまったのだ。
「ゆきむらくんと一緒なら...やる...」
と。
そして、その指名を受け、見事に巻き込まれた形になったゆきむらくんこと幸村精市。ゲンイチローくんのテニススクールのお友達、もうすぐ5歳は、緊張で身体をこわばらせる本人とは対照的に、目をキラキラと輝かせて、頭上の風船を眺めている。
「ゆきむらくん、キンチョーしないの?」
「え?」
青なのか緑なのか、弦一郎にはよくわからなかったが明るい色のチェックのスーツがとてもよく似合っている幸村少年は、真田少年の問いに
「してるよ?」
どうして?と、キョトンと小首を傾げた。
「全然見えないよ」
「そうかな?」
えへへと笑う彼は、風船の効果も相まって、まるで天使が人の子の姿で降臨したみたいに見えた。
いつものテニス教室で会う時も、一際可愛らしく見えていたが、おめかしをしてスーツを決め込んだ彼は、指輪を持って来る係にピッタリに思える。スーツに着られている自分とは大違いだ。
どういう事情でその無茶なはずのお願いがこうして実現したのかは知らないが、『やっぱり一緒にやって欲しいと言って良かった!』と今日初めてそのスーツ姿を見た時は思ったものだ。
だが、よくよく考えれば、本来は弟は自分だけなのだから自分一人で持っていく方が目立たなかったのではなかろうか?
急にそんな考えが芽生えてきて、そうなると手もブルブルと震え始めたのだ。
ー兄さんのケッコンシキだからがんばらなくては!
ぼくは、ゆびわをとどけにいくだけ。
届けにいくだけなのに何でこんなに手が震えるんだろう。
そう思って風船を持っていない左手を見つめたその時。
「手、つなご!」
横からニュッと出てきた右手が弦一郎の手の指をしっかりと掴んだ。
「え?」
「だいじょーぶ!だから、一緒にいこ!」
きゅっと握られた手は少し汗ばんでいる。
ーゆきむらくんもキンチョーしてる?
大きな目をキラキラ輝かせ、口角をしっかり上げつつもキリリとした横顔からは想像できないが、本当は彼もそうなのかもしれない。
手を繋ぐ予定はなかった。リハーサルでもただ2人で並んで歩いただけだ。
だけど、右手から左手に伝わって来るあたたかさに、離れがたい何かを感じる。
どうしたものかとその手の持ち主を見つめると、ニコッと微笑まれた。
それと同時に、チャペルの方から音楽が流れて来る。
順次進行の階段状の音階のようなオクターブに続いて、歩きたい気持ちでいっぱいになるメロディーが流れてきた。
この曲は好きだ。祖父が好む、渋いお茶を思わせる音楽も好きだが、明るい気持ちになる。
「扉開けます!」
「では!いってらっしゃい!」
そう言って、先程の、ドアマンを務めるお姉さんたちがそれぞれ片側のノブにグッと力を込めて白い扉を手前に開いていく。
「行こ!ゲンイチローくん」
そう言って音楽にのって歩き出す幸村君につられて弦一郎も自然に歩き出す。
参列者のカメラと視線が目に入り、身体がどきりと強張る。
眉がゆるゆると下がりそうになるのがわかったが、
「うさいぬも一緒だし、ね!」
そう言われて、頭上の風船の下に目をやると、指輪を持って、もぬーんとした顔でいつものように微笑むうさいぬと目が合った。
その手にキラリと煌めく2つの円環がある。
『弦一郎のお気に入りだから、一緒に持ってきてもらおうな。』
兄がそう言って、つけてくれた、お気に入りのぬいぐるみだ。
ーしっかりするんだ、ゲンイチロー!
ゆきむらくんもうさいぬも一緒にいてくれるんだから!できる!
目をカッと見開いて、目線をしっかり前に向ける。
前方の少し高いところから、チャペルで先に家族対面した時は不思議に思った白スーツを、今やすっかり着こなしたように見える兄とその花嫁がにこやかに手を振っている。
生演奏の電子ピアノのリズムに乗って、天使の笑顔で周りに愛嬌を振り撒く友を見ながら弦一郎もしっかり口角を上げて行進した。
2人が手を引いている頭上の風船によってふわふわと浮かぶうさいぬが、何ともいえぬ表情でウエディングロードを進む。
その姿は参列者から大絶賛だったのは言うまでもなく
「これは可愛いな」
「だろ?」
「精市は今とあまり変わらないが。弦一郎が今では想像がつかないような表情をしているのがまた」
「そうそう、とてもこの可愛いゲンイチロー君が今こんな姿になっているなんて、みんな思いもしないだろうなぁ」
「何だそれは、どういう言い草だ。」
「ああ、何とも味わい深い写真だな」
「だろ、俺の宝物だよ!」
「おい、俺の話を聞いているのか?」
「あ、俺たちの結婚式では蓮二にリングボーイやってもらおうかなー」
「それはそれは、光栄だ。謹んでお受けしよう」
「人の話を聞かんか!」
「真田は嫌なの?」
「そういうことではなくてだな!」
「じゃあ決まりね!」
「10年後も精市の気分が変わらなければ、ぜひ引き受けさせてもらうとしよう」
「キエーーー!」
こうしてあれから10年経った今、柳蓮二もまた、目を細めて愛おしそうに幼き友たちの写真を見て、微笑み合うのだった。
おさなゆき5月のお題より
「結婚式」お借りしました。
真田家は神前式ではないか?とか和装だよなぁ?とか色々思いますが、私がリングボーイをする2人が見たかったので!!!
2025.5.28