君想ふ 君よ ① 雨音なのか、何処からか漏れ出たのか、そこはいつも水の音だけがしていた。薄暗く、陽の光は朝と夕方のみ。たまに通る電車が音と振動、光と影をもたらすのみの、人気のない場所だった。俺はそこが好きだった。
昨日からの雨も止んだし、レポートは提出したし、学食の日替わりは大好きなおかずだった。今日はいい日だなぁ。気持ちも軽いと身体まで軽く感じる。思わずスキップしたくなるな。キョロキョロ周りを確認して、さぁ眼前に広がる掲示板の通りをスキップだ…
「ねぇ、ぼちぼち止めていい?…なんか、ごめんね」
振り返ると申し訳なさそうな善逸、すでに大笑いしてる伊之助、我慢してるけど、実際は我慢できてない禰󠄀豆子の3人が立っていた。
「見てたのか!? 恥ずかしい…もっと早く止めてくれよ。」
赤面して、思わず顔を隠す。まだ伊之助の笑い声はする。
「いや、だってさ、角曲がったら炭治郎の姿が見えたんだわ。で、声かけようとしたら、何だか様子がおかしいわけ。あの…例の…変なスキップの助走の格好になったから、焦って止めたんだよ。むしろ褒めてほしいわ。あ〜無理!やっぱ、おもしろすぎ!」
俺は昔からスキップが苦手で…どこから踏み切っていいか、わからない。他のスポーツは出来るのに、何故かスキップだけは…いや、苦手というより、むしろ好きだ。ただ不恰好だから、人は笑う。そうか、変なのかと俺も頭をかきながら、笑ってごまかす。でも好きなんだよなぁ…ふわふわして、空に近付く練習みたいで。まだ伊之助の笑い声は止まらない。
「もう今日授業ないんだろ?駅前の珈琲屋で、さつま芋の期間限定ドリンク始まったんだ。行こうぜ!」
笑い過ぎて涙目の伊之助が腕を組んできた。反対を禰󠄀豆子が掴んで、その少し上を善逸がつまんで、
「ねえ、ねえ、行こうよー!ねえ、ねえ、さつま芋〜!」
ぶんぶん振り回されて、視界が右へ左へ移動する。手加減なんて言葉はない、やりたい放題だ。
「いや、あの…」
「行こうよー!」
「用事があって…」
「さっつまいもー!」
「図書館に行くんだ。」
ピタッと3人の動きが止まった。図書館に行くときは1人と決めていて、静かに本を読んだり、勉強したりするのに、丁度よく。たまに1人になりたいときに使っていた。
「そっかわかった。じゃまたな。」
「んっだよ、つまんねーの!お前の分まで、店中の芋飲み干してきてやらぁ!」
「えー!?大丈夫?伊之助さん、ドリンク高いよ? じゃ、お兄ちゃん、またね。」
二手に分かれ、また静かになった。
端の席が空いていた。いつも俺が座る席。人があまり来なくて、外の景色が見える。この席好きだなぁ。 ここの木の様子で季節を感じる。まだ暑いけど、暦は秋なんだなぁ。
別に賑やかなのが嫌いわけじゃない、むしろ好きだ。皆でワイワイガヤガヤ、ふざけ合ってお腹がねじれるくらい笑う。でも、たまに1人になりたい。家族が多いから1人の時間は正直あまり無かった。だから余計に、リフレッシュというか、リセットしたいんだ。気になってた授業のレポートもどうにかすんで、外に出たらもう夕焼けの時間だった。
「ああ、日が短くなった。」
誰に言うわけでもなく、言葉にして、俺は大学を後にした。
駅まではかなり歩くが、ほどほどに自然もあって、飽きずに歩いて行ける。鮮やかな緑が落ち着き、ススキも見える。季節は段々と秋になっていた。久しぶりにあの場所に行ってみよう。駅への道をはずれ、脇道に行くと小さな階段がある。夏に生えた雑草はまだ元気だ。地元の人しか知らない小さな階段を降りて少し歩くと、小さいトンネルに出る。トンネルというのが正しいのか、高架下というのか、電車の線路の下だ。足元は砂利と雑草、コンクリ打ちっぱなしの雑な作りが気持ちいい。何故かトンネルには段差があり、そこをベンチがわりによく使っていた。
この誰もいない、来ない場所も、気持ちのリセットに最適な場所なんだ。のびをして、首を左右に振りながら上を向く。なんとも言えないひんやりとしたところがいい。…と、ふと後ろの壁に何かを見つけた。何か文字が…書いてある? 立ち上がって見てみる。
『君を想ふ 想ふ 想ふ 想ふだけ
君はいない いない いない いないだけ
気付かれてはいけない 悟られぬよう 見つからぬよう
ただ ただ 君を想ふ 早く逢いたい そばにいたい 彼方の君を 強く 想ふ』
数行の詩。ありふれた、よくあるといえばそうだけど、心の奥が苦しい。ぐっと押されたようで。そっと胸を触ると、心臓がいつもより早く鳴っていた。ビックリだ。こんなこと今までない。
俺はいつの間にか、シャーペンを取り出し、詩の横に言葉を添えていた。
『あなたの想いが届くよう 届くよう祈ってます
きっともうすぐ届く きっと届きます』
ただの落書きに返事をするなんて、いつもの俺なら絶対しない。しないけど、何故か書いてた。首を捻りながらその場を離れた。
何故か気になる落書きにそれから毎日通った。善逸達には何故か見つかりたくなくて、ごまかしごまかし通った。わけもなく、バレたくなかった。4日ほどたった頃、今日も変わりがないんだろう、落書きだもんな、と思いながらも、また来てしまった。
ふと顔をあげる。見ると同時に駆け寄った。
『優しい言葉を 嬉しくなる言葉を ありがとう
あなたにも想ふ人がいるのでしょうか
私もあなたの想いが 届くよう祈っています』
自分でも、目が大きくなったのに気が付いた。
俺は隣に
『お返事ありがとうございます。私の想ふ人は 正直わかりません。まだ会えていないのかもしれません。いつか会えたら、と思います。』
また、このメッセージが届くことを祈って、その場を離れた。
たわいもない会話のリレーは続く。段々と話をして相手のことがわかってきた。近所で人にものを教えてる、らしい。習い事の先生とかかな?俺は馬鹿正直に学生です、と答えた。 何日経ったことだろう。いつものようにトンネルにつくと、今までのやり取りが消されていた。もちろん消せるようにシャーペンで書いたが、ああ、消されたか。わかってはいたことだけど、なんだか寂しい気持ちになった。トンネルの中に柔らかい風が吹き、ある香りがした。それは高校の時、身近に感じた香りだった。え…まさか。口を開いたそのとき、ザッザッと砂利を踏む音がした。振り向くとそこには見覚えのある、長身の男性が立っていた。
「よもや、まさか…」
続く