無題 足が気持ち悪い。厳密に言うと、靴の中。どこからが靴で何処からが水溜りかわからないくらいだ。歩く度に不快な感触・音がする。
「気持ち悪いなぁ。」
つぶやいても周りには誰も居ず、激しい雨音に消されていく。そんなことわかっている。このひどい天気。傘もささず歩く俺は変なヤツに見えるだろう。表通りを避け、裏へ裏へと入って行った。何故かは知らない。制服のまま飛び出したから、学校に連絡されるかもと思ったし、何より人に会いたくなかった。
秋とは名ばかりの冷たい雨に濡れて、むしろ冷静な自分もいた。泣いた顔も気付かれない。擦った赤い目もわからないだろう。全てぐちゃぐちゃになればいい。なんだか少し笑えてきた。気付けば夕方を越えて、薄暗くなっていた。スマホも鞄も教室に置いたままだから、時間もわからない。
「もういいや。」
また誰ともなく呟く。雨が返事をするように、更に激しくなった。打ち付ける雫が痛い。
今日はいい天気だったのになぁ。放課後、善逸と一緒にゴミをまとめていた頃までは。あぁ、それをしたから、あんな光景を見たんだった。やらなきゃよかったかな、手伝いなんて。基本的に手伝いをするのは嫌じゃないけど、結果としては嫌な気持ちになった。 見たくなかった。あんな光景。
「竈門!竈門少年!」
誰かが俺を呼ぶ。嘘。本当はわかる。煉獄先生だ。いつもは呼んで欲しくて仕方ないのに、今日は呼ばれたくない。見ないでほしい。この雨みたいにごうごうと流れていってしまいたい。雨音で気付かないふりをして、また歩き出す。少し早歩き、そして走り出す。
「待ちなさい!待ってくれ!竈門少年!」
俺より上背があって、もちろん脚も長いんだから、すぐ捕まるのはわかっていたことだ。だけど嫌だった。
「はあはあ 鞄が教室にあるのに はあはあ 校内どこにもいないから はあはあ 心配したんだぞ。
さあ、帰ろう。」
差し出された傘と言葉を無視した。驚いた煉獄先生は呆然としている。
「俺のことなんて、ほっといていいんですよ。」
「何を言うんだ。こんなに全身濡れてしまって。風邪を引くだろう。ほら、こんなに体が冷たいじゃないか。」
今度は差し出された手をはらった。
「触らないでください。ほっといてください。もう帰るとこですから。さようなら。」
どこにもやり場のない気持ちを先生に押し付けている。わかっているけど、もう無理だ。同じところにいたくない。 ほら、ね?追ってこないじゃないか。所詮…俺達は…せ…んせいと、ただの…生徒なんだ。やだな。また涙出てきた。こんなに雨に感謝したことないや。
帰ろう。本当に風邪を引いてしまう。明日の仕込みもあるし。今どこを歩いてるかわからないけど、きっと賑やかな方に向かえば…改めて歩き出そうとしたけど、強いチカラに止められた。先生が後ろから俺を抱きしめていた。
「なんで…なんで、そんな悲しいことを言うんだ。俺を嫌いになったなら、そう言ってくれ。君が心違いをしたなら、諦める。すぐにとはいかないが、諦め…る。ただ…急に… そんな悲しいこと言うのはやめてくれ。君が好きなんだ。」
あのとき、少年と目が合ったんだ。1番見られたくない場所で。俺が女性にもたれかかられ、顔が近付いた瞬間を。よろけた女性を支えただけなのに。
「君は、あのまま走って行ってしまった。黄色い少年はビックリしていたぞ。」
「…そうですか。あなたには関係ないことです。離してください。迷惑です。」
先生はそっと離してくれた。てっきり、もっと力を込められるのかと思ったけど。体から力が抜け、拍子抜けしたけど、俺は歩き始めた。やっぱり追いかけては来ない、来てくれない。甘え過ぎてたかな。きっと俺が子ども過ぎたんだな。煉獄先生。あの頃より、子どもですみません。明日からは元の先生と生徒に… あぁ、そうか。戻るのか。特別なんてない、ただの生徒に?俺は知ってるはずじゃないか。先生が不誠実が1番嫌いなのを。なんで、じゃあ、車から降りた女性と密着して、微笑んでたんだ?なんで、体を触っていたんだ? どうせ最後なら、もう…
くるっと振り返ると、元の場所で先生が下を向いて佇んでいた。雨はより一層酷くなっていたのに、先生は持ってきた傘を持たずに立っていた。傘はさっきまで持たれていたのが嘘のように、開いたまま上を向いている。
「先生。なんで探しに来たんですか?」
先生は黙ったままだ。
「なんで黙ってるんですか? …やっぱり、男で、子どもみたいな俺なんかより、綺麗な大人の女性がいいんですよね? もう…も…う、大丈夫です。俺達のことは誰にも言いません!忘れます!サヨナラ!」
まくしたてた。これ以上そばにいたくない。早口で話した後振り返って、元来た道に歩き出したとき、左腕を掴まれた。そのままぐいっとひっぱられ、気付いたときには、先生の胸の中にいた。
「な…んですか?離してください!」
「君は… 君はやはり見ていたのか。目が合ったもんな。 あの子は…」
「やだ。やめてください。聞きたくない!嫌だ!」
冷静にしていたけど無理だった。先生の口から、あの子…だなんて、聞きたく無かった。
「随分仲の良い方なんですね。お綺麗でしたし。もういいから、もう離してください!変ですよ。」
「変にもなるだろぉ!こんなまま、別れたくない!君を手放したくない! 俺から離れないでくれ。話を…」
やだ。やだ。話なんかやだ。なんで好きな人と新しい恋人の話を聞かなきゃいけないんだ。俺は抱きしめられながらも抵抗し、嗚咽しながら、首を横に振った。 急に頭を掴まれ、キスをされた。先生に降りかかる雨が俺に流れてくるのを感じた。雨の味なのか、涙の味か、初めての濃いキスは少ししょっぱかった。
落ち着いたところで先生は話し出した。彼女は教え子で、久しぶりに母校に遊びに来たこと。ふいに体調を崩して、医者に運んだこと。たまたま車で来ていたのが、自分だけだったから、指名されたこと。 もちろん、他意はないこと。
「こんなキスをするのも、これ以上先をしたいのも君だけだ。 わかってくれるな?」
雨に濡れて、びちょびちょになった先生。一生懸命に丁寧に話してくれた。
「…わかりました。信じます。だから…ワガママ言ってもいいですか?」
「うん?もちろんだ。こんなに可愛い恋人の頼みだからな。…まぁ、ほどほどなので、頼む。」
「ふふっ お願いは、もう1回ギュウしてください。それから、沢山チュウして欲しいです。」
両手を先生に向けると、即座に抱きしめられて、キスをしてくれた。優しくて、優しくて、かっこいい、やっぱり俺の恋人は先生だけだし、先生の恋人も俺だけだ。 今度のキスは、幸せな味がした。
びしょ濡れの顔を見合わせ、笑いながら俺達は引き返して行った。
ー終わりー