#2 俗称、イクリプス・コミュニティ。
西暦二〇九五年、八月十二日にその存在を世に知らしめたコミュニティの中心は、まだ年若い青年であった。
イクリプスとは、蝕の意味。つまるところ、姿を消す、力を失うことを意味しており、栄誉や名声、権勢など、彼らに関われば取り込まれ、失墜するということ。触れることを恐れ、やめろと警鐘している。
とはいっても、青年を知る者たちからしてみれば、何故青年を中心にそのコミュニティが形成されたのか、これは一番の疑問であった。なにせ、青年はただの一般人。魔法師である以上、普通の一般人とはかけ離れた存在ではあるものの、司波という姓は、魔法師の間ではそれほど有名ではない。
では校内でならどうだろうか、と問われれば、
「成績優秀な妹と仲が悪い?」
「実践授業は得意じゃないが、筆記試験は毎度主席だよな?」
「魔法技術の研究も、よくされていますよね?」
「CADの調整もできるし・・・」
なんなら改良までできてしまう。
同じE組の生徒‐とりわけ仲の良い四人からの評価はそんなところであった。
九校戦が終わり、夏季休暇も明けた日。達也は一人のコミュニティのメンバーの車に乗せられ、登校してきた。それが発端となり、九校戦で起こった出来事は瞬く間に第一高校内へと広まり、今こうして五人は逃れるように屋上へと来ていた。
達也がなにも話そうとしないために、四人は好き勝手詮索、と言う名の妄想、予測大会を繰り広げている。それでも顔色一つ変えないのだから、面白味の一つもない。けれども彼がこうなのは、何も今に始まったことではない。
四人の内の一人、明るい栗色の髪を持った女子生徒は、昼食のパンを持つ手とは反対の手を彼の頬へと伸ばし、それをつまんだ。達也は心底驚いた、といった表情を作っているが、実際の所はそんなこと微塵も思っていないのだろう。
「ポーカーフェイスっていうか・・・役者よね」
「そうか・・・?」
達也は抓られた自分の頬を撫でるが、自覚はどうやらないらしい。潜在的な能力か、彼自身の本来の性格というものがそうなのか。果たしてどちらであるのかは、今は重要ではない。
「それで?その本は何?」
エリカがそう言って指さしたのは、今にしては珍しい紙媒体の書籍であった。電子化が進む中、紙媒体の書籍は欠点が多い事から、愛好者や金持ちの道楽程度にしか浸透していないものであったが、達也の場合は前者であり、手に持っているものは後者からの贈り物でもあった。
「エメラルド・タブレットに関する文献だよ」
別名、タブラ・スマラグディナ。
十二世紀以降のヨーロッパに出現した、ヘルメスに帰せられた処分権のうち特に名の知れたごく短いテクスト。
伝説上では、錬金術の主魚信で、ある種の秘教修道者たちの総称とも考えられていたヘルメス・トリスメギストスによって記された銘碑で、十二の錬金術の奥義が記されているというが、碑文の実物は現存しない。
「知りたいのは錬金術そのものではなく、賢者の石の性質と製法なのだがな・・・」
達也は栞を挟んで本を閉じ、考え込むように自分の手を顎に添えた。
「物質変換か?」
「いや、魔法式の保存だよ」
賢者の石は、非金属を貴金属に変換する魔法に使用する触媒。触媒というからには、それ自体が材料となるわけではなく、術式を発動させるための道具となる。非金属を貴金属に変換する魔法は、材料に賢者の石を作用させることにより、貴金属を作り出すと伝えられている。
他に魔法的プロセスを必要とせずに、物質変換魔法を使えるのであれば、賢者の石には魔法式を保存する機能を有していると考えられる。
「飛行魔法の実現によって、重力制御魔法によって核融合を維持する方法の目途はついた・・・」
だが、達也が目的としている到達地点に至るには、魔法師がずっと魔法を掛け続けている、というプロセスを脱却する必要があった。
「役割を兵器から部品にするつもりはないからな・・・」
うん、と達也は唸る。
しかし、これを聞いた四人からしてみれば、まず達也が目指しているものがなんであるかを知って、酷く驚いた表情を浮かべていた。達也がそれに気が付いたのは、少し間が空いてからである。
***
帰路にも勿論、コミュニティのメンバーが迎えに来ていた。どうやら、秘匿の必要が無くなった瞬間に、彼らはこぞって達也と話をしたがるらしい。というよりも、今までも不規則でしか会う事ができなかったために、満足できるほど時間が取れてはいなかった。その反動という訳だろう。
達也は黒塗りの車へと特別抵抗もなく乗り込む。
「今日のお迎えは、竹屋さんですか」
前回の九校戦に顔を出せなかったメンバーが、しばらくの間は送り迎えをするのだろう。今朝、達也が使っているマンションの前に迎えに来たのも、竹屋と同じく九校戦には諸事情あって顔を出せなかったメンバーである。
メンバー、と入ってもこのイクリプス・コミュニティに明確な基準は存在していない。あるとすれば、達也に認知されているかどうかという程度だろう。それを基準にするならば、この竹屋という男はおそらく古参に認定される。
「いやなに、面白いものが手に入ってね」
竹屋はそう言って微笑を浮かべ、頑丈そうなケースを達也へと渡した。頑丈そう、というよりは厳重な警戒、と言った方が正しい代物かもしれない。登録されている指紋以外は、どうやら受け付けないらしい。
達也は自分の指紋を押し付け、解除する。
「・・・八尺瓊勾玉系統の聖遺物」
聖遺物は、魔法研究に従事する者の間で、魔法的な性質を持つオーパーツを意味する物質のことを指す。現代科学技術でも再現が困難であるがゆえに、大げさな名前で呼ばれている。キャスト・ジャミングを引き起こす性質を持っているアンティナイトも、同じ部類だ。
「どこで出土したものです?」
「さてね・・・国防軍絡みだよ」
竹屋が言う限りでは、解析と複製をFLTへと願い出ようとしたところにストップをかけ、預かってきた、とのことであった。おそらく達也の義母‐司波小百合あたりなら引き受けかねないだろう。
国防軍の強い要請、ともなれば断りづらくもあるが、達也が居る以上相手方が強く出られないのもまた事実である。
「国防軍とて、複製が難しいことくらいは承知の上では?」
「・・・瓊勾玉には、魔法式を保存する機能があるそうだよ」
竹屋はそう、飽きられたように言った。今日はどうやら、そう言った話題が多いらしい。
「それは事実ですか?」
「仮説の粋だそうだが・・・軍が動くには十分だったそうだ」
つまり、それだけ確度な観測結果を出している、と言うわけだ。ともなれば、国防軍とて無視はできない。
「賽は投げられた・・・ってところですね」