左手には汁碗、右手は箸を構えて、ウィルは目の前の流れを凝視する。
程よく上流に近いこの位置取りは、狙いのものを獲得するにはもってこいだろう。少し大人気ない気もするが、幸いにも子供たちとは区画が分かれている。何より大好物が流れてくるとあっては周りに忖度などしている場合ではない。
「流しそうめんかあ。初めてやるな」
ウィルの右手、下流に位置取ったガストが物珍しげに装置を眺めている。確かにこういった祭りでもなければ目にする機会はないだろう。ウィルとて日系の幼馴染がいなければ、こういった文化があることも知らなかったかもしれない。
「日本では、七夕……7月7日に、流しそうめんをする風習があるって本で読んだことがある。これを食べて、無病息災を祈ったんだとか」
「へええ、日本にも色んな行事があるんだな。獅子舞といい鏡開きといい、全部制覇したら超健康体になったりして?」
「遠慮せずにまた来年も噛まれてくるといいよ」
「ははは……最初は滅茶苦茶ビビったけど、次は他の同期も連れて全員で噛まれてくるか」
「……そうだな」
他愛もない会話に小さく笑みを零して、ウィルは上流の方を見遣った。何やら騒めき出したので、そろそろ始まるのだろう。
ウィルの本命はそうめんの後に流れてくるという変わり種だが、勿論メインのそうめんもいただくつもりだ。本命前の肩慣らしにもなるだろう。
「結構流れ速ぇけど、俺取れるのかな……」
「一番下流の桶に誰も取らなかった具が流れ着いてるはずだから」
「……画期的だな」
感心した様子で頷いたガストが、まずは挑戦してみるよ、と言う。ウィルに倣って竹のレールへと身を寄せると、ぎこちなく箸の開閉を練習し始めた。
『皆さま大変お待たせしました! これより七夕流しそうめん大会を開催します!』
間も無くして、拡声スピーカーから若干音割れしたアナウンスが聞こえてきた。遠巻きに眺めていた参加者も腰を上げ、一同が竹のレールに沿って列を形成する。
『それでは早速始めていきましょう! 先ずはシンプルにそうめんから!』
アナウンスと同時に、竹を流れる水流がやや強くなる。開始地点に目を向けると、大会スタッフが次々と麺を掬ってレールへと放流し始めていた。それに伴って、直ぐに歓声や悔しそうな声が上がる。
「来たぞアドラー」
「お、おう」
ウィルは箸をしっかり持ち直して、自分より少し左手を注視した。ばらけた麺や千切れた麺を見送り、上流にいる客の箸を回避したそうめんの塊をサッと掬い上げて椀へと入れる。流しそうめんは幼少期に経験したきりだったが、上手く取ることが出来た。椀の中で揺蕩うそうめんを見つめて、ウィルはほっと息をつく。
その間にも次のそうめんの塊が通過していったが、隣で上がった惜しそうなアドラーの声を聞く限り、取ることは叶わなかったのだろう。
「これ難しくねぇか!?」
「そのうち慣れるよ。俺も最初そうだったし」
ウィルはそうめんを啜りながら、悪戦苦闘するガストを眺める。次から次へと箸をすり抜けていくそうめんは、下流へと一瞬で消え去るか、他の客に掬い上げられていった。
「と、取れねぇ〜〜〜!!」
「……次取ったら少し分けてやろうか」
殆ど箸初心者のガストには厳しかったかもしれない。段々と気の毒に思えてきたウィルは、躊躇いがちに助け舟を出そうとした。
「い、いや! それはなんか悪りィし、もう少し頑張ってみるよ」
「そうか」
箸の入水角度やらタイミングやらを試行錯誤するガストを横目に、ウィルはひょいひょいと麺を掬い上げていく。その度に感心した様子でガストが褒めるので、ウィルは気恥ずかしくなって度々顔を背けた。
「凄ぇな……簡単そうに見えるのにやっぱ全然取れねぇよ」
「力入れすぎなんじゃないか。掴むっていうよりかは、横から掬い上げていくイメージっていうか」
「なるほど……? 確かに上から突き刺しに行ってたかもな」
ふんふんと頷いて、ガストはもう一度箸を構え直す。やがて流れてきたそうめんの塊に、今度はウィルのアドバイス通りに箸を近付けて掬い上げた。
「おっ……!?」
しかし、掬い上げてからもたついたせいで、箸の隙間からスルスルとそうめんが落ちていく。漸く椀へと移す頃には、殆どが抜け落ちてしまった後だった。
「ダメかー……」
「でも、さっきよりは良くなったんじゃないか?」
「あ、ああ! 殆ど落としちまったけど取れた、3本!!」
「よかったな、3本」
ウィルは昔幼馴染たちとした流しそうめんで、初めてそうめんを掬い上げることが出来た時のことを思い出していた。その時も今のガストのように大した量は取れなかったが、嬉しかったものだ。
悔しげだがしかし、掬い上げられた3本のそうめんを有り難そうに啜るガストに過去の自分を重ねて、思わずウィルは吹き出した。
「次こそは──」
『続いて小休止、野菜タイムです!』
「あ? そうめん終わり!?」
ガストの決意も束の間、次の具材へと切り替わることを告げるアナウンスが流れた。不満を滲ませて、ガストは驚きの声を上げる。
「また暫くしたら流れてくるんじゃないか。リベンジできるといいな」
「え、ああ、そうか、そうめん以外も流れてくるんだったな。ほんと変わった行事──」
「あ、トマトだ」
「トマト!?」
流れるというよりは転がると形容するのが適切だろうか。ころころとレールを下ってきたトマトは、段々と速度を増していく。
「なんというか……シュールだな」
恐る恐る差し出された箸もなんのその、トマトは何事もなくガストの前を通過して下へ下へと転がっていく。
「そして取れねぇ」
ガストは苦笑すると、お手上げだと言わんばかりに肩を竦めた。