君に見せたい「こんにちはー、ポップ、いる?」
ガラガラと戸が開く。暖簾をくぐって入ってきたのはダイだ。
「おう、ダイ」
軽く手を上げると、おれは再び手元の漫画本に集中した。
「いらっしゃい、ダイ君。マァムちゃんも」
親父の声にどきりとして見やると、ダイに続いてマァムが入ってくるところだった。二人とも制服のブレザーを着て、学生鞄と膨らんだサブバッグを持っている。部活帰りなんだろう。
「おじさん、お邪魔します。ああお腹すいたぁ」
「おれ、炒飯セット、大盛りで」
「私中華そばと餃子と天津飯お願いします」
「よく食う女だなぁ」
「ポップ、何か言った?」
「いいえ〜」
ダイとマァムは同じ中高一貫校に通っていて、それぞれ剣道部、空手部に所属している。運動部は腹が減るらしく、帰る前ににうちの店に寄って腹拵えすることはしばしばだった。
「マァムちゃん、今度の試合代表ですって?すごいわねえ。はい、餃子もう一つおまけ」
「わぁ、ありがとうございますおばさん!」
「まだ食うのかよ……」
「何か言った?ポップ」
「いいええなんもお」
見てるだけで胸焼けしそうだ。まあ食欲あるのはいい事だな。多分。
おれは炒飯をかき込んでいるダイに向かって手招きした。近づいてきたダイの肩を引き寄せて、声を潜める。
「お前、日曜日の高等部の学園祭は行くのかよ」
「そのつもりだけど……」
「一緒に回ってやろうか」
「いいけど……レオナも一緒でいいかな?もう約束しちゃったんだ」
「ええ、姫さんかあ」
レオナは、隣町に住むダイの幼馴染だ。おれんちの三倍はでかい家に住んでて、お嬢様学校に通ってるから、あだ名は姫さんだ。ダイもこう見えていいとこの子なんだ。両親は仕事で外国に行ってるから、今は爺さんと一緒に、うちの近所に住んでいる。
「姫さんがいるといろいろと面倒なことになるんだよなぁ……。お前らのデートの邪魔しちゃ悪いし、今回はいいや」
「ポップ、もしかしてマァムが目当てでしょ」
「馬鹿、声が大きいんだよ!」
おれは慌ててダイの口を手のひらで塞いだ。しかし、鋭い。
この前あいつが友達と来た時に、クラスでメイドカフェをやるっていう情報は入手済だった。マァムは制服以外でほとんどスカートを履かない。本人は別に履いてもいいらしいが、周りが目のやり場に困るからだ。空手の試合じゃないんだから、ところ構わず足をおっ広げるのは考えもんだった。とにかく、メイドカフェといやあ可愛いメイド服だ。マァムのメイドさん姿が拝めるかもしれないチャンスを、逃すわけにはいかない。だが、他校の生徒であるおれが、一人でメイドカフェに行くのはハードルが高かった。
おれの窮地を見かねたのか、ダイが助け舟を出してくれた。
「いいよ。レオナ、女の子とも回りたいって言ってたから。レオナが友達と回ってる間に、二人でマァムのクラスへ行こうよ」
「ほんとか!さっすが相棒!サンキュな」
おれは楽しい週末を想像して、ダイの肩を抱いてわしゃわしゃと頭を撫で回した。
そんなこんなで、あっという間に日曜になった。
「かわいいお店だねえ。飾りつけ大変だったんじゃないかなあ。ポップ、何食べる?やっぱりオムライス?」
ダイは楽しそうにメニューを眺めている。おれはというと、マァムがいたらなんて声をかけるべきか、シュミレーションに余念がなかった。なるべく自然に、
「よお、食いに来てやったぜ」
でどうだろう。ちょっと偉そうか。うーん……。考え込んでいると、
「あら!いらっしゃい!」
と聞き慣れた声がした。不意打ちだ!仕方がない。声をかけるのは後にして、まずは拝ませてもらおう……。
おれははやる気持ちを抑えてゆっくりと顔を上げた。
「はあっ?」
目の前にいたのは確かにマァムだ。だが、その姿を一目見たおれから出たのは、素っ頓狂な叫び声だった。おれは上から下まで視線を這わせてマァムを見た。マァムが身につけていたのは、白のシャツに紺のネクタイ、黒のベスト、同じく黒のスラックス。どっからどう見てもメイドさんではない。
「おまっ、何だよそれ!」
「何って、お冷だけど……」
マァムは水の入ったグラスをテーブルに置きながら言った。
「ちげーよ!その格好!」
「あ、これ?バトラーよ。どう?なかなかサマになってるでしょ?」
確かに。確かに、めちゃくちゃ似合っている。引き締まって程よく筋肉の付いた体躯に、スラリと伸びた手足。身長はおれとほとんど変わらないから、女子としては高い方だと思う。だけど肩や背中は柔らかく丸みを帯びていて、ウエストはキュッと締まり、出るとこは出ている。その体が、モノトーンのシックな衣装に包まれている……はっきり言って格好いい。これは、男のみならず、女でも惚れるんじゃないか……?そういえば中学の頃、下級生の女の子から手紙をもらっていた。
「ポップ?注文決まった?」
「あ、いや……ダイは何にしたんだ?」
「オムライス!ケチャップでメッセージ書いてくれるんだって」
ダイは無邪気だな……。
「おれもそれで……」
やっとそれだけ言うと、おれは力なくテーブルに突っ伏した。
「ちょっと、家じゃないんだから、ちゃんとしてよ!恥ずかしい……」
マァムが注文を取って去ったあと、ダイは憐れむような目でおれを見た。
「残念だったね、ポップ……」
マァムがバトラーになったのは、どうやらサイズの合うメイド服がなかった、ということらしい。本当はジャケットもあったんだけど、動きにくいから脱いじゃった、と笑っていた。
おれは思った。逆に考えるんだ。マァムが一日メイドさん姿で店に立つということは、他の客にも見られるということだ。言い寄ってくる男がいないとも限らない。そしてマァムは意外と面食いで、ああ見えて押しに弱いのだ。イケメンに口説かれたら、コロッと参ってしまうかもしれない。ほら、例えばあんな……。
おれの目は、二つ隣のテーブルに座ったイケメン二人を捉えていた。大学生だろうか?一人は銀髪、もう一人は金髪で、二人とも長身で顔が良い。明らかに目立っていた。何でこんな高校生のメイドカフェに来てるんだ……?しかし二人は周囲の視線をものともせず、黙々と可愛らしいケーキを頬張っていた。まあ、マァムにちょっかいを出さなければ問題はない。
「お待たせしました。オムライス二つね。メッセージはどうする?メイドさん、呼んでこようか?」
マァムがオムライスを運んできてくれた。
「いや……いいよ。お前が書いて」
「分かったわ。あんまり長い文字は書けないから、この中から選んでね」
マァムが提示した『お品書き』には、「すき」「♡」「萌」と書かれていた。
「これなんて読むのかな?難しそうだからおれ♡でいいよ!」
ダイは無邪気だな……。
「ポップは?」
「す……す……」
「え?何?」
「すき……で……」
顔から火が出そうだった。マァムは軽く『オッケー!』なんて言って、ケチャップを掴む。
「二人とも簡単なのにしてくれて良かったわ!漢字はどうしても潰れちゃうのよね……」
出来上がったのはヨレヨレの「すき」だったが、おれには輝いてみえた。もう、これで十分だ……。死して屍拾うものなし。ミッションコンプリートだ。
密かに涙を滲ませながらオムライスを味わうおれを、マァムは黙って見ていた。
「ん、何だよ……?」
「ううん……、あ、えーと、母さんが、お惣菜作り過ぎたからお裾分けしたいって……。いつもおまけしてもらうから。あとでうちに寄ってもらえる?」
「いいけど……マァムのお袋さんの惣菜美味いもんなぁ。ダイも行くだろ?」
「おれはこの後レオナんちに行く約束しちゃってるから、また今度。ポップ行ってきなよ」
「そっかぁ、んじゃ、あとでおれだけ寄るわ」
「ダイ、レオナによろしくね。また会いたいわ」
「了解!マァムも、おばさんによろしく言っといてよ」
ダイはマァムに笑いかけながら、無言でおれの肩をたたいてくれた。
ダイと別れて、少しブラブラ時間を潰したあと、おれはマァムの家に向かった。ダイはやっぱり気を利かせてくれたんだろうか。本当にいい奴だ。まぁ、姫さんの家でいつも出てくる豪勢なおやつに釣られただけの可能性も、捨てきれないのだが。
「こんにちは〜」
「あら、ポップ君。いらっしゃい、どうぞ上がって」
マァムのお袋さんのレイラさんが出迎えてくれた。
「お邪魔します。マァムは?まだ帰ってないんですか?」
「ううん、帰っては来てるんだけど。……少し待っててくれる?先にマァムの部屋に上がっといて」
「はい……」
レイラさんはなんだか嬉しそうで、ちょっと含んだ言い方をした。何かあるんだろうか?
勝手知ったるマァムの家。おれはとっとと二階へ上がり、本人不在の部屋で出された茶を啜りながら、少し緊張していた。マァムの部屋なんか何度も来てるのに。
「ポップ君、お待たせ!」
レイラさんがドアを開けた。おれは驚いて茶碗を落としそうになった。
目の前にいたのは紛れもなく、数時間前まで一緒にいたマァムだったのだが、雰囲気は全く違っていた。艶やかな着物姿だったのだ。
薄桃色の地に、赤や白の可愛らしい花が散っている。身じろぎすると長い振袖が揺れ、おれはくらくらした。顔を見ると、頬を薄く染め、照れたような笑みを浮かべている。反則だ、こんなの。
「私の若い時のものなんだけどねー。お正月にでも着てみたらどうかなと思って、出しといたの。マァムが今日、ポップ君に見せたいって言うから……」
「母さん!」
マァムが怒ったようにお袋さんを見た。
「はいはい、ポップ君お惣菜詰めてくるわね。あとケーキも焼いたから食べてって頂戴」
レイラさんがキッチンに消えると、おれたちの間を沈黙が支配した。
「……」
「……」
「なあ……」
「何よ……」
「おれに見せたいって……」
「き、今日、来てくれたのに……なんかガッカリさせたみたいだったから……」
気づいてたのか。おれのこと、ちゃんと見てくれてたんだ……。
「どうせ……柄じゃないわよ。バトラーの方がしっくり来るでしょ」
「そんなことねえよ……すごく似合ってる……綺麗だ」
「ポップ……」
めちゃくちゃ恥ずかしかったけど、顔を見て思ったことがちゃんと言えた。マァムがおれのためにしてくれたことが嬉しくて、もう天にも昇る心地だった。
ちょっと、いい雰囲気じゃねえか。もしかしてこのまま、キスくらい……。
と、思ったところで、ノックの音が響いた。間髪入れずドアが開く。おれたちは慌てて距離を取った。別にやましいことはないんだけど。
「はい、シフォンケーキとコーヒー。ポップ君ゆっくりしてってね。マァム、着物汚さないようにね」
「母さん……」
「なぁに?」
「胸が、苦しい……このままじゃケーキ食べられない。着替えさせて……」
「ええ?もう?せっかく着たのに……」
こうして、マァムは着替えるためにお袋さんと階下へ降りて行ったのだった。
「あーやっぱり動きやすいのが一番」
はつらつと言うマァムに、おれは複雑な心境だった。マァムはどんどん綺麗になっていく。おれはまだはっきりと告白していない。もし断られたら、今の関係も壊れちまうんじゃないかと思うと、勇気が出なかった。本当は、弟みたいな幼馴染じゃなくて、男としておれを見て、好きになってほしいのに。情けねえ……。
「ポップ」
「何……」
「今回は、初めてですぐ脱いじゃったけど。練習しとくから……初詣、一瞬に行かない?」
「えっ……」
おれは驚いてマァムをまじまじと見つめる。
「それって、二人でって、こと……?」
マァムはこくんと頷いた。
やった!
「やったあー!」
思わず声に出してしまった。
「ばか!大袈裟なんだから」
マァムの声は言葉とは裏腹に優しかった。
おれは思った。その前にクリスマスもあるじゃねえか。これはチャンスかもしれない。ダイ、すまねえな。おれは一足先に大人になるぜ……。
突然、おれの頬に痛みが走った。マァムに思い切りつねられていたのだ。
「何すんだよお!」
「なんか良からぬこと考えてそうだったから」
「この暴力女!」
「何ですってえ」
ああ……、何でこうなる‼︎
おしまい!