夜のない世界で ひのき、という名前に意味があったのかは分からない。しかしひのきはいちばん最初に呼ばれて、その箱の中で目を開けたのだ。どんぐりのような瞳を持つひのきは、どうやらコルヌレプスという種のようだった。ひのきを呼ぶのが誰なのか、分かってはいない、いなけれどもどうにもひのきの言葉は通じていないようだった。何を喋っているのだろう、というそれの言葉は聞こえるのに、ひのきの言葉はそれには通じないのだ。身体の大きさが違うからかもしれない、でもそれだったらひのきが理解するのだって難しいだろうに。この、ホムとかいう装置のおかげだろうか、それの言うことはホムを通じてよく言葉になって聞こえてくる。この耳はよく聞こえるものであるので、そういうことが可能なのかもしれなかった。
「これは、夢なんだよ」
それはよく言っていた、箱詰めにした物語。夢の続き。一度、ひのきたちはそれらとお別れをしたらしい。それをひのきは知らないけれど、知っていたところでどうもしないのだろうけれど。だって知らないものは知らないのだから、ひのきはそれとは初めて会ったのだから。
「箱庭みたいだね」
それが使う言葉はどうにも、悲観的なように思えた。
それは、ひのきのことを嫌いではないのだと思う。ひのきが、この狭い世界を飛び回ることをよしとする、食事を与える、シャワーを浴びせる、きらきらとしたよく分からないものを処理してくれる。狭い世界、だなんて思うようになったのはきっと、それの所為だった。でも、それはよくひのきを連れて他の狭い世界を回った。言葉を書き込んでいるときもあった。喋るのが苦手なんだけどなあ、というそれは、それでも楽しそうだった。
―――いつか、
この物語が終わりを告げた時。
ひのきはそれを嫌うことが出来るだろうか、そんなことを思う。
眠りに就くのはそう悪い心地ではない、研究所がサポートしてくれているんだよ、というのはそれが言っていた。それはひのきたちに理解させたいのか、それともただの独り言か。後者なのなら面白みもない生き物なのかもしれない。独り言というのは、誰にも聞かれないと思ってするものだと思うのに、それの言葉はひのきには聞こえている。
「ひのき」
森の色。
シャワーを浴びる。それがひどく、気持ちが良い。ひのきは檜を見たことがないけれど、こんな色ではないことを知っている。
「森の色」
美しいね、とそれは言った。
その言葉が物悲しそうだったのは、それが終わりというものを積み重ねて積み重ねて、擦り切れているからかもしれなかった。
*
作業BGM「明けない夜のリリィ」Layla(傘村トータ)