ある日の放課後、ジェイドとラギーは紙袋を抱えてオクタヴィネル寮へ戻ってきた。
「では僕はこれを厨房へ持って行ってきます」
「了解っス。オレも自分の荷物置いたらそっち手伝いに行くんで」
開店前のモストロ・ラウンジ店内で二人は別れる。ジェイドの姿が見えなくなってから、ラギーは「さてと」と店の奥のVIPルームへ向かう。コンコンとドアをノックし、鍵の掛かっていないドアを開く。
「アズールくーん、買い出し終わったっスよー」
執務机で書類に向かっていたアズールは顔を上げる。
「ご苦労様でした。まったく、よりにもよってストックが僅かな食材を食い尽くすとは……帰ってきたらよく言い聞かせておきます」
「フロイドくんらしいっスけどねー。じゃあオレは着替えてジェイドくんの仕込み手伝ってくるから」
「助かります。時間外手当は計上しておきますので、よろしくお願いします」
するとラギーは急に視線を宙に泳がせ、しばらくしてからアズールの机に近寄った。
「……あーダメだ。もうアズールくんに聞いちゃお」
「はい? 何か……?」
アズールはきょとんとして首を傾げる。
「あのさ、イルカ語で『食べる』ってなんて発音するか知ってる?」
「何ですか唐突に……」
「数年前のホリデーでショーの誘導した時に覚えたのに出てこなくてさ。さっきからずっと思い出そうとしてるんスけど、どうしても思い出せなくて。このモヤモヤを解消してスッキリ働きたいんスよ」
アズールはやれやれといった様子でため息をついた。
「またマイナーな言語を……。僕は人魚なんで存じてますけれど」
アズールが口先からキュルキュルと高音を発する。最後に口を大きく開いたタイミングで、ラギーがすかさず持ってた紙袋から取り出したものをアズールの口に突っ込んだ。
「むぐっ?!!」
アズールは慌てた様子口の中のものを取り出す。
「むぅー……なっつ……?」
アズールは手にしたのがチョコレートがかかったドーナツあると確認する。うっかり噛みちぎり、口の中に残ったものをもぐもぐと咀嚼する。
「それあげるっス」
ゴクリと飲み込んでから、アズールはラギーを睨みつけた。
「あげるにしても渡し方というものがあるでしょう?!」
「だってアズールくん、普通にあげてもすぐ食ってくれないんだもん」
「だからといっていきなり口に放り込む奴がありますか! あなたまでフロイドみたいなことをしないでください!」
(フロイドくんもやるんだ……)
アズールの憤慨する様子がおかしくて、ラギーはシシシと笑みをこぼした。
「糖分摂らなきゃ頭回んないじゃん。それ食って少しは休憩するんスよ」
口をつけてしまった手前、アズールは諦めて残りのドーナツを食べ始めた。
「それにしてもどういう風の吹き回しですか? あなたがドーナツの奢りだなんて。時給はアップしませんよ?」
「やだなー。この数日寮の仕事で忙しそうなコイビトを労っただけっスよー」
アズールは一瞬言葉を詰まらせると、動揺を隠すように咳払いする。
「ま、まぁご厚意は素直に受け取ることにしましょう。ただしきちんと受け取りますから、今後は強制的に口の中に突っ込む真似はしないでくださいね」
「はーい。突っ込むなら別のモノにしまーす」
「ラギーさん?」
「あれ? 何を想像したんスか? オレ別にナニかとは言ってないっスよ?」
「ラギーさん! 無駄口を叩いてないでさっさと仕事に就いてください! 時間外分カットしますよ?!」
アズールくんを揶揄うのは面白い。双子達がイジりたくなるのもわかる。でもこのへんが引き際かな。
ラギーはごめんごめんと口先だけの謝罪を口にして足早にVIPルームを後にした。
この数日、アズールくんは忙しそうだ。しばらく続きそうだってジェイドくんも言ってたし、ヘルプに入ったりこれくらいのことはしてあげないとね。
アズールくんは気にも留めてないだろうな……真ん中バースデーってやつ。
ラギーは片腕だけを上に上げて身体を伸ばしながら、この後の仕事の流れを頭に思い描いていた。