野外ティーチング 運動部に衝撃を与えたバルガスキャンプから一ヶ月、ラギーは再びキャンプの舞台となったドワーフ鉱山のキャンプ場を訪れていた。釣りの課題が出された湖畔の前で、ラギーは自前の釣り竿をセッティングしている。
キャンプの際は部として課題をクリアできたものの、レオナからの指示により、ラギーはアドバイスのみで自身は釣りに参加できていない。
みんなのオオナマズ釣りを見てからというもの、日々ふつふつと狩猟本能が湧き上がる。ラギーはついに抗いきれず、オフの日を作って釣りにやってきたのであった。
予め一匹釣り上げた魚の切り身を餌として仕掛けたラギーは立ち上がり、軽やかにロッドを振る。手元のリールから釣り糸がスルスルと緩み、宙で弧を描いた針がぽちゃんと飛沫を上げて水面に落ちる。
(さぁ、来い……来い……)
ラギーがリールを巻きながら竿を動かしていると、急に先端部が大きくしなって湖面に沈み込む。
「よっし! 来た来た来た!」
このロッドを持っていかれそうなほど重い引きは間違いない。引きのタイミングに合わせながら、糸を切らないように無理せず少しずつリールを巻いていく。最後は岸に近づいてきた影を網で掬い上げ、オオナマズを陸に引き上げた。見事釣り上げたとはいえ、今回の獲物はサイズが小ぶりで、成魚ではなさそうだ。
ラギーがオオナマズの口についた釣り針を外していると、背後から「おめでとうございます」と声がかかった。
「一投目、しかもものの数分で難易度が高いとされる大ナマズを釣り上げるとは」
木の陰から拍手を送るのはアズールだった。
「先のキャンプでの課題、最初からラギーさんお一人でやったほうが早く済んだのでは?」
「そりゃそうっスけど。別にオレ一人でクリアしたからと言って、特別加点がつくわけでもなかったし」
「特技と聞いて少々意外に思っていましたが、本当に釣りがお上手なんですね」
「まぁガキの頃からやってるんで。釣りはガキでもできる狩りの入門編っスからね」
「釣りは狩り……確かに。その発想はなかったです」
ラギーは暴れるオオナマズを湖へリリースした。オオナマズがバシャバシャと音を立てて潜って行った後は、辺りはシンとした静寂が訪れる。
再び針に餌を仕掛け、ラギーは釣りを続ける。アズールは近くにある木の陰に座って本を開くと、時に手帳にペンを走らせている。
「そうだラギーさん」
「あ? 何スかアズールくん」
しばらく各々の趣味に集中していたが、アズールに声をかけられ、ラギーが顔だけを向ける。
「火起こしが見たいです。僕」
「火起こしぃ? なんでまた。火なんて魔法でさっさと点けられるじゃん」
ラギーは怪訝な表情で身体をアズールの方へ向ける。
「魔法を使わずに発火させるからこそ意味があるんでしょう? 陸の歴史を学んだ時に興味を抱いたんです。火は人類の発展に大きく寄与したと聞きます。人魚は火とは無縁で発達した文化圏ですから」
「そっか、言われてみたら確かに」
「ユウさんから、あなたがいとも簡単に火を点けたのは聞いてます。ぜひ拝見したいのですが」
陸で生きてたら火なんて何も珍しくない。最近はあえて装備を揃えずに現地調達する、不便なキャンプが流行っているらしい。けど毎日がサバイバルみたいな生活をしてる身からすれば全くの意味不明。恵まれている故の道楽だ。
その点アズールくんはお坊ちゃんではあるけれど、それ以前に人魚だ。つい忘れがちだけど。アズールくんは勉強熱心だし、純粋な興味なのだろう。
「そういことならまぁ、いいっスよ。じゃあ折角だし、キャンプで
やった時みたいに魚でも焼こっか」
ラギーは釣りの仕掛けを変えると、早速食べられる魚を二匹釣り上げた。その魚達をしばらく網の中に閉じ込め、川で泳がせておく。
「アズールくんは石を集めてきてもらっていいっスか? 火の下に敷く用と、周りを囲んで魚焼く用に」
ラギーが両手で大きさの目安を示す。了承したアズールは石を探しに、ラギーは森の中へ入った。細いものから太いものまで様々な枝や、よく乾燥した杉の枯葉を拾い集める。
戻ってきたらアズールが収集した石がまとめられてあった。
「数はこれくらいで大丈夫です?」
「十分っス。ありがと」
両手に抱えた草木を地面に置き、ラギーはアズールが集めた石を円形に並べる。その中央にごく細い枝と杉の枯れ葉を纏めた。
「さて。じゃあお待ちかねのヤツ、やるっスよ」
仕上げに岸辺に転がっている白っぽい石を拾えば準備はこれでよし。ラギーは持ってきたバッグから掌に収まるほどの金属片を取り出す。
「何をするんです?」
「まぁ見てなって」
食い入るように見つめるアズールの向かいで、ラギーは杉の枯れ葉の間近で石を持つと、金属片を石に打ち付ける。カンカンと甲高い音を上げながら衝撃で火花が飛ぶ。
それを繰り返すうちに、薄っすらと煙が上がる。だが着火には至らず、しばらく続けた後にようやく小さな火が揺らめくようになった。
アズールが「おぉ!」と感嘆の声を上げる。すかさずラギーは地面すれすれまで顔を近づけると火種の下から息を吹きかける。火が他の葉まで移りつつあるのを見て、ラギーが顔を上げる。
「じゃあここからはアズールくんの仕事ね。オレがさっきやったように、アズールくんは魔法でこの辺から空気を送ってほしいんス」
「先程のラギーさんの呼気ほどの風量でよろしいのですか?」
「そうっスね。もうちょい強めでもいいけど、強すぎると火が消えちゃうから気をつけて。まぁオレはせっかちだから、風魔法使うと早く火力上げようとして吹き飛ばしちまうんスよねー。だから吹いた方が確実なんスけど」
「それはそれで魔法士としてどうかと思いますが……」
アズールがマジカルペンをかざすと、火の勢いが強くなる。
「そう! それくらい。魔力のコントロールは流石っスね、アズールくん」
火の様子を見て枝を焚べながら、ラギーは魚の処理にとりかかる。
「こんなに早く火を起こせるとは思いませんでした。陸の歴史書で見たのは木の摩擦熱を利用するものでしたから」
「あんなの時間かかりすぎてやってらんないっスよ。いや、どーしても何の道具がない状況で必要に迫られたらやるけどさ」
「では先程の金属は装備品なのですか?」
「あぁ、コレのこと?」
ラギーは金属片をアズールに差し出した。それはキャンプ用品の火打ち金とはほど遠い、薄汚れた鉄屑だ。アズールはそれをしげしげと観察している。
「何に使われてたかわかんない、ただのゴミっスよ。スクラップ置き場で適当に火花が飛びやすいのを選んだだけっス」
「これはいつも携帯しているのですか?」
「リュックに入れっぱなしっス。ライターみたいにオイルが切れる心配もないし、水に濡れたっていい。アズールくんみたいに急に火起こしを頼まれても、木と石さえ確保できればどこでも使えるってわけ」
「なるほど、魔法が使えない人間にとっても便利な装備品ですね」
観察を終えたアズールはラギーに金属片を返した。
「まぁ火花は出るものの、実際火にするのはコツがいるんスけどね。バルガスキャンプの時は持ち込めなかったから、工具箱にあった金ヤスリで点けたんスよ」
「なるほど。では白っぽい石を選んでいるのも、その金属片との相性が関係しているのでしょうか?」
「火花が出やすい以外の理由をオレが知ってると思う?」
アズールはラギーが火起こしに使用した石を手にした。
「科学的根拠を知らずとも経験で理解しているのですから十分です。この石は持ち帰ってもよろしいですか? 調べてみたいので」
「どーぞ。オレのもんじゃないし、ご自由に」
火の勢いが安定してきたところで、ラギーが枝に刺した魚を石に立てかけた。遠火の熱により、魚の表面がパチパチと音を立てていく。
ラギーはアズールの隣に腰を下ろすと、魚の様子を見ながらアズールと会話を続ける。
「そういえばフロイドくんとかユウくんから、キャンプの話を聞いたんだっけ?」
「えぇ。ラギーさんがフロイドと共に最後まで生き残り、バルガスに称賛されたと聞いています。勿論、魔法石を出し惜しんだ挙げ句没収された件も」
ラギーが『称賛』の言葉に照れる間をアズールは与えなかった。ラギーはじっとりとアズールを睨むも、アズールはクスリと笑ってみせる。
「これは失礼。実にあなたらしいと思ったものですから」
「だってあのキャンプのせいで三日間バイトできなかったんスからね! 鉱山掘らされるんだったら、そりゃあ魔法石の一つや二つ持って帰るでしょ? 別に採っちゃダメとか言われてなかったのに、何故かバルガスにチクられるしさー」
「ラギーさんの言い分はもっともです。チームとして課題はクリアしている。さらに周囲の人間はラギーさんが魔法石を多く採取していることに気付かなかった――つまりラギーさんが私用で採取していた行為が、チームになんらマイナスの影響を与えていないことを意味しています」
「そう! そうなのわかる? そりゃあ採掘に夢中になって他の仕事しなかったんなら怒られても仕方ないっスよ? けどオレはあくまで課題の範囲内でやってたわけ。他の奴らが一個掘り当てるまでの間に、オレは五個とか堀り当てられるだけなのに……」
レオナ先輩に強請られたのと、バルガスに最後没収された魔法石を合わせたらいくらになってたんだろ。最低でも三日分の稼ぎくらいはカバーできていたに違いない。
「ラギーさんが有能なばかりに、大損でしたね」
「でしょ? オレがたまたま魔法石を持ってたから数々の窮地をマジカルペンなしでも切り抜けられたようなもんっスよ? そうじゃなけりゃ誰かがオーバーブロット起こしてもおかしくなかったんスから」
後で種明かしされたとはいえ、バルガスの襲撃はマジで死を覚悟したもんな……もうあんなドッキリはごめんだ。
アズールが焦げ目のついた魚を見て「もう良さそうですよ」と促す。魚が刺さった枝をそれぞれが手にし、「いただきます」と口にする。
「んー、美味い!」
「何ら味付けをしていませんが、鮮度が良いので臭みもないですし、淡泊ながら味としては悪くない。脂もよく乗ってます」
「この魚、今が旬なんスよ。確かに食卓で目にするような魚じゃないんスけど、一度はアズールくんにも食べてほしかったから良かった!」
ラギーは嬉しそうに魚を頬張った。
「ところで、ドワーフ鉱山って閉山したと聞きました。それでも持ち帰れるほど魔法石が採れたのですね?」
「いや。クズみたいな石しか残ってないっスよ。だから課題もほんの三グラム程度の石で良かったわけだし。マジカルペンサイズの魔法石すらもう見つからないんじゃないっスかね」
ラギーが指先で魔法石の大きさを示してみせる。
「ではやはり鉱山としての価値はもうないと」
「たった三グラムですら苦労はしたっスからね。一応魔法石が比較的多い穴場スポットがあって、あの時は化物相手に使わされたのが悔しくてそこへの道を隠してきたんスよ。けど冷静になってみたら、じゃあ今からアズールくんと金稼ぎのためにわざわざ入山するかと言われたらまぁ……行かないっスね。コスパ悪すぎ」
「懸命な判断かと。勿論魔法石は貴重ですから売れないことはないですが、素人の労力と採掘量のバランスを考慮すると旨味はないかと」
「化物に襲われるしね」
「それ、少し気になっていたんです。バルガスではない本物のモンスターの方ですね?」
アズールは表情に少々の険しさを宿してラギーに尋ねた。
「アズールくんは信じてくれます?」
「信じるもなにも、それだけの目撃者がいて、実際にフロイドやラギーさんが交戦してるわけです。揺るぎない事実ですが」
「そうっスよね? でもバルガスは全く取り合わなかったっスからね」
「まぁバルガスに関してはレオナさんの見解通り、あの場で訴えても無駄だったでしょう。人間誰しもそうですが、この学園の教師陣はイマイチ信用できませんからね。学園長を筆頭に」
その点についてはアズールくんも大概だ――と言いかけて飲み込んだ。
「まぁ次回バルガスキャンプ開催時にでも証明できるといいですね。尤も、行き先と内容が今回と同じにしてくるとも言えませんが」
「今度は文化部かもよ? 運動しないもやし共を鍛えるって名目で。いやー文化部が奮闘する姿、すげぇ見たいっス」
ラギーはシシシッとハイエナ特有の声を上げて笑っている。
「勘弁してくださいよ。そんなのただの地獄じゃないですか。そしてバルガスならやりかねないので、絶対にそんな魔のアイディアを吹き込まないでくださいよ?」
「オレは鬱陶しいから言わないっスけど、いつ思いついてもおかしくないっスからね。ま、そうなったら火起こしの方法くらいはアズールくんに教えてあげるっス」
「いえ、むしろあなたを文化部に掛け持ちさせた方が早いです。一時的にボードゲーム部に入部届を出していただきますので」
「何スかそれ、勝つ気満々じゃん」
「手段なんて選ぶわけないでしょう? 組むならラギーさんとがいいに決まっています。もっとも、バルガスが文化部を鍛えるなんて気が狂った発案をしないことを願うまでですが」
「言えてる」
食べ終わった枝を焚き火の中に放りながら、ラギーはふと違和感に気付いた。
「そういやさ、アズールくんがバルガスを『先生』って呼ばないの、珍しくない?」
「あぁ、ついうっかり憎しみ……失礼、親しみを込めるあまり、敬称をつけ忘れていました。勿論教師陣の前では先生とお呼びしますよ」
「親しみとか絶対ウソじゃん」
ラギーは耐えきれずに吹き出した。アズールくんは運動系科目を苦手だ。バルガスから散々個人レッスンと称した補習をさせられてるし、日頃の恨みが募っているに違いない。
「じゃあさ、オレのこともいつかはラギーって呼んでくれるんスか?」
小首を傾げたラギーが問いかけると、アズールは「へっ」と声
を裏返えらせた。
「ジェイドくんやフロイドくんは付き合い長いからともかく、バルガスを呼び捨てにするんなら、オレのこともいつかそう呼んでくれんのかなって」
「……嫌なら敬称を外さないよう善処します」
アズールは視線を泳がせながらしどろもどろに答える。
「逆っスよ逆。オレ達が付き合うようになってそこそこ経つし、むしろいつ呼んでくれんのか待ってるんスけど」
「いつから敬称を外すなんて……意識したことないです。そういうラギーさんだって、僕を呼び捨てにしないではないですか」
「アズール」
ブルーグレーの瞳は真っ直ぐにアズールの眼を見つめながら、その名前を口にした。決してぶれない視線から逃れられず、アズールはただ言葉を失ったまま困惑の表情を浮かべている。
二人の間に一瞬訪れた沈黙を、そよ風に靡いた草木の葉擦れの音が満たす。
アズールの動揺にふっと表情を緩めたラギーは数秒遅れの「くん」を付け足した。
「まだイマイチしっくりこないから、オレも当分『アズールくん』のままかも」
何度か呼んだけどね。余裕がない時、アズールって。その時はアズールくんも余裕ないから、きっと気付いてないんだろうな。
捕食者の狙いから逃れて安堵した草食動物かのように、アズールはホッと息を吐いた。
「名前なんて、ラギーさんの好きに呼んでくださって構いませんよ」
「好きに呼ばせてもらうし、そのうち名前だけで呼び合うようになるんだろうけどさー。けどそうなったとして、学校にいる間は呼び方みんなと同じにしそうじゃないっスか?」
「その点はラギーさんに同意ですね。僕らの関係に気づくほどの鋭い生徒が、この学園内にいるとは思っていません。まず疑われないでしょうけど、変に勘ぐられる要素を与えるつもりはないですから」
「そう? 逆に鈍感な奴らに見せつけてやってもいいんスよ?」
「メリットとリスクを天秤にかけてご覧なさい。公表する選択肢になると思えませんが」
「そこなんスよねぇ」
魚を綺麗に食べ終わったアズールが、ラギーに倣って枝を火にそっと焚べた。
「損得勘定する点も、結果理性が勝ってしまう点も、似た者同士ですねぇ、僕たち」
「けど、アズールくんのそういうところが好きっスよ」
「おや、奇遇ですねラギーさん。僕もです」
しばし顔を見合わせてから、同じタイミングで笑い出す。
良く晴れた昼下がり陽射しが、幸せな二人を明るく照らしていた。