チョイタッ ざらざらとつとつ。
多少強めの雨が空から零れ落ち始め、窓をノックするように叩く音がする。その匂いと気配を感じて、悠仁は音が立ちそうな程にはっきり目を開きがばりと顔を上げた。雨が降っている。それは彼に会える合図だ。寝起きでぼんやりとした意識が急覚醒して眩暈がするようだが構っていられない。寝巻きにしている伸びたTシャツとゆるゆるのスウェットを乱雑に脱ぎ捨て、箪笥から適当な服を引っ掴み雑に着替える。手櫛で髪を整えながら洗面所へ向かい、やっつけ感覚で歯磨きを済ませる。早く速くはやくはやく。気持ちが逸って前へつんのめる。雨の日にしかあの人には会えないのだから、少しでも長く一緒に居たい。追われるようにドアから転び出て、そのまま駆け出しそうな勢いだった鍛えられた体躯をガシリとした大きな手が押し留める。
「戸締りはしっかりしないとだめだろう」
そのまま優しく肩が包まれ、弾丸のような勢いだった筈の体は驚く程穏やかに止まった。低く甘く響く優しい声。肩に添えられた手はゾッとする程冷たいが、それがこれ以上ない程愛情深く自分に触れている事を悠仁は知っていた。何より、悠仁が待ち望んだ雨の日だけに会える、雨の結晶を集めて固めたかのような透き通るように美しい生き物。
「兄ちゃん……」
ぱっと一気に華やぐ笑顔を蕩けさせ、悠仁はそのままその逞しい体に抱き着いた。会いたかった。そう零す声音は長く会えなかった恋人にやっと再会したかのように甘く切ない響きを持っている。ぴたりと吸い付くように合わさった体はしっとりと受け止められ、ぷわりと不思議な感覚が一瞬過るがその後カチリと嵌るように抱き寄せられた。体に自身が沈んでゆく。全て包み込まれるような感覚が心地い。向こうが透けて見えていた身体は不安定ながらも輪郭を獲得し、抜けるように白い手が悠仁の頬を撫でる。肌の白と、瞳と髪と鼻筋を通る黒。あとは赤い唇以外の色がない、シンプルで洗練された美しい男が悠仁の目の前で穏やかに笑っていた。
「そんなに慌てなくても、俺は必ずお前に会いにくる」
「だって雨の日にしか会えないんだぜ?一分一秒でも勿体ないじゃん」
すり、と頬を寄せるとタプンとした感触が気持ちいい。ひんやりとした体が上がった悠仁の熱を優しく冷ましてくれる。久しぶりの逢瀬に悠仁の高揚感は増すばかりである。久しぶり、とは言うものの実際のところつい三日ばかり前に半日以上続く雨が降ったばかりである。その際には雨が降っている間中二人は一緒の時を過ごし、降り止む頃には次に会えるのは多分三日後になるだろうと目の前の男から直接伝えられてはいたのだ。雨と共に訪れるこの男はやはり雨との親和性が高いのかいつ雨が降るのか大体事が分かるようだった。寂しい、離れたくないと存外素直に話す悠仁にならばせめて次の約束をと別れの際には必ず次の雨を知らせていた。
「ねぇ兄ちゃん。今日はさ、俺行きたいとこあんだけど」
「お前の頼みなら出来る限り叶えよう。どこに行きたいんだ?」
甘えるように悠仁が手を引くと、それをそのまま甘やかすように蕩けた瞳で受け入れる。その溶けた瞳が何より好きだった。自分しか映さない透明な黒い瞳。しっとり濡れたそれが雨雲の下鈍く輝くのが堪らなく美しく感じた。