被害者同盟ニキータが帰ってきてからバルカンはずっと苛立っていた。普段は朗らかで飄々として、無邪気な子供のようにほとんど怒りを覚えることの無い彼女が露骨に苛立ち、刺々しく周りに当たり散らしてますます子供のようになっている。
注意しようにも獰猛なライオンのようになっている彼女に、腕をへし折ってきそうな程に苛立つ彼女に声をかけられる班員はほとんどいなかった。ただ遠巻きに眺め、荒れてるなあなどと声を潜めるばかりだった。
それになぜ彼女が苛立っているのか分かっている班員はとてもではないが注意ができなかったのだ。
元々バルカンは孤児だった。昔兄と共にエウロパに売られてきて生き別れてからは他の大人に可愛がられる事はあっても肉親の愛情を向けられた事はなかったようだ。
最後に世話になった主人が亡くなってからはラビェンという種族特有の頑丈さを活かして肉体労働をしていたようだった。
彼女は愛やらそういった類のものをあまり理解していなかった。
そんな彼女を可愛がってくれたのが同期で入ったニキータだった。
彼女が悪いことをすれば叱り、加減の出来ない愛情表現も受け止めてくれたりする彼は彼女にとって兄のような父親のような存在になっていた。
そのニキータが再起不能になって、ボロボロになって帰ってきたとあれば彼女の怒りは当然だと周囲は彼女の横暴さに辟易しながらも若干同情しているようだった。
「あんた、スバルだよね。ニキータが世話焼いてた奴だっけ」
ドアを開けようとした時、そこに立っていた少女に声をかけられてスバルは「あ、はい」と言いながら彼女の顔を見た。
ピンク色の髪をツーサイドアップにし、輪っか状に結った特徴的な髪型。自分より若干低い背。どんぐりのようにくりくりした可愛らしい大きい赤い瞳。
少女らしく膨らみかけの胸を強調させるような丈の短いタートルネック、少女らしからぬがっちりした体型に引き締まった腹筋。
このギルドに何人かいるラビェンのうちの1人。
ラビェンのバルカン・コンカースだと見ただけで分かった。
スバルは遠目から見たりニキータの話から彼女の存在を知っていたが、あまり関わりたくはなかった。
というのも、彼の認識としてはラビェンはハーリガの次に強くて怖い種族だったからだ。
日々相手の返り血と己の血に塗れて帰ってきて、人目を憚らずに大声で喋ったり笑ったりとにかく遠慮がなかった。
良くも悪くも無遠慮でフレンドリーで距離感が妙に近い。
蛮勇を奮う馴れ馴れしくてうるさい体育会系の人達、という印象だった。
そんなラビェンの少女が話しかけてくるなんて、と思いながらスバルは恐る恐る彼女に向き直る。
「バルもニキータに世話になってたんだ。だからお礼言いたくて」
「は、はあ……」
スバルは困惑していた。いきなり話しかけられてお礼だなんて。しかもニキータという共通の恩人がいるだけでほとんど接点がないのに、と。
しかしそんなスバルの困惑をよそにバルカンは話を続ける。
「ニキータ、よく分かんない奴にグチャグチャにされちゃったのに皆忙しいとかで全然お世話してくれなくてイライラしてたんだ。バルも世話できればよかったんだけど力が強すぎてダメだって言われてて。だからアンタが世話してくれてすごく嬉しい」
言いながらバルカンは微笑んだ。
少女らしい、無邪気な笑みだ。
この所スバルの耳には彼女が苛立って壁やドアを壊したという悪行だけが入っていた。そのせいでこんな表情をするなどとは思ってもなかったのだ。
スバルは彼女の笑みから目を逸らす。
「と、当然の事をしただけです。ニキータさんが居なかったら僕なんてきっと3日でギルドを辞めてましたから。次は僕がニキータさんを助ける番だって……そう思って」
「そうだろうね。結構アンタの事言ってるヤツらいたから。ニキータ、いい奴だから放っておけなかったんだよ」
バルカンはそう言ってしばらく口を閉ざした。
「ニキータをああした奴ら、憎くない?」
再び口を開いた彼女から出た問いかけはスバルの胸に突き刺さるものだった。
憎くないわけがない。彼が帰ってきた時の痛ましい姿を忘れるわけがない。
腕をへし折られ、顔を焼かれ、歯まで折られて心も体も陵辱され尽くした彼。
ただ仕事をしていただけなのにタチの悪い奴らに目をつけられてしまった彼。
彼をそんな姿にした奴らが憎くないわけがない。
「……それは憎いですよ」
バルカンはしっかりとスバルの目を見つめて、はっきりと言った。
多くは語らない。想いが強すぎて、言葉として出てこなかった。
ただその一言だけがはっきりと言葉にできた。
「分かった。スバルの分までバルが犯人ぶちのめすよ。だからスバルはバルの分までニキータを助けてあげて。じゃあ、犯人見つけてくるから。バイバイ!」
そう言って彼女は走り去っていった。
嵐のような彼女に呆然としながら、彼はニキータが待つ部屋に入っていったのだった。