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    骨董綺譚のあとらへん
    だいぶ微糖

    五センチを飛び越えて 初めて会った時、たったの五センチがなかなか埋められなかった。
     コツコツと靴音を立てて前を行くその人はこちらのことなんて目に入っていないようで、少しずつ少しずつ距離が開いていく。五センチ。十センチ。顔よりも何度も見たのはその背中だった。
     その背中に待ってほしいなんて、言いたくなかった。いつか追いついてやろうと思った。

     ラーメン屋の暖簾をくぐって外に出ると、冷たい風が現実を呼び起こす。先ほどまでの裏仕事についてだとか、今後の展開だとか。今日は少し疲れたなあ、と言って伸びをしている相棒を横から見上げる。
    「あまり好きじゃなかったんやけどな」
    「急にどうした? 何か嫌いなものでも入っていたかあ?」
    「いや、斑はんのこと」
    「そうかあ、それは悲しいなあ!」
    「だって、斑はんあの路地裏で会った頃、わしのこと認識してなかったやろ」
    「そんなことないぞお。桜河こはくさんについてのデータベースはきちんと叩き込んでいたなあ」
    「そういうことやないってわかってて言ってるやろ。最近ちょっとずつ主はんのことわかってきたで」
    「はははは。そういうことを言ってくれるのは君だけだなあ。相互理解は大切だ」
     そう言って斑はんは歩き出した。
     君だけ、とかそういうことを言わないでほしい。特別なのかと勘違いしてしまうから。
     自分は割と周りの人たちがみんな大切で、自分にできることなら望まれることをしたいと思っている。
     でも斑はんはどうなんだろう。周りの人たちをどう思っているのだろう。言葉だけでは斑はんのことをわかった気にはなれない。よくぺらぺらと喋っているが、心にもない事を言っているわけではないだろう。ただ斑はんの言葉の中のどれが本心なのかわからないのだ。百パーセント本心を言っていることもあれば、一パーセントの本心のこともある、と思う。これは推測でしかないが。

     コツコツとショートブーツのヒールの音がする。今日も少しずつその背中と距離が開く。だが、それは初めて会った時より小さい幅だった。自分が変わったのか、斑はんが変わったのか、はたまた両方なのか。
    「なあ、斑はんって大事な人とかいるん?」
     少しだけ前を行くその背中に話しかける。
    「もちろんいるぞお。夢ノ咲のアイドルの仲間だったり、ああ、あんずさんもそうだな。それからもちろんこはくさんも」
    「そうなんだけど、そうじゃなくて、大事じゃなくてもいい、他とは違う特別な人」
    「こはくさん、そんなに俺に興味があるのかあ?」
     呆れたように振り返って言うその言葉はこの話を終わらせようとしている。求められている答えはNOだ。いつもこういう時に望まれるものを選んでしまうから、斑はんとは分かり合えないままなのだ。
    「せやで」
     斜め上で笑っていた顔が真顔になった気がした。
    「わしは斑はんに興味がある」
    「じゃあ君も、教えてくれるか?」
     驚き、立ち止まる。笑って流されると思っていたが会話が続いたことにも、自分がそのように言われることにも。つられるように斑はんも立ち止まった。
    「俺だけがそれを教えるのはフェアじゃないだろう。君もみんなが大事、全部を守りたい人だろう? その中に特別はあるのか?」
    「それは……」
     一番かはわからない。それでも気にかかる人はいる。放っておけない人がいる。自分が、その人にとっての拠り所になりたい人はいる。
    「余計なお世話っち思うかもしれんけど、わしは斑はんのことが特別気にかかる。それじゃあ答えにならんやろうか?」
     はあ、と溜息をついて斑はんが一歩こちらに近付く。開いていた距離がなくなった。
    「君には本当に敵わないな」
     頭をぽんと叩かれまた斑はんは前に進む。追いかけるように真横に並び少し進んだところでふと気付く。距離が開かないのだ。
    「で、主はんはどうなんや」
    「今は勘弁してくれないか」
     ああ、これは斑はんの本音だ。少しだけ赤い頬に口角が上がる。
    「ええよ、また今度聞くから。そん時は教えてな」

     一陣の風が吹く。
     マフラーを巻き直すふりをして斜め上の顔を盗み見ると目が合い、お互い吹き出す。
    「なんやねん」
    「こはくさんこそ」
     笑い合いながら帰る時間はいつもより少しだけ長いはずなのに短く感じた。こんな時間がいつまでも続けばいいのに。
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