無題 とある物語の青年の話をしましょう。
嘘吐きの青年はある男に出逢いました。
その男は今まで彼が出会ったどんな人よりも破天荒で、どうやって生計を立てているのかもわからず、それでいて人懐こくて、とにかく青年の心をざわつかせるには充分な存在でした。
男は明るく真っ直ぐで、人を疑ったりということを滅多にしませんでした。そんな彼に青年は自分のペースを乱され、つい流されてしまうのを感じていました。
青年にはどうしても完遂しなくてはならない野望がありました。一時の感情に流されるつもりなど毛頭ありません。寄り道をしている時間などないのですから。もしかしたら、その男を利用すれば近道ができるのかもしれない。そういった考えは何度か脳裏を掠めました。しかし嘘吐きにも矜持があるのです。
青年は必要最低限だけその男に関わろうとしました。しかし、そうすればするほど、男の異質さは際立ち、青年の中により一層強い揺さぶりをかけていくのです。
「■■■」
ある日、不意に背後から呼ばれたその名前。
人々の声、通りを走る車の音、木々のざわめき、そういった音という音が全て止まったような感覚。男の声だけが、あったはずの雑踏を掻き分け耳に滑り込んできます。青年のことを呼んでくれる人は何人もいますが、その中でも男から呼ばれるその名は、その音は青年の心を震わせました。
どうしてこんなにも。
青年は勤勉でしたし、知識は豊富にある方でした。しかしその知識から導き出される答えからは目を逸らし、或いは気付かないふりをします。
青年が振り向いた先にいたその男は笑顔で大きく手を振っていたものの、その手を止め、駆け寄ってきました。
「おい、大丈夫かよ」
「何がですか?」
青年には大丈夫かと問われる所以がわかりません。その間にも男の声以外の音は入ってきません。
「お前、泣いてるじゃん」
「泣いてないですよ、ほら」
涙なんて一滴も出ていない。そう言って顔を上げた瞬間、男と目が合ってしまいました。今、目が合うわけにはいかなかったのに。
青年は嘘吐きでした。作りあげた感情で物語を綴り、人々を楽しませる。嘘を吐いて自分の感情を隠して周囲に■■■という個を確立させる。そういった生活がどれだけ続いていたでしょう。
もう、嘘をつくことには慣れっこのはずでした。嘘の中に少しずつ、少しずつ自分を混ぜ込んで。その出来上がった不純物を自分だと思い込んで。
それなのにこんなに真っ直ぐな人間を目の当たりにして。貴方のせいで。気付きたくなかったのに。
「限界、なのかも」
そんなこと、言うつもりなかったのに。これが、本当の気持ちなのでしょうか。一片の嘘のない自分の感情なんて、そんなもの怖くて人に見せたくない。
「嘘ですよ《たすけて》」
笑顔でいつもの魔法の言葉で取り繕って、なかったことにさせてください。
進行方向に向き直り、彼と距離を取りました。
「あのさ」
そう、彼はこんなところで空気を読んで身を引くような男ではなかったのです。青年は再度振り返ります。
「全部捨てて俺と一緒に逃げちまえばいいんだよ。俺はもう捨てるものなんて無いから全国どこでも生きていけるしな」
「そんな簡単には、いきませんよ」
「じゃあ俺と一緒にこのクソッタレな世界、ぶっ壊そうぜ」
「貴方と一緒に?」
この男にも何か考えていることがあるのでしょうか。自身の野望にはまだ手が届くような場所ではありません。それでも一人よりは二人の方が可能性はあるのかもしれない。この男となら。利用ではない、共に進むことは許されるのでしょうか。
「おう、退屈はさせねぇよ」
「なんですかそれ」
青年は思いました。
しばしその享楽に身を沈めるとしましょうか、と。
「貴方のことを、教えてください」
差し出された男の手に向かって自らの手を差し出すのでした。
え? 続きが知りたい、ですか。ではヒントを少々。
小生はハッピーエンドの物語しか綴れないんですよ。ああ、これではヒントではなく答えのような物でしたね。
つまりはそういうことです。お後がよろしいようで。