モブAの憂鬱 最近推しを見ていない。
そのことに気付いたのは少し前のことであった。いや、見ていないというのは語弊がある。広告などでは見かけるし、少し前までドラマにも出ていた。ドラマの役は意外性がありながらもハマり役であり録画したものを何度も見たものだ。この話は長くなるので割愛しよう。
そう、私が見ていた彼らは少し前の彼らである。彼らが今現在何をしているかが全く追えないのである。
もしかしたら長期のロケに行っているのだろうか。秘密裏の撮影があるのだろうか。前回見た時と髪型が変わったりしているのだろうか。
最後に行ったライブは昨日のことのように覚えている。
推しの名はDouble Face、三毛縞斑くんと桜河こはくくんだ。
ESで行われる今年のハロウィンライブはいくつかのステージに分かれており、そこに複数のシャッフルユニットが登壇するものであった。
今日から駅に掲示されたらしいポスターを確認するも推しの姿はそこにはない。
たまたま後ろを通りかかった子たちの推しはいたようで黄色い声が聞こえてきた。
ただ推しがいないだけなのにこの喪失感はなんなのだろうか。新人だって出てきている、その子たちにも出る場所を与えるために今身を引いているだけかもしれない。それなのに変に勘ぐりをしてしまう、そんな自分が嫌だった。推しは何も悪くないのにどんどんどつぼにはまってしまう。負の感情を引き摺りながら家路へと急いだ。
「Happy Halloween!」
マーケットを歩いていると色々な人に声をかけられる。海外のハロウィンは日本と違うが、そこも面白い。同じように返し特に目的もなく歩く。
私は社会人なのでそこそこのお金と有り余った有給がある。会社が繁忙期でないのをいいことに、気分転換にと海外旅行を決めた。日本にいれば嫌でもアイドルの情報が目に入るので一旦何もかもリセットしたくなったのだ。
何度声をかけられただろう。適当に返していたが聞き覚えのある声に足を止める。
まさかと思いつつ声の主の方を向く。
「斑、くん?」
神様仏様風早巽様今目の前にいるのは推しですか。ずっとテレビや雑誌やライブで追いかけていた顔と声。前より少し痩せただろうか。握手券も無いのにこんな至近距離で会話を交わして良いのだろうか。
「お、こんなところで日本人に会えるとは! こんにちはあ!」
「こ、こん、に、ちは?」
「はい、こはくさんもご挨拶」
「そんなん言われんでもできるて。こんにちはぁ」
「こはくくんも、え? Double Faceのお二人? なんで? カボチャ売って?」
「あはははは。お姉さん落ち着いて? 俺たちは駆け落ちして海外に来てカボチャを売って生計を立てているんだ」
「アホか! 混乱している人に余計なこと吹き込むなや! お姉さん堪忍なあ」
「あ、いえ」
一周回って冷静になってきた。なぜか今某都市のマーケットで推しのアイドルがカボチャを売っている。冷静になったが意味はわからない。アイドル活動の一環だろうか。それとも撮影? どこかから撮られている?
「そんな振り向かんでもカメラは無いから安心してええよ」
「俺たちの知り合いがここの店の主人でなあ。ちょっと席を外しているから代わりに店番しているだけなんだ」
「なるほど、そういう」
「駆け落ちっちうのも嘘やから」
「嘘じゃないだろう?」
「ちょっとした長期休暇みたいなもんやろ」
「夏休み的な……?」
「せや、それ。ただちょっとワケアリでな」
「だからお姉さん、俺たちをここで見たことは内緒にしておいてくれるかあ?」
斑くんは人差し指を口に添え、こはくくんは首を傾げてこちらを見ている。私はただその場で頷くことしかできなかった。約束な、とウインクされ衝撃を受けた私は失礼しますとだけ言ってその場から走って逃げてしまったのだ。
リアルイベントでもないのにうっかり推しと話してしまうという最大の禁忌を犯したわけだが、不可抗力なので仕方ないことだろう。今考えると大変惜しいことをしたが、あれ以上の接触は身が持たないのでこれでよかったのだ。
彼らの歌やトークを見てきて、実は結構仲が良いのかなとは思っていたがまさか長期休みに一緒に海外旅行に行くような仲だったとは。
推しが元気だということがわかっただけで、少し前まで負の感情に支配されていた自分が解放され世界が鮮やかになった気がする。単純だとは思うけど、それでいいんだ。
やっぱり推しは最高だ。一生推す。
あー、来週からの仕事も余韻で頑張れる気がする。