Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    SINKAIKURAGESAN

    @SINKAIKURAGESAN

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 22

    SINKAIKURAGESAN

    ☆quiet follow

    ノエルとダッドの話だ~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!
    進捗監視してくれ~~~~~~~~!!!!!!!!!あわよくば感想が欲しい~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

    終わらぬ秋に愛を綴って 早く、早く。なんで来ないの?
    待ってる。待ってるのに。
      嗚呼、早く、早く……

     「僕ら」を「完結」させて、死んでくれ!

    ・・・・・・

     暗い室内。唯一の光源となっているパソコンの前でキーボードを叩く音だけが響く。ちらりと横目で出社状況を確認すると大体は退社しているというのに「伊岸隼人」という、自分の名前が書かれた部分だけはいまだに蛍光グリーンで「出社」と書かれていた。
    「はー……帰りたい。やることと言っても寝るくらいだし。……アレをやるには時間も体力も足りない」
     記憶の片隅で原稿用紙の束がちらついて、紫髪の男とも女とも言えない中性的な人物がシャベルを片手に空いた方の手を動かして、マフラーで口元を隠した。
    「あー、そういや今日取引先に何回苗字間違えられたっけ……まあ、『かれぎし』じゃなくて『いぎし』って読むだろうしなぁ」
     特に話す相手もいないが独り言は止まらず、この現状を見られたらいったい何人の人が短い悲鳴を上げるんだろうなと思う。……個人的に、一番悲鳴を上げたいのは俺だが。一つため息をついて、伸びをする。グキグキと悲鳴を上げる体は二十代後半の物とは思えず、さらに深くため息をついて、即座に息を吸って、これは深呼吸だと自分に言い聞かせた。一度疲労を自覚してしまえば、そこからはもう雪崩のように不調の連続で、目の奥は痛むし肩はこってるし、最後に何かを口にしたのかも朧気にしか覚えてなくて、なんでこうなってしまったんだろうなと思いながら、ぐってりと机に伏せる。限界だ。誰もいない職場でも、三十分くらいだったら許されるだろう。と誰に赦しを乞うているのかもわからないまま押し寄せる眠気に抗えず、目を閉じた。

     目を開けると、見慣れたオフィスではなく、薄暗い路地裏だった。高いビルの間から見える空は曇っていて、なんとも言えない恐怖を感じる。あのオフィスとの共通点なんて人がいない程度くらいで、一周回って冷静になってきた。体を起こすと、スーツはそのままだが荷物は特に何もなく。怪我も無い。あるのは眼精疲労による頭痛や肩こりというもう何年も付き合ってきた存在。
    「なんなんだよ、クソッ」
     思わず悪態をついてしまう。しかし許してほしい。ほんの三十分ではあるがあの時間は自分にとって大切な休息だったのだ。こんな何処とも知らない路地裏の固い地面よりも、あの居心地の悪い椅子の方が幾分かましだったのにとため息をついて一先ず現状把握のためにあたりの探索を始める。
     結果としては、まあ、路地裏。何回か何かが蠢く音がしたのだがおそらくはネズミか何かだろう。塵一つとしてない路地裏なのにネズミが湧くものなんだな……。そしてまたしばらく歩く。いったいどれだけ歩いたのだろうかと考え始めたあたりで、後ろからずる、べちゃ。ずる、べちゃ。という、何かが這いずり回るような音が耳に届く。しばらく変化が無い状態に飽き飽きしていた俺としてはそれが幸か不幸か新しい刺激で、思わず振り返った。
    「は……?」
     視界に移るのは薄い紫のスライム。蠢くそれはどう見たって生きているとしか思えなくて、確実に俺を捕まえようとしているのか近付いて来る。表情も何も見えないのに、ただ生きているとだけを脳みそに叩きつけてくるように知覚させるそれはこちらに殺気を浴びせてくる。一周回って叫び声も出てこなくて、思わず走り出した。
     火事場のバカ力とはこのことか、と足の回転スピードを上げる。ここ数年まともに運動なんてする時間が無かったからどれだけ走っていられるかという考えは死ぬかもしれないという恐怖の前ではすぐに消え去って行った。走る、走る、走る。しかし、人間の体には限界というものが存在していて、喉が渇いて、肺が痛んで苦しくて、足元もおぼつかなくなってきた。
    「あっ、ッう」
     足がもつれて転ぶ。こんな風にこけるなんて幼少期以来一度も無かったと思いながらも、視線は自分が今まで走ってきていた道に向けられていて、ヒュ、とその先の光景に息をのんだ。
     ずるり、べちゃ、じゅるじゅる……そんな水音を響かせながら、スライムは近寄ってくる。けど、ここに来て俺はそのスライムがスライムではないんじゃないかと思いなおす。何を言ってるのかわからないが、本当に、何となくの直感でそうやって思ったのだ。何だったら、つい最近も思い出していたような……。
    「…………ぁ」
     そんな小さいつぶやきが聞こえたのか、スライムはぴたりと動きを止めた。
    「……ノエル、ノエル・オー・ライト」
     呪文の詠唱の様に、その名前は宙に舞って溶けて消える。完璧に動きを止めてこちらの様子をうかがっていた薄紫色のスライムはブルリと一度大きく身震いしたかと思うと、そのまま溶けて地面に大きな水たまりを作り、怖いもの見たさで動けなくなっていると、そこから一人の人間が出てくる。
     両目が隠れるほど長い薄紫色の前髪。同色の後ろ髪は彼の腰よりも長く、それを一つに縛って後ろに流している。首元にぐるぐると巻かれたマフラーからは時折口元が見えるが、彼の口は大きく裂けたうえで乱雑に縫われていて、まるで歪な笑みを浮かべているようだった。グレーのシャツに、白と黒のフード付きスカジャン。黒いズボンに、スニーカー。初めて出会ったはずなのに、俺はその人物に見覚えがあって。記憶の片隅の、もっともっと昔だろうかと考え事をしていると、少し彼には大きいであろうスカジャンの袖で隠れた両の手をポケットに突っ込みながら、そいつ……ノエル・オー・ライトは静かに口を開いた。
    「……なんでわかったの」
    「なんで……って、君は、俺の、作った子、だから?」
    「……たどたどしいね。けど、それだけ覚えているなら上々か」
     いち、に、さん。と歩数を数えながらこちらに近付いてきた彼はそのまま腰が抜けて立てなくなった俺の前にしゃがみこんで、こちらを見てくる。
    「ねえ、君は僕を完結させてくれる?」
    「は?」
     完結させてとはいったいどういうことだ。ここに来てから混乱の連続で、そろそろしっかりとした状況把握をしたい。どういうことだと開きかけた口はノエルの言葉に遮られてしまったが。
    「改めて自己紹介でもしようか。僕はノエル。ノエル・オー・ライト。君の作った、唯一のキャラクターだよ。よろしくね、ダッド」
     表情の変わらない彼の声色は、とても優しいものだった。だからといって警戒を解くつもりは一切ない。二次元の存在が三次元に現れて、ましてや語り掛けてくるなんて実際にあってもにわかには信じがたいのだ。立ち上がってくるりと振り返り、どこかへと向かおうとする彼の後ろをついて行くとあの入り混じっていた路地裏は一つ角を曲がっただけで光が差し込んで、そこからは賑やかなたくさんの人の声が聞こえてくる。
    「ここは、大通り。多分、どんな店でも揃ってるんじゃないかな」
     がやがやと賑やかなはずの街中で、彼の声はスッキリと聞こえて不思議な感覚ではあるものの、初めての街並み案内で聞き漏らしが無いのはありがたい。大通りと呼ばれたこの場所は、表現としてはヨーロッパの街並みと形容するのが一番近い。中央に大きめの車道があり、それを挟むように歩道。そして、ざっと見ただけで食べ物を売っている店だったり、服屋だったり本屋であったりといろんな店がある。果ては占い屋だったり、客は来るのだろうかと疑いたくなるような店まであった。
    「じゃあ、ここの説明するね」
     そんな大通りを歩きながら、ノエルは口を開く。周りにはいろんな人型であったり、人型ではなかったりする者たちがまるで人間の様に過ごしていた。喫茶店で楽し気に会話をしていたり、八百屋で野菜の鮮度を確かめていたり。時折こちらに視線を向けるものがいるが、彼らのちくちくと刺さるような殺意を無視して、俺はノエルの後ろをついていく。
    「説明と言っても、何から話そうかなぁ」
    「……まず、ここは何処なんだ?」
    「何処、かぁ……」
     何をどうやって喋ろうかと言った風のノエルは少し考えた後に口を開く。
    「夏が終わって、冬が来ない。いつまでも秋だけが巡り続ける世界。町の名前は【ハーベストタウン】。ここは言うなれば異世界ってやつで、僕たちみたいな存在に人間が呼ばれて成り立っている世界。って言うのが簡単な説明」
     過ごしやすくっていい場所だよここは、と続けた後でくるりと振り返って指を三本立てた。
    「ここの住人は大体三種類に分けられる。まずは君達みたいなかつて筆を折った人間の【秋綴り】。次に、秋綴りに未完のまま忘れられた僕たちキャラクターである【秋待ち】。ずっとここで、自分の秋綴りが来るのを待ってた。忘れられて尚、ずっと、ずっと。……その秋待ちが、秋綴りに自分の物語を書いてもらい完結すると、それがハッピーエンドでだったとしても、違っても、平等に【秋終え】になる。チャンスは一度しかないから、皆焦ってるんだ」
    「ハーベストタウンといい、役職名?と言っていいのか……秋に関する言葉が多いな」
    「だよね。僕が作った場所じゃ無いから詳しくは知らないけど、ハーベストタウンの有名人に劇団関係者がいたらしくって、彼が大体の名前を付けたんだって。最終公演を意味する千秋楽。僕たちが待っているのは、エンディングだから、まああながち間違えじゃないのかも?」
    「まあ、過ごしやすい季節ではあるからありがたくはあるが……」
     そういう名前の付け方でいいのかと思ったが、同時に千秋楽を待ちわびる存在として秋待ち。そして、自分たちは千秋楽を迎えるために物語を綴る存在として秋綴りという名前なのか。と納得する。
    「他に聞きたいことは?」
    「……秋待ちには望んだエンディングがあるって言ったよな」
     説明を聞いて、一つの疑問が浮かび上がる。ふと足を止めて質問を投げかけると、彼も止まってくるりと振り返る。揺れる長い前髪の向こうから、赤と黒のオッドアイが少しだけ見えた。
    「うん、言ったね」
     淡々とした口調はまるで感情を落としてしまったみたいで、俺が昔作ったノエルはこんな奴だろうかと記憶を漁るが考えれば考えるほど脳みそに靄がかかっているようで、ツキツキと頭が痛み始めたあたりで過去を考えるのを一旦やめて、本来の質問を切り出す。
    「じゃあ、書ききれなかったり、望んだエンディングじゃなかった場合。秋綴りはどうなるんだ?」
     びゅう、と冷たい秋風が頬を撫でた。今度ははっきり見えたオッドアイは少し淀んでいて、覗いてはいけないものだったのではないかと少しだけ怖くなる。
    「殺されるね。すっぱりと」
     酷く冷たい声。そこには憐みも同情も憐憫も怒りも存在せず、ただただ聞かれたから答えた。それだけだと言った感情がまじまじと伝わってくる。
    「……外を歩いていると、ちょっと変わった秋終えに襲われるかもしれないけど、大丈夫だよ。僕が守る」
     ギャラリとノエルの持っていたシャベルがレンガの地面の上で滑らされたと思ったら、そのままカン。と立てられる。ここが土であったのなら、きっと少し深くまで差し込まれていただろう。しかし、そんなことなんて一切気にならず、俺はノエルの視線から目を逸らすことは出来なかった。
    「だって、ダッドを殺すのは僕だから」
     背中を伝う嫌な汗。今までにこんな殺気を浴びたことあっただろうか。殺したくてたまらないが、それと同時に俺は彼の庇護対象である。何がどうしてと思ったがきっと話を書いて行けばわかることだと思いながら、深呼吸を一つしてその言葉に返す。
    「殺されないように、お前の望むエンディングを書けるよう善処するよ」
    「うん、楽しみにしてるね。ダッド。さ、僕らの家に行こう。秋待ちと秋綴りには、執筆が終わるまでに部屋が提供されるんだ。そこが今日から僕らの家だよ」
     左手にシャベル。空いた右手で俺の手を掴んだノエルは軽く駆けだした。なんだかその姿は、表情は変わってないのに少しだけ浮かれているように見えて、学生の様に感じて、俺にもこんな頃があったなぁなんて勝手に懐かしくなりながらもいつの間にか疲労や恐怖を忘れた体で、その足は大きく地面を蹴っていた。
     いくつかの通りを抜けて、ついたのはレンガ造りのアパートメント。カンカンと音をたてながら螺旋階段を上り、"Lycoris"と書かれた真鍮製のドアプレートで飾られた暗いブラウンのドアの前で立ち止まる。
    「ダッドにも渡しておくね。これが僕らの部屋の鍵だ」
     渡されたアンティーク調の鍵にもドアプレートと同じく"Lycoris"の文字が刻印されており、おや?と首を傾げながら鍵を受け取る。先程から発せられた言葉から軟禁状態になるんじゃないかと思っていた。しかし、ノエルにはそんな考えが無いようで、自分の鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。
    「ノエルはここに来たことがあるのか?」
    「ううん、初めてだよ。ダッドも見たでしょう?最初の僕の姿。ここに来てから僕はあんな姿だったから、来れるわけがない。けど、自分たちがどんな存在なのかとかどうすればいいのかとか、必要な情報は全部与えられてる。これも、そのうちの一つだ。ほら、走り回って疲れたでしょう?入って、入って」
     誰のせいだと思いながらも半ば押されるようにして入る。部屋の中はパッと見ただけで二人暮らしには十分すぎるくらいの広さがあった。元々の自分の部屋に比べれば、何ランクも上だろう。
    「の、ノエル。これ、家賃とか……」
    「必要ないよ。水道光熱費食材等々全部タダ。もちろん、完結させることを前提としてるからあれだけど」
    「まじか……」
     キッチン、風呂、トイレ。いろんなところを軽く確認だけして残るは最後の部屋。俺の自室。
    「ここがダッドの部屋だよ」
    と指を指された先には子供向けのデザインで「はやと」と書かれたドアプレートがかかっている、他のドアよりも明るいキャラメルブラウンとでも言えばいいのだろうか、そんなドア。
    「なんで、これがここに」
     室内は全体的に黒で落ち着いた内装で、ドアだって他は統一感があるのにここだけ明るく、異空間を切り取って無理やり貼り付けたような歪さがそこにはあった。ただそれだけだったらまだよかった。この扉には見覚えがあった。見覚えがあるどころの話じゃない。子供のころの俺の部屋の扉そのものだった。
    「ここの部屋は、秋綴りが一番執筆しやすい環境に変化する。だから、ダッドにとってはこの部屋が一番執筆しやすいんだと思う」
     そう言いながらドアノブに手をかけようとするノエルの手を掴む。キャラクターであるはずの彼の肉体は、おそらく低めではあるものの人特有の暖かさがあった。けれど、こいつが生きているんだと思うよりも先に、荒い声が出る。
    「……冗談じゃない。この部屋が、執筆しやすいだって?馬鹿な事を言わないでくれ。書くんだったらもっと、じいちゃんの……なんでもない。執筆は、リビングでする。パソコンはそこでも使えるだろ?」
    「……うん、出来るよ」
     少し驚いた様子のノエルの手を離してリビングに向かう。表情自体はわからないものの、少しくらいの感情の起伏はわかってしまうため何か言われるかと思っていたが、背中に投げられた声は予想以上に優しく、短く
    「楽しみにしてるよ、ダッド」
    だった。
    「……おう」
     振り返ることなく、リビングに向かうと先程までは無かったはずなのに、いつの間にかダイニングテーブルの上に置かれていたはずのノートパソコンがあって、一瞬だけ驚いてしまうが一つ息をしている間にまあ、こんなものかと思ってしまうくらい環境適応能力はあったらしく、むしろそっちに驚いた。今までがレールの上を歩いているような人生だったのに、それが一気に明日生きているかさえもわからなくなっているのだ。もう少し、泣いたり喚いたりした方がいいのかと思ったけれど、そんな無駄なことに感情を省く方がめんどくさい。そんなものに時間を割くくらいなら、とっとと執筆してしまって帰らせてもらえた方が楽だ。
     ぱちぱち、かた、かたん。ぱち。キーボードの音が絶えず響いてはいるものの、進捗はゼロ。むしろ、幼い自分のぐちゃぐちゃな日本語を一度全部書き直しているのでマイナスだ。パソコンに移されたデータの何が嫌だって、もう覚えてない内容ではあるものの、おそらく原文そのままに誤字脱字まで至極丁寧に映してくれやがっているところ。そこはもう少し、ここの不思議パワーでどうにかしてくれたっていいじゃないか。早く完結させたいのであれば、こういうところも。なんて考えが頭をよぎるが、待っている側が物語に干渉できるのであれば、自分でお望み通りのエンディングを書けるじゃないかとため息を一つ。
    「ノエル」
    「どうしたの、ダッド」
     こちらの執筆の様子には全く興味がないのか。それとも、早速自分を殺す算段をたてているのか、部屋の隅でシャベルを磨くノエルに声をかける。
    「ハッピーエンドが欲しいんだろ。せめて、ヒントをくれないか」
     苦し紛れ。しかしこちらは死活問題なのだ。このくらい聞いてもいいだろうと思いながらそちらを見ると、少し困った様な表情で
    「ヒントも何も、ダッドはもう答えを持っているはずだよ」
    と、言われてしまう。わからない。ハッピーエンドとは何なのだろうか。彼は確か、ヒーローとして作ったはず。なら、世界平和か?それともなんだ。無限の富。ハーレム?なんだか違うような気がするが、そもそも自分の幸せもわからなくなってる男にハッピーエンドを問われたところで分かるわけがない。
     悲鳴をあげたくなりながらも書いては消してを繰り返していると、自分の内側にあったストレスが爆発するよりもずっと早く、外からすさまじい爆発音が聞こえてくる。
    「っ、な、何だ!?」
    「……さぁ、外出てみる?行かなくてもいいと思うけど。何があってもガラスが割れたりとか、建物が倒壊することは無いし」
    「き、気になるし行ってみるだろ」
    「はぁ、いいよ。新しい刺激になるかもしれないし。ただ、まだこの街になじんでいないダッドは他の秋待ちを刺激する可能性があるから話は僕が聞くから」
    「頼んだ」
     ノエルのあとをついて外に出るとざわざわとおおよそ人間とは言えない形をした生き物たちが集まって話し込んでいた。話題は先ほど起きた爆発でもちきりのようだったが、皆怖がっているというよりかは面白がっている半分。憐れんでいる半分と言った感じで。
    「やぁ、少しいいかい?」
    「ンー?あぁ!新入りサンかい、ハリボテスマイル!」
    「そうだよ。と言っても、ハリボテスマイル以外にもちゃんとした名前があるんだからそっちで呼んでほしいんだけどね。嗤うナイトメア」
     ノエルが話しかけたのは黒ずくめ……と、言うよりかは影がゴシック調の服を着ているような存在。身長は二メートルはあるんじゃないかという巨体ではあるがその肉体は細く、インターネットミームで昔見たスレンダーマンのようだと思えるほどに。シルクハットやモーニングコートも黒ではあるものの細部を見れば細かいレースが刻まれていて、その内側にも柄が入っている。お洒落な影といるんだなと混乱した頭の片隅でそう思った。
    「ふ、はは!忘れられたというのにその名を呼ばれることを厭わないんだなぁ!変わり者の秋待ち。ハリボテスマイル!それで、何が聞きたいんだい?まァ見当はついているけどね!」
    「だから……はあ、まあいい。聞きたいのはその見当通り。僕のダッドが何が起こったのかを知りたいらしくてね」
    「いいよいいよ!僕は今とっても、すごぉく!気分がいい!なんたって彼が、ボマーラビッツが爆発したそうだからねぇ!」
     くるくる、くるり。嗤うナイトメアと呼ばれた恐らく男は楽しそうにけたけたと笑いながらとんでもない事実を言って来た。名前からして秋待ちか秋終えなのだろうかと考えていると、嗤うナイトメアがおそらく踊りなのだろうが、こちらから見るとノエルを振り回すかのようにぐるぐるとまわっていた。
    「可哀そうに、可哀そうにねぇボマーラビッツ!ふふ、ははは!」
    「……彼らはどんな終わり方だったの?」
     うんざり。そんな表情をしたノエルが話を続けていると、彼とは真反対の調子で
    「んん?そりゃぁ幸せな幸せな、これ以上とないくらいのハッピーエンドだったさ!」
    なんて言うもんだから驚いた。ハッピーエンドを書いたのに、爆発した……?
    「不思議そうな顔をしているねぇハリボテスマイルの秋綴り!まあ、知らないから無理もないし、親切な僕が教えてあげよう!しっかりハッピーエンドについて考えてくれたまえ!ボマーラビッツは可愛い番にあふれんばかりの富名声!そんな幸せを望んじゃいなかったのさ!彼らが望んでいたのは破壊!凄惨な破壊さ!あぁ可哀そうなボマーラビッツ!全部全部爆発させて、瓦礫のてっぺんで笑えなかった!秋綴りと秋待ちは幸せになれない!歪んじゃった。歪んじゃったねぇ!彼が望んだのは、秋綴りの破壊衝動の代弁!だというのに一切気付いてもらえなかった!あはははは!」
     ぱっとノエルを離した嗤うナイトメアは心の底から楽しそうにそう語って、今度は俺と踊り始める。しかし、ノエルよりも筋力が無く疲労困憊なところを何とか動いていた俺は耐えきることが出来ず、ただただぶんぶんと振り回されるだけ。
    「さぁ、ハリボテスマイルの秋綴り!君はハリボテスマイルをどうして作ったんだい?それがわかればきっと簡単!彼を完結させてあげなよ!君たちの物語に幸多からんことを!」
     ぱっと話された体はふらふらと、役者じみた台詞と一緒に目を回しながら近くの壁に凭れかかる。嗤うナイトメアはずいと、顔を近付けてケラケラと笑っていた。顔が無いのにその口が見事なまでに三日月を描いているように感じてしまったのが酷く不気味で、凍り付いたように体が動かなくなる。得体のしれない恐怖とはこういうことを言うのか。もしここで何か失態でも犯したら殺されてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいに、ホラー映画やゲームを見るのとは違うのだろう恐ろしい感覚に襲われる。
    「ほら、帰ろうダッド」
    「ぐぇ」
     ぐい、とパーカーのフードを掴まれ引っ張られた。バランスを崩してしりもちをついて、視線は自然と上を向く。そこには呆れたような顔のノエルがいて、こいつは俺の命を狙っている存在だというのに安心してしまって。
    「じゃあね、嗤うナイトメア」
    「ふふ、あぁ残念だ。恐怖に染まった人間は、御馳走だったのに!」
     ヒュ、と喉の奥が鳴るがノエルにとってはそんなの全く怖くない、というか、それどころじゃないらしく。恐怖というよりも少しだけ怒っているのだろうか、片手にいつの間にかあったシャベルをぎゅ、と強く握りしめていた。
    「彼は僕の秋綴りだよ。貴方も、貴方の秋綴りの方に行ったらどうなの」
    「そうだね、そうしよう!待っていてくれ、マイレディ!」
     嗤うナイトメアはふわりと煤煙のように舞い上がって、溶けるように消えた。自分の秋綴りの元に帰ったのだろうか。ようやく恐怖から解放されたせいか、身体から力が抜ける。
    「……?ダッド?」
    「はは、腰が抜けて立てねぇ……」
    「……人間って、不便だね」
     一つ、ため息をついたノエルは俺のことを抱え上げる。いわゆる俵抱きという形で運ばれる俺はそのまま部屋の中に連れ込まれ、先ほどまで作業をしていた椅子の上に降ろされる。
    「……ちなみに、伝えておくとね。今のがお隣さんだよ」
    「まじか」
    「まじだよ。……あの調子だと、執筆はうまく進んでないみたいだね」
     あの化け物が隣なのかという恐怖と共に、状態見るだけで執筆の状態がわかるのも恐ろしい。歩くデッドラインみたいだ。これが仕事に反映されていたらと思うとブルリと震えがくる。まあ、執筆を終わらせなきゃ帰ることも、仕事も出来ないわけだが。シャベルを壁に立てかけて廊下の先に消えるノエルを目で追って、再びパソコンに向き直る。
    「ところで、さっきのハリボテスマイルとかってなんだ?そんな設定つけた覚えないんだが……」
    「どこまでその記憶が頼りになるのやら。まあ、事実この呼び名はここに来てから付いたものだから知らなくっても無理はないね。自分の名前を正しく理解できるのは、自分自身と秋綴りだけ。名前は大事なものだから、忘れちゃいけないものだから。貴方が僕を正しく読んでくれる限りは、まだ僕は正常なまま」
    「…………」
    「楽しみにしてるよ。僕の名前が、物語が、しっかりと皆に知れ渡ること」
    「おう……」
     ため息を一つ。あんな状態の隣人を見たり、今の俺の状態を鑑みるに、いいものが書けるとは到底思えない。皆に知れ渡るような、神作とでも呼ばれるような、そんなノエル・オー・ライトの話を。首をぐるりと回すとポキペキと情けない音がする。あの頃は、ノエルを作った時はどういう気持ちで書いてたっけか。ぼんやりと考え込んでいると、コトリ、と机の隅にお盆が一つ置かれる。その上にはバターが乗ったパンケーキとふわりと湯気が舞うホットミルクとポタージュスープ。顔を上げると、ノエルがお腹空いてるでしょ。と言いながらこちらを見ていた。
    「早く書き上げて欲しいんじゃないのか」
    「早く書き上げて欲しい。ってのは嘘じゃないよ。けど僕は、僕が望むエンディングを見るまで、協力を惜しまないつもりでいる。必要以上にさぼっていたら……まあ、君がそんなサボり魔だとは思わないけど、どうなるかはわかっているはずだよ」
    「お前は、優しいな」
    「ダッドが、そうやって作ったから」
     そう、だったっけか。思い出そうとすると頭がツキリと痛む。俺は何を忘れているんだろう。いや、色々と忘れている。それこそ、なにもかも。ノエルを作った時のことを。俺は、ノエルのことをどこまで思い出せているのだろうか。
    「ダッド、ダッド。ご飯覚めちゃうよ」
    「ん、ああ、悪い」
     フォークとナイフ。握ったのはいつぶりかわからないそれらでパンケーキを一口分切り取って口に運ぶ。焼きたてのそれはバターのいい香りがして、嚙むとじゅわりとメイプルシロップが広まった。温かいものを食べたのなんていつぶりだっただろうか。それも、誰かの手作り。
    「……」
    「ダッド?料理はしたことが無かったんだけど、何も話せなくなるくらい不味かったの?」
    「あ、いや。あったかい飯が久々過ぎて……」
    「……もっと豪華なものでも作った方が良かったかな」
    「いや、これでいい。これがいいんだ……」
    「ん、そっか……」
     パンケーキを口に運んで、広がった甘みをポタージュスープのしょっぱさで流して。それが、今まで食べてきたものの中で一番おいしいように感じられて。気付いたら空になってた皿をぼんやりと眺めていたら
    「……また作ってあげるから。そんな寂しそうな顔しないでよダッド」
    とため息をつかれてしまった。そこまで顔に出ていたのだろうか。下げられた食器の代わりに差し出されたコーヒーを飲んでいるとぼんやりとしていた頭が少しスッキリした気がして、ふぅ。と息を吐く。
    「よし、続き書くか。あとで片付けておくからそこに置いておいてくれ」
    「ん、いいよ。片付けちゃう」
    「それはさすがに悪いだろ」
    「じゃあ、その分書いて」
    「おう……」
     ぴし、と人差し指で指され、何とも言えなくなった俺はおとなしくノートパソコンの前に続きを書く。カチャカチャと聞こえてくる食器の音や、水の音が心地よくて。パラパラとキーボードを叩く指は軽かった。
     あれから暫く時間が経った。俺は自分用とあてがわれた部屋に一切入らず、寝食をリビングで過ごしていた。進捗はじわじわと折り返し地点が見えて来たあたりで、時折読み返しては誤字が無いかの確認をする。
    「……帰りたくないな」
    「ん?」
     最初は追いつめられるように書いていたものの、段々と楽しさを思い出して、ぱらぱらとキーボードを叩く音でさえ心地よい。だからだろう、そんな言葉がこぼれた。
    「……帰りたく、ないの?」
    「……ああ、戻ったところで仕事に忙殺されるくらいだったら。なんて。なあ、ノエル。お前の物語はしっかり書ききる。が、そのままこの町に残ることって出来ないのか?」
    「……あるには、あるよ」
     何かを隠すような雰囲気のノエルはギュ、と音を立てながらシャベルを磨く。いつもよりも力が入っていたのは気のせいじゃないはずだ。
    「……向こうに、待つ人はいないの?【僕】を殺したマムや、ダッドと一緒に僕を作ってくれたおじいちゃん。他にも……」
    「いないな。一人も」
     被せ気味に放った言葉にノエルはそう、と相槌を打つ。祖父は死んだ。実家には一度も顔を見せていない。父親はいない。友達と呼べるやつなんていないし、同僚も仕事の話をするだけ。我ながら孤独な人生が悲しくなっていると何か少し考えた風のノエルがじゃあ、と言葉を溢す。
    「再演者に、なればいい」
    「再演者?」
    「そう。治安の悪いこの街にある、警備隊みたいな組織」
     言葉をところどころ濁しながら、ノエルは話す。
    「なる条件は、僕はよく知らないけれど。それになるんだったら、ダッドはこの町に残れるよ」
    「それは、お前も一緒なのか?」
    「う、うん。多分……」
    「そっかぁ、それはいいなぁ」
     ギシ、と少し椅子が軋む。少し気分が楽になった俺とは違い、未だにノエルは浮かない顔をしていて。なんだか少し申し訳ない気がしてくる。これは聞いていい事だったのだろうか。
    「……まあ、なれるかどうかよりも先にダッドは進捗を気にしなよ。なんにせよ、書ききらなきゃどうにもできないわけなんだし」
    「……そう、だな」
     部屋には再び、シャベルを磨く音とキーボードを叩く音が響く。




     そろそろ行き詰まってきた来た頃なのか、文章が出てこなくなる。伸びをしてみたり、コーヒーを飲んでみたり、部屋の中を歩き回ってみても無駄なあがき。一つため息をついた俺は
    「息抜きしてくる」
    と一言伝えて上着をひっつかんで玄関に向かう。ノエルの返事と言えば
    「うん、いってらっしゃい。ダッド」
    という、簡単なものだった。
     歩くたびに目に入るのは銀杏並木や紅葉の木。赤や茶色のレンガの通り道は綺麗に敷き詰められていて、転ぶことは無いだろうな。なんてことを考えながら歩く。頬を撫でる風は少し冷たいものの、それでもここ数年の人生で一番呼吸がしやすくて、ここが人通りのない場所だったらスキップでもしてしまいたくなるくらい心地よかった。
    「……お」
     しばらく歩いて目に入ったのは一軒のケーキ屋。お洒落な外観に少しだけ気後れしてしまうが、そういえばノエルの好物にブランデーケーキなんてつけていたななんて思いながらドアを押す。カラン、コロンと鳴るドアベルの音を聞きながら確か、じいちゃんがブランデーケーキが好きで、けれど幼い時の俺はまだ食べられないぞ。なんて言われたから、それがかっこよくて設定付けたっけ。と煌びやかなケーキが並ぶショーケースを眺める。中には重力を無視したような飴細工がくるくると回っていたりと何ともファンタジックなケーキがショーケースの中に時折見られるが、お目当てはその端の方に置かれたシンプルな濃いブラウンのブランデーケーキ。
    「すみません、これ一つください」
    「はーい!秋待ちさんにですか?」
    「え、あぁ。はい」
     にこにことケーキを箱に詰める店員さんは人の形ではあるものの耳が尖っていて、エルフみたいだなと思っていたが予想以上に明るい声で驚く。
    「ふふ、こんな秋終えがいるんだって、驚いてますね?私は秋綴りにハッピーエンドで完結してもらった秋終え。エルフのパティスリー、ミラベルって言います。よろしくお願いしますね」
     金色の髪を後ろで一つに束ねた彼女は、はいどうぞ!と笑顔で箱を渡す。
    「秋綴りさんと秋待ちさんに、ハッピーエンドがありますように」
    「ありがとうございます」
     ハッピーエンドを迎えた秋終えというのはこんなにも穏やかなのかと店を出る。ノエルはどんな顔をするだろうか、喜んでくれたらいいのだが。さて、そろそろ帰ろうかと店を出て、足はさっきまで歩いてきた道を辿る様に進もうとしたが、ふと足元、というか周囲が暗くなり歩みを止めた。外は変わらずいい天気なはずなのに自分のいる場所だけが暗く、背後からは嫌な気配がする。今まではだいぶ慣れてきたチクチクとした殺意だけだったが、それが何倍にも、何百倍にも膨れ上がった必ず殺すという意思が、まるでタールの様にどろりと頭にかけられたような感じがして振り向く事さえも恐ろしい。
    「お前が、あの口裂けノエルの秋綴りか」
    「……だったら、なんだ」
    「そう身構えんなよ。今すぐには殺しやしないさ。今すぐには、な」
     一つ深呼吸をしてゆっくりと振り返ると、そこには大きな大きな手を持った日曜の朝にやってそうな番組に出てくる赤色のヒーロー。ただ、その武装はあちこちかがひび割れており隙間からはタールのようなものが染み出ては赤色のレンガを汚す。その身長は三メートルほど。それも、膨れ上がった状態で、今も破裂してしまいそうだった。そんな男が、化け物が、ごぽごぽと深くくぐもった沸騰音をさせながら笑っていた。
    「あんたの所は、仲が良くて楽しそうだ。はは、本当に、本当に……」
     恐怖は消えない。ただ、それよりも目の前の存在が哀れに思えてきたのだ。男や女、それこそ老若男女の声が混じっているような気さえする、怒りばかりだと思っていた声の中には少しだけ悲しそうな悲痛な声が混じっている。ただ、混ざりすぎてほんの一瞬そうなのではというものが時折聞こえるだけ。本来の声はどうだったのだろうか。わからない。
    「ああ、まずは、自己紹介……ヒーローは、名乗りを上げるもんだ……もう、思い出せねぇよ……俺は、何て名前だったんだろうな……どうでも、いいか。目的だけで……その前に、少しだけ俺の話を聞いてくれよ……」
    「……聞く、だけなら」
    「ッケケ、優しいんだか、逃げ時もわからない、愚か者なのか……だから、仲良くやれてんのか……?あーあ、羨ましい……お前が羨ましいよ。秋綴り。俺は、おれは愛されなかったのに。こうして、忘れられていくのに……」
     ヒーロー、というには口調がどうにも悪役めいたそいつは苦しみながら、吐くように話し始める。
    「俺はな、ヒーローだった。ヒーローとして、正義に夢見る子供に作られた。……そして、目の前でペンを折られた。あいつがまだガキの頃に『赤はヒーローの色!オレが考えたヒーローも赤だから、これにする!』って、そう、親に我儘言って買ってもらったシャープペンシルを『もう書けないって言ってるだろ!早く俺を帰してくれ。向こうには妻も子供もいるんだ!』ってな。……許せなかった。ああ、許せなかったんだ。俺とアイツの思い出を、他でもないアイツに壊されちまったんだからよ。だから、だからあいつの骨を……ッハハ、折ってやったんだ!ポッキリと。シャープペンシルみたいに!!!!!!」
     頭を抱えていた手が、こちらに伸ばされる。逃げないととわかっているのに体は動かなくて、伸ばされた手は俺の首を絞めてくる。ギリギリで呼吸が出来るあたりで、向こうの腕が耐えきれないのか腕を軋ませながらべちゃべちゃと真っ黒な液体を溢す。
    「ァあ、羨まシい、妬ま死い!なんデ、ナンで俺は、アイツと、ハッピーエンドを迎えラれなかッた?どうしテ、お前たチは、幸せソウに、しているンだ?どウして、ドウして、ドウ死テ!」
     少し垂れるだけだった液体はどんどんとその量を増していって、いつの間にか足元に大きな水たまりを作っていた。膨れ上がり過ぎた体はもうただでさえわからなかった姿は影も形も一切なくて。タールのような、インクのような塊になった化け物。ところどころに赤くつやつやとした欠片は見られるものの、それ以外に彼を彼だと決定づけるものは無くて。ただ、人型のインクの化け物が俺の首を絞めていた。周りの奴らは憐れみを含めた目で見つめていて、誰も助けようとしない。……それもそうか。ここにいるやつらは全員、自分を忘れた秋綴りを恨んでいる。その同族を助けるもの好きがいるなんて、思えなくて。いや、そもそも、興味が無いのか?あぁ、段々と、酸素が回らなくなってくる。首の骨が折れるのが先か……あいつに、謝んねぇと。完結出来ないって、忘れた上に、完結させず死ぬなんて。……元々、いつ死ぬかわからないような生活を送っていたのだ。けれど、今は、本当にやらなきゃいけないことがある。俺だけにしか出来ないことが。それなのに、死ぬなんて、
    「死にたく、ねぇなぁ……」
     言葉が、零れる。自分の為じゃない、ノエルのための命乞い。願いむなしく、ミシミシと軋む骨。腕を掴んでも、滑ってしまうのだ。そんな化け物に、ここ最近までろくに運動していない、ただの社畜が抵抗できるわけもなく。もう駄目かと諦めて、瞳を閉じる。
    ボギンッ…………
    「……?」
     何かが折れる音がした。その音は、俺の首からは聞こえてこなくて、その証拠に俺は目を開けて、呼吸をしていた。折れたのは、化け物の首。側頭部に重たそうなシャベルが当たっていて、その衝撃で男の頭は真横に吹き飛ぶ。
    「の、える……」
     シャベルをフルスイングしたのは、まぎれもない、俺の秋待ち。ノエル・オー・ライト。よっこいせと手に持った武器を担ぐような形になったノエルは淡々と
    「言ったでしょう?僕がダッドを守るって。」
    とその足でインクを踏みつける。
    「ダッドを殺すのは、僕だけだから」
     その目的は変わらないのに、やっぱりこうやって助けてしまわれると安心してしまうのはなぜなのだろうか。いや、それよりも。地面についたせいで、真っ黒に汚れた両手を見ながら考える。力なく倒れ伏せて、半分だけ渇いたようなドロついたインクの塊になったこいつは、秋綴りに忘れられた上に、裏切りにも近い行為をされた。その事実があまりにも悲しくて。そして、この世界が、秋待ちの物語を書く事で存在を確立させるというなら。
    「なあ、ノエル。俺がこいつの話を書いてやれないのか。もう手遅れかもしれないけど、それでも……」
     一抹の望みに願いをかける。もしかしたらこいつもいい考えだと思うよなんて言ってくれるかもしれないから。
    「……ダッドは無茶なこと言うんだね。設定を何一つ知らないのに。語る人はもういないのに。続きが書けるの?もしかけたとしても、それはきっと彼じゃない。名前も、設定も、何もかも違うだろうに」
     帰ってきた答えはため息交じりのもので。そんなこと言われると思っていなかった俺の開いた口がふさがらないのを見たノエルがぱちゃりと黒い水たまりを踏みしめて近付いて来る。前髪の隙間から見えた瞳は出会ったばかりのころの、ハイライトが籠っていない色だけが入った淀んだ瞳。
    「ねえ、ダッド。ダッドは僕たちのことどうやって見てる?」
    「そ、りゃ、キャラクターとして……」
    「だろうね。きっと、大体の秋綴り……この場では、人間。って呼ぼうか。人間はきっとそう考えてる。けどね僕たちは違うんだ。僕たちにとって君たちは親。僕たちは、君たちが胎じゃなくて、頭を痛めて産んだ子供。君だって、親には忘れられたくないだろ?」
     息をのむ。親に忘れられるなんて、そんなこと考えたことなかった。厳しかったあの人も忘れるなんて思っていなかったから。その当たり前だと思っていたことに甘えていたから。けど、秋待ちは、忘れられた子供たちはと考えると今までなんで自分がこんな目にと思っていた感情が途端に消え失せて、欠片も姿を現さなくなっていた。
    「……僕らはね、ダッド。嫉妬深くなっちゃったんだ。僕らを見てくれる人は、誰かに語られない限り。その誰かが違う僕たちを書いたりしない限り。ただ一人。僕たちの物語を書くってことは、君たちでいう子育て。愛が無くちゃ出来ない行為。だから、僕たちを忘れたくせにその愛が別の誰かに向けられるくらいなら、自分の手で奪ってしまいたい。そう考えちゃうようになったんだ。……みんなみんな、間違ってると思わずにはいられない。けどね、この永遠に春どころか冬も来ない、狂って歪んだハーベストタウンで、一番最初に歪んでしまうのは愛情なんだ」
     くしゃりとノエルの顔が悲しげに歪む。俺が忘れないままでいたならば、彼は笑ったままだったのだろうか。忙しさで忘れてしまったのが、いや、忘れようとしてしまっていたのが、酷く恥ずかしくて俯くしかなかった。それでも何か言葉を書けようとするも、喉奥に詰まったまま形を成さず、外に出てくることは無い。
    「はいはいどいたどいた~アンソロジー・バンケットのおとーりだぁ~」
     そんな気の抜けた声が町の通りを抜ける。見ると二組の男女がこちらに向かってくるのが見える。片方は狩人と呼ぶのがふさわしい壮年の男性と、彼の隣を歩く身長が190ほどありそうなブロンドヘアの女性。それと、辞書なのだろうか大きく分厚いハードカバーを抱えた、黒縁眼鏡をかけて白いブラウスと黒のロングスカートをふわりと翻しながら歩く高校生くらいの女の子とその隣で周りを牽制するように睨みを効かせる燃えるような真っ赤な髪の男。その二ペアはこの町の中でも特に目立っている。格好もそうだが、周りのどこか息苦しい空気を掃うかの如く、まっすぐと前を見てこの場で一番強いのは自分たちだぞと言わんばかりのその姿。レンガの上で響く足音でさえ、妙な気迫があって。思わずあっけに取られて見ているとその中の一人。眼鏡の女の子が近付いて来る。
    「やあやあ、君が今回襲われた秋綴りの伊岸隼人君と、真夜中レッドヒーローを討伐した秋待ちのハリボテスマイルくんかな?」
    「ダッドの名前はあってるけど、僕はノエルだよ。ノエル・オー・ライト」
    「おっと、ごめんごめん!そっか~君は自分の名前を呼ばれるのが嫌じゃない秋待ち君なんだね。あは、いい傾向だね~」
     お嬢様という言葉が似合いそうな彼女の言葉は快活で、ちょっとしゃがんで!とノエルに声をかけた彼女はそのままわしゃわしゃと頭を撫でる。
    「いーこだな~君は~!自分のダッドを守ったんだろ~?守った理由が何であれ、これは誇っていい事なんだよ!」
    「ぅ、わ、なにちょっと……」
    「んー?いい子には褒め言葉があってしかるべきだろ~?」
     しばらく頭を撫でた女の子は満足したのかふうと息を吐いて、小脇に抱えていた本をよっと抱えなおしこちらに向き直る。
    「はじめまして。私はアンソロジー・バンケット、イースト支部のカルディオスペルマム。長いからフウセンカズラとでもカルとでも好きに呼んでね」
    「はぁ……えっと、その名前は本名……?」
    「いやぁ?元々の名前はあるけれど、アンソロジー・バンケット所属の秋綴りは新しい名前がつくんだ。あっちのおじさんはピエリス。可愛い名前だろ?」
     指を指した方向にはインクを掬い取ったりしている壮年の男性とダイナマイトボディの女性。ピエリスと呼ばれた男性はこちらに気付いてよっと片手をあげる。そのまま作業に戻る。
    「それでその、カル……さん?」
    「ほいほいどうした」
    「カルさんと、ピエリスさんは秋綴りなんですか……?」
    「そうだよ。一度は自分の秋待ちのことを忘れてしまったけど、彼らを完結させて続きを隣で書くことにした。アンソロジー・バンケットって、こっちに残ることにした秋綴りと秋終えのペアで構成されてるんだ。あそこのお姉さんがピエリスの秋終え、ベレッタA400の擬人化のフーガさん。それと、あっちの赤髪片メカクレヤンキー君が私の秋終え、日野森蜥蜴。一度は殺し殺されなんやかんやあった仲だけど今はうまくやってるんだ」
     そのなんやかんやが凄く聞きたい。もしかしたらそこに突破口が隠されているかもしれないからという考えが頭から離れないが、今はそれよりも先ほどの真夜中レッドヒーローと呼ばれた彼のことが気になって仕方がない。どう話を切り出したものかと考えあぐねているとそれに気付いたカルさんが俺の隣に座り、真剣な顔つきで話し出す。
    「この子たちはね、全く望まないエンドを迎えた歪んだ秋終えが、さらにぐちゃぐちゃになってもう後戻りが出来ないくらい歪んじゃった通常【秋狂い】。元の姿を保てなくなって、秋綴りも秋終えも関係なく襲うようになっちゃった。だから皆近付かないの。生きてる方が珍しいよ。近付いた秋待ちは秋狂いの思考に近付いちゃって、助けることをやめちゃうんだから。それで、秋綴りは誰にも助けてもらえずに殺される。、秋綴りがいなくなっちゃった秋待ちはそのまま忘れられちゃって消えてしまう。いやぁ、良くないループだよね!」
     俺が死んだら、ノエルもこんなインクだまりの化け物……秋狂いになってしまうのかと思うと今まで以上の恐怖心が押し寄せる。
    「俺は…………」
    「……君は、ノエル君のためにどんな物語を書いてあげたい?」
    「どん、な……?」
    「そうそう!物語りって言っても色々あるからさ。一度何のヒントも無く、君のありのままを聞かせてほしい」
     そう言われて口から零れたのは
    「神作」
     その一言だった。何を神作と定義するのかはわからない。けれど、神作、いろんな人にそうやって言われるにはきっと途方の無い時間がかかるし、完成したころに俺が生きてるのかも怪しい。透明な締め切りは、きっと刻一刻と迫っていて、真綿で首を締めているけれど、完璧な物を書きたい。それが、ノエルに対する償いになると信じて疑わないから。
    「そっか~、神作かぁ……」
     ふむふむとその言葉を頭の中で咀嚼するカルさんは空を見上げて呟く。
    「神作って、何なんだろうね」
    「え?」
     にこりと微笑んだ彼女は、そのまま話し続ける。
    「これは母さんからの受け売りなんだけど、『完結しない神作よりも完結した駄作』だよ。一度、神作とかそういうの何もかも忘れて、楽しんで。今の君の語り方で、彼を愛してあげて」
     そういえば、ここに来てから楽しんだことが一度でもあっただろうか。常に恐れて、苦しんで。そんな記憶しかない。
    「楽しむ…………」
    「オイ、終わったぞ」
     ずい、と一人の男がこちらによってくる。前髪が長く、左目が見えないがどう足掻いてもその動作はヤンキー。先ほど紹介されたカルさんの秋終え日野森蜥蜴が話しかけてきた。
    「お疲れ〜〜〜〜〜見てたよ頑張り!!!!!!なにしてもかっこい〜!!!!!!!!!最高〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!」
    「ハイハイ、あんがとさん」
    「………………」
     さっきのあの凛とした視線はどこへやら。瞬く間に限界オタクと化した彼女は、自分の秋終えの顔の良さに蹲って動かない。
    「あの、えっと……」
    「いつもこいつはこんなだ。全く飽きねぇのかな」
    「飽きるわけないでしょ〜〜〜〜〜〜〜面良〜〜〜〜〜!!!!!!!!いつまでも私の旬ジャンル〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!私の秋終えあまりにも良過ぎる生きててよかった。え、ほんとに生きててよかった。最高……死ねる…………結婚しよ、もうしてるみたいなもんだけど!!!!!」
    「ったく、感情が冠婚葬祭過ぎんだろ。ほら帰んぞ。あとは狩人のジジイに任せて俺等は書類整理だ」
    「はーーーーーーい!!!!!!じゃあね秋綴りくん!っ、ちょっと待って首締まるちょいちょいちょい死んじゃう死んじゃう!!!!」
     求婚されて満更でもなさ気なヤンキーな秋終えに引き摺られるようにして連れて行かれた秋綴りは俺に手を振って、体制を直して歩き始める。あんな形もあるのか。とは一瞬思ったけど、俺はあんなふうに狂ったように愛することは出来ないな……とため息を付いていると、頭に何か柔らかいモノが乗せられる。
    「いやぁ、若いねぇ。君も、あの子達も!」
    「……あの、」
     柔らかさの正体は、胸部。それも女性の。たわわに実ったそれを俺の頭に乗せたその人は
    「肩凝って仕方ないんだよ。アタシの相方がアンタの相方と話し終わるまで頭貸しな」
     とこちらの意見をガン無視で話を続け、一方の俺は、これはなにかの罪に問われるのだろうかという今までとは種類が違う恐怖。そして、彼女の纏う銃の様な雰囲気に気おされてベンチに座ったまますっかり冷めてしまったココアを眺めるしか無くて。
    「ね、少年。彼に救われてどうだった?」
    「どう、って……」
    「ドキッとしたー?ときめいちゃった?それとも、怖かった?」

    「……安心、しました」
    「お、素直~!それともなに?命狙われてること知らないとか?」
    「いえ、命を狙われてるのは十分理解しています。けれど、それは自業自得だからというか……こっちに来てから気付いたんですけど、やっぱりノエルを作ってよかったなぁ。って。」

    「お前さんが、どうやってノエル・オー・ライトを作ったのか。いっぺんしっかりと思い出してみな。理由なんざなんだっていいんだ。おっさんみたいに『俺の愛銃は今日も完璧なわけだし、きっと最高なオンナなんだろうな』なんて不純な動機でもいい。大事なのは、思い出してもう一度愛してやることだ」






    「僕は、この町が嫌いだよ。ダッド。だって、あなたのことが大好きなのに、あなたを恨まずにはいられない。助けて、たすけてよ……あなたに刃を向けるくらいなら、僕はもう、忘れられて、眠りに落ちて楽になりたいのに!なのにあなたは、僕のことを完結させてくれようと。ずっとずっと書いてくれるものだから。もっと生きていたいって、思っちゃったんだ……」
     ぼろぼろと、その両目から涙が零れる。
    「あなたは、あなたは確かに僕のことを忘れていた。けれど、覚えてないくせに大事にしてくれるものだから。もうわからないんだよ!なんで、覚えてるか覚えてないかの二択の中に、心がずっと覚えているなんてわけのわからない状態でいられるんだよ……」

    「ねえ、ダッド。僕は、僕は……貴方を殺そうとしてるよ。それなのに、僕たちは、ハッピーエンドを迎えることが出来るの……?」
     ガンガンと、頭が痛む。俺は、俺はどうしてノエルを作ったんだっけ。何のために、ノエルを作ったんだっけ。それを思い出さなきゃ、どれだけ俺がいい物語を書けたとしてもノエルの言うハッピーエンドが迎えられる気がしなくて。
    「帰るぞ、ノエル」



    「ハッピーエンドが欲しくて、俺を呼んだんだろ?なら、まずは、書かねぇとだろ」




     ここに来てから一度も開いてなかった、自分が一番執筆しやすい環境だと言われた昔の自分の部屋とそっくりなドアの前に立つ。ドアノブを握る手が震えてしまうがもうここまできたらどうにでもなれと一度考えると、やっとのことでドアノブを握ることが出来た。
     開いたドアの向こうにあったのは懐かしい、自分が高校生まで過ごしていた自室。けれどその内装は高校生の時のものではなく、小学生の時に使っていた部屋で。それをそのまま今でも使えるサイズに大きくした、違和感と懐かしさが混在していた。勉強机とセットで購入されたキャスター付きの椅子に深く腰掛ける。ここでは、勉強していた記憶と親に叱られていた記憶しかないと思っていたが深く深く思い出して、何度かトラウマで嗚咽を漏らしながらもふと、思い出す。
    「引き出し……」
     鍵付きの引き出しに手をかける。鍵はかけられていないようで、すんなりと開いた引き出しの中には鉛筆や消しゴムの文房具が綺麗にそろえられているトレーをどかすと、下からA4サイズの原稿用紙がたくさん入っていて。中は途中まで読書感想文や作文だったが、途中からガラリと雰囲気が変わる。
    「どうして、ノエルを作ったか。か……」

     ノエル・オー・ライトというキャラクターが産まれたのは、祖父と一緒に祖母の墓参りに行った日だった。父と別れてから母は仕事が忙しく、幼かった俺を祖父に預けることが多く、俺自身も厳しい母よりもあまりものを喋らないが俺よりも知識のある祖父の方が好きだった。
    「ねえ、おじいちゃん」
    「どうした」
    「あのおはか、ボロボロだね」
    「管理する人間がいない家なんだろう、ばあちゃんの墓は俺や隼人が掃除しているから綺麗だが、いつかは……」
     そこで黙ってしまった祖父の顔は悲しそうというよりも寂しそうな顔をしていて。幼いながらに何もわからなかったが、墓を守ってくれる存在がいたらいいな。そう、思ったのだ。
    「何書いてんだ、隼人」
    「おかあさんが、この日までにおわらせろって言ってた宿題……」
    「へぇ、あいつがねぇ…………」
     出された宿題を見た祖父は大きなため息を一つ吐いて、つまらん。と零した。
    「ガキに何させようとしてんだ……まずは遊ぶことが仕事だろうが……」
     呆れかえった祖父は、公園かどこかに行くかと口を開きかけたが、もう頑丈ではない体や、この家には子供が好きそうなものがないことを思い出し頭をガシガシと掻く。
    「いつもは、何してんだ」
    「……勉強、と、読書……」
    「楽しいか?」
    「本を、読むのは……」
    「そうか。じゃあ、じいちゃんと楽しいことするか」
     祖父がそう言って、少し席を外した後に原稿用紙の束を持ってきた。そこに書かれていたのは俺がいつも書いているような読書感想文などではなく、物語が祖父の字で綴られていて。
    「一先ず、読め。感想はいらねぇ」
    「え、うん……」
     そう言われて、原稿用紙の文字に目を通し始める。最初は自分が書いた文章を見直す時の動作と同じだなんて思いながら楽しさなんて微塵も感じなかったが、読んでいくうちに俺はどんどんのめり込んでいった。
     それは、偏屈な探偵が自分の住む町で起こる奇々怪々な事件を解決していく話。出てくる住民たちは皆化物。人間は探偵のみ。読めない文字を祖父に聞きながら、あまり読まないジャンルながら読みやすく、気付いた時には最後の一ページ。「終」と達筆に書かれた文字まで読み切ってから顔をあげると祖父は普段と変わらない表情でこちらを見ていた。
    「これ、おじいちゃんが書いたの?」
    「ああ、何処にも出してないけどな」
     いいな。心に浮かんだのはその一言。文字なんて、ただただ勉強のためにあると思っていたけれどこんなにも自在に文字を操って心を引き込むことが出来るなんてと、祖父が羨ましくなった。もし、もしもだ。自分が白紙の原稿用紙に祖父の用に物語を刻むことが出来たのであれば。
    「お前は、どんな話を書くんだろうな」
     その日、俺は初めて祖父の笑顔を見た。それも、楽しみにしてると言わんばかりの。気付いたら俺は手に持った鉛筆で原稿用紙に文字を書き始めていた。最初は戸惑いもあって上手く書けるだろうかと思っていたが、祖父のように自由に世界を広げることが出来たならと羨望が止まらず次々と設定は出てくる。時期は丁度ハロウィン。ジャックオーランタンをモチーフに、けれどもそのままじゃつまらないからと辞書で言葉を調べながら、いいものは無いかと調べていると「ノエル」という言葉が目に入る。本来、フランス語でクリスマスという意味があるその言葉は、元を辿ればラテン語の「誕生」が語源だという。誰かのお墓がボロボロになるのを防ぐため、墓守のような。それでいて、誰かの、いや、俺の友達になってくれる存在。そんな人が、俺は欲しかった。長い前髪、かっこいいと思った赤と黒のオッドアイ。笑ったように見えるツギハギの口。優しくて、自分のことを理解してくれるお友達。
    「ノエル・オー・ライト……」
     悩んで、時間をかけて、創作なんてしたことが無かったけれど。初めて自分の手で生み出した彼を祝福したくて。その名前を付けた。ジャック・オー・ランタンという本来のその存在とは違うが、なんだかそれがいいと思った。生まれたことを祝福された、暗がりを照らす墓守。もしこの先祖父がいなくなっても、祖父母の墓を守りながら自分の友達になってくれると思ったから。



    「ねぇ、ダッド。入ってもいい?」
    「いいぞ」
     恐る恐る入ってきたノエル。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works