レンタル彼氏「はい、オッケー! お疲れ様ー!」
カメラマンにそう言われて、私は小さく頷き「お疲れ様です」とスタッフへ静かに挨拶をして撮影現場から控え室へと足を運んだ。
メイクを落として、私服に着替えて。サングラスとマスクはささやかな身バレ防止の為に装着する。
安くはない腕時計を見て、携帯を触る。
とあるサイトを開いて確認したのはある人のスケジュール。
一時間後から二時間の空きがあることを確かめて、私は登録してある番号を呼び出し電話を掛けた。予約を確保する為に。
「やぁ藍湛、久し振り。仕事帰り? 最近忙しいのか? お疲れ様」
指定時間に待ち合わせ場所で会ったのは私と背丈がそう変わらない(しかし体型は薄っぺらい)男。名前は魏無羨ーー魏嬰だ。
「今日はどこへ連れて行ってくれる?」
「ベイホテルへ」
「腹はそんなに減ってないんだ。酒だけでも良いか?」
「好きにすると良い」
「やったね」
じゃあ行こう、と私の背を軽く叩いた魏嬰に押されるよう、私は大通りでタクシーを拾いベイホテルへとその車を向かわせた。
私もそこまで空腹という訳ではなかったから、ラウンジのバーへと足を運ぶ。
ノンアルコールのシャンディガフを頼む私のそばで、魏嬰は度数の高いカクテルを頼んだ。
魏嬰と出会ったのはかれこれ半年程前の話だ。
モデル仲間に「スクープにされない息抜きになる遊び方がある」と教えられたのが、レンタル彼氏。
要は男を買う店を利用するものだった。確かに女性と出掛けるよりずっとゴシップネタになりにくい。
最初は気乗りしなかった私だったが、まぁ試しに一回くらい、と押されて仕方なく利用することにした私が初めて相手にしたのが魏嬰だった。
理由はたまたま彼の時間が空いていたから。ほぼ偶然の出会いだ。
この仕事が長いのか、魏嬰は人懐っこく私の懐に入ってきて、あまつさえ私の心を奪っていった。
人懐っこいが、プライバシーに関わることには触れてこない。
単純に契約時間内で客を楽しませようとするその姿勢が気に入ったし、実際詰まらないことはなかった。
寡黙な私に対して魏嬰はよく喋るし、よく笑う。
その笑顔が私の網膜をジリと灼いて忘れさせてくれなかった。
一度、モデル仲間の顔を立てる為にと利用してみたレンタル彼氏だったが、またあの笑顔を見たい、などと思ったら、私は何度か彼を指名し気付けば常連と化しているという訳だ。
羽振りが悪い訳ではないから、彼にとっては太客に近いのではないだろうか。
「でさー……って、聞いてるか、藍湛?」
「聞いている」
「もー、参ったよね。犬苦手だって云ってなかったから、犬カフェなんて連れてかれて、もー生きた心地がしなかった」
ぶるりと身を震わせて、魏嬰はカクテルグラスを傾けた。
「藍湛、結構お疲れ?」
「そんなことはないが」
「そう? 少し顔色が悪い気がするけど」
ちゃんと食べて寝ているのか? なんて、母親のようなことを云う魏嬰に大丈夫だと短く答える。
「魏兄ちゃんが添い寝してやろうか?」
悪戯な台詞は冗談だと判っていても、甘やかな誘いだった。本当に出来るならしたいところだ。
けれどもあくまで彼の属する店舗は売春行為を推奨している場所ではない。万が一出禁を食らうなどしたらただでさえ少ない生活の潤いが枯渇してしまう。
漸く見付けた生活のオアシスなのだ。それをふいにはしたくない。
「しっかし巷で大人気のモデル藍忘機がまさかこんな遊び方をしてるだなんて、誰も思わないだろうな」
くすくすと笑う魏嬰に、私は半分以上遊びではないのだが……と思いつつ、表には出さずにグラスの中身を少しだけ揺らした。
「ま、俺的には役得だけど」
藍忘機を独り占め出来るなんて普通じゃ考えられないからなと肩を揺らす魏嬰はこちらに気などないのだろう。それが悔しい。他の客と同列に扱われるのは面白くない。
「魏嬰、来月の十七日は空いているか?」
「ん? 来月のシフトはまだ出してないから融通利くけど?」
「一日付き合って欲しい」
「珍しいな。一日オフなのか?」
「あぁ」
「ならその日は空けておく。こっちで予約入れておいて良いか?」
「あぁ」
「了解」
にこっ、と笑って、魏嬰はまた別のカクテルをバーテンに注文した。