レンタル彼氏6「やぁ藍湛」
繁華街の駅で待ち合わせた十四時。
魏嬰は以前私が買ってやったハーフ丈のセットアップを纏ってきた。足元はカジュアルなローファー。
当然その姿も悪くはない。しかし今日の予定には相応しくなかった。
「今日は? 仕事終わり? お疲れ様」
向けられた笑顔の眩しさに目を細めながら、あぁと小さく頷く。
「今日はラストまでだよな。どうする?」
「まずは服を見立てに」
「まず、は?」
ということは予定はそれだけじゃないと? 首を傾ける魏嬰に、また頷く。
「ドレスコードが必要な店を予約した」
「え、それなら先に云ってくれればそういう格好してきたのに」
「それでは意味がない」
「意味がない?」
「私が見立てた服でないと」
嫌だ、とまでは云わなかったけれど、魏嬰はそれを察したようでくすくすと肩を揺らした。
「じゃあうんとカッコ良くしてもらわないとな」
手を背で組んで腰を屈める魏嬰が私の顔を下から覗く。その仕草の可愛さに軽い眩暈がした。
「藍湛?」
「いや、何でもない」
行こう、と。私たちは肩を並べて老舗の百貨店へと赴いた。
本来ならばフルオーダーにしたいところだが、それでは時間が掛かってしまう。
まぁ、時間が掛かっても次を約束すれば良いのだろうが、自分の予定と魏嬰の予定がそういつも合う訳ではない。
思い付いたら、すぐに行動に移したかった。
「ていうか、藍湛もカッチリ決めてる訳じゃないけど、」
「私も一緒に見繕う」
「ならそれは俺に見立てさせてよ」
良いだろう? と問われて悪い筈がない。
構わないと答えれば、魏嬰はそう来なくっちゃと指を鳴らした。
格調高い店に踏み込み、あれこれと品定めを始める。
これは、あれは、そっちは、と魏嬰を着せ替え人形にしていたら、今日の藍湛はまるで花嫁衣裳でも選んでいるみたいだと揶揄されたが、実質そのようなものに近いから否定はしなかった。
私の前ではとびきり着飾った姿で居て欲しいと思う気持ちに偽りはないからだ。
型や素材にも拘って選び抜いたのは、上下が艶やかな黒生地で、襟とベストがシルバーグレイのスリーピース。首元もシルバーグレイの蝶ネクタイを併せた。
「着心地は?」
「ん、悪くない」
サイズもピッタリだと全身が映る姿見の前で軽く体を動かす魏嬰。
「じゃあ次は藍湛の番な」
とは云っても、藍湛が選んでいる最中に俺も候補を見繕っていたんだけど、と魏嬰が店内をぐるりと一周して私の元に戻って来る。
「これとかどうだ?」
そう云いながら鏡の前で私に充てて見せたのはオフホワイトにシルバーを重ねた色のスーツだった。洒落を利かせてさり気なく淡いベージュのピンストライプが入っている。
「で、ネクタイは少し華やかにピンクベージュ」
さっ、と添えられたネクタイの色味はスーツの色とよく馴染んでいる。
「魏嬰はコーディネーターとしても働けるのでは?」
ちらりと横目で見た魏嬰は、そんな大層な仕事は出来ないって、と邪気なく笑った。
その場で着替えさせてもらい、纏めてもらった荷物を肩に掛けながら次は靴屋だと魏嬰を視線でいざなった。
向かったのは紳士靴の店ではなく、大きめのサイズを扱う女性靴の店。
「藍湛?」
訝しげな顔をする魏嬰を他所に、私は女性の販売員にこういう靴が欲しいのだが、と伝えた。
そうして販売員が持って来た靴を受け取り、魏嬰を試着用の椅子に座らせる。
ローファーを脱がせて恭しく履かせたのは、赤いエナメルのハイヒール。
「藍湛」
「何か」
「こんな趣味があったのか?」
「メンズスーツにレディースの靴を合わせたことなどないだろう?」
それともあるのか? と視線で問うたら、魏嬰は成る程と合点したように肩を竦めて笑った。
「藍湛が初めてだよ」
その台詞に私は満足して、もう片足にもハイヒールを履かせた。
五センチのヒールでも魏嬰の足取りはぐらつかなかった。
寧ろコツコツと機嫌良くヒールを鳴かせて私の隣を歩く。
タクシーを拾って向かったのは海のすぐ側で、私は星が幾つか付くレストランが入っているクルーズ船に魏嬰を付き添わせた。
案内された個室は照明がやや落としてあり、テーブルの中央にキャンドルが置かれている。
「はぁー……やっぱり藍湛はセンスが違うな」
「しかしこういうような場所が初めてという訳でもないのだろう?」
多少の不服を混ぜて返せば、まぁそう云われると……と魏嬰は苦笑で語尾を濁した。
フルコース料理は量より質を取った物で魏嬰には少し物足りなかったかもしれないが、それでも味は最高だと始終ご満悦の様子だった。
「藍湛、どうせだから風に当たりに行こう」
くい、とシャンパングラスを鋭角に傾けた魏嬰は、グラスを置いた手で私の手首を引いた。
アルコールでほんのり熱を持った魏嬰の手は、私の手首を灼くようだった。
クルーズ船が桟橋に戻るまではまだ三十分程ある。
魏嬰は潮風に髪の毛を靡かせながら手摺に腕を乗せて気持ち良さそうに目を細めた。
「藍湛、いつも有難うな」
「何を急に」
「ん、何となく」
藍湛が俺のこと指名してくれるの、いつも楽しみにしてるんだ。
そんな台詞は誰にでも吐かれるものなのだろうか。
商売文句なのか本音なのかを図り兼ねる台詞に、私の心はほんの少しだけ波立った。
ここで「好きなのだ」と云えたらどれだけスッキリするだろう。
けれどもこれから先の関係を途絶えさせたくない私には到底云える台詞ではなかった。
「……私も、」
「うん?」
「魏嬰に会える日がいつも待ち遠しい」
今伝えられる最大限の好意を告げたら、魏嬰は柔らかく笑んで、じゃあ両想いだな、と肩を揺らした。
あぁ、まったく。彼はその笑みで一体何人の男を虜にしてきたのだろう。
思わず妬ましい気持ちになる私は相当魏嬰に入れ込んでいる証拠だ。
長くない船旅を終えて、魏嬰をターミナル駅まで送る。
「またな藍湛」
「あぁ、また」
頷けば、じゃあとヒラヒラ手を振って改札を抜けていく魏嬰は、服どころか靴も変えずにそのまま階段を上がって行った。
自分で履かせておきながら何だが、履き慣れない靴で足を痛めてなければ良いなと思った。