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    【うつせみ】第二部。現代AU高校生の藍湛と魏嬰が付き合うまでの短いエピソード。藍湛の過去も数少し。藍湛が魏嬰のstkをしているので、苦手な方はご注意ください!

    うつせみ:第二部『幻燈』
     
     暗室の壁にピン留めした一枚の写真を眺めながらほうと溜息。ピントが合わず、ブレてしまっている写真の左側を注視する。フレームアウトしそうなその人物にだけ焦点が合った写真は奇跡の一枚とでも云おうか。 
     遅咲きの桜が最後の雨を降らせた日。ぼやける四角の中で唯一明確に像を結んだ真新しい学生服を纏う男子学生に目を奪われ、心惹かれたのは偶然ではなく必然に他ならない。
     
     
     
     私の父はフリーの写真家だった。祖父の時代から写真館を持っている家系だったが、父はひとところに留まることを好まない人だったらしい。人物よりも風景を撮ることに執心していた父は旅先で母を見初め、兄と私を子にした。父が人物を主として写真に残したのは殆ど母しか写っていなかった。
     家庭を持った父だったが、それでも各地を飛び回ることをやめられなかったのか。私が物心つく前に国外へ出たまま行方不明となってしまった。その為、写真館は叔父が経営を継いでいる。
     私と兄はフィルムカメラを玩具にして育った。シャッターを押すことを楽しむ私の相手をするよう、兄はしばしば被写体になってくれた。
     また、写真館の宣伝用に使うポートレートの被写体もよく務めていた為、いつしか人気の子役モデルとして活躍するようになっていた。
     私は目立つことがあまり好きではなく、撮られることよりも撮ることの方が好きだった。殊、人物よりも風景を好んだ。こういったところは父によく似たのかも知れない。
     母はとても穏やかで優しい人だった。幼い私が撮るぼやけた写真でも「綺麗な景色ね」と頭を柔らかく撫でてくれる、その温もりがとても好きだった。もっと褒めてもらいたい。そんな一心で、私はぼやけた風景をフィルムに収め続けた。
     母は身体が弱く家と病院を行き来するような人だったから、私は兄とよく母が入院する病院へ通った。勿論、病院へ行く際には必ず自分が撮った写真を小さな手に握って。
     幼い頃こそ叔父に現像を頼んでいた私だったが、小学校に上がる少し前にはもう自分で現像が出来るようになっており、母は「小さいけれどもう立派なカメラマンさんね」と微笑んではやはり優しく頭を撫でてくれた。
     そんな母が他界したのは、小学校に入って間もない頃のこと。当時はまだ『人の死』というものを理解出来ておらず、私はただただ母に見せる為のぼやけた風景写真を撮り続けていた。
     もうその行為に意味はないのだと兄に諭されるまでどれだけ掛かったか。
     山と積んだぼやけた風景写真の中に、私は時折顔を埋めるようになった。
     中学に上がる前にはとうにデジタルカメラが普及しており、フィルムカメラを使う人口の方が少なくなっていた。それでも私はフィルムカメラで風景写真を撮り、自分で現像するまでの過程を楽しんだ。
     楽しんだ、というよりは、儀式的な行為に近かったのではないかとも思う。暗室に漂う薬液の独特な匂い、そして仄暗さが私を酷く安心させたのだ。
     とはいえ、私の家が写真に縁があるというのは比較的有名な話で。学校行事の際にはクラスのカメラマン役を頼まれることが多く、そういう時はデータの配布がしやすいようデジタルカメラを使った。
     フィルムカメラで撮影する写真はいつまでもぼやけたものにしかならなかったが、きっとそれは私が本当に見ている世界を写し出していたのだろう。
     その証拠になるのかどうかは判らないが、デジタルカメラで撮影する写真にブレは生じなかった。
     高校の進学先を決めた理由は、暗室を有する写真部があるということ。成績は常に上位にあった私だったから、学力に関して問う必要はなかった。
     喩えどんなに難関な学校でも受験はクリアしただろうが、先の条件を有する高校は近辺だと学力的には中の上といったところで、それこそ進学するにあたっての問題は欠片ひとつ存在しなかった。
     暗室のある、という条件を付けたのは、単に暗室に篭る時間を少しでも長く取りたいが為だけだった。個人経営の写真館ではフィルムの現像依頼も少なくない。仕事で使われている間は邪魔する訳にもいかない。それ故に私は少しでも自由にフィルム写真を現像する時間が取れるよう、暗室のある学校を選んだのだ。
     そうして進学した高校の選択は正解だった。私が選んだ高校の写真部は部員が少ない上に活動が非活発的だったからだ。
     週に二度の活動日も集まる部員数はほんの僅かで、使うカメラもデジタルのみ。私と入れ違いに卒業した先輩が一人暗室を使っていたらしいが、他は皆フィルムカメラを古いものとして殆ど触りもしてこなかった様子。つまり、私以外にフィルムカメラを使う生徒が入部しない限り、暗室は私が独占出来るということだ。活動日でない日でも顧問の教師に頼めば部室の鍵は貸してもらえたから、私にとって部室は非常に都合が良く、また居心地の良い場所だった。
     先輩は三人。同級も一人。それでも部員全員が部室に集まることは稀で、私は部室をまるで自室のように扱った。
     
     二学年に上がると同時に、写真部の顧問から「入学式の写真撮影係になってくれ」と頼まれた。
     同級と二人、体育館の隅を対極に結んで写真を撮って欲しいとのことだった。
     別段断る理由もなく、私は顧問から備品のデジタルカメラを預かり、入学式の様子をカメラに収めた。
     入学式を終え、二学年の役目である体育館の片付けを済ませてから、私はフィルムカメラを持って校舎と校門を繋ぐ並木道に出た。新しい門出を祝う役目を終えたからもう良いだろうと云わんばかりに残り僅かだった桜吹雪が舞っている。
     季節の移ろいは風景写真を撮る人間にとってこの上ない楽しみだ。
     薄紅霞が舞う世界を四角く四角く切り取っていく。
     何十回とシャッターを切っていると、校舎から生徒たちがまばらに出てきた。キラキラとした光の微粒子を纏うその生徒たちは新入生たちなのだろう。
     人物像を撮るつもりはなく、しかし一枚くらいは微粒子が散るその様子を収めておこうかと最後に一回シャッターを切った私は、新入生たちとすれ違うように校舎に足を踏み入れた。
     部室の鍵を借り、早速暗室に篭る。
     シャッターを切った数だけ写真紙に現像した景色はどれもピントが合っていない。いつものことだ。これが私の世界なのだから。ぼやけた薄紅霞の端に微粒子を見付けて、あぁ最後に撮った写真か、と思う。
     何とはなし、まじまじとその写真を見詰めた私は目を大きくしてしまった。
     フィルムカメラで切り取る四角は景色も人物もぼやけるというのに。微粒子を纏う学生服の男子生徒数名の中で、一人だけしっかりと確かな輪郭を描いていたからだ。
     その横顔は決して大きく写ってはいなかったのに、造作がはっきりと脳内に浮かんだ。
     同時に、暗室全体に様々な風景と一人の男の顔が明滅するよう大量に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返した。
     写真に写る横顔と造作が一致するその男には見覚えがある。否、その表現は少し違う。見て覚えていたものではない。記憶していたものが蘇ったといった方が正しい。その記憶は古く、旧く、遠い時代のもの。
    「魏、嬰……」
     無意識に唇をすり抜けたそれは、記憶と眼下に写る人物の名前に違いなく。
    「また、逢えた……」
     深い青の中で口移しした約束が果たされた。その事実が、私の胸をぎゅうと鷲掴んだ。
     
     写真にはっきりと写った新入生が間違いなく私が記憶している魏嬰なのだと確信したのは、入学式の翌日すぐのことだった。
     朝校門をくぐり、並木道を歩んで居たら、後ろから一人の生徒が駆けて来た。その生徒は私を追い越して数メートル先の、恐らくは同級の肩を叩き歩調を緩めた。その同級と思われる生徒が明瞭な声で「おはよー魏無羨」と笑っていたからだ。懐かしい名前に胸の奥がざわつく。
     後ろ姿から見る横顔はやはり思い出したばかりの魏嬰その人のもので、心臓がひとつ跳ねた。
     少し長めの後ろ髪を赤いゴムで結っている。そんな細かいことにでさえ気付いてしまうのだから、彼は確かに魏嬰に他ならないのだと確信した。
     けれども、私を追い抜かして行った魏嬰は私のことを誰とも判断していない様子だった。古い記憶があれば、後ろ姿だけでも私だと判った筈だ。そして、記憶していたのなら私に声を掛けてこない筈がないと思うのだ。
     もしかして魏嬰は古い記憶を保持していないのだろうか?
     疑念を晴らしたくなって、私は足早に魏嬰の真後ろまで歩んで彼の肩を叩いた。
     ん? と振り向いた魏嬰。何か? とでも云いたげな。誰だ? とも云いたげな顔に私は唇を軽く舐めて小さく首を左右に振った。
    「済まない、人違いをしたようだ」
    「え、あぁ、はい」
     キョトンとした表情を見て、胸の底に鉛が溜まるような気持ち。
     どうやら本当に魏嬰は私のことを覚えていないようだ。軽い絶望のようなものを感じた。
     また逢おう。絶対に。交わした約束を覚えているのが自分だけなのだと知ったら途端に目の前が暗くなった。
     それでもそんな様子を見せる訳にもいかず。私はまた早足で校舎の中へ飛び込んだ。
     彼が私のことを覚えていないということが酷く悲しい。悲しいけれど、どうしたら思い出してくれるかなど判らない。
     私は彼のように愛想を振り撒くのが上手くない性質だから、軽率に彼に話し掛けに行くことも出来ないのだ。
     そうとなれば、私はひっそりと自分が覗くレンズの向こう側に彼が居るだけでも良いと思うようになった。
     彼は学内ですぐに有名な存在になった。全学年合同球技大会の際に大活躍をしたからだ。以降、どの部活にも所属しない代わりにあちこちの運動部の助っ人を頼まれていた。
     明るく社交的な面は過去と変わらないらしい。
     同時に聡明な面も変わらないことは連休明けの実力テストの結果を見に行って知った。
     上から三番目に見付けた名前の字面も、記憶しているものと同じだったのだ。
     明るく社交的な魏嬰。そして、良くも悪くも孤立しがちなり私とは真逆のタイプの人間。そんなところも前世と変わらない性質のようだ。
     今日も今日とて暗室に篭る私。そして放課後のグラウンドや体育館を駆け回る彼。その存在は全校生徒が知るところとなり、その活躍振りは皆の視界の端を鮮明に灼いた。
     少し遠い場所から、こっそりとお気に入りのフィルムカメラを構える。あっちへ、こっちへと忙しない動きの彼をレンズ越しに見詰めながら、私は無心でシャッターを切った。
     現像した写真はやはり全体的にぼやけている。ぼやけているのに、魏嬰の姿だけは綺麗な像を結んでいる。
     ぼやけた風景に浮き上がる魏嬰の姿。まさしく私がこの目に映している世界に違いなかった。
     私が暗室に篭る理由は一人になりたいから。現像作業が楽しいと思うから。ただそれだけのことではない。
     暗室の薄暗さが心地好いと思うのは、どこかしら胎内回帰に似ているのではないかと思う。優しく穏やかに、あたたかく守られていたい。そんな願望。そんな中で彼の写真を現像するのはこの上ない至福の時だ。後ろ姿、横顔。隠し撮りのように(実際隠し撮りではあるのだが)彼を写した写真はあっという間に両手の指だけでは到底数えられなくなった。
     それでも私はただただひっそりと魏嬰の写真を撮り続けるのだった。
     そんなに彼のことを撮り続けるのだったら、もういっそ自分の被写体になってくれと云えば良いのかも知れない。けれども非社交的な私がそんなことを云える訳もない。
     それに、何故写真を撮りたいのかなどと訊かれても困る。私は器用な嘘は吐けない。一般論、隠れて写真を撮っているのは不健全だと私もその点は重々承知の上。それでも私は彼をこっそりと被写体にしたい。あんなにも伸び伸びと、そしてキラキラしながら生きている魏嬰の記録を残さずには居られなかったのだ。
     遥か昔は生きる姿をそのまま写して保管するなどということは出来なかった。それが今は叶う。
     春、夏と彼の学生生活をファインダー越しに覗いてきた。それは彼の極一部でしかないと判っていつつも、その極僅かな一瞬を形に残して手元に置いている人間は自分だけなのだと思うと唇がやんわりと弧を描いた。不健全な行為は私に背徳感を覚えさせ、また悦びさえも感じさせるようになった。それは些か倒錯的だったかも知れない。
     彼が私のことを覚えていないのであれば、私はあくまでファインダー越しに彼を見ているだけで良かった。ただただ彼の一部を自分の手の内に閉じ込めて置ければ充分だった。それなのに……。
     夏期休暇を終え、二学期が始まって幾らかした頃。いつものように魏嬰の姿を写した写真に満足して暗室から出ると、パイプ椅子よっつしか置けない小さな部室にひとつの影があった。思わず息が詰まる。自分と同じ制服を着ているその影は、ゆるりと私を見詰めてこう云った。
    「アンタ、藍忘機先輩、だよな?」
     どこか試すようでもある口調に、ぎこちなく「あぁ」と頷く。
    「藍忘機先輩。あんまり目立つ方じゃないけど、優等生なんだってな」
     運動部の先輩から聞いたよと端を上げた唇がそう紡ぐ。
    「そんな優等生の藍忘機先輩には盗撮の趣味があったんだ?」
     唇の片端を上げたまま、揶揄濃く私を見上げたその生徒は私がずっと追い掛けて来た彼——魏嬰その人だったのだ。
     何故それを、と問うより先に彼が笑む。
     もしかして私のことを思い出したのだろうか?
     微かな期待はすぐに打ち払われた。
    「俺、人の視線には割と敏感なんだ」
     大きくない机に置いてあった学校の備品であるデジタル一眼レフを玩具のように手で遊ぶ魏嬰は、私のことを知らない様子で喋る。
     幸か不幸か、デジタル一眼レフのデータには魏嬰の写真は入っていない。
     入学式翌日の朝に声を掛けた日以来、初めて真正面から見る彼の顔に怒りは見えない。嫌悪もない。だから余計に惑った。一体いつから気が付いていたのだろう。カメラをいじる魏無羨が首を傾げる。
    「俺、一回だけ先輩のこと見たんだけどな」
     その写真がない。たまたま取り損ねたのか? それだったら先輩は惜しいことをしたし、俺は詰まらない。
     カメラを置き頬杖をつく魏嬰はもう片手の人差し指で机を叩いた。
    「藍忘機先輩は俺のことが好きなの?」
     その問いに黙せば、彼は肩を竦めて笑った。
     まぁ、別に良いけど。悪用しなければ好きなだけ撮って良いよ。そんなことを云う彼の心理が判らなかった。
     怒りや嫌悪をぶつけられて当然な行動だというのに、彼はさも興味薄そうにゆっくり瞬くと静かに立ち上がった。
     今度、俺にカメラのこと教えてよ。興味があるんだ。一笑する彼が益々理解出来なかった。
     じゃあ、と。何をしに来たのか判らないまま、魏嬰は写真部の部室から出て行く。
     その背を見送ってから、私は暗室に引き返した。山にしてある写真を一枚一枚注視する。そうしてごくりと唾を飲んだ。眩しい夏空の下、級友たちと親しげに輪を作っている彼の視線が、こちらを向いて笑っていたからだ。
     背筋に、冷たいものが一筋流れ落ちた。
     それからというもの。私はファインダー越しに彼を見てもシャッターを切ることを控えるようになった。
     五回に一回は彼の視線がこちらを向くようになっていたからだ。
     私のしていることはいっそストーカーじみている行為だというのに。私を知らない魏嬰の視線が私を捉える、その視線がどこか怖かったからだ。
     魏嬰が私のことを覚えていたのなら、その恐怖はきっと感じなかったのだろうけれども。
     シャッターを切り、現像した写真は暗室の壁にピン留めしてある。それは一枚や二枚ではない。壁を埋め尽くすようにそれらは張り巡らされている。それこそストーカーの所業とさして変わりはしないだろう。ただ、あくまで校内でのみの行為であることが辛うじて罪を軽くしてくれるとは思うのだが。
     残暑もそろそろナリを潜め、水色が高度を上げ始めた頃。事件とも云える事態に陥った。
     写真部の活動日ではない放課後、担任に頼まれ事をされた私はそれを手早く済ませ、いつも通り職員室へ部室の鍵を取りに行ったら、既に渡し済みだと教員に云われた。
     マズイ、と思った。暗室の鍵は部室の鍵と一緒にぶら下がっている。暗室の鍵の開け方は少し独特だから、使わない生徒は簡単に開けることが出来ないようにはなっているが、もし誰かが暗室に入ってしまったら私の奇行が明るみに出てしまう。
     誰がと平静を装って問うたら、一年の魏無羨だと云われて眩暈がしたのと同時に、ほんの僅かにだけ安堵した。彼には私の奇行がバレている。急いで部室に駆け込む。ガラリ、開けた部室内にはリュックサックひとつ。チラと流した視線の先、暗室の扉が細く開いていて鼓動が逸った。何も知らない生徒には開けられる筈のない扉だというのに。魏嬰はその鍵を容易く開けてしまったのか。
     恐る恐る暗室の扉に手を掛けてゆっくりと引く。ギ、と鳴いたスチールの扉の音に呼応するよう、暗室の中で影が揺れた。
    「藍湛」
     親しげに私を呼ぶその声は紛うことなき魏嬰のもの。本名を呼ばれ、懐かしさを感じると同時に、彼は私のことを思い出したのだろうかと、先とはまた別の意味で鼓動が跳ねた。
     しかしその期待はすぐに裏切られた。
    「藍忘機先輩は、俺のこと好きなの」
     他人行儀な声で問うでもなく問われ、言葉に詰まる。
     好き、に決まっている。遥か昔に恋情を交えた私たちなのだ。好き、どころか愛しているのだと今すぐにでも伝えたい気持ちだ。
     だからこそ彼をファインダー越しに見詰めるのだ。私の奇行は魏嬰を愛しているからこそのもので、他に理由などない。
    「あ、この写真良いな」
     そう云って、壁にピン留めしてある比較的新しめの写真を引っ張る魏嬰。細いピンはすぐに写真紙から外れてしまう。目の上に写真を翳す魏嬰の顔はにこやか。
    「藍忘機先輩」
     呼び掛けられ、何だ、と小さく返したら、彼は肩を竦めて悪戯っぽく歯を見せて笑った。
    「俺と、付き合いたい?」
     突然の言葉に思わず目を見開く。
    「藍忘機先輩は、俺と付き合いたいって思ってる?」
     だって、何か特別な感情がなければこんな風に隠し撮りばっかりしないんじゃないか?
     壁から剥がした写真を口許に充てて、魏嬰は目を細める。
    「だんまりしてないで、答えてよ」
     隠していても判る。魏嬰の唇の両端は上がっているだろう。
    「……思って、いる」
     正直に返せば、魏嬰は「そう」と呟いてから私を真っ直ぐに見詰めてきた。
    「なぁ、藍忘機先輩」
     少し低くなった声。
    「ひとつ、ゲームをしようよ」
    「ゲーム……?」
    「そう、ゲーム」
     首を傾げた私に、魏嬰は少しだけ肩を竦める。
    「残念だけど、俺は絶対に人を好きにならない」
     挑発的な視線。でも、と彼は続けた。
    「藍忘機先輩が俺のことを好きなんだったら、」
     そこで言葉を区切り、彼は私に背を向ける。
    「俺が藍忘機先輩のことを好きだって思えるようになったら」
     このゲームは先輩の勝ちだ。
     勝負は先輩が卒業するまで。
     藍忘機先輩が勝ったら俺をどうにでもして良いよ。首だけで振り返る魏嬰の愉しげな声音に無意識に唇を噛む。
    「……もし、私が負けたら?」
     唸るよう絞り出した声に、魏嬰はカラカラと笑った。
    「卒業式が終わった後、ここにある写真全てを裏庭で焼く」
     未練を残されるのは嫌なんだ。
     そう云う彼はこれまで幾つの未練を焼き払ってきたのだろう。
    「……君は何故、人を好きにならないと断言出来るんだ?」
     私の微かな疑問に魏嬰は壁に背を預け首を傾けた。
    「一生分の好きを捧げた人が居るから、かな」
     その答えを聞いた瞬間、視界が爆ぜた。
    「一体、誰を」
     意図せず洩れた疑問に、魏嬰はまた肩を竦めて笑った。
    「判らない」
    「判らない?」
    「そう。でも俺はその人のことしか好きにはならない」
     それだけは断言出来るんだ。何でだかは知らないけど。おかしな話だよな、自分でも判らない相手しか好きだと思えないだなんて。
     まるで他人事のようにそう云う魏嬰の言葉はどこからどこまでが本当なのか。
    「もし君が、私のことを好きになる確率は……」
    「そんなの、円周率と同じだな」
     未知数だ。誰にも。俺にだって判らない。そう云いながらまた写真を目の上に翳す魏嬰。
     でも本当は、と魏嬰へ緩く瞬いた。
    「多分、俺はその誰だか判らない相手以上に好きだと想える奴を探してる」
     その手掛かりを、藍忘機先輩は知っているような気がするんだ。
     そう続いた台詞に心臓が大きく跳ねた。
     それは、きっと私なのだと伝えたかった。しかし記憶のない魏嬰にそうと云ったところで容易に信じてはもらえないだろう。
    「なぁ、藍忘機先輩」
     ちらり、流れてきた視線。
    「ゲームだとは云ったけど。本当のところは俺の探し物を手伝って欲しいんだ。俺が一体誰のことを好きだと思っているのか」
     その答えを見付け出せたら、本当の意味で先輩の勝ちだ。そうしたら一生俺を追い掛け続けても良い。幾らでも執着して良いよ。
     詰まり、私のことを思い出させれば私の勝ちということか。
     判った、と頷いて私は真正面に彼の横顔を映す。
     ファインダー越しではなく、直に己のガラス体を通して網膜に灼く魏嬰の横顔は今までのどの写真よりも鮮明だ。
    「ならば……、」
     そのゲームに乗ろう。
     私の卒業まであと一年と数ヶ月。どうしたら魏嬰が遥か昔の記憶を取り戻してくれるのかは判らないが、彼と密接な関係になれるこの機会を逃す手はない。
    「じゃあ、今日から俺たちは恋人同士だ」
     よろしく、藍湛。
     親しげに呼ばれたその名前に、私は酷いまでの郷愁を感じた。
     
     
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