#及岩チャレンジ日向翔陽の誤爆
そそっかしい性格だということは、自覚しているつもりだ。小学生の頃から通知表に書かれることといえば、落ち着きがないだとか元気が有り余っているとかそういうことで、大人になって多少心にゆとりを持つ術を身につけたものの、元来のそそっかしさというのはふと気が緩んだ時に顔を出す。
その、顔を出す瞬間第一位と思われるのが、寝る前のSNS更新だった。
SNSにおいては、ムスビィで言えば侑さんが熱心なタイプだと思う。写真を撮るのも撮られるのも大好きで、「俺も楽しい、ファンも喜ぶ、一石二鳥やろ」とのことである。広報の一環にもなると黒尾さんも嬉しそうだったし、だったら俺も頑張ろう! って。そうは思うものの、毎日体力の限界まで動き回って、やってもやっても課題が見つかって、楽しいと苦しいと嬉しいを毎日ぐるぐるやっていれば、なかなかSNS更新まで辿り着かないのが現実だった。
それでも、たまに。今日はいい写真や動画が撮れたから、SNSにアップしたいと思う時がある。
その日は、日本代表の海外遠征強化合宿の三日目で、練習試合のある日だった。今年の合宿地はアルゼンチンで、もしかしてとは思っていたけど、練習試合の相手がCA SanJuanだったから笑ってしまった。及川さんのいるチームである。
及川さんは気さくで楽しい人なのに、試合になると相変わらず怖い人だった。殺人サーブの精度がまた上がっていたし、セットアップに混乱させられた。影山が悔しそうに舌打ちしたのを、指差して笑って審判に注意されてる時は愉快な人だなと思うのに。
実りある練習試合が終わって、お互いの健闘を称えて握手をして。「ショーヨーは相変わらずよく飛ぶね、何回か捕まえらんなかった」と及川さんに褒められて、嬉しくなって。
そんな時に、及川さんからSNS用の写真を撮りたいと言われた。もちろん二つ返事で了承して、元気良く写真に写る。俺たちがそうしているのを見て、他のチームメイトたちもわらわら集まり始めた。俺も写真撮ってもらお! と、慌ててスマホを取りに戻る。
「スマホ……あったあった!」
荷物の中からスマホを取り出して、輪の中に戻ろうとした時。ちょうど打ち合わせが終わったのか、監督と別れたその人を見かけた。
「岩泉さん!」
日本代表で来てるから、今回の合宿にはトレーナーである岩泉さんも同行してくれている。ぱたぱたと駆け寄ると、「お、日向」と岩泉さんが笑った。
「お前今日絶好調だったな」
「はい! さっき及川さんにも今日は捕まえにくかったって言われました!」
よくやった、とわしゃわしゃ頭を撫でられる。褒め方がいつぞやの影山と一緒で笑いそうになった時、とある〝気配〟を感じて本能的に後ずさった。
「日向?」
俺が突然後ずさったせいで、頭を撫でてくれていた岩泉さんの手が変な位置で止まる。不思議そうに首を傾げた岩泉さんは、おそらく背後から近づいてくる〝大王様〟に気付いてないらしい。
さっきまで、写真を撮りあう輪の中心にいたはずなのに。一緒に撮りたいとソワつく影山に「どうしよっかな〜?」なんて相変わらずの意地悪をかましていたのに。
ドドドドド、と、コートの中でもなかなか見ない全力疾走で、及川さんがこちらに向かって走ってきている。足速いな及川さん。
とりあえず、手に持ったままのスマホを岩泉さんに向けてカメラアプリを起動すると、岩泉さんは困惑したような顔で「写真? 今?」と、それでもこちらに向かってピースしてくれた。残念、これは動画です。
「岩ちゃーーーーーーん」
「っ、なに、」
ピロン、と、撮影開始のボタンを押すと同時に、及川さんが叫んだ。ビクッと肩を跳ね上げた岩泉さんが振り返ると、ものすんごい笑顔の及川さんが両手を広げて走ってくる。
岩泉さん、どうするのかな。この二人の攻防戦は、毎回アルゼンチン戦の時の風物詩みたいなものだった。及川さんの大声にみんな反応して、「あ、またやってる」みたいな空気になるのもいつものことである。
避けられるか、殴られるか、蹴られるか、逃げられるか。そのどれかだろうなと思っていた。だからこそ、岩泉さんが呆れたようにため息を吐き出して、持っていたバインダーや資料やらを足下に置いて、「ん」と両手を広げた時には、ギャラリーからもどよめきが起こった。
走ってきた及川さんは、岩泉さんの目の前で急ブレーキをかけ、そこから岩泉さんにぴょんと飛びつく。フィジカルが頑丈すぎる岩泉さんは、それを難なく受け止めていた。体幹やば すご 及川さんのウエイト考えるとマジでやばすぎる。
「走ってくんなや、普通に怖ぇわ。筋肉の塊じゃんお前。轢かれたら死ぬんだけど」
「死なせません〜! 岩ちゃんの体幹を俺が見誤るわけないでしょ」
ぎゅーっと全身で岩泉さんに抱きついた及川さんは、ようやくぴょんと着地する。ふらつきもしない我が国のトレーナーに、日本側が再び「おぉ」とどよめいた。俺たちすげぇ人に見てもらってますね、マジで。
「何しに来たんだよ。来月の国際大会のオーダーなら教えねぇぞ」
及川さんの首にかかっていたタオルを抜き取った岩泉さんが、そのまま及川さんの額に浮いた汗を拭う。されるがままの及川さんは、「俺が岩ちゃんにスパイみたいなことさせるわけないじゃん」と唇を尖らせた。もちろん俺たちだって、この二人がいくら仲が良いからって、その辺りの心配は全然してない。
「ショーヨーとイチャイチャしてたから割り込みにきたんです〜!」
ぴょこ、と、及川さんが岩泉さん越しに顔を出してくれた。俺が動画を撮ってることに気づいたのか、王子様みたいなスマイルでこちらに手を振ってくれる。
「だったらなおさら邪魔すんなよ。なぁ? 日向」
くるっと振り返った岩泉さんが、そう言って俺を見つめた。わあ、意地悪な顔してらっしゃる。
「ハイ! あっ、イイエ!」
「どっちだよショーヨー! 事と次第によっちゃ今ここで埋めるからな!」
突然話を振られて慌てた俺に、及川さんがぎゃんと叫ぶ。「やめろっての」と岩泉さんに頭を軽く叩かれて、「ひどぉーい!」と再び岩泉さんに抱きつくところまでを動画に収めた。
「岩泉さんの体幹がすげぇ動画が撮れました!」
ほくほくと喜んでいると、「それ動画だったんか」と岩泉さんが苦笑する。二人にこの動画をSNSにアップしていいか尋ねると快諾してくれたので、今日は忘れずに更新しようと誓った。
そして、一日の練習メニューを全て終えて、風呂に入って晩ご飯をもりもり食べて、ホテルのベッドにダイブすると、俺は襲いくる眠気と戦いながらぽちぽちSNSを更新した。
うちのトレーナーは体幹がえぐいんですよ、と。及川選手は今日も愉快な人でしたよ、と。そしてこのお二人は仲が良いんですよ、と。合宿が始まったことや、練習試合の様子は別でスタッフが公式アカウントで更新してくれているので、俺たち選手はわりとプライベートなことを投稿することが多い。
タイムラインを見てみると、毎回投稿数の多い侑さんや夜久さんが早速みんなと撮った写真をアップしていた。
その投稿を見て、ふと、今となっては伝説となったハッシュタグの存在を思い出した。
半年くらい前に東京で開催された親善試合。アメリカとアルゼンチンと日本で行われたその試合の前にも、強化合宿があって。その時、侑さんが多用したことで話題になって、ネットニュースにもなったのが、〝#及川チャレンジ〟である。
元々は、単身アルゼンチンへ飛んだ及川さんが、今までずっと一緒にいた大好きな岩泉さんと離れるのが寂しくて、SNSをしていない岩泉さんの代わりに友人たちに岩泉さんの写真をアップするようにお願いしたのが始まりだと聞いている。だけど実際写真をアップすると、「自分がいないのに楽しそうな岩ちゃんがマジで地雷」とやたら呪詛めいたコメントが及川さんから届くようになり、それを面白がった友人の皆さん、主に元青城の人たちが、〝#及川チャレンジ〟というタグをつくって、いかに岩泉さんと仲良しアピールをして及川さんを釣れるか、という一種のゲームのようなものが流行ったのだ。
いわゆる内輪ネタではあったものの、錚々たるメンツが及川チャレンジに参加し、一時はトレンド入りするほどの盛り上がりを見せ、普段はコートの中の選手のことしか知らないファンの方たちも、面白いとか可愛いとか、みんな仲良いな、と、喜んでくれた。
侑さんはあの親善試合の後、「もうお腹いっぱいやねん……」と、菩薩みたいな顔をして、それ以降はあのハッシュタグを使っていない。そして俺は、何気にあのタグを使ったことが一度もなかった。
「今日、岩泉さんもいる動画あげるしな……あれ使っちゃおっかな……」
及川さんの中でどういった基準があるのかはわからないが、前々から「ショーヨーは大丈夫」と謎のお墨付きをいただいていて、俺は岩泉さんと仲良くしても特段何も言われたことがない。
影山の振り回されっぷりを苦労をそばで見てきた身としては、及川さん公認で仲良くさせてもらえるのは嬉しいことだ。だから、俺が使っても及川さんに呪詛を吐かれることはないだろう、と。
今日撮った写メを数枚と、例の動画に、「みんな仲良し!」のコメントを添えて。眠気と戦いながら手早くハッシュタグも入力していく。
『#強化合宿三日目 #みんな絶好調 #木兎さん恒例の変顔 #臣さん逃げないで #侑さんの写ってる写真全部半目だった #及川さんと岩泉さん #仲良しコンビ #及川さんに抱きつかれてもブレない岩泉さんの体幹がやべえ #及岩チャレンジ』
最後に投稿ボタンを押して、それと同時に瞼がぱたりと落ちた。
◆◇◆◇◆
「君散々俺には注意促しといて自分がやらかすってどないなん……」
「あ、侑さん! おはようございます!」
「おはよお、いやそれどころちゃうやん?」
「ハイ?」
健やかに眠った翌朝である。軽くランニングを済ませてシャワーを浴びて、朝食をとるためにホテルのラウンジにやってくると、侑さんのいるテーブルに呼ばれた。
朝食はバイキング形式だった。俺がぐうぐうとお腹を空かせているのを見かねた侑さんが、「とりあえず先ご飯取っておいで」とため息を吐き出したので、首を傾げつつお盆とお皿をとりに行く。朝からよく食べるタイプなので、バイキング形式というのはありがたい。本能のまま好きなものを好きなだけ選びたいところだけれど、アスリートとして食事には気を遣わねばならず、だけど卵かけご飯だけは譲れなくて器にご飯を大盛りによそった。隣で同じくカレー皿にご飯を盛っている影山をなんとなく拾って侑さんの元へ戻る。
「あれ、飛雄くんも拾ってきたんかいな」
「宮さん、はざっす」
「おはよお。まあ、座りぃな」
侑さんに促されて、侑さんの前の席に影山と並んで座る。とりあえずいただきますをして、朝食を食べ始めた。
「食べながらでええから聞いてくれるか、翔陽くん」
卵かけご飯を頬張りながら、こくこくと頷く。隣の影山は、温泉卵をカレーの上にそうっと割り落とそうとして、ぱきゃっという小さな卵の悲鳴とともに失敗しているところだった。いやそんな落ち込まんでも。どうせ速攻で混ぜるじゃん、お前。
「翔陽くん、昨日珍しくSNS更新しとったな」
「あ、はい! 久しぶりに皆さんに会えたの嬉しくって、ムスビィのみんなとも写真撮っ──あ! 侑さんの写メ全部半目だったの怒ってます」
すんません! と、がばりと頭を下げる。でも、見返した写真がマジで全部半目だったんだもん、侑さん。俺があわあわしていると、侑さんは「いやちゃうねん」と首を横に振った。
「あれは正直オイシイ思いさせてもらいましたって感じやから別にええねん」
「宮さん、写真は食べられませんよ」
「うん、飛雄くんはちょお黙ってて」
もぐもぐとカレーを堪能している影山に制止をかけた侑さんは、いつになく真剣な顔で俺を見つめた。
「わざとか思ったけど、その感じやと誤爆か?」
「誤爆? ……えっ、俺なんかやらかしてます」
「おう、すんごいのをな」
「嘘っ、やっば、」
ジタバタと全身をまさぐって、ようやくポケットに入れっぱなしにしていたスマホを取り出した。
誤爆。それは、俺が寝る前に更新するSNSで時たまやらかすことである。眠気が限界の時、そそっかしさが相まって見返したり確認したりせずに投稿してしまうことがあって、以前ムスビィに所属してた頃、合宿中に撮った写メをSNSにアップした際、「お疲れ様でした!」と添えてみんなとのツーショットを載せたつもりが、「ごちそうさまでした!」と書いていたらしく、「先輩たち食べちゃったか〜!」「おいしくて、つよくなる」「食べることによって相手の得意技を習得するってわけね」「これが本当のモンスターってか」とコメント欄で死ぬほどいじり倒された。
それ以来、実況とかでも「なんでも食べて吸収する悪食モンスター!」とか言われてめちゃくちゃ恥ずかしい思いしたんだよなぁ、と、あの頃の羞恥心を思い出して震える。今度は一体何をやらかしてしまったんだ、と慌ててSNSを確認した。
「ん……?」
昨日の夜、寝る前にした投稿は、確かにいつもより拡散されているような気がする。だけど、添えたコメントはちゃんと「みんな仲良し!」と誤字もなく書けているし、アップした写真も間違えてない。何がダメだったんだろう、と俺が首を傾げていると、隣でカレーを食っていた影山が、カラン、と皿の中にスプーンを落とした。
「影山?」
影山も、自分のスマホで俺の投稿を確認していたらしい。ギギギ、と錆びついたロボットのように振り返った影山は、「お前……!」と俺を睨んだ。え、なに。アップした集合写真には確かにお前も写ってるけど、別にそういうのNGとかないだろ?
「及川チャレンジに俺を巻き込むなとあれほど……!」
「あぁ、それ?」
ぷるぷると震える影山は、以前もはやこれも伝説と化している『#及川さん見てますか』で一世を風靡した男である。それを言えば、侑さんもそのタグのプロフェッショナルと呼ばれてたけども。及川チャレンジの中でも、影山と侑さんは及川さんの絶許ランキングのツートップだった。だけど、安心したまえ影山くん。これをアップしたのは、及川さんから公認仲良しの座を頂戴している俺なのですよ。
「よく考えたら俺あのタグ使ったことなかったからさあ。せっかく及川さんも岩泉さんもいる合宿なんだし、一回は使ってみようと思って。まあ今回は及川さんを煽ってる内容ってわけじゃないから、ちょっと趣旨ズレてるかもだけど」
「命知らずめ」
「俺は影山と違って警戒されてないんで」
ふふん、と自慢げに言うと、影山は悔しそうに歯噛みした。朝から気分が良い。もしかして侑さんも、影山と同じ理由で俺を呼んだのかな、と思ってそちらを見やれば、侑さんはなぜかめちゃくちゃ頭を抱えていた。
「あ、侑さん……? あの、えっと、俺はなんか、このタグ使っても許される感があったといいますか、」
だから多分大丈夫ですよ、と言ってみたものの、侑さんは緩く首を振って「ちゃうねん……」と呟く。何がちゃうんです……?
「翔陽くんがなんでか及川さんに警戒されてへんのはよーく知っとるわ。こちとらそれ真似しよう思ってえらいな目にあっとんねん」
「はあ……じゃあ一体何が?」
「誤爆、っつーか誤字よ」
「誤字?」
「ハッシュタグ間違ってんねん、翔陽くん」
「えっ」
ハッシュタグ。コメントは確かに「みんな仲良し!」と書いてあったけれど、そういえばハッシュタグの確認はしてなかった。
昨日つけたハッシュタグは、『#強化合宿三日目』、これはわかりやすく現状を説明したかっただけだ。今日が四日目なので、昨日が三日目だということは間違っていない。
『#みんな絶好調』、これも嘘じゃない。昨日の練習試合はマジで楽しかったし、新たな課題も見つかって、これからさらに頑張ろうと意気込んだところだ。
『#木兎さん恒例の変顔』、これはムスビィに所属していた頃、写真を撮るたびにやたらと変顔をしていた木兎さんが、今回も全力で変顔をしてくれたからつけた。表情筋が豊かな人だから、毎回想像の斜め上をいってて面白い。
『#臣さん逃げないで』は、写真嫌いの臣さんをどうにかこうにか説得して、見切れてるし顔もキレ気味だけどギリギリ写真を撮らせてもらった。古森さんにマジですげぇって言われたっけ。
『#侑さんの写ってる写真全部半目だった』、これは先ほど侑さんに釈明した通り、圧倒的事実である。
そして、ここからが及川チャレンジタグへ向けての布石だ。『#及川さんと岩泉さん』と『#仲良しコンビ』、それから『#及川さんに抱きつかれてもブレない岩泉さんの体幹がやべえ』。楽しい動画が撮れたので、それをわかりやすく。そして仕上げに、例のハッシュタグ、及川チャレンジを──
「あっ」
一番最後につけたタグ。『#及川チャレンジ』が、『#及岩チャレンジ』になってる。及川さんと岩泉さんが混じっちゃったのかな。
「わあ〜! せっかく参戦したのに間違っちゃった」
「だっせ」
「うるせぇぞ影山! 温泉卵上手に割れなかったくせに!」
ここぞとばかりに鼻で笑ってくる影山に応戦する。んだとコラ! と頭を鷲掴みにされた。今日も今日とてじたばたと争っていると、「こらこら君らだけで盛り上がりなさんな」と嗜められる。
「あ、誤字教えてくださってありがとうございます。次は気をつけます! 俺も及川チャレンジやってみたいんで!」
「もう遅いんよ」
「へ?」
「もう遅いんよ……始まってしまっとるんよ、及岩チャレンジが……」
はああ、と、侑さんが大きなため息をついた。及岩チャレンジが始まってる? どういうこと? ってか及岩チャレンジって何? 俺の誤字じゃねぇの?
「君らさ、及川さんのお友達の皆さんってどんな人か知っとる? 主に及川チャレンジを始めた人たちとか、そのへん」
そして侑さんは、唐突にそんなことを言い出した。及川さんのお友達の皆さん。及川チャレンジを始めた人たち。そう言われて思い出されるのは、及川さんと岩泉さんの同期の青城の人たちである。高校時代、俺が一番嫌だなって思うブロックをする松川さんと、なんでもできるからどこにいても警戒しなきゃならなかった花巻さんだ。直接的に話したことはないけど、国見や金田一から話は聞いている。悪ノリしがちなのは花巻さんだけど、それに松川さんが乗っかったら地獄、とは、あの二人がよく言っていた。
「俺も影山も直接的な関わりはないです。その人の後輩たちから話を聞くぐらいで……影山、お前国見とか金田一から、花巻さんと松川さんの話なんか聞いたことある?」
「ハナマキさんとマツカワさん……?」
「俺らが高一の時の、青城の2番が松川さんで3番が花巻さんな」
「あー、ブロック怖ぇのとオールラウンダーな」
「お前本当にバレーのことしか覚えてないのね」
「んー……愉快犯と確信犯っつってたかな。どっちがどっちかまでは知らねぇけど」
愉快犯と確信犯。なんでそんな表現のされ方してんだろ。どっちがどっちかな、雰囲気だけで言うと花巻さんが愉快犯で松川さんが確信犯って感じだけどな、と思っていると、侑さんは「最悪の布陣……!」と呻いた。なんで?
「愉快犯と確信犯と及川さんと岩泉さん……こんだけネタが揃えばそら一晩でこんなことになるわな……」
「え? え? 確かにいつもより拡散はされてるなって感じはしたんですけど、そういや及岩チャレンジが始まってるって、」
「どんだけいちゃいちゃしてる及川さんと岩泉さんの写真やら動画やらを載せて及川さんから惚気コメントをもらえるか、っていう……及岩チャレンジが始まってるんよ……」
「えぇ?」
なんじゃそりゃ。とりあえず、昨日間違えて投稿してしまった及岩チャレンジのタグをタップしてみる。投稿件数……三十二件 俺が誤字ってからまだ七時間くらいしか経ってないのに 一体誰がこのタグ使ってるんだ、と検索をかけてみると、ずらっと並んだアカウント名は知っているものばかりだった。早速菅原さん参戦してるし。すごいな、あの人。
もしかして俺にも及川さんからコメントついてるのかな、と、コメント欄を探してみると、ファンの人たちからのコメントに紛れて、ひとつだけ圧倒的に〝いいね〟数が多いコメントを発見した。あ、やっぱいた。及川さんだ。
『ショーヨーありがと〜! 岩ちゃんの体幹マジで半端ないのよ、後ろから抱きついても横から抱きついても全然ブレない! てか#及岩チャレンジってなに? 俺と岩ちゃんがイチャついてる写真につけるタグ? ラブラブでごめんね♡』
「わりといつも通りでは……?」
いつも通りテンションが高くて、いつも通り岩泉さんのマウントを取ってる。及川チャレンジの時につくような呪詛コメントではないのは、ひとえに及川さんも写ってるからなんだろう。
「その下見てみ。翔陽くんの投稿にコメントしてる及川さんに、返信してるアカウントがあるやろ」
「返信……あ、これ、」
俺の投稿にではなく、及川さんのそのコメントに返信をしているアカウントがあった。アカウント名はTAKAHIRO。TAKAHIROさんが何者か俺は知らないけど、彼のつけた『新しいハッシュタグネタ? そんなん俺と松川が覇者に決まってんじゃん』というコメントに及川さんが普通に『ネタじゃねぇし! なら参加してみてよ、俺はそう簡単に釣られたりしないからね!』と返信してるので、おそらく元青城の人。というか、松川さんの名前が上がってるなら、この人きっと花巻さんだ。
及川さんの煽りへの返信として、花巻さんが一つの投稿のリンクを引っ張ってきていた。『仕事が早い男がいるのよ』と。そのリンクに飛んでみると、及川さんでも花巻さんでもないアカウントに辿り着く。アカウント名は松。これたぶん、松川さんだよな?
『呼ばれた気がして』とだけ書いたその投稿に添えられた写真は、個室の居酒屋かどこかで撮られたものだった。写っているのは、松川さんと花巻さんと及川さんと岩泉さん。
松川さんがインカメラで撮影したものらしく、一番手前に松川さん、その後ろにピースしてる花巻さんが写っている。二人の向かいの席に並んで座っている及川さんと岩泉さんは、写真を撮られたことに気づいていないのか、こちらを向いていなかった。
そこそこ飲んだのか、テーブルの上にはジョッキがたくさん並んでいる。ぽわんと赤い顔をした岩泉さんが、及川さんの肩に寄りかかって、及川さんのシャツをぎゅうっと握り込んでいた。及川さんはお箸と器を両手に持っていて、どうやら岩泉さんにその器の中身を寄越せと言われているようらしい。
ついているタグを確認すると、『#おかえり及川 #ぐだ泉降臨 #この後めちゃくちゃあーんしてた #及岩チャレンジ』である。話題になってから秒で出してきたにしては完成度が高すぎませんか、松川さん。
ちなみに及川さんからは『この時の岩ちゃん超可愛かったね〜! まあ岩ちゃんは俺と飲む時しか酔わないから俺がいる時しか見れない岩ちゃんなんですけど』と全方面にドヤってらっしゃった。ブレねぇなこの人も。
「な?」
侑さんが、死んだような目をしながら首を傾げた。思わずこくりと頷く。影山が小さな声で「やっぱすげぇな、菅原さん……」と呟いた。
「菅原さん、どう?」
「今日も絶好調だ」
ほら、と、スマホの画面を見せてくれる。侑さんと一緒に覗き込むと、岩泉さんがラーメン鉢の前に項垂れているサムネイルの動画がアップされていた。添えられたコメントは、『こないだ東京遊びに行った時のやつ。なんだかんだでアップしてなかった。泣かせてゴメンネ』である。
泣いた? 岩泉さんが? まさか。そんなわけないと思いつつ、とん、と、画面の真ん中をタップして動画を再生する。その瞬間、カメラの画角が変わって、岩泉さんと対峙していたのが真っ赤に染まったラーメンのスープであることが判明して、俺は普段天使のように優しい菅原さんの悪癖がここで発揮されてしまったことを悟った。これは泣く。俺も泣いたことある。
『え、岩泉泣いてんの?』
『泣いてねえ……ぐすっ』
『泣いてんじゃん! そんな辛い? それまだ七辛だよ?』
『……お前何食ってんだっけ』
『極み。十辛のさらに上』
『極めるなや』
『ギブアップする?』
『……いやテレフォン使う』
『激辛チャレンジでテレフォンってなに?』
『及川に電話して煽ってもらおうと思って……そしたら食える気がする』
『及川の使い方贅沢すぎんだろ。てか向こうって朝じゃない?』
『五分くらい前にメッセージ来てたからたぶんまだ──あ、もしもし及川?』
『繋がんの早すぎなんだぜ』
『そう、今菅原と激辛ラーメン食ってて……いや泣いてねーし。うるせぇ、全部食うし。泣いてねーし。黙れボケ。おう。いやだから泣いてねーし! こんくらい余裕だわ!』
『及川本当に煽ってくれてるんだ……』
『うっせ、あっ、その話はすんなっつってんだろ! ちげぇよお前の腹立つ声聞いたら残りも食えるかなって思っただけだっつの。もう切る、俺ラーメン食うから! 空っぽの丼の写真送ったるわ! 今日も練習頑張れよクソが!』
『……え、なに? ここまで茶番?』
『──よし、食うわ』
『なんなの、お前ら……これSNSに上げていいやつ……?』
『あ? 別に良いけど誰が見んだよ、俺が激辛のラーメン食ってるとこなんて』
『いや及川でしょ』
──という、三分ほどの動画と、その後本当に完食したらしい岩泉さんが笑顔で空っぽの丼を見せてくれている写真だった。
ちなみに付いているハッシュタグは、『#及川パワーすごすぎ #写メ送ってまた秒で電話かかってきてた #及川今日も練習頑張れよクソが #及岩チャレンジ』である。本当に菅原さんは今日も絶好調らしい。
及川さんからのコメントも当然のようについていて、『涙目で唇真っ赤なくせにドヤ顔の岩ちゃんがあまりにも可愛すぎてこの後しばらく待ち受けにしてた。ありがとう菅原大明神、今日も練習頑張る』とのことだ。我らが菅原さんがついに大明神になってしまった。
「とまあ、こういうことや」
ふう、と侑さんが再びため息を吐き出す。なるほど、俺の誤字を原因として、花巻さんと松川さんと菅原さんを皮切りに何やら新しい試みが始まってしまったことはよくわかった。よくわかった、けれども。
「でもだからって特に問題は無さそうですけど……?」
及川さんと岩泉さんがイチャイチャしている写真や動画にこのタグをつけると、及川さんから惚気コメントが届く。むしろ、及川チャレンジの時のような呪詛じゃない分穏やかで良いと思うんだけどな。岩泉さんだけがこの場合被害者にあたるけど、菅原さんに関しては一応同意貰ってたし、普段の岩泉さんも基本的に写真やら動画は好きに載せろってスタンスだからな……
「問題大有りやわ! 主に! 俺に!」
「侑さんに?」
唯一の被害者はSNSをやっていないからこの騒動におそらくまだ気づいていない岩泉さんかな、と思っていたけど、問題があるのは侑さんらしい。なんでですか? と首を傾げると、「ええか翔陽くん。怖いこと言うで?」と侑さんは声をひそめた。
「俺はな、例の及川チャレンジで、及川さん見てますかのプロとまで呼ばれた男やねん」
「一時期狂ったように上げてましたもんね」
「その結果、今どうなっとるかわかるか」
「照れた岩泉さんにキツめに灸を据えられておとなしくなりました」
「なんかその言い方俺があまりにも愚かな感じするけど、まあそういうことや。もういたずらに及川さんを煽るんはやめたわけよ。せやけど世間はそんなこと知らんやん」
「まあ確かに……? あれ、っていうことはつまり、」
「そう! 及岩チャレンジ、宮侑の参戦が待たれとる……!」
「あー」
わああ、と頭を抱えた侑さんを横目に、SNS内で及岩チャレンジを検索してみる。『侑プロの及岩チャレンジ参戦まだー?』『宮選手及岩チャレンジもソッコー首位に躍り出そう』『宮選手の及岩チャレンジも楽しみ!』と、無邪気なコメントがたくさん上がっていた。
「ファンの期待に応えるのはバレーだけで良いんじゃないですかね」
きょとんとした顔でそう答えたのは、影山だった。圧倒的ド正論に、侑さんも真顔になる。
「いやそうやねん。その通りやね飛雄くん」
「うっす」
「でもここでノらんのって関西人としてどうなんって感じちゃう?」
「俺宮城出身なんでわかんないです」
「その通りやね飛雄くん……」
くう、と目頭を押さえる侑さんに、影山は不思議そうに首を傾げた。よしよし、お前はカレー食ってなさいね。
「あ、でも……」
カレー皿から綺麗に最後のひとくち分のカレーを掬い上げた影山は、やっぱりいつも通りのスンとした顔で呟いた。
「そのタグが注目されてるってことは、話題になってるってことですよね」
「ん? まぁ、そうやね。翔陽くん、一晩でフォロワー数が千単位で増えとるもん」
「え、マジですか」
あんまり自分のフォロワー数を気にしたことがなかったから、知らなかった。確かに、コメント欄にも『初めてコメントします!』って人が結構多かったように思う。
「俺とか、宮さんとか、揃うと客が増えるって黒尾さんが言ってました。イケメン枠ってやつですよね」
「えぇー? 自分で言っちゃう?」
確かに、影山も侑さんも女性ファンがすごく多い。侑さんは学生の頃から治さんとイケメン双子って言われてたし、アイドルのコンサートみたいに名前の書いてあるうちわを持って応援に来ているファンの人もいたくらいだ。悔しいからあんまり言いたくないけど、影山もそんな感じだったし。まぁ、本人のキャラ的に表立ってキャーキャー言われることは少なかったけど。
「〝入口〟はなんでもいいだろ。及川さんと岩泉さんがイチャイチャしてる動画からバレーに興味を持つ人が増える可能性があるんだから」
「えっ、いや、え? 可能性あるかなぁそれ……」
スン、と、至って真面目にそう言った影山は、残りのカレーをぱくんと頬張った。あの二人の動画を見てバレーに興味を持つか……? まあ、選手に親近感を抱いてくれる可能性はあるかもしれないけど。
「うぅ〜ん……飛雄くんの言うことにも一理あるんかもしれんけど、俺そもそも及川と名のつくものにええ思い出がひとつもない」
「あ、それは俺もです」
キリッと言い切った侑さんに、影山もこくりと頷いた。まあ、この二人といえば及川チャレンジで及川さんを釣り上げたツートップである。吐かれた呪詛の数も他の追随を許さないレベルだったもんな。
「あ、でもさ。今回は及川さんと岩泉さんがイチャイチャしてる写真をアップする及岩チャレンジじゃん。及川さんから届くコメントは基本惚気だし、もしかしたら及川さんが影山のこと褒める可能性もワンチャン」
「褒める……? 及川さんが……? 俺を……?」
「そんな宇宙背負った猫みたいな顔すんなよ……想像すらできないの……? お前本当に及川さんと相性悪いのな……」
情報が完結しない、みたいな顔をしている影山は放っておいて、「侑さんだって及川チャレンジの終盤は及川さんと仲良しだったじゃないですか」と侑さんを振り返る。
侑さんが及川さんのことを詳しく知らずに、岩泉さんのツーショットをSNSにアップし、及川さんをナチュラルに煽ってしまったことから始まった及川さんと侑さんの攻防戦は、最初こそ泥沼と化していたものの、侑さんの試行錯誤といろんな努力の結果、丸く収まったのだと思っていた。
「いやまあ、そうやねんけど。あの俺の汗と涙と努力の日々が結局全部茶番やと思ったらもう全部どうでも良くなってきてな……ほら、あの人らって俺らが何を憂いたところでいつでもどこでもラブラブやん?」
「ハイ!」
「っすね」
「ほらもう、後輩たちが曇りなきまなこで肯定してくるもん……」
あの時間はマジでなんやったんや、と侑さんは独りごちる。だから俺、最初から「及川さんは岩泉さんのこと大好き」って何回も言ってたんだけどなあ。
「けどまぁ、なるほど〝入り口〟か。飛雄くんもうまいこと言うわな」
「? あざっす」
にこ、と微笑んだ侑さんに、影山は首を傾げた。
「実際な、及川チャレンジやっとって、俺のフォロワーごっつ増えたんよ。及川チャレンジから来ました〜、言うてさ。でも俺が及川チャレンジせんなってもあんま変わらんかったし、それはつまり俺のファンとして定着したってことやん? で、今回翔陽くんもフォロワー増えたわけやろ」
「みたいですね?」
「及岩チャレンジに参戦することはつまりフォロワーの増加に繋がり、それはそのまま俺のファンの増加に繋がり、俺の人気に悔しがる治の顔も拝め、ひいてはバレーボールファンの増加に繋がる」
おぉ、と、影山が感心したように声を漏らした。途中めちゃくちゃ私利私欲を通過したような気がするけれど、まあ〝入り口〟がどうあれバレーボールが面白いことにたどり着いてもらえたら嬉しいと思う気持ちは俺だって同意見だ。
「こうなったら『及川さん見てますかのプロ』と言わしめた俺の本気を見せたるわ」
きゅぴーん! と、それこそ試合に挑む時のように勇ましい顔をする侑さんに、なんとなく嫌な予感というか、今回も全部茶番になる予感がぷんぷんするが、影山が真っ直ぐ「頑張ってください」と応援していたので、水を差すような野暮な真似はしないことにした。
たった一文字、俺がハッシュタグの文字を間違えただけなのに。なんだか随分と壮大なことになってしまったな、と思いながら、卵かけご飯を食べる。
まあ、ご飯が美味しいからなんでもいいか!