『オカルト』 猫と遊んで満足したところで大通りを歩いていると、赤いパーカーが路地裏に引っ込んでいくのが見えた。
知ってる道だ。猫を探しに行ったけど、やたらと道なりが複雑だった。抜けた先は思いのほかに広い空き地で、これはハズレだな、と思ったとき。ぞわりと寒気がした。血の気が引く。瞬時に踵を反し、急いでいたせいか帰りの道はやたらと単純に思えた。
おそ松兄さんそこ危ないよ。なんて言って信じてくれるかどうか。そこへ行ったのは数年前だ。好奇心もあり、こっそり後をつけることにした。
◇
数年前と変わらない空き地。ひとつ奇妙なことに気付いた。本当に、ほんの少しも変わっていないのだ。ふつう、整備されていない限りこんな状態は保てないだろう。増えていない雑草。名前も知らない花。そして、異様な空気。
空き地には踏み入れず、細心の注意を払いながらおそ松兄さんを観察する。兄さんはがらくたの中から鉄パイプを取り出した。鉄パイプは錆びておらず、使用感はあるものの長年投棄されていたものとは思えなかった。
鉄パイプ片手に、もう片手をまっすぐ伸ばして空き地を隅から歩いている。見えないなにかを探しているように。異様な光景だった。おそ松兄さんがぴたりと立ち止まる。虚空に向かって、思い切り鉄パイプを振り抜いた。音はしない。当然だ。だけどなにかが決壊したように、無音で、人間が転がり落ちてきた。団子になって空き地を転がったのは、六人の人間だった。そう、俺達六つ子と同じ顔をした。
彼らは不思議そうな顔をしながら辺りを見回す。なにやら喋っているようだが聞こえない。無音なのだ。怖い。虚空から現れた……それらは、真っ黒なスーツを身に纏っていた。この現代日本には似つかわしくない。十秒も経たないうちに、それらは戦闘態勢を整えた。銃口をおそ松兄さんに向けている。
今すぐにでも助けに入りたかった。だけど、今起こっていることがさっぱりわからない。ふと脳裏に浮かんだのはドッペルゲンガー、の文字だったけれどそれもなんだか違う気がする。
「えーと。お前らはなに? マフィア的な存在?」
おそ松兄さんの声は向こう側に届いているようだ。カラ松みたいなのとチョロ松みたいなのが叫んでいるのが分かる。俺、一松みたいなのは、怖くて見れなかった。自分と全く同じ外見の異なるものなんて見たくない。
六人で固まって、防御態勢をとるスーツの男たちにおそ松兄さんは躊躇いなく近付いて行く。
カラ松のようなものがなにか叫んだ。おそ松兄さんは足を止めない。
それは、ついに拳銃の引き金を引いた。ひゅ、と息を呑む。銃弾は、虚空に消えた。そこに居る全員が、唖然として動きを止める。
「だいじょぶよー、向こうのはこっち側の世界に干渉出来ないから」
こちらを向いて笑う。まあ、そのうち気付かれるとは思っていたけれど。
「安心して見てな、一松。……ま、見て楽しいもんかは分かんねーけど」
◇
スーツ姿のおそ松らしきものを、いつものパーカーを着たおそ松が正面から鉄パイプで殴った。飛び散ったはずの血はこちら側に来る前に霧散する。そのまま一回転しつつ腰を捻って横なぎに獲物を振れば、真横で控えていたカラ松とチョロ松みたいなやつにクリーンヒットする。一撃必殺。殺しているのか、死んでいるのか分からない。だけど、それらはぴくりとも動かない。
銃弾が効かないと判断した弟達が一斉に飛び掛かってくる。自分と同じ顔をしたそれも目に入る。必死だな、と冷静に思った。懐に飛び込んでくる十四松のようなそれには、鉄パイプの先端が首筋にヒットして倒れた。
相手はどんどん血まみれになっていくのに、おそ松兄さんも鉄パイプも綺麗なままだ。
どうにか現状を打開しようと、トド松みたいなのが俺みたいなのを引っ張って耳打ちする。俺みたいなのは神妙な顔をして頷いていた。歩み寄ったおそ松兄さんを、トド松のようなものが睨め付けた。手元の機械を操作するその腕に鉄パイプを振り下ろす。
「ごめんね〜、あんま痛くないようにしたげたいんだけどお前何するか一番分かんねえからさあ」
そして、体を丸めて蹲った体をごろりと転がし、心臓のあたりを狙って鉄パイプを振り下ろした。
「一松、あと一松だけだよー。見にくる? せっかくだから一松を最後まで残しておいたんだあ」
趣味が悪すぎる。だけど、ここまで来たら覗き見るのも直に見るのも同じだ。空き地に踏み入り、おそ松兄さんに近付く。スーツ姿の俺みたいなやつは特別表情を変えることはしなかった。俺みたいだ。
「最後の一人、いくよー」
なんとなく少し距離をとる。おそ松兄さんが鉄パイプを振り上げ、自分と同じ姿形をしたものが無抵抗に殴られ膝をつく姿を目に焼き付けた。
◇
「で、なんなのこれ」
「定期的に発生すんの。異世界だか並行世界だかよく知らねーけど俺達じゃない『俺達』。気味悪いじゃん? 最初びっくりして殴ったらアッサリ昏倒して。色々試してるうちにだーんだん分かってきて、今ではこんなもんよ」
数年前、俺が感じた寒気は、ここがこの世界でないどこかと繋がっていることを本能的に感じ取ったからか。
「さー、帰ろ帰ろ。疲れたあ」
兄さんに手を引かれる。
そういえば。おそ松兄さんは、どうしてあの場所を知ったのだろうか? あの様子を見ると、勝手に出てくるということは無いのだろうから放っておけばいいのに。……まあ、気味が悪いというのは、頷けるけど。深掘りするのはよしておこう。好奇心は、猫をも殺す。