crush*2-10 緑と花々が美しい節の明るい空気の裏側には、不安と緊張感が潜んでいる。
それを肌で感じ取りながら士官学校中を巡っていたベレスは、よもやここには居るまいと思っていたその場所で目当ての人影をようやく見つけることができてほっとしていた。
「おや、先生じゃないですか。ここに殿下はいませんけれど……あ、もしかして俺に会いに来てくださったんです?」
「そうだよ、君を探していたんだ。誕生日おめでとう、シルヴァン」
長身で赤髪の生徒は目の前に差し出された花束に驚いたように見開いた目を数度瞬かせたあと、すぐにへらりと笑顔を浮かべて小さな花束を受け取り、すん、とその香りを聴いて目を細めた。
「ありがとうございます。いやあ、まさか先生から贈り物を頂けるだなんて思ってもいませんでした。光栄です」
バチン、と音が聞こえてきそうなほどに鮮やかに片目を瞑ってみせる様子はさすがに様になっている。なるほどこれが色男というものか、ディミトリも頭を悩ますはずだと感心しながら、ベレスは頷いた。
「君にとってよい一年となりますように」
「はは、なんだか新年を迎えたときの挨拶みたいですねえ。まあ、新しい年ってことに変わりはないか」
「なにかおかしかっただろうか?」
「いいえ、間違ってませんよ。すいません、予想外に嬉しかったものですから」
くっくっと笑いをかみ殺しながら花の匂いを嗅いでいたシルヴァンは、不思議そうに首をかしげるベレスをちらりと見やり、花束の影でにやりと口の端を吊りあげた。
「ちなみに先生、贈り物はこれだけですか?」
「そうだよ?」
「ああ、そうなんですね。いやあすみません、大抵は主な贈り物に花束を添えますから、ほかにもあるんだと思ってしまいました」
きょとんとして目を瞬きを繰返したベレスは、やがて自分が失態を犯したことを察した。誕生日に花束を贈るなど平民の間ではそれでもいいかもしれないが、シルヴァンは貴族だ。それも王国内でも有力貴族なのだから、そんな素朴な贈り物ですまされることなどあり得ないのだろう。
せめてディミトリにあらかじめ訊いておくなどしておけばよかったのに、この贈り物になんの疑いもしなかったベレスは己の無知を恥じながら、なんとか言葉を紡いだ。
「……すまない、君の気に入りそうなものを用意できればよかったのだけれど、手持ちが少なくて」
「いえいえ、この花束だって充分嬉しく思っていますから、そんなに気にしないでくださいよ先生。そうだ、代わりと言っては何ですがひとつ思いついたんですけれど、聞いてくださいます?」
「それはなに?」
ぱっとベレスが顔を上げる。失態を挽回できるならばと興味津々のようで、あまりに思い通りの流れになったその様子に花束で口元を隠しながらシルヴァンが腰を折り、ベレスの耳元に顔を近づけて囁いた。
「授業、来てくれません?」
なんの授業を指しているのかすぐには思い至らなかったベレスだったが、そっと耳殻を指で撫でられて理解した。ぴくりと肩を震わせたベレスの様子に意は通じたと理解し、シルヴァンは続けて囁く。
「正直なところ、いつもと同じ面子で飽きてます。報告書を読んだだろうからご存じだとは思いますが、女性が一人だから先日のように月の障りが来ると俺たちはなんにもできずに欲を弄ぶしかないんですよ。先生が加われば、あいつの負担も減りますし、ね?」
言葉の合間合間に湿った熱い息を耳に吹きかけられ、とうとう耐え切れなくなったベレスはシルヴァンの胸を手で押しやって後ろに飛び退った。
「おおっと……まあ、考えてもらえると嬉しいです、先生。それじゃあまた、次の授業で」
そう言うと、シルヴァンは踵を返して花束を握りながらどこかへと立ち去っていった。あとにはじわりと頬に朱を差して項垂れ立ち尽くすベレスが取り残されていた。
令和5年1月8日