じんさんとねこ「動けぬでは無いか」
視線を落とせば、膝の上で眠る仔猫。
そっと毛並みに沿って背中を撫でてやれば、すべすべでふわふわの感触が剣だこだらけの手に伝わる。
ああ、あたたかい。
ふっくらとした体が、緩く上下している。
そっとなで続けると、何だか自分も眠たくなって来る気がしてくる。
そもそも、何故仔猫が膝の上にいるのか。
先程の出来事を思い出す。
猛る気持ちを鎮める為に尺八を吹くのは常ではあったが、ここ壱岐では時折動物が寄ってくる事もある。
その都度、触れ合う事で心穏やかになっていたりはしたが、先程現れた仔猫は触れ合った後も帰ることなく、俺の後を何故か着いてくるのだった。
よちよちとおぼつかない足取りで一生懸命俺の後ろを歩く姿は、何とも愛らしいものではある。
しかし、このままでは次の目的に行くこともままならない。
このまま賊にでも出くわせば、あのような小さな体は踏み潰されてしまうかもしれない。
一緒に行動するのは危険だ。
俺は適当な石に腰を下ろし、仔猫の方を向いた。
仔猫は俺の足元にちょこんと座り、こちらを見上げている。
「おぬし、母親はどうしたのだ」
みゃあ。
「俺といると危ないぞ、帰れ」
みゃあ。
「みゃあではない」
みゃあ。
これは弱った。
元々話が通じるとは思ってはいなかったが、仔猫は帰る気は無いらしい。
もしや母猫とはぐれたのか。
無精髭だらけの顎をさすり、どうしたものかと思案していると、突然子猫が俺の膝上に飛び乗って来た。
袴越しに伝わる小さな体重。
落としてはならぬと、太ももを動かさないように一瞬力が入る。
そんな俺の緊張など露知らず、仔猫は一度欠伸をすると体を丸め、目を閉じた。
「まさか、おぬし……ここで昼寝をするつもりか」
……みゃあ。
何故か今ようやく会話が成立した気がした。
それより後は、俺が何を言おうとも仔猫からの返事はなく、すぴすぴと小さく寝息が聞こえるだけだった。
そうなってしまってはもう、仔猫を起こすには忍びなく。
俺は静かに体勢を維持し続けることしか出来なくなってしまった。
ゆっくり毛並みに沿って背中を撫でてやれば、すべすべでふわふわの感触が剣だこだらけの手に伝わる。
ああ、あたたかい。
ふっくらとした体が、緩く上下している。
なで続けると、何だか自分も眠たくなるような。
このまま眠ってしまえれば、どんなに気持ち良いだろうか。
仔猫を撫でていると、時間の感覚がどんどん鈍っていく気がする。
撫でながらふと視線を起こせば、遠くに猫がもう1匹こちらを伺うようにして見ている事に気づいた。
膝の上にいる仔猫より、明らかに大きい。
「もしや、この仔猫の母親か」
思わず声に出すと、猫はゆっくりと、しかし真っ直ぐこちらへ歩いてくる。
鋭い瞳は、正しく野生のそれであった。
体勢を低くしながら、猫は先の仔猫と同じように俺の足元に座った。
「こやつはおぬしの子供であろう? すまぬが、連れ帰ってはくれぬか」
苦笑いしながら、猫に声をかける。
眠る子供を起こすのは、動物であろうと人間であろうと気が引けるものだ。
俺の言葉に猫は低くにゃあと鳴くと、勢いよく膝に飛び乗ってきた。
先程よりも重い感触。
母猫は、子猫の首筋を噛んで持ち上げる。
ああこれでようやく動けるようになると安堵していると。
「なぜ」
大きい猫は、小さい猫を包み込むようにして、体を丸めて寝そべる。
母猫は仔猫の位置を調節しただけで、自分も同じように俺の膝の上で眠り始めたのだった。
膝上の猫が二匹になった。
これではますます動けないではないか。
とりあえず、母猫の背も撫でてみる。
仔猫と違い毛に硬さはあるものの、これもまた滑らかで良い手触りだった。
俺は手の甲で口元を隠しながら、小さく欠伸をする。
「これは……父親が来るまで待たねばならんか」
困った母子ではあるが、膝に感じる重みと柔らかさが心地よい。
父猫よ、早く現れてくれ。
俺が一緒に眠ってしまう前に。
結局、父猫が現れたのは、日が傾き俺が船を漕ぎ始める直前。
父猫も同じように俺の足元にやって来て、俺の膝に乗ろうと前足をむずむずと動かしたが、『さすがに勘弁して欲しい』と俺は疲れた笑いを浮かべながら、未だに眠る母子を父猫の横に下ろしたのだった。
おしまい。