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    ※軽いカニバリズム、遊星とクローンのジャック

    ##遊ジャ

    月国追放・二月はジャックの国




       月国追放


       Ⅰ. 二月はジャックの国

     十七歳のジャックは雪の中に蹲っている。人形のように膝を抱えて目を閉じる姿はとてもすき通っていて悲しい。
     ひとときもとどまることのない冬の朝日に照らされ、その肉体は寄せては返すさざ波のように、灰色になったり、虹色になったりした。ジャックの存在はそのたびに希薄になっていった。せっかく、骨を砕き、皮膚をむしり、手のひらにピンを刺して留めおいたのに。たった一人、遊星のものにしたのに。遊星はジャックの心と同じように、ジャックの美しさをも愛していたが、その秩序を外れた美しさは、かえって遊星を苦しめた。人間が生まれ、繁栄するよりも遥かに昔、北の氷海で人知れず芽生えた神や妖精たちの、そのまた幻想の上に、今のジャックの美しさは立脚している。
     早朝、喉の渇きに堪らなくなり、起き出してきた遊星は狭い庭にジャックの死体を見出した。はじめの頃は心臓が止まるほど驚いたものだ。今は眉の一つも凍土のように動かない。ジャックが寝室を抜け出し、遊星の目を盗んで死のうとするのは、もはや二人の生活を恙無く進行するための儀式であると言ってもいい。
     粛々と凍死を待つジャック……。十七歳の。畢竟、闇の底で眠る彼を引き摺り出し、大切なものを全て奪ったのは遊星なのだ。遊星は泣きたい気持ちが泥水となって渦を巻くのを喉元で止め、セーターを羽織り、寒くよそよそしい冬の庭へと出て行った。温かいホットチョコレートでも用意し、温まるまで愛を囁いてやれば、美しいジャックはきっと遊星に笑いかけてくれるだろう。

     ジャック・アトラスが事故に遭い、意識不明の重体になったというニュースは、夜を待たずに世界中を駆け巡った。誰もが悲嘆に暮れ、怒号をあげ、かけがえのないヒーローの無事を祈った。
     だが遊星は仕事に夢中になるあまり、仲間たちからの連絡も、囂しい報道の数々も知らなかった。結局、彼が事態を知り、焦って家を飛び出す頃には、ジャックは来ない遊星を恋しがる寝言を一つ残して、永遠にこの世を去っていたのだった。
     若い頃、作業に夢中になる遊星にジャックがへそを曲げたことがあったが、それとはわけが違う。遊星がうずくまって許しを乞おうが、ジャックは帰ってこない。来冬、三十歳になろうとしていたジャックの含気骨のようなからだは、文字通り抜け殻だった。遊星は絶望し、狂気し、火葬が行われる前に、ジャックの冷たくなった肉を食べた。
     ところで、ジャックは以前シティのキングとして張りぼての王座でふんぞりかえっていたことがあるが、その時に採取された精子が治安維持局に保管してあり、さらに悪いことにそれはまだ生きていた。遊星は自らが持つありとあらゆる権限を用いてその場所を突き止め、盗み出し、持ち帰って解析した。ジャックの、奇跡のような存在を構成した塩基対と、それらが整然と並び、組み上がった螺旋。無限と永遠を包括したゲノム。それらが全て遊星の手のひらに降りてきて、彼はジャックの存在を前に神のようになり、結果、愛したジャックを再現することに成功した。

     森の中にひっそりと佇む、忘れられた家。遊星とジャックの愛の巣だ。
     ジャックは毛布に包まれたまま遊星に肩を抱かれ、ソファの上でホットチョコレートを飲んでいる。雪の中から抱き上げると、ジャックは涙を流しながらひどく喚いたが、遊星が頬にキスをしてやるとおとなしくなった。
    「遊星……」
    「ジャック、大丈夫。俺はここにいる。大丈夫だ」
     十七歳のジャックはとても不安定だ。キングになったばかりの頃、仲間を置き去りにした罪悪感と、全てを捨ててきたことに対する不安に打ち拉がれていたかつてのジャックの性根が、クローンである彼の中にも残されている。
     もっとも、今のジャックはキングではないし、デュエルもしないから、彼がこの負の感情から解き放たれることはきっとない。遊星にとってもその方が都合がいい。何かに頼りたくて仕方がないジャックは、遊星だけを見てくれるから。
    「遊星、頭が痛い。俺は……どうしたらいい?」
     ジャックの痩せたからだは震えている。その指をしっかり握り、遊星はマニュアル通りのセリフを繰り返した。
    「大丈夫だ。ジャックには、俺が嘘をついているように見えるか?」
    「いいや……遊星はいつでも正直だ。遊星は俺を愛してくれる。遊星が好き。俺は……」
    「難しく考えるな。何もかも大丈夫だ。ジャックには俺がいるだろう」
    「ゆうせえ」
     弱々しく微笑むジャックに、遊星も微笑み返した。
     ジャックは死にたがっている。ジャックにかつての記憶はないし、遊星によって徹底的に情報から遮断されているが、無意識に、自分がこの世界にとっての異物だということを感じ取っている。消えたいと泣きながらも、遊星からの慈しみに飢えるジャックを、遊星は限りなく愛しく思っていた。

     ある朝、表のベルが鳴る音で遊星は飛び起きた。
     背中には冷や汗が流れ、起き抜けの頭は混乱で破裂しそうになる。隣に眠るジャックの表情が安らかであることだけが救いだった。
     この家の住所は誰にも教えていない。こんな山奥にまで訪ねてくる物好きも、今まで誰もいなかった。遊星の脳裏に、招かれざる異邦人の口を閉ざす方法がいくつも浮かぶ。ベルがもう一度鳴り、遊星は過呼吸になりながらベッドを抜け出す。異物を認知することで、ジャックに悪い影響があってはいけない。
     表に立っていたのは、気の良さそうな若い青年だった。鶴嘴や組立式テントを詰めたリュックを背負い、腰には登山用のロープが杜撰に絡まっている。彼は遊星に、山で迷ってしまったことと、下山したいので、道順を教えて欲しいのだということを話した。
    「すまないが、俺は知らない。他を当たってくれ」
     遊星はそう言って扉を閉じようとするが、青年は引かない。若者特有の遠慮のない振る舞いで案内を要求する。軽い口論になりかけたところで、寝室の戸が開く音がして、ジャックが階段を降りてきた。
    「遊星……?」
     寝ぼけた声で遊星を探すジャックに、若者は、あっ、と声を上げた。
    「ジャック・アトラス?」
     それからの遊星の判断は早かった。若者の背から手早く鶴嘴を取り上げ、頭蓋を横から殴打する。白目を剥いて倒れた若者のからだに馬乗りになり、全身の痙攣が治るまで何度も殴りつけた。鋭利な金属は若者の皮膚を破り、肉に深く突き刺さって鮮血が噴き出したが、遊星の殺意は揺るぎなく真っ直ぐに突き進み、若者の肉を徹底的に蹂躙した。それこそ、跡形も無くなるまで。
     ジャックは何も分かっていないようだった。遊星が遺体を持ち上げ、庭の木の下に埋めても、ジャックは遊星を咎めたり、怒り出したりしなかった。でも……ジャック・アトラスという名前が、ジャックの柔らかい新雪のような心に深い傷を残したようだった。
    「ジャック・アトラスは、誰だ? 俺は……ジャック・アトラスなのか?」
     遊星は平静を繕い、いいや、と返事をした。ジャックはジャックだ。俺の、かけがえのないジャックだ。
    「遊星はうそつきだ」
     それが第一の兆候だった。

    「思い出せない」
     ジャックは、そう、はっきり言った。
     彼は床にからだを預け、苦しそうに呼吸しながら座り込んでいた。どうしたんだ、と聞くと、泣きそうな顔で遊星を見上げてくる。
    「俺は……デュエルモンスターズというゲームで、キングになった、ジャック・アトラスだ。でもわからない、思い出せない……」
    「どうして」
    「遊星の……部屋に、雑誌があった。あれは俺だろう。どうして……教えてくれなかったのだ、俺はジャック・アトラスなのに……」
     頭がひどく痛む、そう言ってジャックは頭を抱える。
    「大丈夫だ」
     痛くたって全て忘れる。だってこれは夢なのだから。
     遊星はジャックを嗜めながら、戸棚から薬瓶を取り出し、錠剤を出してジャックに飲ませた。ジャックはすぐにまどろみ、全身から力を抜いた。軽くて頼りないからだをベッドに運び、おやすみのキスをすると、ジャックは悲しそうに目を眇めた。
    「すまない、まだ痛むか」
    「違う……寂しいのだ」
     泣いていた。

     ジャックの指から皿が滑り落ちて、椅子に当たって砕け散った。硝子の破片があたりに散らばり、ジャックの青白い足にいくつも突き刺さる。
    「ジャック!」
     駆け寄ると、ジャックはからだ中をがたがた言わせながら遊星にすり寄ってきた。冬すみれの可憐な瞳が不安がっている。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ジャックはうわごとのようにごめんなさいを繰り返す。
     慌てて破片を抜き、消毒を施しながら、遊星はジャックの震える肩を腕でそっと包んだ。
    「ごめんなさい……遊星、嫌いにならないで」
    「何を言ってるんだ」
    「大事なものだったんだろう」
     花柄の皿は、確かに以前アキから譲り受けたものだったが、そんなことはどうでもよかった。ジャックの美しい足から伝ってゆく赤い血潮の方が、よっぽど遊星を動揺させる。
    「ジャック、ジャック、大丈夫だ、気にすることなんかない」
    「遊星、遊星に嫌われたら、俺は、俺はもう」
    「嫌いになんてなるわけがないだろう。俺には、ジャックだけだ」
    「俺は……ジャック・アトラスにはなれない……」
    「ジャック」
    「分かっているのだ」
     満月の薄明かりに照らされ、ジャックはサンカヨウの花弁のように薄く透明な存在になった。白金の髪や、静かに呼吸を繰り返す細胞の一つ一つが瑞々しく輝いている。遊星は恐ろしくなって、ジャックのからだをより強く抱きしめた。ジャックは何も言わなかった。
    「あした、新しい皿を取り寄せよう。ジャックの好きなものを選ぼう」
     そう約束すると、ジャックの震えはようやく止まった。

     それからのジャックは、毎日のように頭痛に悩まされていた。今までのように、死のうとする元気もないようだった。ジャックは自分のルーツを求めて苦しみ喘ぎ、遊星はそんなジャックに薬を飲ませて自らの罪をごまかす。ジャックがどんなに求めても、彼はジャック・アトラスではないのだ。彼は十七歳のジャックだから。
     吹雪の夜、ジャックと初めてからだを繋げた。淫らで感じやすいジャックは、ただ抱きしめてやるだけで、誰も受け入れたことのない穴をすぐに濡らした。男の穴でも濡れるのだということを、遊星は初めて知った——かつてのジャックは遊星に弱みを見せるのを嫌がったから。慣らしてやるのが楽しくて、隅々まで指で愛してやると、ジャックはすぐに腹を捩って遊星のものをねだった。
     皮膚ですら邪魔だ。蜂蜜みたいにとろけて一つになりたい。
     涎を垂らす尻にようやっと入れ果せると、ジャックはまた泣いた。あまりにもぼろぼろと涙をこぼすので、痛くしてすまない、と謝ると、ジャックは骨ばった手のひらで遊星の頬を撫でてくれた。遊星の名前だけを呼んでくれた。
     遊星は、とても幸せだった。ここは世界の果てだ。夜明けなんて来なくていい。朝なんていらない。二度と、二度と……。
     そしてまた遊星は朝の光に打ちのめされるのだった。窓の外を見ると、ジャックがまた死体になっていた。今度は本当に死んでしまったのではないかと、遊星は不安になった。
     裸足のまま庭に飛び出て、ジャックのからだを抱く。ジャックの美しいからだ。遊星を追い詰める、ジャックの……美しい魂。
    「遊星?」
     震える瞼を持ち上げ、ジャックが微笑む。
    「勝手にいなくなるな。どこにも行かないでくれ」
    「すまない、遊星。朝食までには戻るつもりだったのだ……」
     甘い一〇香のような虚な微笑み。
    「……気にするな。見つかってよかった。頭は痛むか」
    「いいや。頭が痛いのはもうなくなった。俺は……何かを思い出したかったのだ。でも、遊星がそばにいてくれるのなら、俺はもう何もいらない。何も思い出せないから頭も痛くならない」
    「……」
    「何か大切なものが俺にはあった気がする。だが、それを思い出してしまったら、俺はきっとここにはいられない。俺は、遊星と一緒にいられて幸せだ。遊星と一緒にいたい」

    「遊星……泣いているのか? どうして?」
    「全て俺のせいだ。俺が悪いんだ」
    「そんなことを言うな。お前は何もしていない。遊星、俺は幸せだ」
     嘘だ。遊星は、ジャックに無理やり幸せだと言わせている。ジャックはこんなところで立ち止まっていられる人間ではないのだ。決闘や、ライディング・デュエルがなければ生きていけないのだ。それなのに、遊星はジャックを二人だけの世界に連れ去って、神や悪魔からも遥か遠く、遊星だけの冬の国に閉じ込めている。
    「俺は腹が減った。遊星、朝食にするぞ。それで、食べ終わったら、そうしたら雪で遊ぼう」
     ジャックはそう言って、遊星にキスをしてくれた。柔らかい舌で乾燥した唇を舐め、温めてくれた。それなのに、感情が止めどなく溢れてくる。
     ジャックと出会った最初の日に戻りたい。マーサハウスで出会って、普通に恋をして、愛して、ずっと離さないでいたい。
     ただ好きなだけだった。好きで……諦めきれなかっただけだった。心もからだも引き裂かれそうなほど愛して、後悔して、一秒でも離れているなんて耐えられなくて今度こそ大切に大切に独り占めしたかった。
     ジャックは遊星にぎゅうっと抱きついて、春が来るぞ、遊星、とささやいた。
    「早く春が来ればいい。そうすれば、泣かなくて済む」
    「ああ」
    「冬は寒いから、ずっと一緒にいよう」
     笑って頷く遊星は嘘つきだ。とんでもない卑怯者だ。

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    DOODLE断念したものを、女体化で恐縮なのですがせっかくなので掲載します。PKSP金銀です 死ネタ・キャラの実子の存在 ご注意ください
     すぐ戻ってくるからと、言いながら頬にふれたいいかげんで優しい唇のこと、きっと死ぬまで忘れない。
     彼は戻ってこなかった。冷ややかな永遠の存在を教えて、それだけ残して、シルバーから静かに立ち去った。言い訳はいくらでもつく、足下がぬかるんでいたのだろう、頭の打ちどころが悪かったのだろう、その人は不具だったのだから仕方なかろう、シルバーだってそのときその場にいれば同じようにした。だが、蕭条と霧雨に濡れた皮膚、不健康に血管の色を透かして青白く、今にも内側から破けそうな、またすでにいくらか硬直もはじまってさえいるその身体を前にして、彼女はすんでのところで自らの錯乱を抑えた。女の啜り泣き、警察があたふたと場を検証する足踏み、雨が街を洗う音、全てが遠かった。揺らぐことなく闊達で、晩年は老成したおだやかな目で妻をよく守った、この男。こんなところで、あえなく、失うことになろうとは。へたり込んだ姿勢から上半身だけを彼に傾け、血色の引いた唇に最後のキスを返したとき、ふと、彼の固く結ばれた右手に何かを予感した。開くと、硬い外皮に包まれた植物の小さな種がいくつか、傷ひとつなく守られていた。
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