貴方は美しいが冷淡だ「あ、桜咲いてる」
「春だからなぁ」
「…………」
「なぜ睨む」
「小次郎ちょっとそこ立ってよ」
じとーと睨んでそう指示を出すと、彼は仕方あるまいと言われた通りに桜の木の前に立つ。それを確認してからわたしは少しだけ離れて、両手の人差し指と親指で四角を作り桜の木と彼だけを切り取るように目の前へ掲げ四角の中をじっと見つめる。
…桜の淡いピンク色の風と彼のイメージカラーとも言える群青色が合わさってとてもきれいで、やっぱり絵になるなぁと思わずため息が出てしまう。
「…」
「……いつまで居れば良い」
「カメラ持ってくれば良かったな…。小次郎ってやっぱり、桜似合うね。すごく絵になる」
「そうか」
「うん。綺麗だ」
瞳を細めて笑いかければ彼は「そういう言葉はおなごにかけてやれ」と話してこちらへ歩み寄る。
サラサラとわずかに吹いていた風はぶわりと吹き荒れて、桜の花びらが舞い散った。髪の毛が風に舞うので手で押さえるが、前がよく見えない。反射的に瞼を閉じていると風が少しだけ弱くなった気がしてちらりと瞼を開くと、目の端に長い髪が見えて目の前を見た。
「………風よけ?」
「あまりにも弄ばれていたのでな」
「…小次郎の方が髪の毛長くて大変そうなのに」
強く吹く風は束になった桜の花を容赦なく散らして、空へ地面へヒラヒラ踊るように舞い上がる。折角の満開なのに勿体ないなぁと舞う花びらを見つめて小次郎を見ると、風に揺れる髪の毛がカーテンみたいになっていてすごく贅沢なカーテンだなぁと思いながら、その髪に引っ付いた花びらを一枚手に取る。瑞々しいそれは指で少しこすれば艶があり、いつまでも触っていたくなる触り心地だ。しばらくそうやって触り続け、わたしは透明感のある花びらをわずかに宙にかかげながら見つめ、ポツリと呟いた。
「せっかく咲いてるのに勿体ないね」
「花も人も、いつか散るもの。命あるものはいずれ終わる。仕方あるまい」
「うん…」
そう言って、指先で摘まんだ花びらを離し風に舞って飛んでいくのを見送った。
強く吹いていた風はふわふわと次第に弱まっていき、舞い散る花びらも皆ヒラヒラと地面へ落ちていった。さっきのあの花も地面に落ちてしまっただろうか。少し、可哀想なことをした気になって彼を見上げた。
「風やんだね」
「そうさな」
「…背中にいっぱい桜付いてそう」
「振り払えば良かろう」
当たり前のように話して小次郎は肩に付いた花びらを手ではらって地面へ落とす。ヒラヒラ落ちる花を目で追い地面に落ちるのを見届け、落ちている花びらに想いを馳せる。
これは命だ。木から散り花から散って、花びらになっていたとしても、これは一つの命なのだ。花は多分、枯れるまで生きている。この落ちている瑞々しい花びら達は、おそらくまだ生きているのだ。そう思うと、なんとも言えない気持ちになってしまう。
わたしには大した力はない。だからこんな風に小さな命がたくさん落ちていても、すべてを救えるほど強くはない。見逃すしかない命も山ほどある。
そして彼は決して優しくはない。だからきっと、すがり付く消えかけの命があっても、気にせずに振り払うのだろう。今の花びらみたいに。
「……でも、振り払うのは、なんか勿体な…」
そう言いながら小次郎の髪の毛へ付いた桜の花びらを取ろうと手を伸ばそうとしたら、先に伸ばされた手によって言葉を遮られふわりと髪の毛へ触れたその指先には、小さな花びらが摘ままれていた。
彼はその花びらを少し見たのち、地面へ落としてボサボサになったわたしの髪を手慣れたように整える。
「大分乱れているな」
「…小次郎みたいにサラサラストレートじゃないですし」
「右往左往に跳ねるこの髪は見ている分には愛いが…」
「朝毎日セット大変なんだぞー」
唇を尖らせてブーブーそう言えば、彼は小さく笑ってなおも指先で髪を撫でて整えてくれる。それにしてもあれだけ風に吹かれて全く乱れていないなんて、うらやましい髪の毛だ。
そのまま髪を撫でられているのもなんかこそばゆくて、手持ちぶさたになっていた手を伸ばし小次郎の髪の毛へ触れる。サラリと指通りの良いそれは高級なものにでも触れているみたいで、どうやったらこうなるんだろうかと首をかしげた。そうやって髪に触れていると、ふと手へポツリと水が当たったような気がして空を見上げる。さっきまで広がっていた青空は何処かに消えてしまっていて、灰色に染まる空を見つめながら一雨降りそうだなと瞳を細めた。
「雨降りそう」
「雲行きが良くないな」
「…また花散っちゃうのかぁ…」
「桜が散ればまた違う花が咲く。その場その時に合った花があるのだ。…単に桜の番ではなくなるだけであろう」
「……そうだね」
名残惜しく桜の木を見つめながら、促されてその場を離れる。ポツポツと降っていた雨はいつの間にか土砂降りに変わっていて、仕方なく適当な雨避け出来そうな木陰へ入る。バラバラと雨粒は頭上で音をたてながらいっそう激しく降りだして、さっきまで見ていた桜の木を見つめた。
じっと桜の木を見つめ続けているとなぜだか異様な寒さを感じ、腕をさすりながら身震いをして雨がしのげるだけまだマシかなと思いつつも、どうにも濡れた体は更に冷えていきそうで思わずくしゃみが出てしまった。
「…っくしゅ!」
「冷えるか」
「ん~…。少し。でも大丈夫でしょ」
「…」
「たぶん」
なんだかだんだん寒くなってきた気がして目をそらしながら自信なくそう呟けば、疑いの目でこちらを見るぐさぐさと刺さるような小次郎の視線に耐えきれず、つい本音が出てしまった。
「…さむい」と呟いて体をさすれば、大きなため息と共にふわりと回された腕が体を引き寄せて冷えた体が包み込まれた。濡れた衣服が冷たいけれど、こちらもピッタリと体をくっつければ徐々に体温が伝わってきた気がして、ほう、と小さく息をつく。チラリと小次郎を見上げれば、元々白い彼の肌が益々白くなったような気がして、このまま消えてしまうのではないかと不安になってしまう。
「…雨止むかな」
「さあ。止まぬようなら隙を見て抜けるしかあるまい」
「ベースまで遠いなぁ…」
「抱えて行けば早かろう」
そう言いながら彼はわたしの体をさすりどこか遠くを見つめる。小次郎の長い髪から水滴がポツリと落ちて雨音を聞きながら、しばらくそうしているとさすられた背中からじんわりと熱が伝わり、少しだけ体が暖かくなる。しかし芯はやはり冷えているのかまだどこか寒い気がして、わたしはしっかりと体をくっつけて小次郎の体の輪郭と体温を確かめて、先程の桜の木を見つめた。暗がりと雨の視界の悪さでぼんやりと浮かぶ桜の木はさっきまでの美しさと変わって、どこか妖気な雰囲気を放つ。
桜の木の下には死体が埋まっている。なんとなくそんなフレーズを思い出すと背筋になにか冷たいものが走った気がして、身じろぎしながらわたしは体をすり寄せる。そうすれば彼はぎゅっと体を抱き締めてくれたような気がして、安堵から小さく息を吐いた。
「…そういえば、雨って言えば紫陽花だね」
「紫陽花?」
「雨の季節は紫陽花じゃない?」
「ああ、そう言う事か」
「……桜も似合ってたけど、小次郎は紫陽花のイメージだな…」
ポツリとそう言って彼を見て雨でへばりついた長い前髪を避けてあげれば、小次郎は少しだけ驚いたように瞳を見開いてわたしを見た。
…花言葉もあっている気がするし、とはさすがに言えなかったけれど、色合い的にも似合っている気がする。と呟いた。
「………なんか言ってよ。黙るとちょっと、怖いんだけど」
「…桜の木の下に項垂れる人が…」
「聞こえない!聞こえない!なにも聞こえない!そういう冗談は無しだ!」
「…意外と怪談に弱いのだな」
わたしが耳を塞いでそう叫べば、小次郎は小さく笑いながらそう話して一息おいてから「紫陽花か」と小さく呟いた。
あくまでわたしのイメージだからね、と付け足してもう一度体をくっつければ、彼は斜め上を仰ぎ見て考え込むとわたしを見つめてボソッと囁いた。
「立葵」
「なにそれ」
「らしいと思ったのだが」
「…花言葉が?それとも花が?」
「あとで調べればよかろう」
そう言って一人で自信たっぷりに微笑む彼があまり見ない感じだったために、なんだかおかしくてつい笑いが込み上げてきてしまった。失礼だよな、と思いつつも涙と同じく一度出たものはなかなか引っ込まなくて肩を震わせながら下を見ていると、不機嫌そうな声が聞こえて急いで顔を上げた。
「ちが、違うんだ。なんか、うん。あんまり見たことない小次郎だったから、ごめん」
「…新しい一面を見せてしまったか…」
「新しい一面見ちゃったなー…」
「しかし、雨がやみそうにないな」
「うん。まだ降りそう。…でも、なんかさ、たまにはこういうのも良いよね」
「…良い…か。マスターは雨が好きか」
「どうだろう…。あ、でも髪の毛整えるのが大変だから、あんまり好きじゃないかも」
「ほう。ではなぜ良いと思った?」
「そりゃ………一緒にいる人が心地良いからじゃないかな」
少しだけ自慢げにそう話し、小次郎がどういう反応をするか待ってみるが待てども待てども反応がなにもない。ただ雨が降る音しか聞こえてこないことを不思議に思い、眉を潜めて彼の方を見た。小次郎は瞼を閉じたままなにも聞いていなかったかのように振る舞って、さっきの下りを無かったかのようにこちらに話しかける。その対応を少しだけ不満に思ったわたしはさっきの彼と同じように瞼を閉じ、聞いていません、と抗議の意味を込めて無視を決め込む。
しかしさっきも思った通り彼はそんなに優しくないため、わたしがこんな態度をとっても特に気に留めずにただ話したくないだけか、とふいと顔をそらしてしまう。
おかげで心地良いはずの沈黙がただの居心地の悪い沈黙になってしまって、わたしは深く深くため息を吐いた。
「さっきわたしが言ったこと聞いてた?」
「雨が好きではないだったか」
「その後だよ」
「…さあ」
「…聞きたくないなら聞かなくても良いよ。でも一回聞いたなら、せめて無かったことにはしないでほしいんだけど」
「…」
「…っくしゅ!」
そこまで話すと、再び身震いがしてきてついくしゃみが出てしまい身震いをすれば、抱き締める彼の手が背中を撫でて頭上から小さなため息が聞こえる。なんだかあんなことぐらいで不機嫌になったのが申し訳ない気がして、少しだけうつむきながら頬を膨らませれば、小次郎は空いてる手でわたしの頬を摘まみ、ひどい面構えだと笑いながらむにむに頬を摘まんだり力を抜いたりを繰り返す。餅のようだな、なんて眉を下げてこの上ないほど優しさに満ち溢れた顔で微笑んだ気がして、わたしは見たことのない顔に思わず瞬きを繰り返して瞼をぎゅっと閉じ、もう一度小次郎を見る。見上げた顔はいつもの澄ました顔になっていて、やっぱり夢か幻だったのかなどと思う。けれど夢だなんて思いたくない気持ちもあって、わたしは彼の頬に手を伸ばしてお返しにむに、と摘まんでやった。
「冷えてる」
「サーヴァントは風邪など引かぬから良いが…主の方が相当冷えているのでは?」
「でもこの雨じゃここ抜けたらまた濡れるし…」
「仕方あるまい。抱えて駆け抜けるか」
「小次郎、その前に顔見せて」
「顔?」
「ん」
拒否させる暇もなく、わたしは早い者勝ちとでも言うように両手でしっかりと彼の頬に手を添えてこちらを向かせる。じーっと顔を見つめ瞳の奥を探るように深い夜の瞳を見、やっぱりさっきの顔は嘘ではなかったのかな、などと妙な確信を持ちわたしは小次郎から手を離した。
彼は頬にへばりついた髪の毛を払いながら、長い前髪を耳にかける。伏し目がちにとるその行動と睫毛から落ちる影と濡れた頬に色っぽさを感じて、わたしは視線をそらし小次郎の着物を握り締めた。
「なんか寒いような…熱いような…気がする」
「熱でもあるのでは?」
万が一風邪を引かれたら私の責任になる。と小次郎は呟いて、ますますしっかりとこの冷えた体を抱き締めた。
まだ濡れているし寒いような気もするけれど、じんわりと伝わる体温が暖かくて安心する。ザァザァと降り続ける雨音を聞きながら、熱くて冷える体を縮こまらせてまた新たな一面を発見したいと思い、わたしは再び言葉を紡いだのだった。
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