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    kuduchan

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    ナゴヤ供養。このヒトヤは過去に拙僧と寝ています。

    今日、元仲間同士が殴りあう。
    繁華街大須では、先週から空却と同年代の若者たちが湧き立っていた。昔ながらの商店街を歩くと、ヨコハマ、イケブクロ、一郎、という単語を、自然と空却の耳が拾ってしまう。記念すべき第一回目のテリトリーバトルの開催と言うことで、中央から離れた地方都市ナゴヤにも、盛り上がりが伝播していた。
    「やっぱill-docだろ」「山田って、この三人兄弟なんだ」「私は乱数ちゃん推し」「TDDってなんで解散したんだっけ」「このヤクザと萬屋の喧嘩じゃなかったか?」「それはeasyとillだろ?」
    同じ様な会話が、日々どこかしこで飛び交う。どのチームが勝とうと、この街に住む人間には何の関係もない。だからこそ、他人事のゲームとして盛り上がることができる。全員、対岸の火事を楽しむ野次馬だ。
    全国中継されるディビジョンバトルの一回戦は、蒼棺左馬刻率いるヨコハマ代表MadTriggerCrew対、山田一郎率いるイケブクロ代表BusterBrosというカードだ。どちらのリーダーも、空却が東京にいた頃に在籍したMadComicDialogue(以下、MCD)のメンバーだった。それほど昔のことではないのに、十九歳の空却にとっては、ひどく古い話に思われる。
    先日、バトル主催者である中王区から、空却あてに書留が届いた。白い封筒を破ると、関係者席での観戦招待状が入っていた。当時の仲間とは、もはや誰ひとり連絡を取っていない。関係者と名乗れる立場ではなく、破って捨ててしまおうかと手をかけたが、すんでのところで思いとどまった。相手は中王区だ。招待というよりは召集と言うべきだろう。数年前から独裁政治を繰り広げる中王区に逆らえば、不敬罪などと適当な理由をつけて簡単に逮捕される時代だ。

    からりとした風が、東京駅のホームに差し込む。空却が東京に足を踏み入れたのは、約一年ぶりだ。すっかりナゴヤに馴染んだ空却にとっては、細々とした雑居ビルが所狭しに並ぶ様子を見るだけで、息がつまる。この都市は臭い。人間の思惑や、欲望、煩悩の臭いが立ち込めている。ミントのきついガムを口に含み、舌打ちを抑えた。
    空却が呼ばれると言うことは、MCDのもう一人の主要メンバーであった白膠木簓も招かれているに違いない。別れ際に「生きていればいつかまた会う」と言ったが、案外その機会は早く訪れた。
    今回のバトルが注目されるのには、もう一つ理由がある。参加ディビジョンは四組だが、各チームのリーダー四名がTheDirtyDawg(以下、TDD)だったからだ。TDDはMCD解散後に左馬刻と一郎が、神宮寺寂雷と飴村乱数に合流する形で結成された。活動期間は長くはないものの、伝説と呼ばれるほどの強さを誇った。突如として現れ、原因不明で解散したチームが敵として相まみえる。これほど話題性がある舞台も、そうそうない。絡み合う因縁は、バトルにおける最高のスパイスだ。
    関係者席は、バトルステージを見下ろす位置だった。着席しているのは、濃紺にショッキングピンクを差し色としたジャケットを羽織る政府関係者の女だらけだ。会場周辺の浮足立つ女たちの雰囲気とは違い、緊張感が漂っている。男性禁制の中王区では、当前に男の姿はない。それでも物珍しい表情をされないのは、空却たちが招待されていることを知らされているからだろう。緑の髪をした男の姿は異質で、周囲から浮かび上がっていた。
    「久しぶりやん。空却もおると思っとったよ」
    席に着くなり、簓は空却に話しかける。
    「耳、またごっついことになってんなぁ。そんなお坊さんおらへんぞ」
    後ろの風景まで見えるほどに拡張された耳たぶのピアスホールを指さし、簓は笑う。確かに名古屋に帰ってからも拡張し続けたが、他人からすれば些細な変化のはずだ。
    「うるせぇ。僧侶に大事なのは見た目じゃなくて精神なんだよ」
    「せやかて、檀家さんもこんな坊さんが来たらびっくりして逝ってまうわ」
    緊張感のない声で世間話をするのは、簓のサービス精神から来るものだ。MCDは喧嘩別れだったが、空却と簓の間にそのような因縁はない。ただMCDという入れ物がなくなったので、お互い地元に戻ったというだけだ。やや大阪弁がきつくなった気がするが、当時の声は思い出せない。
    「でも、ほんまに急やったなぁ。仕事入ってたんに、リスケしてもらわなあかんかったんやで」
    芸人としてメディアへの露出も多い簓は、予定が詰まっている。ローカル番組の出演が多いが、人気芸人と呼んで差し支えはない。簓は場の空気を読むのが人並み外れて上手く、頭が回るので、制作側としても使いやすい存在だ。本格的に芸人復帰したのは、解散後なので、随分とうまく立ち回っている。
    「あれから、あいつらと会ったのか?」
    「いーや。解散してからは一度も。声もきいとらんわ。でも、あいつらの顔見るんは、ちょっと楽しみやったんよ」
    食えない男簓は、本心が見えない。左馬刻と喧嘩別れしたのだから、この徴集に不満を持っていてもおかしくはないはずだ。
    「まじで思ってんのか?拙僧に嘘はいらねぇ」
    「そんな怖い顔せんといてよ。大マジやで。俺かて、反省してんねん。なんであないなこと言うてしもたんやろなぁって。左馬刻のことわかっとるつもりやったし、喧嘩にならんようにしとったのになぁ」
    怒りも悲しみも感じさせない口ぶりで、簓は答えた。簓の中でも、MCDは遠い過去になっている。かつての仲間は、あくまで過去の仲間であり、今現在の簓とは分断された存在なのだ。ビジネスライクな簓らしい。一方の空却は、そこまで割り切れていない。
    これから入場する左馬刻と一郎は牙をむきあう。簓と空却を捨て、TDDを選び、今はそのチーム全員が別々のチームでいがみ合う。『仲間』とは、一時的な関係であることを証明されているようだ。
    照明が落ち、ステージの下方にいる観客たちの熱が高まる。アリーナでひしめく女たちのざわめきが、大きくなっていく。燦然と輝くスポットライトが、バトラーを照らした。左馬刻が、インテリ風のスーツの男と、迷彩服の体格の良い男を率いて現れる。その鋭く赤い目は、目の前の男にしか向けられていない。対向から現れた一郎もまた、視線で応戦する。連れているのは弟二人だ。三人とも、両目の色が異なるオッドアイだ。それが彼ら中に走る血の証、切っても切れない繋がりの証だ。
    一郎が家族を仲間に選ぶのは、全く持って順当だった。昔から、なによりも弟たちを優先させる男だったからだ。優先も何も、一郎が弟と他の存在を比べたことなど、ないのかもしれない。相棒であった頃でさえ、空却はその順位争いに絡むことはなかった。
    女のエンタメのために消費されているに過ぎない男たちの姿が、そこにあった。MCD時代、過剰に持て囃す女たちを馬鹿にした左馬刻と一郎が、その渦にのまれている。バトルが盛り上がるほど、簓と空却と周囲の温度差は広がっていく。身を削る彼らは、痛々しい。
    「……なんで、こんなことになってしもうたんやろ」
    音楽が、熱気を煽る。簓の温度のない呟きは、誰にも拾われずに歓声に溶けた。
    バトルには勝者と敗者が存在する。接戦の結果、ヨコハマがイケブクロを下した。しかし結局、ヨコハマも二回戦で神宮寺寂雷率いるシンジュクに負けた。かつての仲間二人は同様に敗者となり、散った。色とりどりの紙ふぶきが舞う中、寂雷が金のトロフィーを掲げる。それを見下ろす簓は、いつものお喋りを忘れたように静かだ。糸目のため表情こそ分かりにくいが、不快感を滲ませていた。
    降りた幕は、再び上がる。
    後日、中王区は強引にも宅急便でヒプノシスマイクを簓と空却に押し付けた。

    『ナゴヤディビジョン』として『期日までにテリトリーバトルへの参加者三名の申請』を義務付けられた空却のもとに転がり込んできたのが、四十物十四だった。
    空却が中学時代に世話になった弁護士の天国獄が、十八になっても泣き虫の十四の精神を鍛えて欲しいと住職に依頼に来たのがきっかけだ。
    結果、空却が修行を担当することになったのだが、それは僥倖であった。精神を鍛えると言うのであれば、届いたばかりのヒプノシスマイクを使う良い機会であった。ビジュアル系バンドのボーカルということで、歌わせることに対してのハードルは低かった。誰に渡すあてもないマイクを、十四に渡してみる。ラップバトルの経験のない十四は、空却のリリックを受け、何度も気を失った。気絶し、その度に冷や水をかけられて起きあがった。獄が止めようとしたが、十四は甘えなかった。
    「まだやれます、やれますから」
    周囲は水浸し、セットした髪型は崩れ、化粧も剥げていた。しかしその表情は、勇ましいものに変わっていた。よろよろと何度も立ちあがる十四の忍耐力はさることながら、見た目に反して執念に溢れたリリックは面白かった。第一印象の軽薄ささえ感じる派手な外見とは異なり、昔受けたいじめが、十四の内面に色濃く陰を落としていた。
    この三人だ、と空却は直感で決めた。このタイミングで現れたのだから、これは天啓に違いない。新しくチームを組むのなら、もう二度とMCDのようにはしない。仲間という関係より、重いもの。糸ではなく、切っても切れない鎖のような絆しか、空却は求めていない。空却は経を読むときと同じ心持で、言葉を発した。境内の厳かな空気を、空却の声が震わせる。ここは誰にも侵されぬ先祖代々波羅夷家の土地だ。想いに共鳴してか、かすかに風が吹いた。
    「今日から拙僧たちは家族だ。拙僧たちがあの世に行っても、この縁は消えねぇ」
    言霊、というものがある。現代のリリックはその一種と言っても過言ではない。言葉には力が宿ると日本という国ができた頃、古事記の時代より伝わってきた考えだ。
    「逃げることも、裏切ることも、有り得ないと知れ」
    それは先ほどのリリックよりも深く、獄と十四の心に刻まれるものだった。

    ライブと練習がない日以外は、寺に来て修行をする。それが空却と十四の間で交わした取り決めだった。とはいえ、空却が十四のスケジュールを監視するわけではなく、あくまで来られる時に来ることを口頭で約束しただけだ。そして週に何度か泊まり込みでの修業をするようになった。一日中共にするのは、短期間で相手を知るという意味では良い。しかしながら、それを二つ返事で了承してしまったことには違和感がある。獄がついているので問題はないだろうが、監禁や誘拐などと保護者に騒がれたのでは困りものだ。
    早朝の勤めである雑巾がけを終え、空却は念のため尋ねる。
    「なぁ、十四。お前、親に了承を得たんだよな?」
    「心配なくても大丈夫っすよ。自分、一人暮らしなんで」
    雑巾を絞りながら、十四は明るく返した。空却に馴染みはないが、所属しているバンドはそこそこ売れているようで、生活には困っていないらしい。高身長のわりに小ぶりな十四の顔は、化粧をせずとも確かに整っていて、バンドの顔には申し分がない。その場に立つだけで、華がある。見た目だけで人を引き付ける魅力を持っている。毎晩、何本もの瓶を鏡の前に並べ、入念に手入れをしているだけはある。
    「実家、この辺じゃねぇの?」
    「ナゴヤっすけど。ずっと一人暮らし、したかったんで」
    獄のことは昔馴染みでもあるので、勝手知ったる仲だが、十四は未だ読めない。図体の割に、無邪気で素直な子供のような素振りをするが、経済的に自立するほどには逞しい。そして、十四から紡がれた薄暗さの滲むリリックを知っているので、どうにも印象が定まらないでいた。
    空却が十八歳の時は、わかりやすく荒れていた。中学で暴力沙汰を起こし、高校は通っていない。本来ならば大検を受け、宗派できめられた大学の学部に通っている年頃だが、ほとんど家出同然で東京でMCDとしてバトルをしていたため、正当な道からは外れている。一般的な十八歳男性の思考というものが、同年代の友人がいない空却にはよくわからない。しかしそれは十四も大差なかった。豚のぬいぐるみにアマンダと名前を付け、親友だと、曇りのない目で言う。それはおおよそ小学生のすることに思えた。

    朝露が霜に代わる季節が近づいてくる。手水舎の澄んだ水も、白む空気の温度を映す。
    土曜日の朝、境内に積った落ち葉を掃いていると、空却のスマホが震えた。
    「お、獄、今日来るってよ。それまでに掃除おわらせっぞ」
    「えっ!まじっすか!サイファー終ったら、みんなでご飯たべましょうね」
    ラップバトルに慣れず、気を失うこともあるのに、十四は意気揚々とする。吐き気を催すこともしばしばで、小一時間起き上がれないほど三半規管が狂うこともある。空却だけでなく、獄も加われば、過酷さは増す。鍛えているのだから、一番苦しい思いをするのは十四だ。
    「んなこと言って、ぶっ倒れるかもしんねーぞ」
    「うう……頑張ります!久しぶりの獄さんだし」
    妙に耐性が強いのは、過去の経験もあるだろう。いじめられていたとまでは聞いたが、具体的な内容は、地獄を思い出させる必要はないため聞いていない。初対面で水をかけられても動じないことを思えば、それくらいは日常茶飯事で、むしろ程度でいえば軽いうちに入るものだったかもしれない。どこまで十四の体を嬲るものだったのか、精神を追い詰めるものだったのか。そしてこの獄への異常とまで思われる執着は何なのか。獄も面倒見が良いとはいえ、こんなにも世話を焼いたという話は、見たことも聞いたこともない。空却が東京にいた一年の間、空却の世界だけでなく、周囲の世界もまた同時に動いていた。
    「なんでそんなに獄に懐いてんだ?」
    「獄さんは、俺のすべてだから」
    獄、獄、獄。口を開けば、その名が聞かれる。当然のように、十四は笑う。
    「大げさすぎるだろ。まぁ、銭ゲバにもいいとこはあるけどよ」
    「大げさなんかじゃないっす。獄さん、意地悪言うけど、すっごい優しいっすもん」
    獄に心酔する十四は、恋に焦がれると言うより、信者に近い。獄が悪い人間だったら、十四はあっという間に身を滅ぼしていただろう。獄が十四を無下に扱い、十四の心の隙間に他の人間が入ったらと思うと恐ろしい。
    「獄さんのおかげで、空却さんにも会えたし」
    そう付け加えた十四は、少しだけ照れくさそうに俯いた。十四の金髪部分が、光を含んで透けて見えた。寺に十四の存在があることに慣れはじめ、これが家族になるということかと、ふと思った。
    太陽が、光を強め昇っていく。冷えていた朝の空気が、次第に暖まっていく。

    二月もすれば、ヒプノシスマイクを使用してのしごきあげにも耐性がついた。息を切らす空却の足元で、十四は仰向けに転がっている。青天しかなかった十四の視界に、鮮やかな赤が現れる。
    「十四、てめぇは強くなった。拙僧が保証してやんよ」
    もう一郎や左馬刻のリリックを食らっても、一発退場はない。それどころか、めまぐるしい成長を遂げ、空却に対してもダメージを与えるまでになった。
    「ほんと、ですか」
    朦朧とした目は、ついつい空却が本気を出してしまったゆえだ。
    「おれ、つよく、なった?」
    呂律の回らぬ舌で、幸せそうに零す。
    「あぁ、お前は強ぇ」
    空却が同意すると、十四の目に涙があふれた。そのまま、ぽろぽろと零れ落ちる。
    「涙は男の価値を下げる」と、空却は十四に言ったことがある。例外は家族と友人が死んだ時だと。しかし今、十四の目から流れ落ちる雫は、ひどく美しかった。ここまで導いたのは空却だが、ついて来たのは十四だ。空却が目尻に触れ、涙を掬う。舌に乗せると、わずかに塩の味がした。
    その晩、いつもは別の部屋で眠る十四が空却の部屋に訪れた。
    「渡したいものがあるんです。空却さん、手を出してください」
    何かと思い手の平を向けると、十四はその手を掴んでひっくり返した。
    「指輪?」
    人差し指にはめられた銀色の輪をまじまじと見つめる。太く飾りのない、つるりとしたものだ。
    「修行に付き合ってもらったお礼です。空却さんに認めてもらったら、渡そうって思ってたので」
    「礼ならいらねぇよ。でも、なんで指輪なんだ?」
    「他人同士が家族になるって言ったら、結婚かなって思ったんで、指輪っす」
    「いや、おかしいだろ」
    「自分だけで選んだのよくなかったっすか?空却さんは、ごつめのが似合うと思ったし、似合ってるっすよ」
    久しぶりに十四の人とはずれた感性に立ち会い、空却はあっけにとられる。それが純粋なものだから、空却も真っ直ぐな返答をする。
    「そうじゃなくて、俺の言う家族ってのは、きょう、だい、みてぇな」
    男三人なら、夫婦ではなく兄弟を思い浮かべるものだろうと思い込んでいた。言われてみれば兄弟にはなれないが、紙切れ一つでなれる夫婦というものが、家族になるという意味では使われやすい。
    「え……獄さんの分も買っちゃいました」
    気まずそうに告げる十四の指にも、空却と同じ指輪がはまっている。
    「仕方ねェ、明日獄んとこ行くかァ」
    そう言うと、十四は表情を明るくし、大きく頷いた。まるでしっぽを振る大型犬だ。
    「今夜、一緒に寝てもいいっすか?」
    声を弾ませ、曇りない眼で空却を捉える。そこにあるのは親愛で、性愛でないのは伝わった。どろりとした欲望を向けられたとして、空却は拒まなかった。体とは、輪廻転生を繰り返す魂の現世の器で、固執するほどのものではない。誰かを能動的に抱こうと思ったことはないが、人の欲を受け流すことはしてきた。
    一緒とはいっても、同じ布団に入るわけではない。布団を二つ並べると、床はほとんど見えなくなる。真っ暗な部屋で、十四の声がした。
    「ずっと聞こうと思ってたんすけど、空却さんはどうしてあのとき仲間じゃなく、家族って言ったんですか?兄弟がほしかったんすか?」
    十四も空却も一人っ子だが、小学生ならまだしも、この歳で兄や弟が欲しいと思うことはない。兄弟、家族、きちんとその話をするとMCD時代の話にさかのぼらなければならない。一郎が昔の仲間であったこと、どうやって解散したか、それを話すには、まだ空却の心の整理ができていない。
    「家族は、裏切らないだろ」
    それだけ答えると、十四は「そうなんすかね」と小さく曖昧な返事をした。しばらく無言が続き、眠ったかと思い、空却も目を瞑ると、十四の声が再び聞こえた。
    「自分は小さい頃、お兄ちゃんが欲しかったんすよね。うちの親、ぜんっぜん自分に興味なかったんスよ。運動会とか、授業参観とか、来てくれたことなくて、全然自分のことなんか見てくれなかったんす。もし兄弟がいたら自分だけじゃないって思えたんだろうなって」
    目を開けても、暗闇では、十四がどんな顔でその話をしているのかわからなかった。
    「空却さんは師匠だけど、お兄ちゃんっぽいなってちょっと思ったりして、修行も楽しかったんすよね。ありがとうございます」
    家族の在り方は多様だ。空却の脳内の家族の絆は、一郎の家のもので、空却の家のものであるかと言われれば違うと答える。十四にとっても、家族像と実際の家族は異なるものだ。
    「いじめられてた時も親になんて言えなかった。それで、靴を隠された時があって、なんかもう家も学校も嫌になっちゃって、どこにも行きたくなくて公園でぼーっとしてたんすよ。そしたら獄さんに会いました」
    すっかり日の暮れた公園で、獄は名刺と五千円を差し出して、新しい靴を買えと言った。何かあるなら名刺の電話番号に掛けろと言うだけで、その場で多くは聞かなかった。「俺はお前の味方になれるはずだ」と微笑んだ。
    「帰ってからも親はやっぱり何も言わなかったんすよ。で、次の日、獄さんにもらったお金で、獄さんみたいなローファーを買いました。もうボロボロだし、サイズ合わないけど、宝物だから、ずっととってあるんすよ」
    十四の家族の話は、いつの間にか獄の話に変わっていた。
    家族に愛されず、同級生からもいじめを受けた十四の世界を変えたのは獄だった。誰かが自分を想ってくれる、それは十四にとって初めての経験だった。
    「獄さんのこと大好きなんす。指輪、貰ってくれるかなぁ」
    聞いてもいないのに、十四は溢れる想いを空却に告白する。十四にとって、獄は恋人なのか、兄弟なのか、父なのか。その答え次第で、今後の空却の対応の仕方も変わってくる。しかし、答えを急ぎ過ぎることもない。月日の中で変わっていくものもある。
    「つけるかはわからんが、貰いくらいはすんだろ」
    「あ、空却さんも邪魔だったら、つけなくてもいいっすからね」
    空却は人差し指にはめたままの指輪に触れる。
    「空却さん、ピアスもつけてるし、他のアクセも好きかもって思ったんすけど、趣味とかあるし」
    「邪魔じゃねぇよ。でも、掃除するときは邪魔かもなぁ。やっぱルンバが必要だな」
    十四は息を漏らして笑ったが、空却は本気だった。
    「空却さんの耳、かっこいいっすよね」
    「空けてやろうか?」
    「え、いいんすか?」
    布のようには解けない指輪、体に空ける穴。目に見える絆が増えていく。自分のテリトリーに他人がいる。手を伸ばせば、伸ばし返される。十四の薄い耳のどこに穴を開けようかと考えながら、空却は眠りにつく。
    朝目覚めても、指輪も十四も質量を持って、そこに存在していた。

    未成年はめんどくせぇ、獄はことあるごとにそう言った。酒も飲めなければ、煙草も吸えない。もっとも飲酒喫煙なんて、公にしないだけで、十代の半数ほどは経験があることだ。それでも一応、弁護士という職業柄、獄は空却と十四にそれらを禁止している。それが獄のけじめであった。喫煙後特有の煙臭さを漂わせる獄は、事務所の前で待っていた空却を連れ、喫茶店へ向かった。
    「お前ら、どんどん同化してくな」
    空却の爪に気付いた獄が指摘する。短くそろえられた爪は、十四と同じ黒で塗られていた。ピアスも、指輪も、爪も、同じものを身に着けている。背格好が違うため、似合う形は異なるが、好みは遠くない。
    「獄もつけろよ。十四が喜ぶぞ」
    「嫌に決まってんだろ」
    獄は指輪を受け取ったが、趣味じゃないと一蹴し、身に着けなかった。
    「十四は遠征だっけか?」
    バンドは東名阪のツアーをできるくらいには売れている。よくもまぁあんなキテレツな格好がうけるなどと、獄は憎まれ口を叩くものの、垂れた目尻がさらに下がっている。
    「こっち帰ってきて、獄と二人で話すこともなかったからなァ。東京に行く前に会ったきりだろ?随分会ってなかったから、ヤクザなことしてパクられてんのかと心配したぜ」
    「てめぇみたいに抜けてねぇから心配すんな。それに……話す話もねぇだろ」
    東京に行く前、という言葉に、獄は反応を見せる。
    「今はあるだろ。十四がいんだからよ。十四が獄に惚れてんなら、ちっとややこしい」
    「知らん。俺は、お前たちみたいなのが似合ってると思うぞ。年も好みも近い」
    「話し逸らすんじゃねぇ。それとも、全部目ェそらす気か?」
    空却が凄む。獄はコーヒーを一口飲んで、まずいと言った。
    「拙僧は、てめぇが悪い奴じゃねぇって知ってる。十四のことも、考えてねェわけじゃねぇんだろ?腹割って話そうぜ……どう思ってんのか。どうしたいのか」
    十四のことを思えば、はっきりとさせておきたかった。倫理とは、道徳とは、法とは、けじめとは。頭の固い獄の中では、ぐるぐるとそれらが回っているに違いない。天国獄は、面倒な男なのだ。
    「……悪かった」
    「何勘違いしてんだ、腐れ弁護士。勝手に加害者面してんじゃねぇ」
    被害者なのか、加害者なのか、それは見方によって変わってしまう。暴力を振るわれたと被害者面した者たちが、実はいじめ加害者であってもおかしくない。角度を変えれば、別のものが見えてくる。
    「言っとくが、拙僧は、謝られるようなことはなんもねぇ」
    空却がはっきりと告げる。獄は黙って、空却の金色の目から逃れるように目を伏せた。
    「まぁいい。なぁ獄、俺は出るからにはバトルで優勝する。そうすれば、この世界の真理に近づくんじゃねェかって思ってんだ。どんな頭のイカレタやつらがこんなクソみたいな世界を牛耳ってんのか、獄も知りてェだろ?」
    「決めつけんな。まぁ、いかれてるってのは同意する」
    「別に完全に同じじゃなきゃいけねぇとは言わねぇよ。だけどな、拙
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    kuduchan

    DONEどこか遠い場所フィリピンでマイキーが死んだ時、イザナは荒れ狂った。その訃報を流したテレビに向かって、目の前にあったスマートフォンを投げつけ、画面が割れた。亀裂は画面に影を落とし、音だけはなんの異常もなく、不気味に流れていた。
    「なんでそんなとこにいるんだよ」
    フィリピンはイザナの父の故郷らしい。そしてイザナにも、その血が流れている。浅黒い肌と銀色の髪は、フィリピン人というよりは、どこか別の土地、人種の血も混じっているように見える。イザナの故郷も、両親の顔も、彼にまつわるルーツを本人はおろか、誰も知らない。
    「誰だよ、どこのどいつが殺したんだよ。鶴蝶、テメェ調べてこい」
    ヒステリックな怒号が飛ぶ。しかし鶴蝶は慣れたもので、狼狽えることなく部下たちに電話で指示を出した。おそらく数日で調べ上がるだろう。その間、イザナは殺意を込めた言葉を繰り返していた。
    「テメェがマイキーを見張ってなかったせいだってわかってんだろうな」
    「悪かっ」イザナの拳が鶴蝶の頬を捉える。手加減のない怒りがこもっていた。
    「テメェみたいな役立たずだけじゃ不安だろ。稀咲にも伝えとけ」
    吐き捨てるように言って、イザナは頭をかかえた。この場 5231

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