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    千冬の家の話

    子どもが欲しいと、生まれる前は思っていた気がする。それを期に結婚しようと言ってくれた元旦那が好きだったからかもしれない。飲酒も喫煙も止めたし、つわりはきつくて、よく吐いた。我慢が嫌いな私が、どうして腹が膨らみ続けたあの十か月を過ごせたのか、今となってはよくわからない。
    千冬は手のかかる子だった。人と比べたら、そう酷いものではないかもしれない。けれど、夜泣きが私には苦痛だった。いくらあやしても泣き止まず、築年数の経った壁の薄いアパートでは迷惑がかかるから、夜中に私と千冬だけで、外まで散歩に出たこともある。子どもが生まれる前、ネイルサロンにも通い、綺麗だとよく褒められた爪は、短く貧相になっていた。髪も、服も、鏡に映る自分は、日に日にみすぼらしくなっていく。
    離婚は旦那の浮気が原因だった。癇癪を起した私が離婚届を突き付けたら、そのまま離婚になった。馬鹿みたいにあっけなかった。親権でもめるかと思いきや、相手は子どもに執着はなかった。千冬がようやく単語らしい単語が話せるようになった頃だった。
    私には、頼れる家族がいない。母も女手一つで私を育てたのだから、私にもできるはずだ。
    託児所のある水商売の仕事をしながら、生活費を稼いだ。若い子のようにナンバーワンになって一本稼ぐ。そんな夢は毛頭なかった。学もなく、トークはそこまで上手くはないが、顔にはある程度自信があった。必死にならなくても、客はついた。キレイとは言えないけれど、華やかな世界。暗闇でも映える濃い化粧、体を魅せるラインの服、女としてちやほやされ、欲しいものが手に入る。この世界を、私は必要としていた。


    役所から手紙が来て、千冬が小学校に上がる歳になるということを知った。ランドセルなど必要なものを買い揃え、千冬に渡した。入学式の後、担任になるという私と同じくらいの年の男は『連絡帳』でコミュニケーションをとっていきましょうと、明るく言った。自分が小学生の時と変わっていないので、話は難しくなかった。
    顔を知らないので別棟だろうが、同じ団地に向かう親子が何組かいた。ぶんぶんと繋がれた手を振りながら、前を歩いていく。千冬は自分のランドセルの持ち手を握ったまま、静かに歩いていた。いつからか、千冬は手のかからない子になっていた。
    「これからは連絡帳を机の上に置いておいて。そうしたら千冬にお金を渡すから、自分で買いに行けるでしょ?」
    ここは渋谷だ。子どもの足で行ける範囲で何でも揃う。
    「わかった?」
    「わかった」
    この子が小学生になったところで、私の生活は変わらない。そのことに安心しながら、私はその晩も仕事に出た。
    連絡帳に書かれた『持ってくるもの』をもとに金を置くが、食費も含めて千円ほどだしておけば、基本的に問題なかった。大したことは書かれていない。開いたままの連絡帳に煙草の燃えカスが落ちて、汚してしまったけれど、もともと見ていないので読めなくてもよかった。翌日も、拭った跡がある汚れたページに、何か書かれていたので、その上に千円を置いておいた。千冬も私に必要以上に話しかけなかった。とっくに締め切りのすぎた三者面談のプリントを持ってきたときは、面倒だと思いながらも、一応は母親としての義務を果たすことにした。

    「千冬君はおうちではいかがですか」
    「手のかからない良い子です」
    千冬の顔は三日に一度見るくらいだ。千冬は静かな子なので、部屋にこもってしまえば出てこない。食事も勝手に取る。
    「学校ではいかがですか」
    特に興味はなくても、笑顔で質問をした。十五分という時間をしのぐには、話をさせた方が楽だと仕事柄知っている。
    「千冬君は、少し大人しいですが、お友達とも仲良くしています。授業も真面目に受けていて、毎日頑張っていますよ」
    担任の言葉に、特になにも思わなかったが「そうですか。よかったです」と喜んだふりをしておいた。
    千冬は放っておいても問題のない良い子だ。そのことだけは有難かった。
    だから千冬が友達を殴ったと言われた時、意味が解らなかった。千冬に話を聞くのも面倒で、「謝りなさい」とだけ言っておいた。団地には不良なんてざらにいて、珍しいものでもない。
    私の生活を壊すような何かに、巻き込まれたくなかった。私は付き合っている男の家に行くことが増えた。小学校も高学年になれば、一人でなんでもできる。私もそうやって育てられた。毎日生活費を出すのも面倒になって、週に一度まとめて払うように変えた。連絡帳は置かれなくなった。一万円と引き換えに、私はこの家から自由になる。

    一週間ぶりに家に帰る。平日の午前中、家には誰もいないことは分かっている。掃除されていないリビングはタオルが落ちていたり、台所のシンクには洗っていない食器が置かれていたけれど、何も手を付ける気はない。私が帰ってくることを見越してか、二万円が必要、という手書きのメモが置いてあった。煙草に火をつけ、一服する。普段より一万多いく財布から抜いて、灰皿で抑えた。何に使うのかも書いていないけれど、中学生ともなれば、何かしら遊ぶ金は必要だろう。万引きやら、変なことを起こされるよりは、たまに多めに金を出す方がましだ。換気をしていない部屋では、すぐに煙が充満した。テレビでもつけようかとリモコンを探していると、千冬の部屋から、扉をひっかくような音がした。学校をさぼって家にいるのかもしれない。
    「千冬、いるの?」
    返事はない。ただ、同じ音が繰り返された。煙草を置いて、立ち上がる。数歩歩けば、端から端までいけるような狭い家だ。
    「千冬?」
    そう言いながら扉を開けると、千冬ではなく猫がいた。いつの間に飼いはじめたのか、わからない。猫は尻尾を尖らせ、威嚇してくる。釣り目があの子に似ている気がするが、子どもの顔なのに、ぱっと思い出せなかった。私は何も見なかったことにして、襖を閉めた。


    ゴミ捨て場の側で、赤ちゃんを抱いた主婦が井戸端会議をしていた。なるべく関わらないように、目線を合わせず通り過ぎようとする。
    「●号棟の場地さんちの子、亡くなったらしいわよ」
    ふいに耳に入ってしまったが、●号棟は住んでいる棟だ。おそらく場地さんとその子供も、何度か顔を合わせたこともある。確か子供は千冬と似たような年だった。それが死ぬとは、事故か何かだろうか。近所づきあいという程のことはしていないので、特にかける言葉もないが、気にはなる。
    ひび割れた階段をヒールで昇ると、やけに音が響く気がした。
    玄関を開けると、靴で埋まっていた。汚れた白いブーツが行儀悪く倒れている。それをつま先でどかし、部屋に上がった。途端、猫の鳴き声がした。煙草一本吸い終わっても、猫は鳴き続けた。こんなに鳴いていたら、近所からクレームを言われるかもしれない。とはいっても、私はここに居ないので、どうでもいい。一応様子だけは見ておこうと、千冬の部屋の襖を開ける。猫は盛り上がった布団の横で鳴いていた。明らかに、人がいる。おそらく、千冬だ。
    「サボり?」
    それが不登校なのか、今日たまたまいただけなのか。とにかく、千冬という存在を目にするのが数か月ぶりだった。
    「場地さんちの子が亡くなったって知ってる?」
    先ほど偶然聞いた話を、千冬なら知っているかもしれない。千冬は何も答えず、動きもしなかった。
    「ねぇ、なんでか知らないの?」
    もう一度訪ねると、千冬はゆっくりと体を起こした。
    こちらに向けた千冬の顔は異常なほどに傷だらけで、私は「ヒッ」と声を上げた。
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    kuduchan

    DONEどこか遠い場所フィリピンでマイキーが死んだ時、イザナは荒れ狂った。その訃報を流したテレビに向かって、目の前にあったスマートフォンを投げつけ、画面が割れた。亀裂は画面に影を落とし、音だけはなんの異常もなく、不気味に流れていた。
    「なんでそんなとこにいるんだよ」
    フィリピンはイザナの父の故郷らしい。そしてイザナにも、その血が流れている。浅黒い肌と銀色の髪は、フィリピン人というよりは、どこか別の土地、人種の血も混じっているように見える。イザナの故郷も、両親の顔も、彼にまつわるルーツを本人はおろか、誰も知らない。
    「誰だよ、どこのどいつが殺したんだよ。鶴蝶、テメェ調べてこい」
    ヒステリックな怒号が飛ぶ。しかし鶴蝶は慣れたもので、狼狽えることなく部下たちに電話で指示を出した。おそらく数日で調べ上がるだろう。その間、イザナは殺意を込めた言葉を繰り返していた。
    「テメェがマイキーを見張ってなかったせいだってわかってんだろうな」
    「悪かっ」イザナの拳が鶴蝶の頬を捉える。手加減のない怒りがこもっていた。
    「テメェみたいな役立たずだけじゃ不安だろ。稀咲にも伝えとけ」
    吐き捨てるように言って、イザナは頭をかかえた。この場 5231

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