式神vsrと夢主昔々あるところに式神を使役する術師の姫君がおりました。世が世なれば姫君の一族は陰陽寮に勤める貴族の末席でしたが、落ちぶれてしまい、京から遠く離れた神社に、式神と暮らしておりました……。
日も沈み、月灯りも無い夜……つい先程まで庭を照らし出していた灯籠も消え、完全な暗闇が支配する。
人である姫君……夢主が床につく時間。
もう身軽な単姿になって布団代わりの衣を掛け、あとは横になって寝るだけだ。
「 Добрый вечер (ドーブライ ヴェーチェル) 夢主」
「ゔぁーしゃ。お庭の灯り消してくれたのね。ありがとう」
この土地の言葉ではない不思議な呪文を唱えたのは、夢主の使役する美しい式神。いつもは濃い檜皮色や玄に純白の衣を重ねて着ているが、いつの間にか藤紫がかった月白の衣に着替えている。口元は袖と同じく白い色の布で隠し、今は烏帽子で見えはしないが、その下には……鬼である証の角が生えている。
夢主は物心つく頃から『ゔぁーしゃ』と呼んでいた。
「今夜も、私と夢主の結界に入り込もうとする輩がいれば、すぐにわかる。周囲の守備は万全だ」
「そうね、いつも助かっています」
結界に入り込むも何も、この海沿いの神社は京から遠く離れた辺鄙な場所にある。式神が頻繁に狩をするから獣ですら近寄らない。もちろん訪れる人間も疎で、少なくとも一番近くの人里に住まう者はこのような夜更けに、この社まではやってこない。
「(いつも臆病なくらい慎重というか……大袈裟なんだから……)」
嘆息しながら夢主は身構える。
……最近、困ったことがあるのだ。
「だから私の仕事は終わりだ。夢主と一緒に寝ても良いか」
「一緒にはいけません」
夜な夜な式神が自分を口説くのだ。
本来ならば有り得ぬ事態である。
「休んでも良いけど、一緒は駄目」
「なぜだ。昔はよく添い寝をしたのに……」
「あれは私が小さかった頃の話でしょう」
子供の頃……忙しい両親に代わり子守りをしてくれていた彼は夢主が何をしでかしてもウンウン頷くばかりで、共に書画を描いたり、梅や桜や桔梗などの花を摘んだりして遊ぶ穏やかな青年であったのに……。近頃やたらとよく喋る。
「(そう、当時はフンフンという声しか発さなかったハズ……こんなにグイグイ距離を詰めてくるゔぁーしゃ……私、知らない!)」
両親から受け継いだこの式神。
元々、この地に漂着した数名の鬼であり、死後は祟らぬように社に祀られていた。それでも死した後に荒れて怨霊となりかけていたところを夢主の一族が調伏し式神としたのだ……。
両親はゔぁーしゃ以外の式神たちを連れて各地の怨霊を鎮める旅に出てしまい、生きて帰るかどうかもわからない……。
「(あぁ……どれもこれも私の術が未熟なせいでしょうか……)」
……いつ頃からだろう。彼の口数が増え、命令に従わない行動を取り始めたのは……。
とはいえ、このように鄙びた地で、夢主が1人で生活できているのは式神が食糧調達や家屋の管理など雑用をこなしてくれているからである。頼りになる存在なのは事実だった。
「(……私が寂しい、などと思ってしまったから。つけあがらせてしまったの?)」
両親が旅立った今、近場に頼れる者は誰もいない。親族で、実の姉のように良くしてくれている術師はいるが、彼女は京住まいだ。文を送って近況を知らせたり、香や着物など物資を送ってくれたり、こちらの安否を案じてくれはするが、現在進行形で起きているこのような事態を解決してもらうのは難しい。
思案しているうちに、式神は澄ました顔で訴えてくる。
「あんなに小さかった夢主が、見違えるほど成長した……良い女になった。夢主、どうか私の妻になって欲しい」
「つ、つまッ!?」
「これまで通り大切にする。私のことが嫌いか?」
「いつも言っているでしょう、そういうわけでは無いけれど……私は術師で、貴方は式神でしょう!?」
式神ゔぁーしゃが普段よりも熱のこもった美声で口説いてくる。
「(これ以上、畳み掛けられては……流されて承諾してしまいそう……!)」
今夜の彼は諦めが悪かった。
「私の事が嫌いな訳では無いのか」
敷居を越えて、室内へ入ってくる。
もう、これ以上は辛抱ならぬ様子。
式神は夢主を押し倒した。
「っ!やめなさい、ゔぁーしゃ!」
元々このような事をする式神では無かった。
昔から従順に仕えてくれて、夢主を見守ってくれていた。子供心に、この美しい存在が『どうしてこんなに私に尽くしてくれるのか』と不思議に思っていた……今にして思えば、契約を交わしている両親からの命令で、術師の子へ親切にしていたに過ぎないだろうに。それなのに。
「(あぁ……素直に身を委ねられたら、どんなに良いか。私とて別に、この式神を嫌っている訳では……憎からず想ってはいるけれど……)」
ただ式神の常識からは外れた行為には違いない。
そう、どんなに未熟な術師であろうと、夢主にも祖父母や父母から式神を操る術を受け継いだ誇りというものがある。
だから、今晩こそ。少々、手荒な方法になるが拒絶するしか無い。
夢主は牽制の意思をこめて呪文を唱えた。私は主人、おまえは従僕。立場をわきまえよと。
「……さがりなさい。ゔぁしり、ぱゔりちぇんこ」
間の抜けた響き。明らかに異国の音だ。
しかし、拒絶のための真名を唱えたにも関わらず式神の動きは止まらない……下着と寝巻きとして使用している単ごしに抱きしめられてしまった。
彼を受け継ぐ時、父母からは『名と名字さえ抑えておけば充分、行動を操れる』と教わったのに。
「(私に迷う心があったから?順番を間違えた?『ぱゔりちぇんこ』が先だった?それとも名と名字の間に入る、父親か祖父に由来するという名前まで唱えなければいけなかった……!?)」
抱きしめられる重たさと温かさに絆されそうになると同時に……やっぱり私は祖父母や両親に比べて才能が無いんだ。一族の出来損ないだ……と、夢主は絶望感に打ちひしがれる。
術は破られてしまい、これ以上なす術が無い。
式神の支配に失敗した術師は、呪いがそっくりそのまま返されて死ぬのみだ。
ゔぁーしゃの制御に失敗した自身もその例に漏れないだろう……夢主は覚悟した。しかし。
「……術が破られたのに、生きてる……?」
「殺すわけが無いだろう?夢主には私の妻になってもらうのだから」
「……!?……だ、だめっ!普通、術者と式神は、こんな事しないの」
式神……ヴァシリによって、首に手をかけられた。その大きな手は夢主の首を絞めるでもなく優しくさすってくる。
「……このままでは埒があかない。あまり無理強いはしたく無かったが……たべてしまおうか」
「っ!!?」
あっさりと単の帯を解かれ、素肌を暴かれる。彼の目の前に胸を突き出すような姿勢のまま指を絡められ動く事が出来ず、屈辱を感じると同時に恥ずかしい。
「こんな辱めを受けるなんて……!いっそ殺して」
「そんな事はしないと言っている」
夢主を組み敷くヴァシリは、口元を覆う布を取り外し乱雑に捨てた。そして夢主の顎を捉え唇を、自身の唇で塞ぐ。
「(いきなり、こんな!口吸いだなんて、変態だわ!)」
夢主は抵抗を試みるも何度も唇と舌を吸われ、力が抜けてしまう……。正直、悪くないと感じてしまっている。
「……んっ……」
「……可愛い口だ、ずっとこうしたかった……愛している、夢主」
やっと解放されるも当然その程度で終わるはずがなく……頬、腰、身体中を弄られ舐められるのは時間の問題だった。
「……あ、あぁ……っ!ふぁ、あ……」
「覚えているか?この舌を修復してくれたのは、夢主だ。あの時から、成長したら妻にしたいと願っていた……。この地のしきたりでは三日間、身体を重ね続けた男女は結婚したと認められるのだろう?」
舌の修復?そんな事しただろうか……?!まだ小さかった頃……彼とよく遊んだ頃に、彼の生前の傷が残ったままなのを哀れみ、覚えたての術を使って成功したような記憶が……薄っすらとあるような、無いような……そう、戸惑う夢主。しかし、これだけは今すぐに正さねばならない。慌てて彼の手を振り解いた。
「三日間、じゃ、ないです……!会うのは夜だけ、です!『三日間つづけて通う』です」
「一緒に暮らしているのに通うも何も無いだろう」
ヴァシリの甘い声が紡ぐ言の葉に逆らえない。愛しているからなのか、彼の有する鬼の魔力か。夢主は誘惑されるがまま、胸元に吸い付かれるように舌を這わされた。
「あ、こら……ちょっと。待って……あんっ!」
「……思っていた通り、良い香りがする。桃のようだな……」
「あ……っ!……ひゃん」
「この甘い香りが、私をおかしくさせる……こんなに私を魅了してどうする気だ」
このような扱いを受けているのに、不思議と嫌な気持ちが沸き起こらない自分に驚く夢主。
「(魅了されているのは、私のほう……)」
自身の衣を脱ぎ始めたヴァシリを見上げながら、これ以上は拒めない……と夢主は観念する。式神なのに、まるで人と変わらない彼の肉体に身を委ねた……。
その晩から連日連夜、ヴァシリは夢主を好き放題に可愛がり……やがて仲良く一緒にお餅を食べた。
愛しい夢主の胸元に頬擦りしながら、式神……ヴァシリは思う。
初めて触れたいと願った温もりを持つ相手。ずっと焦がれていた相手。
これまで夢主は、私に良くしすぎた。
彼女は、いち式神に過ぎない私に対して……生前に近い状態に戻り、自由に振る舞う事を望んでくれた。
人間だった頃からの頬の傷、口内の舌の傷は、今では修復されている。夢主が『可哀想!治してあげたい』と願ってくれたから……。
彼女は、とりわけ才が無いわけではない。ただ幼い頃からの護衛兼遊び相手である私に肩入れし過ぎてしまった……無意識のうちに。だからこのような目に合うのだ。
【終】