⚪︎「薄闇」「絶望」「信じられない」
WD派生
「どうして君の言葉を信じられないのかって?笑わせないで欲しいな」
深い森の中、赤黒い魔術を扱う魔術師は嘲笑った。
「信じられないんじゃない。“信じない”のさ」
手に溜めた魔術を対峙する騎士に投げつけるように腕を振る。騎士はそれを淡く輝く剣で受け止め、振り払った。しかし完全に勢いを殺しきることができず、左頬にチリ、と痛みが走る。
「信じない?違うな。お前は信じられていない」
しかしそれを意に介さず、騎士は強い口調で言葉を続けた。
「オレはお前の魔術を見て、その上で一緒に国へ帰りたいと言っている。国には伝えてあるし、騎士団長であるオレが共に行くのだから受け入れられないということもない。しかもうちの騎士団には古くの知り合いもいるのだろう?」
騎士は固まった表情のまま無感動に立つ魔術師を真っ直ぐに見つめる。表情は石像のように固まっているが、その瞳だけが生きていることを示すように小さく揺らいでいた。その瞳を見て、騎士は賭けに出た。
「お前は何をそんなに怖がっている?」
魔術師の顔が歪んだ。
初めて崩れたその表情に、もう少しだと口を開く。
「何も恐れることは────」
「僕は何も怖がってなんてない。これ以上君と話すことはないよ。もう二度と来ないでくれ」
いつも通りの台詞を投げかけられ、騎士がひとつ瞬きをすると、目の前には森でも魔術師でもなく、集められていた騎士団員たちの姿が映った。
急に目の前に現れた騎士団長に驚きが広がるが、同時にまたか、といった感情がチラホラと出る。
「団長、おかえりー。またダメだった?」
桃色の髪をひとつにまとめた騎士が一歩前に出れば、騎士団長は構えていた剣をようやく下ろしああ、と頷いた。
「だが進捗はあった。やはり、あいつはオレたちのことをまだ信じきれていないだけだ」
「信じきれてない?ただ本当に来たくないってだけじゃないんすか」
オレンジ色に一房黄色のアクセントを加えた髪を風に揺らせ、団員の前に立っていた騎士がため息をつきながら言った。
「恐らく違う。少なくとも絶対に来たくないというわけではないだろう」
魔術師につけられた左頬の傷を撫でる。最後に見た崩れた表情は、迷惑に思っているようでも、本当に二度と来て欲しくないと思っているようでもなかった。
「まるで、ずっと何かを恐れているようだった。きっとそれが障壁になっているのだろう」
そう言って、団長は先ほどまでいた森の方を見やる。日が傾いて行く中、森の中は既に薄闇に包まれていた。
その言葉を聞いた桃色の髪の騎士は、そっと視線を下に落とした。
*
『お前は何をそんなに怖がっている?』
「……僕が怖がっている?そんなはずはない」
騎士を強制送還し、誰もいなくなった森の中で魔術師は片手で顔を覆った。
信じられないのでも、何かを怖がっているわけでもない。自分の意思で人を信じることをやめているのだ。だから、もし本当に信じるに値する人が現れれば、それに応えるつもりはある。
そもそも、人は誰かを信じなければ生きていけないと書物で読んだことがある。口に入れる食べ物は誰かが生産したものであり、それを口にすることはその生産者を信じる行為である。魔術を魔導書にそって使う際も、無意識にその魔導書の著者を信じているのだ。魔術師もそのことに異論はないし、そうであろうと思っている。信じるに値する人を信じることは、生きるために必要なことである。
「………あれ」
そこで、はたと思考が止まった。
現在魔術師は森の奥、たったひとりで生活している。食事は食べられる木の実と時に森に現れる動物たちの命を。その他水など生活に必要なものはどこかから持ってくるのではなく、生成する魔術を編み出した。魔術師の使う魔術は白魔術と黒魔術の合わさったものであり、今ではほとんどが魔術書に載っていない、オリジナルの魔術を利用している。それらの魔術の完成度を高めるためや新たなものを開発するために日々を過ごしていけば、暇など感じる隙もなかった。そうして、自由気ままに生活していた。
「人は、誰かを信じないと生きていけない。その通りだ。だが……」
────僕は?
魔術師から絶望したような声が漏れた。
『信じない?違うな。お前は信じられてない』
「違う。僕は信じることは出来る」
髪を片手でかき乱し、首を振る。
その証左に、と魔術で薬草と同等価値の街に売る菓子をトレードする。(この魔術も使いやすくなるように魔術師が大幅に改良したものだ。)
そして、手に入れた菓子を口に運ぶ。
運んだ、はずだった。
「なんで……食べられない……?」
口の前で止まった手が、震えて動かない。
魔術で無理矢理口の中に移動しようとしても、制御出来ない思考が働き魔術を使うことができない。
この菓子をどこの誰がどのような意図を持って作ったのかが分からない。直接顔を見て交換したわけじゃないのだから当たり前である。しかしもしこの中に、いつかのような、毒物が入っていたら────?
「っ、!」
地面に叩きつけたくなる衝動を理性で抑え、持っていた菓子を震える手で袋に戻す。
無意識に呼吸が荒くなっていたことに、耳から入る呼吸音で気づいた。
落ち着くようにと肘を強く掴む。だが呼吸は治らず、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。
『信じない?違うな。お前は信じられてない』
『お前は何をそんなに怖がっている?』
「……信じ、られない……?僕は……」
────ああ、これだから人と関わると碌なことがないのだ。
こんなものに気付いたところで、今さらどうにもならないというのに。