ラiイiドiウ「やあ元気そうじゃないか」
馴染みの商店の地下に降りると建人はゆったりと椅子に背を預けて座る人物に早速声を掛けられた。
「お世話になります。家入さん」
「元気だよー硝子」
「安心しろ。オマエには聞いていない」
毛がつくからやめてくれと何度も言っているが言う事を聞かずに建人の肩に乗る真っ白い猫のさとると軽口を言い合っているのは家入硝子、建人が世話になっている人の一人だ。肩にかかる髪を一つに結って常に白衣に手袋をしている。冥冥という女主人が経営している商店の地下を借りている研究者だ。この薄暗い日の光が差さない地下は研究所らしくガラス壜や緑色の液体が入った装置が見える。どういう用途で使われているのか建人には全く分からない。建人が部屋の中を見回しているとさとると話し終えたらしい家入が建人の方へ向く。
「それで? 今日は何の用だ?」
「……合体を」
「今日は新月か。何か起こるかもな」
家入はそう一言言うと立ち上がり機械を操作し始めた。家入の研究対象は生命だ。その研究の過程として悪魔の合体をしている。家入自体も建人には妙齢の女性に見えるが実際は違うとさとるが言っていた。鈍い地鳴りのような音が機械から出始めたので建人は二体悪魔を呼び出し家入に預ける。二体の悪魔を合体させてより強い悪魔を生み出すのだ。最初、建人は合体するのに躊躇った。短いとはいえ共に戦ったモノだ。それを記憶も心も引き継いでいない全く別のモノに生まれ変わらせるのに寂しさと罪悪感があったのだ。合体をさせたがらない建人にさとるは
「ソレはななみの気持ちでしょ? アイツらに聞いてみなよ」
顔を洗いながら呑気にさとるはそう言った。お目付役のさとるにそう言われてしまったなら建人は従うしかない。そうして聞いてみると、
「強いのになれるのならそれでいい」
あっさりと言われたのだった。それならばと建人は望むモノには積極的に合体をさせている。強い悪魔を従える事は建人が強くなるためには必要な事でもあるのだ。そんな事を思い出している内に合体が終わる。さとるは建人の肩にから下りて床に座って白いふさふさの尻尾を揺らしながら結果を待っている。
「ななみ、多分だけど強いのが来る」
さとるがじっと機械をその透明度の高い青い目が見つめている。
機械の動きが止まる。
ゆっくりと新しい悪魔が姿を現す。
「ほう……」
家入が目を見開いて一言漏らす。その視線の先には洋装の少女がいた。青白い肌の色と切り揃えた前髪の金の色からして外国人だろう。首を傾げると長い髪がさらりと揺れる。可憐な姿だがその金色の目は妖しく光り、ドロリとした人ならざる者の禍々しい気配がする。少女は建人ではなくさとるをじっと見ていた。その小さな唇が開く。隙間から綺麗に生え揃った白い歯が見えた。
「……さとる?」
「久しぶりだね。アリス」
「悟! 悟は猫になっちゃったの?」
アリスと呼ばれた悪魔はさとるに近寄る。ふわふわと踊っているような足取りだ。アリスはそのままさとるの前に座り、両手でさとるを抱き上げる。さとるはされるがままにアリスに抱かれている。
「悟白くてふわふわになっちゃったね。アリスはこっちの悟も好き」
「アリスは変わらないね」
立ち上がって飛び跳ねて、さとるの顔に頬ずりをするアリスにさとるはどこまでも穏やかで優しく話す。建人はそれが気に入らない。さとるは自分のものだという強い気持ちと煮えたぎる激情のまま体が勝手に動く。アリスの手からさとるを奪い取り自分の胸にしっかりと抱く。
「これは私の猫です。勝手に触らないで下さい」
アリスを見下ろして冷たく建人は言い放つ。普段、子供に冷たい態度を取る事はしないがさとるが関わるとなれば別だった。
「けんと。僕はオマエのじゃない。それにアリスに挨拶しろ。オマエが主人なんだから」
「いいえ。アナタは私の目付け役です。ところで猫じゃらしとタイプライターどちらがいいですか?」
「どっちもやだよ! 猫じゃらしは猫の本能に逆らえないし、猫の手にタイプライターは酷!」
さとるが拒否して建人の最近鋭さを増した頬を前足で叩く。ふにふにの肉球が当たっても全く痛くない。むしろ気持ちが良い。なんだかんだで爪を立てないのだからこの白猫のお目付役は建人に甘い。さとるを譲る気は無いが、アリスへの態度の注意はもっともで反省すべきだろう。建人はさとるを抱いたまま床に膝をついてアリスと目線を合わせる。
「先程は失礼しました。アリス。これから私と一緒に戦ってくれますか?」
アリスは一瞬、建人の目を見た後、にこりと笑う。とても可愛らしい笑みだった。
「うん。一緒にあそんでくれるならいいよ」
アリスが右手を差し出す。建人はその手を握り返した。
「で。なんでこうなるんですかねえ」
正座をする建人の目の前には白い髪に青い目の、世にも類い稀なる麗人が建人の浴衣を着て座っている。建人よりも大きいから浴衣の裾から足首が見えてしまっている。くっきりと浮かぶ白い踝の凹凸で出来た影に建人はどきりとして慌てて目を逸らした。
「それは僕にも分からないなあ」
「商店を出てすぐに猫から人間に戻るなんて……大変だったんですから」
「それは謝ったろ」
猫から人間に戻った悟はその薄桃色の唇を尖らせて建人を見る。そういう顔をされると何かを強請っているかの如く見えるから建人は心底やめて欲しいと思っている。建人はそれを悟られない為にぎゅっと眉を寄せた。
商店を出た後、隣を歩いていたさとるがあ、と鳴き声を上げた後、そこに居たのは真っ白な猫ではなく、髪も肌も真っ白な裸の青年だった。天下の往来で裸はよろしくない。建人は慌てて悟にマントを着せて担いで持ち前の運動神経と鍛えた体を生かして屋根に登り探偵社に帰ったのだった。通りには人が居なくて見られていなかったのが幸いだった。
「……やっぱりさあ、このままだといけないよ。里に戻って人間の姿に戻らないようにしてもらう」
悟が真剣な顔をしている。美しい澄んだ青の目が輝羅輝羅と星が散って瞬く。建人はその輝きに一瞬見惚れたが悟の言葉に正気に戻って悟を引き止める。
「だ、駄目です! 困ります」
「え、なんで」
悟がその美しい形の眉を顰めて建人に問いかける。その顔も途轍もなく美しいし、なんて返事をしたら良いか分からなくて建人は本当に困ってしまった。だって悟が好きだから。悟とこいびとになって手を繋いで歩いたりアイスクリンを食べたりしてみたい。猫と人間じゃそれは出来ないのだ。
「ですから……」
建人は俯いて言葉を探す。けれども建人の頭の中には悟が好きしか出てこない。顔が熱い。手が汗で湿る。ええい、ままよと建人は覚悟を決めて悟を見上げる。見上げた先の悟は建人の言葉を静かに待っていた。
「私がアナタに懸想しているからです! 文句ありますか!?」
建人は早口で一気叫ぶように言い切った。最後の方は声が裏返ってしまった。建人の言葉に悟は艶々とした唇ををぽかんと開けて一つ瞬きをする。密に生え揃った白いまつ毛がぱちりと音を立てた気がした。
「けそうって……あの懸想? 好いている方の? 化粧とかではなくて?」
「それ以外に何があるというんですか」
悟が可愛らしいが余りに惚けた反応をするから建人は思わず低い声で応えた。先程まで最高潮に緊張していたが気が抜けてしまった。それに言ってしまったら後は進むだけなので腹を括ったというのもある。
「それで? アナタはどうなんですか——」
建人が悟を問い詰めようとした時、コンコンと外から扉を叩く音がした。
「ごめん。話し声が聞こえるんだけど誰か居るの?」
夏油だ。この探偵社は夏油が所長なのだから居てもおかしくない。話に夢中で帰ってきた事に気が付かなかったらしい。建人が悟を見ると悟は頷いて立ち上がって窓へ走り出す。そこから逃げるらしい。
「あの、夏油さん。待って下さい、」
「開けるよ」
建人が言い終わる前に夏油が扉を開ける。悟はまだ窓枠に足をかけたところだ。開いた扉から夏油の顔が見える。相変わらず前髪を一房だけ垂らした不思議な髪型をしている。夏油はまず建人の顔を見てそれから窓を見る。正確には窓にいる悟だ。夏油の細められて笑っている事が多い目が大きく開かれる。驚いているのだ。それから二、三度唇が震えて絞り出すように声を出す。
「悟……?」
「傑……」
悟は窓枠から足を降ろして体を夏油に向けた。悟も目を見開いて驚いているが、建人は何故か悟が泣きそうだと思った。夏油と悟の間に建人には分からない空気が流れていく。部外者である建人が何か言い出せる筈もなくただただ沈黙だけが流れる。
沈黙を破ったのはぽん、という悟の方からした軽い音だ。悟が猫に戻ったのだ。白猫のさとるは七海の浴衣の上に座っている。また毛を取ってから洗わなくてはいけないなと建人は場違いな事を考えた。
「は? 猫?」
夏油が今まで見たことが無いくらい凶悪な顔をしてさとるを睨んでいる。
建人は何から説明すべきかと頭を抱えたくなった。