バイトの目的 長期の任務からエアースカーペが帰還すると、ロドス・アイランドは比較的大きな移動都市に接岸していた。二、三日前に到着したばかりであり、これから更に数日間掛けて物資を補給するのだという。長期の逗留のため様々な理由で都市へ繰り出すオペレーターも多く、ロドス・アイランドは常より幾分か静けさで満ちていた。
「…………」
一通り艦内を歩き回ったエアースカーペは小さく息をついた。宿舎、購買部、加工所。どこを探しても思い描く姿が見当たらない。探し人が今現在別の任務に就いていないことは確認済で、そういった時は必ずと言っていいほどエアースカーペを出迎えに来るはずなのに。
「……俺も行ってみるか」
手持ち無沙汰なままでいても仕方がない。新しい枝豆の塩漬けを入手する傍ら市場を歩き回れば、もしかすると相棒を更にカスタマイズできるアタッチメントでも見つかるかもしれない。そう思えば少し気持ちも上向いてきて、外出の準備をするためエアースカーペは自室へと向かった。
都市部へ足を踏み入れると乾いた風が砂を運んで頬を打った。市場は人通りも多く盛況で、衣食住に関わる物品以外にも各種嗜好品を専門に取り扱う店も多くあった。聞けばここ数年天災の被害を免れており、発展の一途を辿っているのだという。それほど栄えた街ならば闇市場も繁盛しているかもしれないとエアースカーペは少し胸を躍らせる。
立ち並ぶ店々の陳列を流し見しながら、目ぼしいものはないかと歩みを進める。
すると、不意に。
見覚えのあるパーマがかった金髪が視界に入ったような気がした。
二度見すればそれは宝石や貴金属を扱う装飾品店で、店内で柔らかそうな金色が揺れている。エアースカーペはつかつかとその場所へ近づき、店の扉を開け放った。
「あれっ、エアース?」
驚いたような声とともに振り返ったのは予想通り、レオンハルトだった。彼はレジの向こう側、本来店員がいるべき場所に立っていた。おまけに店のロゴが入った名札のようなものまで身に着けている。
「早いね、帰還予定は明日じゃなかった?」
「繰り上がったんだ。それより、アンタはこんなところで何をしているんだ」
「えーっと、バイト?」
気まずげに頬を掻きながらそう答えるレオンハルトに、エアースカーペは眉根を寄せた。彼が自ら進んでこんなバイトに勤しむ理由などひとつしか思い当たらない。
「アンタ、また借金でもこしらえたのか」
「まだこしらえてないよ」
「これからこしらえる予定があるんだな」
「…………」
貼り付けたような笑顔のレオンハルトがすっと視線を外す。嫌な予感は的中したようだ。
この男の可愛い顔に似合わない浪費癖は今に始まったことではない。いくら叱ったところで無駄であり。むしろ先に金を貯めようとしているだけ褒めてやってもいいぐらいだとさえ思う。しかし。
「販売員のバイトじゃ実入りが良くないんじゃないのか」
「まあ、そうなんだけど」
「せめてもっと稼ぎのいい仕事でも探したらどうだ」
言外に、必要ならその間用立ててやってもいいという提案を含んでいた。普段のレオンハルトであればすぐにでも飛びつき、じゃあよろしくねと支払いをエアースカーペに押し付けただろう。その後本当に仕事を探して目標額を稼ぎ出し、きちんと清算をするのだから憎めない兎である。
だが今日の彼は違った。
「いや、大丈夫」
はっきりとした否定に、今度こそエアースカーペは瞠目する。この男が金貸しの申し出を断るなど、明日にでも突如急発達した天災がこの地を襲うのではないか。
「どうしたんだ、レオンハルト。アンタ誰かに弱みでも握られたのか」
彼はエアースカーペと同じく、無駄な苦労を美徳とは思わない男だ。多少の危険が伴う任務でも、短期集中で働いて大金を手にする方が性に合っていると普段から豪語している。それなのに、この釣れない反応。この店で働くことを何らかの理由で強制されているとしか思えなかった。しかしレオンハルトは首を横に振るばかりだ。
「そんなことないって」
「だったらこんな所で働く必要なんてないだろう」
「そんなことないよ」
「じゃあ一体どうして」
あまりに意固地な態度に、こちらまでムキになってしまう。感情のままに畳みかけそうになった、その瞬間。レオンハルトがキッと睨みつけてきた。
「もう、気にしないでってば」
ブルーからイエローに美しく移り変わる瞳が感情に揺れている。いつも飄々としている彼にしては珍しく、声を荒げて。
「エアースには関係ないから!」
シン、と静寂が降りた。
数瞬、どちらも動きを止めたまま。
「……そうか」
呟いた言葉の温度は、我ながら低く感じた。そのまま踵を返して店の外に出る。レオンハルトが追いかけてくることは、なかった。
それ以上街をぶらつく気にもなれず、枝豆だけ購入したエアースカーペはさっさと自室に戻っていた。ルーティーンの筋トレを終え、久しぶりの柔らかいベッドの上で枝豆を頬張る。そんな幸せな時間にも反芻してしまうのは今日のレオンハルトの様子だった。
実のところ二人の間に隠し事の類はこれまでほとんどなかった。幼い頃から行動を共にし、お互いの財布の中身までほぼ分かっているような間柄だ。口にせずとも察せることも多く、分からないことも訊けばはぐらかされることはない。なかった。
だから今日、彼が言葉を濁したことがエアースカーペに大きな衝撃をもたらした。
「…………」
パキッ、と口の中で枝豆の鞘が弾ける。ほんのり甘い豆と、歯ごたえの良い鞘。二つを一緒に咀嚼するのがエアースカーペの楽しみのひとつだ。悲しいことに、周囲からはあまり理解されないのだが。レオンハルトにさえ揶揄されるほどだ。けれど今の彼は、枝豆を食べる自分の姿を見て本当にからかってくるだろうか。
どんな発言をすればどんな反応が返ってくるか、これまでは手に取るように分かっていたはずなのに。今日だけではない。ここ最近、レオンハルトの言動が読めないことが多かった。
どこへ行くにも一緒に居たがったかと思えば、突然姿を見せなくなったり。任務から帰ってくると自室に枝豆の塩漬けが山盛りに積まれていたこともあった。帰投に併せてレオンハルトが購入したのだというが、そんな甲斐甲斐しい真似をされたことなど今までない。熱でもあるのかと問えば何故か激しく怒られた。
「アンタは今、何を考えているんだろうな」
自嘲気味に独り言ちても、返事を返すものは誰もいない。最後の枝豆を口に放り込むと、エアースカーペは寝返りを打って目を閉じた。
コンコン、と控えめなノック音で覚醒した。いつの間にか寝てしまっていたらしい。窓の外はすっかり暗く、仄かな月の光が差し込んでいる。
「誰だ」
「俺だけど」
扉の向こうから返事を寄こした声の主は昼間ひと悶着あった相手だ。あの時より幾分か気持ちも落ち着いている。いつまでも喧嘩したままというわけにはいかないだろう。
「入っていい」
身を起こしながらそう返答すれば、即座に出入り口が開いた。レオンハルトは気まずげな表情を浮かべたまま、エアースカーペの前まで歩み寄ってくる。
「その……」
何か言いかけて、金髪の男はすぐに言い淀んでしまう。彼はこういう雰囲気がめっぽう苦手だった。己に非がある時は、特に。すっかり変わったと思っていた幼馴染にも変わらないところがあるのだと知り、エアースカーペの口の端が僅かに緩む。
「昼間は悪かった。アンタの事情も知らないのに言い過ぎた」
甘いなと思いつつ、ついつい助け舟を出してしまう。ようやくレオンハルトが泳がせていた視線をこちらに向けた。
「俺こそ、ちゃんと説明できなくて」
そう言うと彼は大きなジャケットのポケットから何かを取り出した。
「実は、これをエアースにあげたくて」
差し出されたのは重厚感のあるシルバーのイヤーカフだった。手に取ってみればしかし不思議と軽く、耳への負担は少なそうだ。
「これを買うためにバイトなんてしてたのか」
「エアースへのプレゼントなのにエアースからお金借りたんじゃ意味ないでしょ」
曰くこのイヤーカフはあの装飾品店の商品で、店を手伝えば給金を支払う上に多少の値引きもしてくれるという条件だったらしい。
レオンハルトから物をあげると言われることはしょっちゅうだ。彼の身の回りには常に使いきれないほどの物が溢れているのだから。だが、彼がエアースカーペのためにと物を買ったことはほとんどない。しかもわざわざ、バイトで金を捻出してまで。
加えてレオンハルトのかっこよさの感性は理解し難いところが多々あるが、このイヤーカフはシンプルな武骨さを備えており、エアースカーペの好みにも合致する。わざわざ選んだのだろう。自分ではなく相手が好むものを。
どうしようもなくむずがゆかった。素直に感謝を口にする気にはなれず、エアースカーペは軽口をたたく。
「どうしたんだ、アンタ。最近ちょっとおかしいんじゃないのか。こんなに優しくするなんて」
そう言えば、同じような冗談が返ってくるものと思っていた。しかしエアースカーペは予想外にも、真っ直ぐな眼差しを向けてくる。
「ドキッとした?」
「は?」
「胸が高鳴って頬が熱くなったりした?」
何を訊かれているのか分からないが、どうも目の前の男は真剣なようだった。ならばエアースカーペも真剣に返答するしかない。
「しないが」
「だよねぇ」
がくっと目に見えてレオンハルトが肩を落とす。やはり今の彼の行動は理解不能だった。困惑を隠せずにいると、ひとしきり落ち込んだ様子の彼が呟いた。
「まぁでも、諦めないから」
気を取り直すように、頭を軽く振って。そうして浮かべられたレオンハルトの柔らかい笑みに、エアースカーペはまた肌の表面がむずむずと痒くなった。こんな表情、知らない。彼の知らない面に触れる度、いやに心が落ち着かなくなってしょうがない。
「何がだ」
レオンハルトの言葉の真意が分からずそう問えば。
「ううん、こっちの話」
幼馴染は優しい笑顔を湛えたまま、また話をはぐらかした。エアースカーペは一抹の寂しさを感じる。けれど相棒を止めるだとか、離れ離れになるだとか、そういう悪い方向に転がるものではないのだろうということだけ肌で感じていた。
手の中ではイヤーカフが室内灯を受けて鈍く光を放っている。
「どうしようエアース、このバキーすっごくかっこよくない? 二人乗りもできるみたいだしさ、利便性もばっちりだよ。あぁでもお金が足りないな、どうしよっかなぁ」
「だからまずは金を貯めろといつも言っているだろう。人の金を頼るな!」