イミテーション 瓦礫の落ちる音が滝のように響いていた。倒壊する建物から間一髪転がり出て、エアースカーペは身を起こす。充満する砂埃が気管に入って、思わずごほごほと咳き込んだ。
本当はここまで大規模に敵の根城を破壊する予定ではなかった。そもそものお題目は潜入任務、スニーキングミッションなのだから。けれど見つかってしまった以上は仕方がない。愛銃の攻撃を乱発した結果、思いの外老朽化が進んでいたらしい建物は脆くも崩れ去ってしまった。それだけだった。
服の汚れを軽く払って立ち上がる。相手はあらかた始末したはずだが、隅々まで見て回ったわけではないので生き残りがいてもおかしくない状況だ。さっさと撤退するに限る。エアースカーペは足早にその場を離れ、元来た林の中に戻った。
道なき道を歩くこと数分、見慣れた車が見えてきた。運転席の人影がひらりと飛び出してきてエアースカーペを出迎える。
「おつかれ」
遠目からでもよく目立つふわふわとした金糸の髪を揺らして、レオンハルトは微笑んだ。
「首尾はばっちり?」
「あぁ」
胸元に下げる薄型のポーチに軽く触れる。この中に入手したメモリを仕舞ってある。今回の任務の最大のお目当てだ。
「早く帰還しよう」
「そうだね。さ、乗って」
レオンハルトが運転席に、エアースカーペが助手席に乗り込むと車は軽快に走り出した。カーラジオからは異国の会話が流れている。彩度の低い緑は次第に密度を減らし、やがて視界を遮るものは何もなくなった。空と大地ばかりの変わり映えのない景色の中、小さな四輪車は排気ガスを上げながら進み続ける。
「座りっぱなしでお尻が痛いよ。早く帰ってのんびりしたいなぁ」
「そうだな」
それなりの時間を走り続けているが、ロドスの停留地まではまだまだかかる。長時間労働を強いられているドライバーには負担がかかっているだろうが、口の割に彼の表情は明るい。
「やっぱり運転手がお似合いなんじゃないのか。転職したらどうだ?」
エアースカーペがそう冗談を言うと、レオンハルトはあからさまに頬を膨らませた。
「そしたらエアースはどうするのさ」
「どうとでもなるさ。相棒もいるしな」
傍らの銃をぽんぽんと叩くとレオンハルトは不服そうな顔をしたまま閉口した。
ゴツゴツとした岩肌が見え隠れする荒地を車は何なく抜けていく。
「そろそろ休憩でもしたらどうだ」
「そうだね」
車は緩やかに減速し、道路脇で歩みを止めた。レオンハルトが飛び跳ねるように外に出る。エアースカーペもそれに続いた。
「んー、風が気持ちいい」
ぐぐっと伸びをするレオンハルトの髪がはためくように靡く。金髪の隙間から見え隠れする、そのこめかみに。
――エアースカーペは愛銃を突きつけた。
「エ、エアース?」
レオンハルトが目線だけを向けてくる。動揺に揺れる澄んだ湖のような瞳の美しさは、見慣れたそれと寸分違わない。けれど、エアースカーペには確信があった。
「くだらないアーツだな」
「何言ってるのさ、缶詰になりすぎて頭がおかしくなっちゃったのかい?」
「見た目は完璧だし中身もそれなりに調べてきたようだが」
「ねぇってば、エアース……」
なおも言い募ろうとする男を、エアースカーペはあっさりと切り捨てる。
「レオンハルトは俺を手放すようなことはしない」
「……ふざけやがって!」
レオンハルトの喉から飛び出した声はおよそ彼の声とは似ても似つかない低く太いしゃがれ声だった。少年の腕がぐにゃりと異様な形に伸びて、鎌のように鋭い切っ先を形作りエアースカーペの心臓めがけて駆ける。
獰猛な獣のようなその速度もしかし……臨戦体制のオペレーターには敵わない。
引き金に添えた指に軽く力を込めて。
――雷撃が迸る。
黒焦げになった身体が見る間に姿形を変えていく。相棒と似ても似つかない男が身につけていた、もうほとんどが灰と化した衣服には、特徴的なプレートが縫い付けてあった。破壊してきた拠点にいた敵の制服にも同じものがあったと記憶している。何かの証拠や手がかりになればと、エアースカーペはそれをもぎ取った。ぷつりと簡単にちぎれたそれを胸元のポーチにしまう。
先ほどの稲光と轟音が嘘のように、辺りは時折強く吹き付ける風の音だけが響いていた。しかしエアースカーペの鋭敏な耳は、車のトランクから聞こえてくる微かなリズムを捉えていた。内側から、トントンと。音の方向に誘われるがまま歩み寄り、蓋を勢いよく跳ね開けた。
布貼りの暗い空間に転がされていたのは、手足を縛られ口にテープを貼られたレオンハルトだった。何度も何度も蹴ったのか、足元付近の壁が白く汚れている。縄を切り口枷を剥がしてやると、囚われの少年は大きな深呼吸を繰り返した。そして不意にエアースカーペを見上げて、目を吊り上げる。
「ちょっと、エアース! もっと早く助けてよ!」
「運転中の相手を刺激できないだろう」
「それはそうかもしれないけどさ、こっちは何時間もこの体勢ですっかり身体が固まっちゃったよ」
「文句があるならおめおめと捕まったアンタ自身に言うんだな」
「うっ……それは否定できないけど……」
バツが悪そうにレオンハルトは目を逸らす。反省はしているようだ。そうであればこれ以上責めても仕方がない。エアースカーペは踵を返して助手席に乗り込んだ。すぐにレオンハルトも運転席に座る。重低音でエンジンがかかり、車は再びロドスを目指して走り始めた。
「偽物の俺とはどんな話をしてたのさ」
数分もしない内にレオンハルトがそう問いかけてきた。エアースカーペは静かに目を閉じて応える。
「どうでもいい話だ」
「えー、何それ。あ、ちゃんと掴まっててね」
直後、ガタンと大きな音を立てて車が跳ねた。衝撃でエアースカーペの眉間に皺が寄る。
「あはは、ごめんごめん」
「そんなんじゃ一人前の運転手になれないぞ」
「だから、護衛付きの運転手の仕事なんてそうそう無いでしょ?」
当然と言わんばかりにレオンハルトが言い返す。そうだな、と呟いたエアースカーペの唇は小さな微笑みを形作っていた。