横浜港北JCT「ヒナイチ君とジョンは後ろの席だぞ?ゴリラの運転技能はお世辞にも上手いと言えないからな。前に乗った時には運転が怖すぎて本気で死んだから、安全第一だ!(スナァ!)」
元々行きと同様帰りも後部座席にヒナイチとジョンに乗ってもらうつもりだったが、クソ砂がマジで腹立つことを言ってきたのでワンパンで砂にした。
「いや、ドラルク。ここに来るまでのロナルドの運転は、言うほど下手ではなかったぞ?」
「本当に? 気を使う必要はないぞ? この若造には」
「うるせーわ。置いてくぞクソ砂!」
ヒナイチの言葉に猜疑心たっぷりのドラ公にはもう一発お見舞いして、レンタカーの後部座席のドアを開ける。ジョン用に借りたチャイルドシートに、と思って先に乗せると、ジョンは器用に自分でベルトをした。
「悪いなヒナイチ」
「構わない」
運転手の後部座席にチャイルドシートを置いてしまったことを詫びると、ヒナイチはそう返事をして後部座席に座る。扉を閉めると、
「早く乗れって。本気で置いてくぞ。それともガチでトランクに積まれたいのか? シートベルトもないトランクなんか全然安定しねーだろ。そんなんで運ばれたら、オマエ新横まで何回死ぬつもりだよ?」
人型になったものの、ドアを開けるのを躊躇うようにしていたドラ公にそう声をかけると、ちょっと眉間に皺を寄せた後に意を決して、と言うように扉を開く。そんなにか。また乱暴な運転してやるぞ。そう考えたくなるような態度に口角を下げながら、シートに腰を下ろして扉を閉めるのを確認すると、自分でも運転席側に回った。扉を開けると、しっかり。と音でもしそうなぐらいの丁寧さと慎重さで、ドラ公はシートベルトを締めている。後ろの二人が居た事を安堵しやがれ。舌打ちしてスタートボタンを押すと、俺は車を動かした。
「安全運転だぞ」
「当たり前だわバーカ。砂にして道々落としてってやろうか」
「暴力反対!」
するわけがない。そんなことをするような自分ならば、ドラ公を、埼玉までわざわざレンタカーを借りて迎えになんかくる訳がない。
ドラ公がオフクロさんの能力で子供に変えられて連れていかれた時、一瞬どうすればいいのか本気で分からなかった。何をどうしていいかの見当がつかな過ぎて、動揺ばかりが先に立って。名前を呼んだどころで、ドラ公が戻る訳でないのにドラルク! と叫ぶことしかできないままで。
親御さんとはいえ尋常じゃない! とそう言い切ったヒナイチの言葉に、親子関係とはいえ、大人であったドラ公の意識を封じて子供に変えてまでの行動は、単なる拉致以上、未成年略取に準ずるだろう。それは、まずい。連れ戻すのが妥当だと、反射的にそう思い至ることが出来たのは、僥倖だと思う。
その点に関してはヒナイチが居て助かったな。とそう思いながらバックミラーで後部座席の様子をうかがうと、車が動き出してすぐだというのに、もううとうとと眠りと覚醒の間を行き来している。鏡の中で伺い見られるジョンも、同じように生あくびだ。
そのミラーの奥、ひまわり畑が小さく遠ざかっていく。点になっていく黄色を見ながら、ドラ公がここの写真を送ってくれたことに、本当に感謝した。多分これがなかったら、たどり着くまでに相当の時間がかかっただろう。
横浜港北JCT、みなとみらいの大観覧車、毎度おなじみにもなっているヴリンスホテル、そして、ここ。埼玉のドラルク城跡地。城の瓦礫の散乱したこの場所に、たくさんのひまわり。
俺とドラ公とが初めて出会った場所。
「なんだこれ、急に、風景……? 瓦礫と、ひまわりだぞ? そんな所はいくらでも……」
「いや、分かった。あそこだ! 絶対に間違いない! 元の、アイツの城だ」
「ドラルク城跡地! なるほど! 資料で見た事があるぞ? そうだな、そうに違いない! 早速吸対の車を」
「いや、レンタカーを借りる。店はここからすぐだ」
レンタカーを借りると言った俺に困惑するヒナイチを説き伏せて、すぐさま店に走り込んで借りる車を決めた。何もかもを置き去りにしたままのあいつを絶対に連れ戻す。そうオヤジさんに啖呵を切った時には、心が決まっていた。ドラ公の今の居場所はここで、ここで暮らしていくんだと、そんな、揺るがない思いで。
ふと、静かな助手席を見る。助手席に座るドラ公は、手袋をしていても分かるくらい、手にきつく力を入れてシートベルトを握りしめている。表情は嫌悪感と悲壮を感漂わせていて、助けに行った甲斐が無さすぎる。
以前乗せた時に、まぁドラ公だから、と言う感覚と、そもそも車内で砂になって舞い上がったところで、停車した時に元に戻るだろうなんて考えで、個人経営のレンタカー会社の、その店でも一番安いレンタカーの助手席に乗せて、吸血鬼退治に行った事があった。安いだけあって、サスペンションが完全に死んでいるボロ車で、予想通りドラ公は死にまくった。それが本人の記憶にぎっちりと刻み込まれているんだろう。今日は大手のレンタカー会社の、いつもなら借りないクラスの乗用車だ。
しかしながらビビり具合が面白い。両親に愛されている姿と言い、いつもとは違うドラ公を見れた。なんて思いながら、オフクロさんに強い態度を取っていたのを思い出して、うっかりにやにやする。
「……思い出し笑いはスケベな人間がする事だろう」
「るせ。お前が溺愛してくれてる自分のオフクロさんに強く出てる所が思春期過ぎて面白すぎたんだわバーカ」
そう突っ込んでやると、う。と呻いて言葉を止める。親子で喧嘩しているところなんか、普段他人に見せない家族の舞台裏だ。なんだかんだ言ってカッコつけの所もあるドラ公には恥ずかしさもひとしおだろう。いつもなら口八丁手八丁、言いくるめられて悔しさのあまり暴力で解決するのに、今日は黙らせてやった。と思っていたら、ドラ公はシートベルトを掴んでいた手を、ふいにそっと下した。
「……今日は普通の運転じゃないか」
「前のは車が悪かったんだよ。今日は大手のレンタカー会社の車」
そう返すと、君が?とドラ公は目を丸くする。驚くのも無理はない。普段は二円のこたつを買ったり、家賃八千円の事務所に住んでいるから。レンタカーを即時で借りるとどうなるか。高い。高い車しか残っていない。散財。
「……すまないな」
「殊勝だな」
こっちが揶揄うように笑いながら言うものの、ドラ公は返事を返さない。珍しいな、と思う半面、いつもと違い過ぎて調子が狂う。
「……てか、お前が帰るところ俺の家だからいいんだよ。夜食とか作ってもらうし、qs4も配信用のPCも、棺桶だって置きっぱなしなんだから」
「かといってだな、ビジネス的には相棒だがその程度の相手に対して、だな」
「お友達なんだろ。子供に変えられてた時に言ってただろお前。だってきっとお友達だって。……友達には頼っていいんだよ。変な遠慮しやがって…………?」
友達。
繰り返して言ってみたものの、ちょっとだけもやっとして、そう口にした後につい片手をハンドルから離して、そっと腹を触る。
「……帰ったら夜食作ろうか。何か、ロナルド君が食べたいものと、あと、クッキー。ヒナイチ君に」
腹に触れるオレの行動を見ていたドラ公が、告げる。
「マジで。からあげ食いたい」
「いいよ」
「肉ばっかり食べるなとか言えよ」
「気にしてるなら肉以外をリクエストしろ若造。三十年後中性脂肪とコレステロールで苦労するぞ」
ちょっとは調子が戻って来たらしい。心なしか硬かった表情を緩めて憎まれ口を叩いたドラ公は、可愛げのない顔で窓の外を見る。ずっとグレーの壁が続く高速道路は、東北自動車道を抜けて、首都高へ入ったところだ。
「……高速道路は壁が高すぎて景色が見えないな」
「仕方ねぇだろ。明日もヒナイチ仕事だろうし、さっさと新横に帰るんだから」
ある程度自由の利く自分とは違うヒナイチを帰してやらないとならないし、いい車での久々の運転、自由がきくからと言ってのんびりドライブを楽しむわけにもいかない。
「そうだね」
ドラ公はそう言いながら、グレーの壁を見続けている。つまらない同じ景色ばかりずっと見ていて、何を考えてるんだ。と思いながら、中央環状線の分岐を確認するのに、近づいてくる標識を確認していたら、
「ありがとう」
と、小さい声。ドラ公から?思わず前方から視線を外して完全に横を向くと、ドラ公の耳の端が、赤く染まって。
めちゃくちゃ照れてるんじゃねぇかよ!
「馬鹿! 高速道路でわき見するんじゃない!」
耳の赤さを確認して即そう言われて、視線を戻す。それなりに車の走っている川口線だが、運よく周りになにも居なくてほっとする。けれど、
「……お前、感謝とか言えんじゃねぇかよ……」
半ギレでも、ふざけた調子でも、煽るような調子でもないそれを口にして、ドラ公は自分の耳が赤くなっているのに気付いているのか、隠すかのように自分の耳に手を当てて煩い、と言う。
お、めっちゃ楽しい。
「二百歳越え砂おじさんのツンデレ~www」
「ン゙ア゙ー! 煩いな! 安全運転はどうした!」
「騒ぐんじゃねぇよ、ジョンとヒナイチが起きるだろ」
伝家の宝刀を振りかざすと、機嫌を損ねたドラ公は、悔しそうな顔をしつつぴたりと押し黙って、今度は完全に窓の外に目をやったままになる。それから先ドラ公は、話はおろか振り向く事無く、車は第三京浜へと入っていった。
◇◇◇
「……ヒナイチ君、吸対まで送って行かないとだろう」
体に心地良いGを感じながら、港北JCTの作る小さな円と大きな円をぐるりと回って国道に降りた時、ぽつりとドラ公が声を出した。
やっと喋りやがった。拗ねまくって、高速道路の単調さでこっちは眠気と戦うのに苦労したぜ。と言いたい気持ちを堪えて、そうだな。と返事を返すと、ドラ公がヒナイチ君。ヒナイチ君。とヒナイチを呼ぶ。
「……あ、すまないすっかり眠ってしまっていた……」
恥じるように俯くヒナイチに、ドラ公と「大丈夫」「いいぜ」と声を掛け合い、公務員宿舎に送り届ける。
「今日ぐらいは床下じゃない方がいいだろう。ゆっくり体を休めるといい」
だいぶおかしなことを言っているが、日常的に床下に居るヒナイチを労い、車をスタートさせる。駅前からちょっと離れた場所のコインパーキングはどこだったか、と考えながら、助手席に乗るドラ公に、
「あ、どっかコインパーキング停めるぞ。流石にこの時間にレンタカー会社開いてないしな。少し歩くけ」
「私はドラルクキャッスルマークⅡ前で下ろしてくれ」
「ハァ⁉」
オレの語尾にかぶせるようにそう言い切るドラ公に、キレながら思わず拳を握ると、ドラ公は暴力の気配に窓際に避ける。そして、
「先にからあげの仕込みをしておくのだが?」
とそう言われてしまっては、ぐうの音も出ない。埼玉を出た頃とは逆の立場になった、と思いながらドラ公の希望通りに、事務所前を通る道を行くべくウインカーを上げた。深夜を過ぎて人通りはほとんどない道を通り、数分で事務所の前に車を横付けする。
「やーロナルド君ご苦労! 下男はねぎらわねば!」
「誰が下男だ!」
拳を繰り出す前に、ドラ公はドアを開けて、ひょいと車外に出る。そして、助手席側の後部座席のドアを開けると、ジョンをチャイルドシートから抱き上げ、そのまますぐに眠っているジョンの額にキスを落として。
「そういえば下男ではなかったな」
そう言って、後部座席で前かがみになったまま、俺に向かってにやりと邪悪な笑みを向ける。
「お・と・も・だ・ち、だ」
友達。
「お友達には頼っていいんだろう? どこか適当な所に車を停めてきてくれ。明日の返却も忘れずに」
「……するわ! 言われなくても!」
後部座席で拳が届きにくいのをいいことに、煽るような口調でそう言うと、ドラ公はひらりと車外に出て、ドアを閉める。バタンという重い音と対比して、軽やかに歩道に上がり、ひらひらと手を振る。そして踊るような足どりで事務所入り口に向かって歩いていってしまった。
「……クソ」
確かに送り届けた形になったのは自分だが、悪態が口をついて出た。乱暴にウインカーを右に動かし、車を出すと、あたりをつけていた、ちょっと遠いコインパーキングまで車を走らせる。勢いのままパーキングのロック板に乗り上げるとガタン。と大きく車が揺れた。それすら何だか苛立って舌打ちして、それから、そんな些細なことに腹を立てている自分が急に嫌になって、ハンドルに額をつけると、大きく息を吐く。灰の中を全部吐き切る勢いで溜め息を吐くと、エンジンを止めて車から降りた。
友達。
「……何腹立ててんだよ、俺は」
子供になったドラ公が言って、俺が言った言葉のくせに。いや分かってる、分かっているんだ。
「あ゙────!」
気付いて、しまった。
友達じゃ、嫌だ。と。
友達なんて言われるのは、本当は嫌なんだ、俺は。
そういう関係性なんか、アイツに求めていないんだ。
目頭が、熱い。
ここしばらくずっと吸っていないのに、ひどく煙草が吸いたい気分だった。
完