海辺の蝶(仮題)「傑さん…ココ、ライブするとこなんだよね?海辺でめっちゃ雰囲気あるけど、…なんでプールあんの?」
薄手のモッズコートにワンポイントのシンプルなロングシャツ、黒いズボンにボディバッグの少年が、真四角のプールをキョロキョロ見回す。なにも知らないものが見れば初めてこのイベントホールに来たのだろう、と思える微笑ましさだ。
「え?海の近くで、プールもあるんだよ?すごくイカしてるだろう」
三度見してくる生徒をヨシヨシと撫で、並んで会場に降り立った教師は、今日は髪をひとまとめの団子にし、少し色の入ったラウンド型の伊達眼鏡をかけている。
薄手のダウンジャケットにアーティストロゴが大きく描かれたシャツ、渋めのカラーパンツ。マスクもシャツと揃いのアーティストロゴ入り。明らかにイベント慣れした客である。
──人間が多く集まり、催し物が行われる各種イベント施設はその性質上、どうしても呪いが生まれやすい。
そのため、このように建物の定期メンテナンスや巡回を頼んでいる大口の依頼者は決して少なくなく、呪術師の大きくかつ安定した収入のひとつだ。
「ちなみにプール、柵とかないけど飛び込んじゃダメだからね。すごく怒られるよ」
「やだなあ傑さん、そんな、幾ら俺だってそこまでコドモじゃねーしプールではしゃいだりしねーよ?」
沈黙。
会場内は音出しをしているのか、ドンドンというくぐもったベース音が時たま聞こえてくる。
「……………。さて、今日は警備任務だって話は、行きの車の中で」
「傑さん!傑さん!テンション上がったらそーいう気分になることだってこう…あるよね!ね!!」
「これだけ大きなクラブハウスだと、やっぱり相応の」
「あーっ!先生モードで完無視しないでえ!謝ります!ごめんなさい!ごめんなさい〜!!」
◇◇ ◇◇
「今日はさっきのプールゾーンも含めて、全エリアをひとつのイベントで使っているよ。見たところかなり大きなイベントで、かなり有名なアーティストを…うん!随分沢山呼んでるね!そりゃあお客の入りも多くなるはずだ!」
「…先生、ヘーキ?人やじゃない?」
教師の笑顔が仮面のように貼り付いているのを察知し、生徒は気遣わしげに声を上げる。
「勿論気分は良くないが、…これは仕事だからね。私、今日は高専の教師…呪術師として、君と依頼受けてきているわけだし。
これが教祖としてさる…信者の方々に頼まれたなら私の一存で断るか、『家族』に任せてしまうけれど」
「…ええと、じゃあ俺が走り回って」
「悠仁。クラブはね、どんなに素晴らしい曲がかかっても絶対に走ってはいけないんだ、いいね、走ってはいけないよ。
勿論、気持ちはありがたいけれど、区画の別れた複数エリアを一人で、遠見や式神等の術式もなく警備任務はさすがに厳しいと思うな…」
「あー…俺も伏黒みてーに式神出せたらなあ…」
『生意気を言うなシャバ僧が』
手と頬を叩き合う一人と呪いを教師は目を細めて見る。
ふたりで場所確認がてら、連れ立って何周か回っていく。プールエリアから階段を降りると、キッチンカーと外付けのバーが設置された大きめの休憩スペースがあった。隣には別建てのダンスフロアがある。
「ご飯や飲み物は経費で落としてしまうから適度に食べな、長丁場だからね。ただどれだけ飲み食いしたかはおおまかに覚えておいて。
私たちは…ああいった、施設のセキュリティでは無いからね。うまく雰囲気に馴染んで、実際呪いを見つけたら適宜対応していく形だ。」
教師が指した先では、タッパがデカく顔の怖い黒服が入口前で身分証の確認をしたり、見回りをしている。
「あほんとだ、背中にセキュリティって」
「これだけ大きいと人数も多いね。ここの中の人には話は通してあるからさ…客同士のいさかいとか、酒で終わってる……猿は彼らや、Tシャツを着ているスタッフに任せるんだ、そういう対応のプロだからね」
酒で終わる?と首を傾げる生徒に、あと5年経ったら分かってしまうかもね、と苦笑した。
『小僧!肉の塊が置いてあるぞ!蛮族の屋台か?!』
「ウワ目ざと!肉大好きじゃん」
「ふふ、ケバブだね。」
◇◇ ◇◇
「イベント?の予定、たくさんあんのね」
通路に貼りだされたポスターにはイベントスケジュールがたくさん書かれている。
飲み物を持った客が、目当てのアーティストを見に各エリアに歩いて行く。
「人気の場所だからね、皆ここでやりたいのさ」
「どういいの?やっぱりプール?」
「そうだね、プールエリアはやっぱりここの特徴だ。海風を感じながらいい曲聞いて踊るのが良くてね…あとで見に行ってみな、ついでに微弱な水霊がいたからよろしく」
「最後ので台無しになったけど!」
あとは、と通路を進めば、腹どころか髪の毛先まで震わせる轟音。
爆音と言うほどの大きな音ではないはずなのに、とんでもない圧力を全身に感じる。
「あとは…まあ、コレだよね。凄い音だろ」
「コレどっからでてんの…」
「上から下がってるの、あれ全部スピーカーだよ。フロアの黒い塊も全部ね」
入れそうだから降りてみようか、と階段を降りれば、
『フン、帳を作り音を奏じ、月の見立てものを浮かべる。正しく祭だな』
生徒の頬が目口を開け、呟く。
「ふふ。…そう、『フェス』。festivalだ」
◇◇ ◇◇