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    shimotukeno

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    shimotukeno

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    プリンスのフーイルのバッドエンドルート(8/15)

     無機質な足音が白い廊下に響く。金髪の少年は、重い足取りで今日も病室を訪れる。手には野花を摘んできたような花束。野に出ることは難しいであろう女への、せめてもの慰めであった。
     その女は美しかった。どことなく異国を感じさせるエキゾチックな顔立ち。濃く長いまつ毛に彩られたふたつの柘榴石。白くなめらかな肌。濡羽色の艶やかな黒髪。美しいカーブを描く唇。薔薇色を帯びた頬。彫刻のように通った鼻筋――。 
     それらを少年は作り直そうとした。ガラティアの子孫(アドニス)のような美少年は、何度も挑んだ。何度も。何度も!  だが無駄だった。 
     まるでその姿こそ本来の姿だとでも言うように。 
     白い肌は焼け爛れたように赤く、引き攣れて。 
     咲き誇っていた花は見る影もなかった。

     人は外見ではない……というのは綺麗事だ。うなるほど金のある富豪が、人生の幸福に金なんて関係ないと言い放つのと同じようなものだ。外見は大きな価値だ。裏社会の男であれば顔に酷い傷を負ったとて、勲章だ箔がついたと笑うこともできよう。だが。彼女は、そうはならなかった。
     いっそ目覚めなければどんなに幸せだったろう? だが不幸にも彼女は目覚めてしまった。そして、誇り高い彼女の精神は、完全に壊れてしまった。
     フーゴは病室のドアをそっとあけて、中をのぞき込んだ。ベッドの傍らには、彼女の上司であるリゾット・ネエロが座っていた。
     
    「イルーゾォ……」
     銀髪の男は、疲れ切った顔でうめいた。内臓は修復できた。だが、パープル・ヘイズのウイルスを直に食らった顔面は、左側を中心に損傷が激しく、左目はほとんど開けられなくなってしまった。何度作り直しても、戻ってしまう。何百何千年も眠っていた植物の種子が時を超えて芽吹くように、ウイルスも目覚めてしまうのだろうか……。 
     顔に包帯を幾重にも巻かれ、ベッドに横たわる女は、歩くことも、話すことも、食べ物を噛んで飲み込むこともわからなくなってしまった。栄養もうまく取れないので、手足は次第に痩せ細っていった。 
     仕事への復帰は絶望的、どころか、今後正気を取り戻せるかもわからない。 
     あの自信たっぷりな目つきは。豊かな表情は。軽快な笑い声は、取り戻せるのだろうか? 取り戻して良いものだろうか? 
     今はただうつろな目を開けているだけ。動くものを反射的に目で追いかけているだけ。まったく一定のリズムで呼吸をしているだけ。 
     ――正気を取り戻しても、誇り高い彼女はさらなる苦しみを味わうだけだ。戻らない顔に嘆くだけだ。哀れみの目に傷つくだけだ。助けられるばかりの自分に絶望するだけだ。
     もはや『イルーゾォ』は生きていない。死んでいないだけだ。 
     せめて彼女の正気が眠っているうちに。何度思ったかしれない。一人の人間の命を断つなど、彼の能力なら容易いことだった。苦しませず、一瞬で的確に仕留めることもできる。しかし本気の殺意を向けるには、彼は身内を無条件に愛しすぎていた。どんな姿になろうとも、その精神が砕けていても、彼にとって愛する身内なことには変わりなかった。
     ふいにトントン、とドアを叩く音がした。そこにはフーゴが立っていた。
     花束を持ったフーゴは、病室に入ると入り口で立ち止まった。彼は頻繁に見舞いに来るが、罪悪感のためか、決してベッドには近づかない。
    「やあ、フーゴ。いつも悪いな」
    「いえ……僕はこんなことしか出来ません。こんなことしか……」
     フーゴの顔はかなり憔悴している。無理からぬことだ。彼の能力は肉体を破壊する殺人ウイルス。それを食らったイルーゾォの命が繋がって、容態が安定したと知ったときには、チームの仲間と同じくらい彼は喜んでくれた。致命的に溶けかかった状態であっても、助かる道があるのとないのとでは大違いだろう。ホルマジオは「それだけじゃないな」とニヤついていたが……。
     だが、顔がなかなか戻せないと知って、フーゴの顔はいくらか曇った。この時点ではジョルノの能力との相性の関係も考えられ、パッショーネのネットワークと、ジョルノの個人的なコネに、まだ望みを託すことができた。
     しかしそれも、イルーゾォが目覚めてしまうまで。
     ある秋の日に、イルーゾォは目覚めた。そして、窓から見える秋の景色と、顔にぐるぐる巻きにされた包帯、皮膚や左目の違和感、そして自分の周りに当然あるはずの鏡が『ない』ことから、彼女は導き出してしまった。自分の姿が二目と見られないもので――季節が巡っても治療の余地がないことに。そして、その晩確かめてしまったのだ。鏡のような夜の窓で。
     翌日見舞いに来たときには、彼女は既に正気を失っていて、唯一無事であった美しい黒髪は――灰を被ったように、白くなっていた。
     このことはフーゴの精神にも暗い影を落とした。
     運良く生き延びることができても、精神まで破壊し尽くしてしまうのか――と。心身ともに破壊するしか能がないのかと。これでは、ただただ危険なだけだ。敵、味方の区別なく。獣のように、災害のように見境なく。殺すしかできないのかと。
     彼がよく言うようになった「こんなことしか出来ない」とは、ただ己の無力を嘆く言葉ではなかった。
    「フーゴ、そんなに気に病むな。イルーゾォのことは俺たちに任せてくれ。ボスもさまざまな人材を当たっている」
    「ええ。……え?」
     フーゴは突然驚いたように目を見開いて、あらぬ方向に振り向いた。
    「どうした?」
    「今、……いえ……なんでも」
    「お前も疲れが溜まっているだろう。よく休め。あいつは今は何もわからなってしまっているが……花はよく眺めてるんだ。きっと今でも好きなんだろうな」
    「はい、ありがとうございます、リゾット」


     それから三日後の朝――。
     病室からイルーゾォが忽然と消えた。枕元に二枚の書き置きを残して。
     一枚には、書くべきことが定まらなかったのだろうか。ペン先を紙につけたまま、何分も考えた形跡があった。結局、「ごめんなさい さようなら ありがとう」とだけ書かれていた。
     もう一枚には、フーゴへの謝辞が綴られていた。そして、彼を責めてくれるなと書いてあった。
     どちらも紛れもなく見慣れたイルーゾォの筆跡だった。 
     時を同じくしてフーゴも行方不明になっていた。彼も書き置きを残しており、イルーゾォを連れて旅立つことを示唆していた。 
     その日のうちに、ティレニア海に無人の小型クルーザーが漂流しているのが発見された。船には二人が乗っていた痕跡があった。二人は水深三千メートルの地点で水底に消えたらしい。引き揚げることは叶わない。もし可能であったとしても、誰も引き揚げようとは思わなかった。深く暗い海の底に沈んでいることが、二人の望みだとわかっていたから。
     海に消えた二人の葬儀は、身内だけでひっそりと行われた。空っぽの棺には、体の代わりにそれぞれ愛用の品を入れた。片方には鏡を。もう片方には、愛読書を。  悲しみのまま啜り泣く者、悲しみを抑えようとするあまり怒る者、無言で俯く者、唇を噛む者、厳しい表情をしたまま、目尻を光らせる者、様々だった。 
     
    「あの日、最後にイルーゾォの元にきてくれた時……フーゴは……何かに驚いたようだった」
     やわらかな墓土の傍にうずくまったまま、リゾットがぽつりと呟いた。彼は手に包帯を握っていた。クルーザーに残されていたもので――イルーゾォの顔を覆っていたものだ。
    「あの時……、……そうだ、洗面所の方に振り向いたんだ。……あのとき、イルーゾォが鏡の中から、フーゴだけに、何かメッセージを伝えたのかもしれない」
    「そうか……」ジョルノは頷いた。「一人ずつ引き込むとき、イルーゾォが任意に選んだ一人にしか彼女とマン・イン・ザ・ミラーの姿は見えず、声も聞こえない……」
    「『再生』、するか……?」
     あまり気の進まない様子でアバッキオは言った。
    「いえ……」ジョルノは首を振った。「事件性がないことは明らかです。全てを詳らかにしなくてもいいでしょう。二人が交わした会話は、二人だけのものです」
     


     時は少々遡る――。
     未明、フーゴは闇にまぎれて病院に侵入した。昼間自分だけに聞こえたメッセージの真意を知るために。
    『フーゴ』
    『夜中に来て』
    『誰にも言わずに』
    『頼みがある』
     マン・イン・ザ・ミラーが壁を指先で叩いたり、ひっかいたりして伝えてきたのだ。モールス符号だった。
     イルーゾォは正気を失っているはずだ。だが、現にスタンドを使い、メッセージを伝えてきた。正気を取り戻していたのだ。あるいは初めから正気を失ったふりをしていたのかもしれない。
     どちらにせよ、あのリゾットや仲間に正気を隠したまま、自分だけにメッセージを伝えてきたのだ。ただ事ではないことは確かである。
     フーゴは音もなくイルーゾォの個室に入り込む。ベッドサイドのランプだけを点けて、イルーゾォはベッドにちゃんと座っていた。
    「ごめんなさい。ノックもせずに。音を立てたくなかったものだから」
     フーゴは頭を下げてから、ベッドサイドの椅子に腰掛けた。
    「いい。……本当に来てくれるとは驚いたな」イルーゾォはひどくかすれた声で言った。
    「ただ事ではなさそうでしたから、話だけでも聞かないと。それで、僕に頼みたいことって何でしょうか?」
     イルーゾォはひどく真剣な目でフーゴを見た。包帯の隙間から覗く柘榴石には強い決意の光がある。ポンペイで見たときと変わらないあの目。だが、逆に不吉な予感がする。完全に正気の目だからだ。イルーゾォはゆっくりと口を開いた。
    「私の死体を海に沈めてほしい。深い海の底に」
     フーゴは深いため息をついた。耳を疑いはしなかった。きっとそのようなことだろうと予想はついていた。
    「本気ですか? 本気で、僕に?」フーゴは一応きいた。
    「他の人には誰にも頼めない。密かに私の死体を海に沈めて……もう、誰にもこの姿をみられないようにしてほしいんだ。沖に連れて行ってくれるだけでもいい」
    「顔のことなら……治せる人を今探しています。何でも治せる人物がいるとか……。元通りにできるかもしれません。それでも……?」
    「待てない」イルーゾォは首を振った。「いや……もういい。そこまでしてもらわなくていい。あの時、私が生きながらえたから協力関係が成立した。けど、今は生きていなくてもいい。私の役割はもう終わったんだ。これ以上私が生きてたら、みんなダメになる。足の止まった者は捨てなくてはいけないのに。みんなにはきっぱり諦めて先に進んで欲しいんだ……」
     イルーゾォは膝の上で両手を強く握る。フーゴはその痩せた手を見つめた。人一人の首を掻き切るのにも苦労しそうに思えた。
    「……でも、どうして、僕を」
    「誰にも言わなそうだから……。現に、誰にも言わなかっただろ? それに、フーゴは信じられる人だと思ったから」
     フーゴはイルーゾォの手を取った。
    「わかりました。あなたの幸せがそこにしかないのなら。僕があなたにしてあげられることが、それしかないのなら。あなたの信頼に応えましょう。でも、少し時間を……三日ください。準備が必要ですから」
    「ありがとう……本当に。ああ、ほかになんて言ったらいいか……」
     イルーゾォは心の底から安堵したようだった。包帯越しに、柔らかく、――花嫁のように幸せそうにほほ笑んだのがわかった。
     病院を出たフーゴは、声を殺して泣いた。空気が冷たい。鼻が酷くツンとする。銀色の星々が輝いているはずなのに、ぼんやりとしていて、空は黒く塗りつぶされていた。
     フーゴが熱心にイルーゾォを見舞っている間、暗殺チームのメンバーはイルーゾォのことを色々と教えてくれた。わがままで、プライドが天を衝くほど高く、普段は女王様みたいな癖して、何かあれば小娘のようにシュンとする。一人が好きだと言う癖にさみしがり屋で。強がるくせに泣き虫で、妙に意地っ張りでやせ我慢もする。ひねくれ者なのに変に素直で。皆、面倒くさいやつだと口を揃えて言う割に、そんな彼女の帰りを待っているようだった。プライドが高くて扱いの面倒な彼女を。
     だが、そのイルーゾォが。
     自分を頼みにして、信じて、感謝したのだ。安堵と幸福をいっぱいに湛えてほほ笑んだのだ。
     自分の姿と運命を致命的に変えてしまった人間に対して、である。
     それが悲しい。
     仲間が語る彼女や、ポンペイで出会った彼女であれば、自分を罵り、足蹴にして、嬲り殺すだろう。そうすべきだった。そうであればどんなによかっただろう。
     しかし、彼女はもう、何をしてでも生きたくなくなったのだ。
     左手を切り離して生きようとしたのとは反対に。
     美味しい食事とか、綺麗な景色とか、ブランドの服とか、面白い物語とか、金も、名誉も、愛、仲間さえも――そんな現世のものに未練は一つもなく、ただ自分の姿を消し去るときだけを心待ちにしている。自分の命に執着できる人間はそれだけで幸せなのだ。現世に未練のある人間の、なんと幸福なことだろう。
     自分は彼女の幸福を全部壊してしまった。
    ならば、せめて。
     それがどんなに残酷なことでも、彼女のたった一つの願いはなんとしてでも叶えなくては。

    「それにしても二人の書き置き……遺書、と呼んだ方がいいのでしょうが、微妙に噛み合ってないんですよね」
     ジョルノが不意に口を開く。いつの間にか空は曇り、しとしとと雨が降り始めていた。
    「ああ、そこは俺も引っかかった」リゾットが頷く。「イルーゾォはフーゴへの謝意を表しているどころか、責めるなとまで書いている。自分の死後もフーゴが生きていることを前提にしているようだ。一方フーゴは初めからイルーゾォと一緒に死ぬつもりで書いている。恐らくイルーゾォは自分の死体の処理を頼んだんだろう。ただフーゴを信用して――それが死に場所を与えることになるとも知らずにな」
    「あいつイルに惚れてたからなあ」ホルマジオはため息をついた。「負い目からか口にはしなかったが、誰が見ても明らかだった。致命的なまでに、呪いにかかったように惚れちまってたのはな……。あいつ、フーゴも死ぬつもりだったことを最後まで知らないままだったのかな」
    「フーゴの性格からして、最後まで黙っていたということはないでしょう。しかし、現場には揉めた様子はなかった。静かに受け入れたのでしょう――と僕は信じています」
     ジョルノは真新しい墓石に手を触れる。再生(み)ないと決めた以上は信じ、祈ることしかできない。だが、それでいいのだろう。二人が水底に楽園を見いだしたのならば、真実も沈めておくべきなのだ。生者は童話のごとき幸福な結末を信じ、前へと歩んでいかねばならない。それがあの二人への、せめてもの餞だった。
     
     空気も凍みるような夜であった。二人の道行を見届けるのは遠く輝く星ばかり。人も街も月さえも眠っていた。フーゴはイルーゾォの手を引いて、手配しておいたクルーザーの元へと急ぐ。マン・イン・ザ・ミラーの能力を抜きにしても、イルーゾォを連れ出すのは容易いことだった。イルーゾォが正気であることには気付かれて折らず、警戒もされていなかった。イルーゾォはあのリゾットをついに騙し抜いたようである。
     クルーザーの係留場所には、人の気配は全くない。フーゴもまた、仲間を騙し抜くことに成功したのである。とはいえ、勘の鋭いものばかりだ。気付いて後を追われるかもわからない。とにかく一刻も早く、沖へ出たい。
    「急いでるので、失礼します」
     フーゴはイルーゾォの体を抱えてクルーザーに乗り込んだ。痩せて、鳥のように軽い体だった。
    「さあ、冷えますから中へ。飲み物やつまみは冷蔵庫に入っています。コンロでお湯を沸かすこともできますよ。操縦は僕に任せて、休んでいてください」
     イルーゾォをキャビンに入れると、彼女はベージュの革のソファに座り、珍しそうに室内を見回していた。それから腕を伸ばし、テーブルの上の柘榴を数粒口に入れた。
     フーゴは素早く船を出し、目的のポイントに向かう。しばらく航行しても、追われている気配はない。ネアポリスの街の灯りも星々と同じくらい小さくなり、低くうなり声を上げるエンジン音は次第に耳に慣れ、不思議と静けささえ感じてくる。イルーゾォの鏡の世界のような、他に何者も存在しない世界に入り込んだような心地になってきた。船はなおも星空と冥い海の狭間を滑り往く。夜も尽きようとする頃、ついにもとよりない海の道も尽きはてて、船は目的のポイントにたどり着いた。
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