お手伝いさんにご用心「消し炭をください」
キッチンの入り口に立って言ったのに、流し台の前の女は振り向かない。いつもはおろしている髪を後頭部でくるくるとまとめていて、そこには地味な木のバレッタが刺さっていた。
「賢者様、消し炭が食べたいです」
背後まで歩いていって再度言ってやった。見下ろす手元には、何やら甘ったるいにおいがする、茶色いものが入ったボウル。彼女はそれをヘラでぐるぐると混ぜている。
「聞いてますか、晶」
「聞いてます!」
振り返ってこちらを見てきたのは、エサを頬にためすぎたリスのような膨れっ面だった。その頬は少し赤い。
「もう、ミスラ、何でいるんですか?」
「はあ? 何でって、俺が強いから、魔物を一撃で倒して、任務がすぐき終わったからですけど。当たり前じゃないですか」
「それは、お疲れ様です。でも、せっかく、北の魔法使いがみんないないって言うから、キッチンをネロに借りたのに……」
「はあ」
何も言っているのか、どうして怒っているのか、よくわからない。腹も減った。晶がまた向こうを向いてしまったので、その辺に作業用に置いてある椅子に座って足を組む。話が長そうだ。
「もう、こっそり作ろうと思ってたのに、いつのまにか帰ってきてるし……」
「はあ」
「しかも、こんなに一生懸命作ってるのに、消し炭が食べたいとか言うし、もう……」
「はあ」
女の愚痴というのは、意味がわからなくても、最後まで聞いてやらないと、後がめんどくさい。チレッタと過ごすうちに学んだことだ。
適当に相槌を打ちながら、まだ何か言っている晶の後ろ姿を見ていると、何となくむらむらしてきた。露わになっている、白いうなじにどうしても噛みつきたい。
立ち上がり、腕を流し台について、彼女を流しと胸板の間に閉じこめる。こうすると、小さな晶の身体なんて、あっという間に動けなくなる。小さくて弱い、それなのに虚勢を張る、俺が守ってやらなきゃいけない存在。
「あっ、もう、手洗ったんですか?」
「洗ってないので、こうします」
汚れた手では触らずに、そのうなじにかぷり、と歯を立てる。
「えっ、ちょっと、ミスラ……っ」
柔らかく、ぬるい。痛みを与えない程度に加減して歯を立てたあと、ぺろりと舐めてやると、彼女の身体は、褥の上で横になっている時のように、びくんと大きく震えた。
「俺は、腹が減ってるんですよ」
晶は、耳どころか首まで赤くなった。捕食を察した小動物のように、目まで涙で潤んでいる。もっと噛みついてやってもいいが、それよりも、腹を満たすのが先だ。
「そのボウルの中身、飲み干してもいいですか」
「いえ、これは……」
「だめですか?」
「はい、ごめんなさい……今から、消し炭も作るので、それで、いいですか?」
眉の端を下げながら、ぽつぽつと言ってくる。その様子がしおらしくて憐れを誘うので、呆れながらも頷いてやった。
「仕方ないですね」
晶の後ろから離れて、水を出して手を洗う。そんな俺を見ながら、彼女は手を止めて目を丸くしている。
「手伝います。その方が早いでしょう」
「ほ、ほんとですか!?」
その、驚いたような、嬉しそうな声を聞き、ふふん、と鼻で笑って告げてやる。
「この北のミスラが手伝えば、菓子なんて、あっと言う間に二個でも十個でもできあがりますよ」