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    ツキシロ

    @tk_mh123

    ツキシロのポイピクです。
    まほ晶♀の文章を投げる予定です。

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    ツキシロ

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    厄災撃退後、カナリアさんが魔法舎での日々を回想するお話
    *相手は特定していませんがほんの少しまほ晶♀要素あり
    *ククカナ要素もあり

    カーテンコールの向こうがわ「私にも、魔法が使えたら、この世界に……」
     まっすぐなチョコレートブラウンの髪で、カーテンのように表情を隠して、うつむいた友人は、ひそやかにそう言っていた。
     その頭上に、いやみなほど美しく《大いなる厄災》が輝いたから、彼女が泣くのをこらえて笑っているのが、ぼんやりと見えてしまった。


     2月25日、晴れ。
     今日は暖かく、天気が良かったのでお散歩に行った。といっても、先生に言われた通り、家の周りを歩いただけ。隣の奥さんに会って挨拶をした。気をつけてね、何かあったらすぐ呼んでね、と言われたけれど、足もとが多少見にくいだけで、他はすこぶる元気。まあ腰は痛いけど、もう慣れてきた。
     お仕事が休みだから退屈かと思えば、そうでもなく、洗濯や掃除をするのも一苦労。また、母に頼んで来てもらおうかしら。料理は、朝と夕方はそれなりにするけれど、ひとりきりの昼はいつも適当にしてしまう。
     そういえば、考える時間だけはあるからか、最近はよく、あの方々のことを思い出す。

     朝、大きなシーツを干すのに難儀していると、早起きの南の魔法使いさんたちがよく手伝ってくれた。不思議なことに、南の魔法使いさんたちは、あんまり魔法を使わなかった。
    「南の国は、人間と魔法使いが開拓してできた国なんですよ」
    「だからカナリアさんも、お手伝いが必要なときはいつでも言ってくださいね!」
     これは、ルチルさんとミチルくんが言っていたこと。ふたりはほとんど同じ色の、きれいな目をしていて、お互いに思いやり合っていることがすぐにわかる、優しい兄弟だった。
    「ありがとうございます、ルチルさん、ミチルくん。レノックスさんも」
    「……いや」
     レノックスさんは、相槌だけを打って、高い背を生かして黙々とシーツを干していた。その足元で駆け回る羊。
    「ふむふむ、ぴーんと伸ばす。カナリアは、洗濯が上手なんですね。勉強になります」
     そうだ、そこにはよく、中央の魔法使いのリケくんもいた。リケくんは不思議な子で、大人びて落ち着いているのに、洗濯物をピンと伸ばしてから干すと綺麗に乾くとか、丈の長いものは端に干したほうが乾きやすいとか、そういうことは知らない。でも、ミチルくんや私が教えると、乾いたスポンジのように、すぐにそれを吸収して覚えていった。

     ようやく洗濯を終えた後、ネロさんがいないときにお昼を作っていると、どこからか、朝ごはんのときにはいなかった、北の魔法使いさんたちがやってくる。
    「おい、肉はねえのか」
     ブラッドリーさんはお肉が好きだったけど、お肉の中にお野菜を詰めて、味付けをネロさんに言われた通り工夫すると、美味しいと食べてくれた。
    「ねえ、おやつ用のクッキーとかないの? どうせ、ネロが作り置きしてるんでしょ」
     オーエンさんはとにかく甘いものが好きで、私やネロさんが苦労して泡立てたボウルひとつぶんの生クリームはすぐにからになってしまう。
    「消し炭が食べたいんですが、ないですか?」
     ミスラさんは、私が失敗してしまった消し炭も、ボリボリと美味しいと食べてくれた。いくらか料理が上達したあとに、消し炭を作ってほしいと言われたときは、ちょっと困ったけれど。
     あの三人のことは、正直言ってはじめは怖かった。
    「カナリアは、ほんとうに働き者じゃな」
    「くるくるとよく動いて、気立てもいい。クックロビンにはもったいない奥さんじゃ」
     でも、テーブルに座って違う味のチュロスを食べている、絵画に描かれたようにそっくりなスノウ様とホワイト様がいてくださると、恐く見える三人も、乱暴をはたらくことはなかった。スノウ様とホワイト様は、私がひとりでキッチンにいるときは、いつもどちらかはおそばにいてくれた気がする。おふたりは、見た目はとても可愛らしかったけれど、ここにいるようでいないような、すべてを見下ろしているようなところがあった。

     北の魔法使いさんたちが大騒ぎして去っていったあとには、授業を終えた東の魔法使いさんたちがやってくる。
    「カナリア、仕事が早いな。肉の下味もしっかりついてそうだ」
     ネロさんはすぐに腕まくりをしてエプロンをつけ、私の料理を手伝ってくれる。料理に魔法を使わない主義だと言っていたけれど、その手つきはまるで魔法のようだった。
    「ネロ、カナリアさん。サラダ仕上がったよ」
     ヒースクリフ様は東の大貴族のご子息で、でもけして驕らず、優しく控えめな方だった。家事は慣れないとお話しされていたけど、もともと器用なのか、よくキッチンに手伝いに来てくださった。
    「こら、シノ」
    「うん、美味い。カナリア、腕を上げたんじゃないか? ネロの特訓のおかげだな」
     その横からつまみ食いをして、怒られていたのは、ヒースクリフ様にお仕えしていて、幼馴染でもあるシノくん。私のところにもよくつまみ食いに来たけれど、褒め上手だしまったく憎めなかった。それに何より、食べっぷりがいいのだ。

     昼食の賑わいが過ぎたころに、東の魔法使いの先生役のファウストさんがやってきて、一番最後にランチを取り、そして、たびたび片付けを手伝ってくれた。ファウストさんは礼儀正しい方で、冷たく見えても、内実はとても優しい。
    「気をつけて」
    「……あ、ありがとうございます」
     一度私がお皿を落としそうになってしまった時に、魔法でお皿を浮かせてくれたことがある。そのとき、サングラスの奥には、同名の建国の英雄と同じ、パープルの眼差しがあった。肖像画と同じ、髪と目の色。でもそのことを、誰にも尋ねてはいない。これは、私には珍しいことだ。でもあの優しい魔法使いさんは、尋ねてほしくなさそうにしていたから。

     お掃除をしていると、公務が早めに終わったときの、アーサー様とカイン様がお城から帰ってくる時間になる。
    「カナリア、お疲れ様。手伝おうか」
    「いえ、そんな、もったいない。アーサー様こそ、ここではお休みになってください」
     アーサー様は、疲れていてもいつも笑みを絶やさず、私のような下々の者にもいつも労いの言葉をかけてくださる、強くてお優しいお方だ。それは、今も変わらない。
    「では、俺が手伝おう。気にするな、新人の頃は便所掃除もしていたんだからな!」
     からからと笑うカイン様も、アーサー様同様気さくでお優しい。カイン様は、アーサー様にお仕えすることを誇りに思っているのだろう。僭越ながら、私も同じ気持ちだ。

     お掃除を終えて、夕飯の支度までの間、少しゆっくりしていると、どこからか、西の魔法使いさんたちがやってくることが多かった。使用人用の小部屋で休んでいたら、どこからかムルさんがやってきて、それを追いかけるようにシャイロックさんもやってくる。
    「カナリアー、お茶淹れてー」
    「ムル、彼女は今休憩の時間ですよ。午前中たくさん働いてくださったんですから、今は私たちがもてなして差し上げましょう」
     そこにラスティカさんとクロエさんも来て、なぜか中庭にティーセットを出してお茶会をすることになる。西の魔法使いさんたちは華やかかつ陽気で、少し疲れて休みたい、と思っていた気持ちも、彼らといると明るくなってくる。
    「ほら、これ、この間森で咲いていたお花なんだ。カナリアさん、どうかな?」
    「まあ、ラナンキュラスですね。すごい、絵よりも繊細な刺繍、とっても素敵です!」
     クロエさんが出してくれるテーブルクロスは、季節の花が刺繍されていたり、繊細なレース編みが施されていたりした。シャイロックさんが、お酒以外も美味しく淹れられるのですよ、と色っぽくウインクして、美味しい紅茶を淹れてくれる。
    「カナリアさんと、美味しい紅茶に」
     ラスティカさんが聴いたこともないほど美しい旋律をヴァイオリンで奏でて、その音楽でムルさんが宙返りをしながら花火を上げる。
     魔法舎で働いていた日々は、目まぐるしかったけれど、楽しかった。
     だけど、あのお方は、どこへ行ってしまったのだろう。西の魔法使いさんたちとそうやってテーブルを囲むとき、私の隣で朗らかに笑っていた。
     あの、春のような笑顔の。

     ──賢者様。
     異世界から来たという賢者様は、可愛らしくて華奢な、若い女性だった。年齢を聞いたことはないのだけれど、恐らく、私と同じくらいか、少し年下ではなかったかと思っている。よく笑って、よく魔法使いさんたちと話し、忙しそうに任務をこなしていた。ときどき、ひどく達観したような、何かを堪えるような、年上にも見えるような表情をすることがあった。
    「賢者様、何か困ったことがあったら、何でも言ってくださいね」
    「はい、ありがとうございます、カナリアさん」
     挨拶をしたときにこんなやりとりをしたけれど、彼女は可愛らしく見えてもずいぶんしっかりした人で、何か相談してくるようなことはなかった。
     よく晴れた、あの日までは。
    「カナリアさんがいてくれて、よかったです。ありがとうございます」
     この世界へ来てから初めての月のものを迎えたとき、彼女は、青い顔をへにゃりと歪ませていた。部屋の真っ白なシーツを汚してしまった、とりあえずショーツにハンカチを当てたんだけどどうしよう、と、泣きそうな顔をしていた賢者様。
     聞いた話によれば、前の賢者様は男性だったという。しかも、魔法使いさんたちは、今のようにひとつの建物で共同生活はしていなかったとのこと。今の賢者様が困るのも、無理はない。
    「いいえ、お役に立てて良かったです。魔法舎って、男所帯ですものね」
    「はい……誰かに相談するのも、なかなか難しくて……」
     ふたりでシーツを綺麗に洗って干して、そんな話をした。よく聞くと、賢者様のお国は、魔法科学のようなものが発達した、とても便利なところらしい。たとえば、箱のようなものに汚れ物を入れると、待っていれば勝手に洗濯をしてくれる。また、同じように食器を洗うこともできると。月のものが来たときに使うものも、かなり使い勝手がよかったようだ。
     そんなこんなで、私と賢者様はときどき話をして、仕事の合間にお茶をしたり、ときには買い物に町へ出かけたりもするようになった。特に楽しかったのは、クロエさんが私たちにワンピースを作ってくれて、それを着て街に新しくできたカフェに行ったことだ。淡い色のワンピースが賢者様にはよくお似合いで、髪もクロエさんにまとめてもらって、いつものお仕事の服の時とはかなり印象が違っていた。少しはにかんで微笑むようすは、ただの年頃の可愛い娘さんだった。
     出かけたのが、ときどき、とか、ときには、だったのは、もちろん、賢者様がお忙しかったからだ。いつも魔法使いさんたちと一緒に、昨日は南の国、明日は北の国、と飛び回って、そのあとは魔法舎で書類整理、と、とても忙しく働いていた。それなのに、イライラしているところや、怒っているところは、ほとんど見たことがない。
    「……賢者様?」
     でも、そんな彼女が、泣いていたところに出くわしてしまったことがある。
     厄災の綺麗な夜だった。ネロさんの夕飯の片付けまでお手伝いして、夫の仕事が終わるのを待っていた日のことだ。
    「カナリアさん……」
     誰もいない中庭の、白いベンチで、賢者様は声もなく涙をこぼしていた。白い頬をぽろぽろと滑り落ちる涙は、厄災の光を映して美しかった。でも彼女はそれを誰にも見せたくなかったようで、うつむいて長い髪で隠しながら、袖で乱暴に頬を拭っていた。
    「賢者様、そんなに擦ったら肌が赤くなってしまいます。どうか、お使いください」
     私が差し出したハンカチで、賢者様はそうっと涙を拭う。
    「すみません、恥ずかしいところをお見せして」
    「いえ、そんな。お隣、お邪魔してもいいですか?」
    「……はい」
     ためらうように頷いたことに、わざと気づかないふりをして、賢者様の隣に腰を下ろす。噴水は夜は止まっていて、フクロウの声しか聞こえない、静かな夜だった。
     じっと待ったが、賢者様が話し出す気配はない。そして残念ながら、私はそんなに気が長くはなかった。
    「あの、賢者様、私でよければ、何かお悩みがあるのならば……」
     彼女の悩みについて、想像するのは難しくない。たったひとりで、右も左もわからない世界に来たのだもの。きっと。
    「帰りたい……」
     賢者様は、ぽつりと、唇から憂いを落とすようにそう零した。やっぱり、と思ったが、そこに続く言葉は、意外なものだった。
    「帰りたいと、思わなくなってしまったんです、私」
     涙で顔をぐしゃぐしゃにした賢者様は、まるで、少女のようだった。

     厄災との戦いののち、賢者様は、いなくなってしまった。私は戦っているところは見ていないけれど、賢者の魔法使いのみなさんも、賢者様がいなくなったところは見ていないらしい。
     あれから一年が経ったけれど、それからは、厄災は落ちてきていない。魔法使いさんたちもみんなご健在だ。あのお方は、最後の賢者様として、ご自分のお役目をしっかりと果たされたのだ。
     賢者の魔法使いさんたちの紋章は消えたが、今までは忘れてしまっていた、賢者様との思い出や、お名前は覚えている。もちろん、私も夫も覚えていて、よく、賢者様の話をする。
     あの方は、お国に帰れたのだろうか。自分よりも人のことを優先する、お優しい方だったけれど、きっと、寂しかったはずだ。そして、何よりも、辛かったはずだ。愛しいひとと、別れるのは。
     テーブルの上のハーブティーは、すっかり冷めてしまっていた。南の国でミチルくんが育てたもので、身体を温める効果があるらしい。先日診察に来てくれた、フィガロ先生が持ってきてくれた。

    「大丈夫、お子さんは元気だよ」
    「いつもありがとうございます、フィガロ先生」
    「うん、中央にもいいお医者さんはいると思うけど、俺のほうが気になってね。箒に乗ったらあっという間だし。体調はどう?」
    「最近は食欲もあって、ひどかったつわりが嘘みたいです」
    「それは良かった。順調に育っているよ。来月中には生まれるかな。散歩は明るい時間に、少しずつね」
     そう言ってお腹を診てくれた先生の後ろには、驚いたことに、かつて魔王と呼ばれたオズ様もいた。世界最強の魔法使いは、仏頂面で杖だけを持って、ドアのそばにじっと立っていた。
    「ああ、カナリア、ごめんね、オズに君の懐妊のことを話したら、ぜひお見舞いに行きたいって。大丈夫、俺はオズと魔法舎で友達になったんだけど、こう見えて女性や子どもには優しいんだ」
    「はい、存じています」
     オズ様はたまに魔法舎のキッチンに来た。そうして、ネロさんに料理を教わっていたり、中央の魔法使いさんたちにパンケーキを焼いてあげていたりしていた。もちろんとても強く、恐ろしい魔法使いではあるのだろうけど、それだけではないお方なのだと思う。
    「オズ様、お久しぶりです。こんな狭い家にお運びくださり、ありがとうございます」
    「カナリア」
    「はい」
    「……おまえと腹の子に、祝福を授けたい。いいか」
    「えっ、ええっ、本当ですか!? オズ様が!?」
     世界最強の魔法使いに、祝福をいただくなんて、畏れ多い。そんな私の思いを知ってか知らずか、まだ返事をしていないのに、オズ様は軽く杖を振った。
    「《ヴォクスノク》」

    「いたっ」 
     あの日からお腹の中の子は前にも増して元気で、今もお腹の壁をぽんぽんと蹴っている。どうしてか、クックロビンがいる時はあまり蹴らないのに、私が昼間ひとりでいるときに活発に動く。それで、彼はいつも残念がっている。
     悔しそうな夫の顔を思い出しておかしくなりながら、そうっとお腹を撫でる。ここに、彼と自分の子どもがいる。私たちが愛しあって生まれた、新しい命。とっても不思議で、嬉しくて、愛しい。
     もしも、賢者様がここにいたら、きっと、喜んでくださっただろう。ほんとうに、自分のことのように。あの友人は、優しく温かく、待ち侘びた春のように笑う人だったから。
    「帰りたいと、思わなくなってしまったんです、私」
     ──あの夜。
     まんまるの厄災に照らされた賢者様は、ぐすんぐすんと、ときどき鼻を啜り上げながら、自分の気持ちを話してくれた。
    「カナリアさんに、呆れられてしまいそうなんですけど」
    「いいえ、そんな。賢者様がもしも、私たちの国を気に入ってくださったというのならば、こんなに嬉しいことはありません! ……あの、きっと、ご家族のもとに帰りたいのだと、そのようなお話を聞くのだと思っていましたので」
    「……そうですね、もちろん、帰りたい気持ちもあります。大変なことも、たくさんありますから。でも、カナリアさんにもよくしてもらって、こうして仲良くなれて、嬉しいです」
     そう言って賢者様は小さく笑われたので、力強く頷いて続きを促した。
    「ですから、何でもお話しください。私、賢者様とお話しするの、大好きなんです」
     あのときの私の言葉は、おべっかなどではなく、紛れもない本心だった。賢者様の言葉は、まっすぐなのに、柔らかくて、心地よい。美味しいお菓子やお茶を囲んで、いつまでも話していたくなる。きっと、私と彼女の立場上難しくてできなかったけれど、お泊まり会などができれば、夜明けまで話していられたと思う。
    「じゃあ、あの、恥ずかしいんですけど……」
     賢者様がうつむく。長くつややかなチョコレートブラウンの髪でも隠せないほど、頬が赤い。上着の裾をぎゅっと握り締めて、拳が白くなるほど。
     もしかして、これは。
    「実は、あの……す、好きなひとができてしまって、私」
     やっぱり。
    「その人のことが、すごく好きで、だから……もとの世界に、帰りたくないと、思ってしまったんです」
     賢者様がゆっくりと、私のほうを見やる。大きな目は赤みを帯びた茶色で、恋心と自責の板挟みになって、うるうると滲んでいる。こんなに可愛らしい方なら、私がそのお相手だったら、すぐにでも抱きしめて差し上げるのに。
    「お相手は、魔法使いのどなたかですか……?」
    「はい。あの、片思い、なんですけど……」
    「そうですか」
     私は答えながら、魔法使いさんひとりひとりと、賢者様の話している様子を記憶の中から取り出して分析した。でも、特定は難しかった。何しろ、賢者様は皆さんに分け隔てなく接するお方だ。それに、もちろん、私もいつも賢者様と一緒にいられるわけではない。サンプル数が少なすぎる。
    「でも、あの、気持ちを伝えるつもりはないんです」
    「えっ、それは……失礼ながら、どうしてですか?」
     賢者様はまた、泣き笑いの表情で答える。
    「私は、賢者ですから。役目を果たしたら、この世界からいなくなってしまいますから」

     だから、そばにいられる間は相手と気まずくなりたくないし、もし想いが通じ合ったとしても、相手を悲しませたくない。
     そんなことを話しながら、涙をこらえていた、彼女の横顔を思い出す。
     故郷を捨ててもいいと思えるほどの恋って、どんなものなんだろう。
     自分は、好きな人と結婚できて、一緒にいることができて、あまつさえ、子どもまで授かった。自分の幸せを感じて、日々を大切に生きたいと、改めて思う。そうして、今は会うことができなくなった、遠い世界の友人の幸せを願う。
     どうか、賢者様が、あの優しく美しい友人が、幸せでありますように。
     気が付けば、陽が傾きかけていた。日記を書くつもりが、いつのまにかぼうっとしてしまっていた。そろそろ夕飯の支度をしないと、夫が帰ってくるのに間に合わない。
     賢者様の書に倣って書き始めた、皮の日記帳の表紙を、ぽんと閉じた。テーブルに手をついて、お腹を支えながら、ゆっくりと立ち上がる。空になったカップを流しに持っていって、夕飯を作ろう。昨日つくったポトフを、今日はシチューにしよう。ネロさんに教えてもらった、隠し味のハーブを入れよう。
     魔法使いのみなさんともなかなか会えなくなったけれど、みなさんとの思い出は、ずっと胸に残っている。もちろん、賢者様との思い出も。
    「会いたいな……」
     お鍋を火にかけた途端、聞き覚えのある足音が近づいてきた。今日はずいぶんと帰りが早い。こんな時は、下役の人にでも頼んで、一言連絡してくれればいいのに。でもちょうどいいから、夕飯作りを手伝ってもらおうかしら。そうだ、しゃがむのが大変だから、お庭のスパイスをかわりに摘んできてもらおう。文句ひとつ言わずに快く手伝ってくれる夫のことが、私は好きだ。私の父の世代などでは、なかなかこうはいかない。
     ガチャ、と背後のドアが開く。
    「お帰りなさい、あなた……」
    「カナリア! ただいま、聞いてくれ!」
     上着を着たまま、夫がどかどかと家に上がってくる。私の好みど真ん中の顔が、驚きと喜びの色に染まっている。ちょっと気弱で頼りないところもあるけれど、優しくて思いやり深くて、魔法使いさんの中にも飛び込んでいけるような、内に秘めた勇気を持っている人。というのは、ちょっと誉めすぎだろうか。
    「どうしたの、あなた。ちょっと落ち着いて」
    「落ち着いていられないよ! あ、今日はベビーはどうだった? きみの体調は?」
    「すこぶる元気よ。それよりも、いったいなにが……」
     玄関のドアの向こうに、チョコレート色が揺れる。あれは、まさか。
     せっかちにも春を先取りした、淡い色の花のような笑顔が、私に向けられている。
    「久しぶりですね、カナリアさん。ご懐妊、おめでとうございます!」
    「晶さん……!?」
     大きなお腹の私が玄関に走っていこうとするのを、夫が手を引き、抱きとめる。ちょっと髪が伸びた晶さんが、いくらか大人びた、ラナンキュラスの花のようにまろく甘やかな笑みを浮かべて、ぺこりと控えめな礼をした。

     私にも魔法が使えたら、この世界に、あのひとにも、カナリアさんにも、また会いにきますから。
     約束です。
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    ツキシロ

    DONEガルシア博士×アシストロイド晶♀。パラロイ軸本編後、ラボに残った晶。約五十年後、博士が亡くなった後、旅に出ていたオーエンとクロエがラボを訪れる話です。捏造多数。晶はカルディアシステム搭載です。
    パラレルワールド・スターチス 博士のことですか?
     そうですね、とってもお優しい方でした。私たちアシストロイドのことも、友人のように扱ってくださいました。アシストロイド差別について、何度か講演などもしていらっしゃいましたが、あれは本当に、仕事だからやっていたのではなく、私たちアシストロイドのことを、生活のパートナーとして思っていてくれたことは、ラボラトリーの中の人間も、もちろんアシストロイドも、誰もが知っていることです。
     それ以外のこと? もうお亡くなりになった方のことを話すのは憚られますが……そうですね、博士が受けていらっしゃったお仕事ですから……とても、真面目な方でした。真面目、といいますか、本当に研究がお好きなんだな、と思うことが多々ありました。研究だけではなく、先ほどのような講演やメディア出演、ラボの中での会議など、寝る間もない時期というものが、一年の間に何回もありました。それでも、ご自分の興味があることを見つけると、目がきらきらと輝いて、そのことに集中して、三日も寝ない、ということもありました。ええ、そういう時は、私や、その他の博士の助手を務めていたアシストロイドが、無理矢理にでも寝室にお連れしました。脳波や呼吸、脈拍などを感知していれば、さすがにもう休ませたほうがいい、という潮時は、私たちアシストロイドにはわかりますから。そのために博士は私たちをおそばに置いてくださったのだと思います。
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