去年の夏に、ばあちゃんちでスイカの種飛ばし、したよな。
あれが楽しくて、忘れられないんだ。
「来年はこんなゆっくり過ごせないのかねー」
そう言った君の横顔とひまわりの黄色が忘れられない。
◆
「あぢー」
白いシャツが汗でまとわりつく。鞄を背負う背中が汗で蒸れる。
風がぬるくて気持ちいいもんじゃない。
「溶けてるよイファ」
「ぅおっと」
学校帰り、駄菓子屋で買ったアイス二つ。サイダーの水色が腕に垂れる。
「げー、ベタベタする」
「早く食べないから。あ、ほらそこで手洗おう」
オロルンが指さした人けのない公園。所々錆びた水道を捻ると体温よりも低い水が出てくる。
「はー気持ちいいー。オロルンも触るか?」
「僕はいいよ。汚れてないし…ってうわっ」
蛇口を上にひねり親指で狙いを定めて。頭から水を浴びたオロルンの驚いた顔。
「やったな」
「あーやめろ教科書濡れるっ」
セミの鳴き声。草の匂い。世界に俺たちしかいないかのような、そんなある日。
…1年の夏のはじめに、オロルンは転校してきた。物静かで話しかけにくい雰囲気があったから1人でいることが多かった。
夏の終わり頃に、席替えで隣になった時には正直気不味いなと思った。
「ごめん。教科書見せて欲しい」
「あ?忘れたのか?」
「間違って洗濯しちゃって家で乾かしてる」
真面目な顔してそんな事を言うもんだから吹き出して先生に怒られた。
「…お前のせいで怒られた」
教科書を盾にして小声で話しかける。
「オロルンだよ。これ、お礼に上げる」
コロンと教科書の上に置かれたのはオレンジ色のあめ玉
「ばあちゃんか」
「?ばあちゃんから貰った」
「ふっくく…っ待ってお前ヤバいっ」
それが、初めての会話。
それから仲良くなるには時間はかからなかった。屋上で弁当食ってて怒られたり、体育でふざけてボールを天井にはめて怒られたり。2人で職員室に呼び出された数なんて覚えてないくらいに。
帰りもどちらかの家でテスト勉強をしたり。特に何もしなかったり。冬になればマフラーで隠れた首元に雪を入れたり、いきなり雪玉を投げられたり。
…正直二年生になる頃には気付いていた。でも、
この関係が壊れるなら、いつかオロルンに彼女が出来ても隣にいられる。…そんな、傷つき疲れる方を選んだ。
「…ファ、イファ、起きて」
「ん、オロルン?」
そんな二年前の夢を見ていた。芝生に寝ころんでそのまま寝てしまっていた。
夕焼けのオレンジに重なるお前に手を伸ばしたかった。
明日から、夏休みが始まる。塾が始まる。
「またね」
「おう」
…わかっているけど、いつか終わる。
◆
窓辺にかけた風鈴が鳴る。
勉強する気になれずに布団に寝転がりぼーっと、そのチリンという音が何回なったかを数えていた。二週間、会ってない。
扇風機の音。汗でへばり付いた髪を頬から剥がしてくれる。
…イファは、医者になる。それが夢だって言ってた。
だから、進路が違うことも、受験する高校も違うことはなんとなくわかってた。
それが現実になると、わかりたくなかった。
二年の秋に、流行りの映影を見に行こうって誘われて行ったヒーロー物。正直興味はなかったけれど、イファに誘われたことと、その表情がウキウキしていたから誘いに乗った。
…その時に知った。ヒーローとヒロインの恋模様。
僕の気持ちを代弁しているようで。あぁ、この気持ちはそういうことなのかと腑に落ちた。
隣で、感動して溢れる涙を堪えられないイファが、好きだと知った。
ブブと音が鳴り現実に戻る。
スマホの画面、『終わったぁー』の通知。
うつ伏せに転がり、画面をスライドさせる。
『お疲れ様』
『むりむり模試やべぇ』
『まだ期間あるから大丈夫だよ』
死にかけのスタンプが送られてきて、ふふと笑ってしまう。
あぁきっと、この思い出は大人になっても僕の中で色褪せない。
…でも、やっぱり寂しいと感じてしまう。
いつか忘れられてしまうんだろうか。このまま卒業したら、きっともう会わなくなるんだろう。僕の頭の中でこの記憶を宝物としてしまい込むのだろう。
「…駄目だ」
そう呟いて、飛び起きた。
「ばあちゃん、花火大会って明日だよね?」
「そうだけど、あらもしかして行くの?ダレかしら」
「イファだよ」
そう伝えて、そのままサンダルで表に飛び出した。
ぬるい風。すっかり暗くなった空を見上げて、通話ボタンを押す。
プルルル、二回。
『おう、どした?』
帰り道であろう久々のその声で笑みがこぼれる。
「上見て、月がきれいだ。きっと明日は晴れるよ」
『へ?』
「あのさ、」
もう待ち疲れたんだけど、どうですか?
「明日、19時にあの公園に集合しよう」
『は?俺塾ある…』
駄目ですか?
「…イファと、行きたい。」
◆
本気になればなるほど辛い。心が平和じゃない。
だから蓋をした。夏休みに入って勉強に没頭した。でも正直ふと考えるのはオロルンの事で、毎日のくだらない文面のやり取りが楽しくて仕方がなかった。
…初めて親に嘘をついた。でも多分バレてる。
『遅くなりすぎないようにね』と言った母さんの表情はとても優しくて、心がむず痒い。
唐突な事に俺の心臓がついてきてない。昨日から早鐘を打って収まらない。
でも、急にどうしたんだろうと。『迷惑かけたくないから』と、オロルンから連絡が来ることはなかった。だからどうでもいい内容を送りつけては返事をもらおうとしていた。
『月がきれいだ』なんて。どっかの誰かが書いた小説にあったけど、あいつはそんな事考えて言ったんじゃないと何度も言い聞かせた。
「イファ」
「おう、久しぶりだな」
「ごめん。ありがとう」
早く着いて持たせていた俺に、塾をサボった俺に、オロルンは謝った。
そんなのどうでもいい。その笑顔が見れたら俺はうれしいんだ。
「お前ポニーテールか」
「暑いからね」
本当は、きれいだ、なんて。褒めたいけれどキャパオーバーだ。
川辺には既に人が集まっている。前に行こうかと言うと、後ろでいいと返ってきた。
放送が流れる。晴れてよかった。月と星が黒い空に輝く。
「イファ、聞いて欲しい。」
「ん、もう始まるぞ?」
「知ってる」
今か今かと待つ人々の声が静まる。
「僕は、君が好きだ」
花火が上がる。大きな音が胸に響く。
その光に照らされたその目から視線を動かせない。
「イファの進路の邪魔になるかもしれないのはわかってる。でも、この繋がりを消したくなかった。…君の隣にいたいんだ。」
その真っ直ぐな瞳。変わらない。
…俺は。
俺はどうだ。素直になれる勇気はあるか?
◆
うるさい。
自分から誘っておいて花火の音と心臓の音に文句をつける。
容赦なくなる大きな音。長い沈黙。
「…俺も。好きだ。」
絶対に聞き逃さない。忘れない。
これは映影じゃない。
夏が始まった。これからも愛しい日々を数えよう。
「よ、よろしく…」
花火のおかげでその赤くなった頬が照らされる。
今日を待ちわびていたんだ。なんて良い日だろう。
まだまだ終われない。
「こちらこそ、よろしく」
僕らの夏だ。