背後から、肩を叩かれ振り向くと頬に指が刺さる。
それをけらけらと笑う久々の顔。
「任務は無事に終わったようだな」
『もさろん なんてつたつておれだからね』
「そうか」
二人で顔を会わせて笑う。
「暫くはのんびり出来そうなのか?」
『いつしゆうかんは うれつい?』
長い睫毛だ、と見ていたら返事が遅れてしまった
「…そうだな、嬉しいな。…あと、」
公子殿が持っていた筆を取り上げ、さらさらと所々に丸をつける
「ここ、間違っているぞ」
悪戯に見上げると、公子殿は一瞬はっとして河豚のようにむくれてしまった。
そしてぷい、と背中を向けて部屋に入っていってしまった。
その背中を、扉が閉まるまで眺めた後、今しがた書き留めていた冊子に目を落とす。
その頁の一番上に、日付を書いた。
少し間を置いた後、筆を置き、パラパラと頁を遡る。
始めの頃はまるで幼児のいたずら書きの様な文字で、ついくく、と笑ってしまった。
◆
後数日で、耳が聴こえなくなるだろうと伝えた時の表情は忘れない。
その時既に、壁一枚向こうで話しているような感覚だった。
「え、あ…あっオレ聞いたことあるよ。手話って言うんだっけ?それ覚えたら話せるよな?」
何故か、を聞いてこない所は公子殿らしいなと感じる。
少し目を見開き、俺は、
「…すまない公子殿、頼みがある」
小首をかしげる君に、頼んだ。
「璃月の文字を、覚えてはくれないか。俺は今までの公子殿との会話は全て覚えている。…これからは、眼で、憶えていきたい」
「…わかった。朝飯前だっつーの」
そういって生意気に笑ったお前は、俺が事実を伝えてから、目に見えて口を大きく開けてゆっくり話してくれていたな。
お前の優しさだ。
「…すまない」
すると急に両頬を掴まれ眼前に真剣な表情の公子殿がいた。
「そういう時は、『ありがとう』って言うの!!…わかった?」
「…ありがとう」
「よし!!」
本当に、君の笑顔は明るいな。…悲しみを含んでいてもそう見える。
その背中に、感謝の意を。
◆
少し慣れてきた頃、聞いてみたことがある。
「何故横に書くのだ?」
縦に流れる文字に慣れている分、横に流れる文字に慣れなかった。
『おわのつにでは こうかくの。
Я хочу быть с тобой всегда.
みたいにぬ』
ふふん、と得意気な顔をしていたのを思い出す。
六千年を舐めるなよ。読めないとでも思ったのか。
その文字列を、そっと撫でる。
音は聴こえずとも、君と過ごした日々の音は心が覚えている。
そよそよと風が吹き、木々の葉が擦れ会う。これからは眼に焼き付けていこう。
「…俺も同じだ」
その頁に栞を挟んでいるのは君には内緒だ。