君が望み「コンニチハオイソギデスカ?」
「……ベツニイソイデイマセンガ……それよりも、」
なぜ貴方がここにいるのですか?
路傍のカフェテリアでコーヒーを注文し、数日前についにここで会うことを決めた若い友人を待っていたところ、突然頭上から馴染みのある男の声が聞こえてきた。シャリア・ブルは反射的に応答し、同時に顔を上げ、目の前に現れた顔に驚愕の表情を浮かべた——とはいえ、実際には伊達眼鏡の下の目をわずかに開けただけだった。
澄み切った青空を背景に、軽装のスーツを着た男は白いコートを腕に掛け、浅緑の夏用シャツの上2つのボタンを外し、記憶よりも健康的な肌色を露わにしていた。まっすぐで滑らかな、 わずかにカールした浅い金髪が眩しい日光を反射し、逆光に照らされた顔からのぞく、やや長めの前髪の下の青い瞳。男は口角が上がり、悪戯が成功したような愉悦の表情を浮かべていた。
「久しぶりだな、シャリア・ブル——この席に座ってもよいか?」
シャリアは眼鏡の下の眉間を揉み、目の前の光景が過労による幻覚ではないことを確認した。
——そういえば、彼がジオン公国の首都サイド3のズム市から地球にやってきて、物理的に現在の職場から遠く離れたのは、女王の机の上に置かれた公王庁内における労働実態調査報告書がきっかけだった。
シャリア・ブル中佐が2年半の間休暇を取得していない事実、そしてどう説得しても彼に仕事を置いて休暇を取らせことはできなかったという挫折感から、我慢の限界に達した人事部が女王に直接訴え出た。
シャリアが珍しくオフィスに召喚され、職務用のデスクではなくソファに案内された瞬間、状況がおかしいと気づいた。
二人の前に置かれた磁器のカップに紅茶を注いだ後、アルテイシア・ゾム・ダイクンはシャリアにカップを手に取るよう促し、自身も同様に紅茶を啜ってから口を開いた。
「シャリア・ブル中佐、突然ですが、来週からサイド3を離れ、1ヶ月間の休暇を取っていただくことになりました——これは命令です。」
その澄み切った冷静な声でそう言われると、シャリアは口に含んだお茶をむせび、噴き出しそうになった。
……彼は、情勢がまだ完全に安定しておらず、現在担当している諜報活動自体が暇のない性質であるため、この突然の休暇命令を断ろうとしたが、目の前の上司は最近提出した業務報告で反論し、さらに独立戦争後から新政権成立までの期間、シャリア・ブルが人事福利部門の頭痛の種だった過去の件まで遡って指摘した。
「……私は軍人です。入隊時からこのような生活を受け入れてきました。本当に、ご心配なさらないでください……」
「あら、偶然ですね、シャリア・ブル。私もかつて軍人でした。地球連邦の傘下にあったとはいえ、戦時下での必要不可欠な犠牲は理解できます——しかし現在は平和状態です。軍人としての福利厚生を維持できないなら、軍隊と国家を支えることはできません。これが私がこの地位に就いてから得た信念です。」
——それとも、中佐は「アルテイシア・ゾム・ダイクン政権」のこの国が、依然として戦争状態にあると考えているのでしょうか?もしそうなら、それは私の責任十分に果たせなかったことになります。
鋭い眼差しで微笑みながら質問する天青色の瞳を前に、シャリア・ブルは繰り返し否定し、女王を満足させる約束を提示した。そして、彼の「休暇期間」に必要な交通手段や業務分担は、既に彼を飛び越えて、有能な部下たちによって処理済みであることを知った。
さらに彼を驚かせたのは、公務システム内で使用される仮名で購入された交通艇のチケットに、最終目的地として「地球」と記載されていたことだった。
瞬間、言葉に詰まった。これが遠回しな左遷か、それとも、自分が何か重要任務の情報を見落としていたのか確認するため、不敬を承知で、シャリアは少しだけ能力を使った。
しかし、目の前の女性から感じたのは、彼が提案を受け入れたことへの安心感、年上の男性の頑固な態度をへの溜息、そしてわずかな期待だけだった。
——有意義な旅を。シャリア・ブル。少なくとも1つの願いを叶えてから戻ってきなさい。
明らかに彼の心を読むように意図的に発せられたこの言葉が頭に浮かんだとき、シャリアは慌てて探求をやめた。目の前の女性は優雅な態度で紅茶を飲み続け、口角を上げていただけでいたずらっぽい表情を浮かべていた。
彼は諦めたように簡単な荷物をまとめ、ズム市を離れた。長い飛行と他のコロニー間の乗り継ぎを経て、ついにアデン港に着陸した時、彼はアルテイシアが彼に与えた課題について考え続けていた。
——ああ、兄妹だけあって、こんな表情までこんなに似ているものだ。
彼が現実から逃れるように、旅行が始まる前のあの会話のことを思い出していた時、金髪の男は遠慮なく彼の前の椅子を引き寄せ、座り、ウェイターを呼んで注文を始めた。
シャリアが拒否する間もなく、彼らの同席は確定したようだった――相変わらず、自分勝手な男だ。
「……それで、なぜここにいらっしゃるのですか?」
報告によると、「この人」はしばらくの間、南アジアの都市で、仕事仲間たちと一緒に児童養護施設を運営し、戦後の復興作業に携わっていたはずだった……
驚いても、彼は地球の諜報網から得た情報を漏らさなかった。意識の警戒を緩めた瞬間、目の前の男にとって、そのことを「思い出す」だけで十分暴露される可能性があった。
「ああ、貴様が派遣した現地の連絡員は優秀でね。報告され情報はおおむね正確でしょう。たぶん、貴様が最近の報告を見逃したんだな……数週間前、私はララァに追い出されたんだ。 」
やっぱりバレたか……
密偵が露見したことの衝撃よりも、その男が軽々しく付け加えた説明に、シャリアは反射的に眉をひそめた。
「ララァさんは… なんの理由でそんなことをするのですか?」
シャリアの忘年友であり弟子となる前に、マチュはガンダム・クアクスに乗って初めて地球に短期滞在した際に出会った、ニュータイプの女性。彼女は『シャロンの薔薇』の中に潜めている少女とよく似ており、実際に夢の中でその少女の世界を覗き見する能力も持っていた。
無数の世界における「シャア・アズナブル」の運命の女。
密偵が提出した報告書の中でその女性の姿を見たとき、シャリアはイオマグヌッソ事件以来、最も強い安心感と、わずかな寂しさを感じた。
赤いガンダムがキシリア閣下とその旗艦を撃破した後、彼らは「シャリア・ブル」と「シャア・アズナブル」として最後の会話を交わした――薔薇の少女を救出、あるいは移送した後の世界、 この若い男——シャア・アズナブル、あるいはキャスバル・レム・ダイクンが、今後どう生きるべきかという問題について。
あの5年間、シャリアはソロモンゼクノヴァの余波による感応と、熱心かつ地道な情報収集によって、シャアが取る可能性のある行動とその結果について大まかに推測していた。彼は最悪の事態を回避する方法を計画し、自分自身を精神的に準備する十分な時間があった。しかし、決断を下し、わずかな希望と別れを告げるために、彼は5年間執着して追いかけてきた青年に最後の確認をした。
シャリアは失望した。
ゼクノヴァの彼方で、「時」と無数の異なる世界を見た後も、シャア・アズナブルは自信に満ち溢れ、虚飾の大義に溺れでいた。
自分が世界の歪みを排除することが真の未来を切り開くことだと信じ、 世界の歪みを排除することが、真の未来を切り開くことだと信じていた。それが、自分自身と世界を破滅へと導く将来であることを全く知らなかった。
シャリア・ブルの任務は、取り返しのつかない惨事になる前に、悲劇の原因を断ち切ることだった。たとえそれが、自分の命を賭けることになっても、自分の真摯な願いに反することになっても。
結果的には、彼の賭けは成功した。
暴力的な手段で、シャア・アズナブルとキャスバル・レム・ダイクンという呪縛を無理やり剥ぎ取った後、すべての称号と身分を失った青年はついに解放され、自分の本当の人生を探す一歩を踏み出すことができた。
すでに殉死、あるいは軍事法廷で戦争の責任を問われる覚悟を決めていたシャリアも、部下のめったに見られない涙の声の中で、人生の重荷と将来の任務を再び背負うことになった。
これも自由を追求するための代償だった。
彼は自分の選択を後悔していなかった。しかし、マチュ、赤毛の少女が腫れた目と輝く笑顔でソトン艦内に戻り、彼に「五年かけて必死に追いかけた『赤い彗星さん』と再会したか、しっかり会話したか」と尋ねた時、彼は自分より半分の年齢の友の前で言葉に詰まった。
その短く、一方的の𠮟りは対話とは呼べない。シャリア・ブルはそれをよく分かっている。
イオマグヌッソ周辺で発生したすべての事態を事故として処理するため、戦場に残ったキケロガとギャンのブラックボックスは、戦中の破損を理由に破棄された。その前に、シャリアは通信の録音内容を最後にもう一度再生し、相手からの驚きと怒りに満ちた自分の名前の呼び声の中に、明らかな痛みを感じた。
高密度のミノフスキー粒子が飛び交う中、相手のその裏切られた痛みは、高速で移動中のG力のように、裏切り者のシャリアの肉体を蝕み、まだ執拗に鼓動する心臓を刺すように痛めた。
シャリアはシャアからの信頼を誇りに思い、その信頼を裏切る覚悟もできていた。しかし、相手の心に傷を残したことに罪悪感を抱き、このような強引な「自由」は、結局シャリアの自己満足にすぎないのではないかと、繰り返し自問自答していた。
——彼が、その青年が宇宙から離れた惑星の片隅で、その若い女性と出会ったことを知った時まで。
ああ、ついに「その人」は空虚に縛られることがなくなったのだ。
シャリアは、今でも覚えている。自分がある午後の公王庁の事務所で、その写真に写っている、泥で汚れた顔をした青年がこれまで見たことのないような穏やかな表情を見た時、仮面の奥の目がどれほど熱くなったかを。異常な感情波動を感じ取って近づいてきたコモリ少尉だけが、彼の無言の嗚咽を察知した。
その人の世界は本来、これで完成していたはずだ。では、なぜ……
「……まさかとは思うが、貴方が何かしたのですか?」
シャリアは声を低くし、露骨な威嚇を込めて尋ねた。しかし、目の前の青年はわざとらしくため息をつき、首を振った。
「本当に、貴様は私をまったく信用していないだな——私は何もしていない。むしろ、仕事に没頭しすぎて、メインな居住施設が完成した後、彼女に半ば強制的に長期休暇を取らされたんだ。」
——「貴方はまだ若いから、他の場所に行って世の中を見回すべきよ」なんて言われた……その子は私より何歳も若いのに、なぜ私は子供扱いされるのか?
金髪の青年はそう言って、手のひらに頭をあて、不満そうに口をとがらせた。そんな子供っぽい態度をとっても、その美貌と生まれつきの優雅な気質は、目の前の光景を雑誌のモデルのようなイメージに見せ、シャリアは思わずため息をつき、再び警戒心を緩めた。
「それは、貴方がそのような反応をするからでしょう?子供っぽい男性は女性に不人気だと聞きます……同年代の女性と比較すると、男性はもとも未熟に見えがちです」
それは思春期ごろの状況を指すのでしょう。青年は不満そうに反論した。
彼が思い出に浸り、若い男の話題に逸れている間、彼が注文した食事もテーブルに運ばれてきた。
温めたミルク入りのカフェマキアートと、生クリームで満たされたマリトッツォ。目の前に置かれた飲み物とデザートを見たとき、金髪の隙間から見える青い瞳が丸くなり、思わず喜びが表れた。
そういえば、戦時中の艦上でも、この若い男が作戦を立てながら、上司の権威を利用して厨房から手に入れたチョコレートバーやその他のお菓子を頬張っている姿をよく見かけた。当時は、ストレス下で大量の情報を処理する脳が、常に糖分とカロリーを補給する必要があると思っていたが、目の前の光景と比べると、彼は単に甘いものが好きなだけかもしれない。
金髪の男が、生クリームたっぷりのパンを待ちきれずに一口食べ、満足そうな表情で咀嚼し、驚くほど優雅な仕草で唇からこぼれた生クリームを拭うのを見て、シャリアは自分のカップの中ですっかり冷めた液体をゆっくりとかき混ぜ、口角をわずかに持ち上げた。
「……何か良いものを見たのか?」
彼の視線に気づいた相手は、片方の眉を上げて、生クリームのついた唇の端に得意げな笑みを浮かべた。
年上の男性は鼻で笑いを漏らし、カップを口元に近づけた。
「特に何も……ただ、意外にも貴方を十分に理解していなかったことに気づきました。貴方が想像以上に……子供っぽいことを」
彼は悠然と答えた。
不満げな舌打ちが返ってきた。青年はカップを手に取り、一気に半分ほど飲み干すと、それをテーブルに戻した。
「それはどういう意味だ?そういえば、この世で貴様よりも私をよく知っている人はいるのか?まだ起こってもいない未来さえも、見通しているだろう?」
重厚な陶器のカップの底が、水紋の入ったガラスのテーブルの上に響き渡る音を立て、男の口調の刺々しい言葉によって、シャリアの肌はわずかに刺すような痛みを感じた。
突然の攻撃的な拒絶に、シャリアは唇を噛み締め、男の彫刻のように美しいが、石膏を塗ったような硬直した顔から視線をそらした。
あの時、コックピットの中でこの男はきっとこんな表情をしていたに違いない——そんな想像は、彼に苦みを感じさせた。
「……ところで、貴方はなぜここにいるんですか?」
不安にさせる沈黙がしばらく続いた後、シャリア・ブルはようやく打撃から立ち直り、再び口を開いた。その声は、自分が予想していたよりも冷静で、距離感があった。
それでいい、たとえ今日の出会いが純粋に偶然だったとしても、それはおそらく、彼らにとって今最もふさわしい距離だったのだろう。
「この質問に答える義務はあるのか?一人で放浪して誰の邪魔になる?誰かのおかげで、私は今や自由であるはずだったぞ」
「……そうでしょうね」
金髪の青年の答えには予想通りの皮肉が込められていた。シャリアはため息をつき、スマホの画面に表示されている時間とメッセージを確認した。
約束の時間はもうすぐだが、少し離れてから約束相手に連絡しても問題はないだろう。
そして、彼はポケットから注文したものに十分な額の紙幣を取り出し、カップと皿の横に置いて立ち上がった。
無防備でこの場に留まることは、彼の心臓には持てません。
しかし、彼が撤退しようとした瞬間、力強い手で手首を掴まれた。
「貴様は誰かと約束があったのでは?今どこに行くつもりですか?」
また私を振り切ろうとしているのか、シャリア・ブル?
その平然とした声と、焦燥感に満ち、皮膚を刺すような思いが、シャリアの脳裏に同時に伝わった。彼は、やむを得ず、踏み出した足を止めざるを得なかった。
「——やあ、ヒゲマン、久しぶり!元気だった?」
「しゃ……彗星さんも!お二人とも、ちょうどいいタイミングで到着ですね——」
二人の対立に割り込んだのは、明るい少女の声だった。シャリアは反射的に振り返ると、背の高い少女と背の低い少女が並んで彼らの方向に向かって歩いてくるのが見えた。小柄な少女は軽やかな足取りで、力強く手を振っていた。背の高い少女は、いつものように無表情で、視線が合ったときに軽くうなずいただけだった。
「マチュくん、ニャアンくん……お二人ともとても元気そうで、本当に良かったですね。」
「……どうも。」
「こんなときは、少なくとも『新しい髪型も似合ってるね』くらいは言うべきじゃない? もう2年ちょういも経つのに、ヒゲマンは相変わらず口下手ね。 だから女の子にモテないのよ!」
「それは失礼でした。この長さの髪型も、貴方にとてもよく似合っていますね。染め方を変えたのですか?」
「うん!今はニャアンが染めてくれているの!」
「なにせ地球ではイズマコロニーほど美容院に行くのは簡単ではないし、このほうが経済的で便利だから……」
「確かにそうですね。でも、とても良い仕上がりですね、ニャアンくんはそういう才能があるのかもしれませんね。
久々に再会した弟子が小走りに彼の前にやってきて、別れたときと同じような華やかな笑顔を見せ、同じような生き生きとした口調で彼の挨拶に返事をした。2年半前に一度だけ会ったことのある内気な少女も会話に加わり、シャリアも思わず表情を緩め、微笑み返した。
もし隣の席に黙り込んだ若い男がいなければ、感動的な再会の場面と言えるかもしれない。マチュ達との会話中、彼は常に静かに支配から逃れようとしていたが、成功しなかった。むしろ男は力を強め、不快な感情もますます強まった。
明らかに異常な空気に、マチュも挨拶のやり取りを中断し、金髪の男の方にジト目を向いで、皮肉を込めた言葉を吐いた。
「先から何があったの?なぜここにあきらかに不機嫌なやつがいるの?」
鋭い目をした大きな瞳に射抜かれた金髪の青年は、彼女の質問を無視できず、形の良い唇を歪め不満げな表情を浮かべた。
「…私たちを謀ったな、アマテ?」と、男は呟いた。
その言葉を聞いたシャリアは、間接的に自分が知りたかった答えを得た。彼は眉を上げて、赤髪の少女を見て、無言の疑問を投げかけた。
二週間前に彼が地球に降下することを知り、興奮して会合を約束し、一方的に場所を決めた弟子は悪巧みのような緑の瞳で彼を見上げ、悪びれる様子もなく唇を尖らせた。
「同じ時間に同じ地域に友達が二人いるなら、一緒に遊ぶのが一番いい選択じゃない?」
——ましてや、この二人は互いに友人同士だ。彼らを再会させる手助けをすることは、日行一善と言えるだろう?
アマテは得意そうにそう言ったが、シャリアはため息をつきながら、事前にその可能性を考慮していなかったことを少し悔やんだ。
連絡をテキストだけでなく、通話やビデオ通話で行っていたなら、そのことに気づけたかもしれない。このようなとき、自分がだんだん鈍くなってきていることを実感する。
「ああ、通常はその通りだ――しかし、この事態に不満を覚える人もいるようだ。本当に残念だ」
大人の世界は複雑だ。シャリアの考えを察したかのように、金髪の青年嫌味っぽく言ったが、すぐに少女から「え?まさか彗星さんは、自分が大人だと思っているの?」と反撃を受けた。
2人が屋外の席で口論を始めようとしたところ、ウェイターがこちらをじっと見つめて、声をかけるべきか、警備員に報告すべきか迷っているようだった。
その場では最年長で唯一の大人であるシャリア・ブルが、子とものような2人の口論を中断させた。
「マチュくん、貴方たち、旅程を立てたって言っていたね? もう時間もないし、そろそろ出発しようか?」
「ああ、そのそうだった――じゃあ、行きましょう!ニャアン、ヒゲマン、そして彗星さん!」
会計を終えた後、2人の少女が先頭を行く一行は、コーヒーショップの角を曲がって去っていった。
このような組み合わせはあまり見慣れないものだったため、シャリアは道中、人々の視線を感じ続けた。少し気まずかったが、幸いにも、彼らをジオン公国や、2年以上前の宇宙での事件と結びつける人は誰もいなかった。
——ただ、なぜなのか分からないが、争いが中断されて以来、ずっと黙り込んだままの金髪の青年は、道中ずっと彼との繋いだ手を離さなかった。
*
マチュが手配した旅行プランの最初の目的地は、彼らにとって未知のこの都市を小舟で巡るツアーでした。
宇宙船や様々な機動機械が遥か宇宙空間を駆け巡り、クリーンエネルギーを動力とする電気自動車や交通手段が地球の主流となった現代において、特別料金を支払って乗る伝統的な木製小舟「ゴンドラ」は、古き時代からの伝統をなぞって、縞模様のシャツと草帽を着った漕ぎ手が船尾に立ち、人力で櫂を漕ぎ、 彼らを広い水路や狭い水路の間を移動した。 船を進めながら、漕ぎ手がこの都市について説明した。どうやらこの土地は、百余りの小島と橋梁で構成された。人間が宇宙紀元が始まる前の旧世紀、さらに千年前からここで居住し始めで、幸いにも数年前の大戦戦火から免れた古い都市だった。
最初の会話から、4人がすべて宇宙コロニー出身であることが判明すると、案内役漕ぎ手は過剰なほど熱心になった——おそらく終了後に多めのチップを期待しているのだろう?シャリアは、心を読む能力を使わなくても、中年の男性の諂うような表情や、シャリアの服装を横目で観察している様子から、相手の本当の考えを推測することができました。しかし、2人の少女がこの旅を楽しむことができるなら、シャリアもチップを惜しむつもりはありませんでした。
宇宙の住民にとって、水は常に重要で希少な資源であり、日常的に接するほとんどの水は、最大範囲の用途に適応するため蒸留殺菌され、可能な限り再利用される真水だ。地球の広大な海洋を十分体験してきてはいるが、人間の生活にこれほど近い水域——コミュニケーション手段としての水路——マチュとニャアンは、まだ新鮮に感じているようだった。船首の最高の場所を占めたマチューは、目に入るものすべてについて質問を繰り返し、ニャアンはそばで小さく感嘆の声を上げていた。
彼らのガイドは、定型的な紹介では彼らの興味を惹くことができないと気づいで、マチュの質問に答えることに専念し、特別な観光スポットを通過するときだけ、自発的に補足説明をするようになった。
シャリアは、彼らの会話を片耳で聞きながら、もう片方の耳は、船が水流を進む音や、通過するさまざまな場所から聞こえるさまざまな環境音に耳を傾けた。そして、残りの大部分の注意力を、目の前の風景の鑑賞に注いだ。宇宙コロニーでは珍しい、高湿度を帯びた空気が肌に触れる。海水特有の潮の臭いと、生活用水から排出される有機成分の複雑な匂いが混ざり合っていた。水面は両側の高低差のある色彩豊かな建物に映り込み、計画的に建設された宇宙コロニーの街並みとは対照的だった。
人々の自由な生活の足跡が都市を形作り、年月を経て蓄積された歴史の具現化が、目に見える、手の届くあらゆる場所に存在し、生き生きとした活気を漂わせていた。生な粋なスペースノイドであるシャリアは、地球自体に対して特別な感情は持っていないが、目の前のこの光景が、人々が都市と歴史を保護した成果であることを知り、少なからず感嘆の念を抱いた。
――しかし、この都市はかつて、人間の愚行によって滅亡の危機に瀕したこともあったな。
声は出なかったが、そのような言葉がシャリアの頭の中に飛び込んできた。そうしたのは、シャリアと同じ船の中央部に座って、片肘を船縁に立てかけ、あごを支え、退屈そうに水面を見つめている金髪の青年だった。
そういえば、この男は船に乗る前に少女たちと少し会話を交わしただけで、それ以降はまったく口を開かなかった。ガイドの内容にまったく興味がないのか、それとも先ほどのカフェでの会話にまだ腹を立てているのか――後者の場合、シャリアは彼の忍耐力、そしてニュータイプの感応に介しでも自分の考えを伝えようとする気概に、本当に感服せざるを得ないだろう。
おそらくそれが、彼がそれでも自分の手を握り続けた理由だろう。
もし望むなら、シャリアは感応能力を使って相手の考えを読み取り、彼の行動や発言の真意を理解し、彼自身も気づいていない感情を見抜くこともできた。しかし、目の前のこの青年に対しては、その手段を使うことを躊躇していた。
おそらく彼は、初対面の際の「他人の心を覗きすぎるのは良くない」という束縛を無意識に守っているか、あるいはその5年間で、「自分は彼からなにを見えるのか」というに対して、恐怖や拒否に近い感情を抱くようになったのかもしれない。
ーーあるいは、別れてから2年以上が経過し、新世代のニュータイプたちと交流し、彼らからのアドバイスやツッコミを受けて、シャリア・ブルも、この一方的な「コミュニケーション」について反省せざるを得なくなったのかもしれない。
可能であれば、対面して、心の中で考えていることを直接言葉で表現したい。別れの際にマチュとシュウジ・イトウが互いに打ち明けた言葉のように、あるいはシャリアを戦場から回収してきたエグザベ少尉がシャリアにした叱責のように、一般の人よりも鋭い知覚能力を持つニュータイプ同士のコミュニケーションには、結局、このような方法が最も直接的で効果的である。
...思い返してみると、独立戦争中のシャリア・ブルとシャア・アズナブルは、無限の宇宙の中で、自分たちと似た超人的な能力を持つ唯一の存在と出会ったのは、彼らを歪めた原因かもしれません。そのとき、戦場での無敵の全能感、そして何の努力もせずに互いに共感できる便利さから、お互いに舞い上がってしていたのかもしれません。
その結果、自分たちは唯一無二の存在であると誤って思い込み、無意識のうちにそのような付き合い方や関係に過度に依存していたのかもしれません。言葉は不要で、シャリアは相手が何をしたいのかを知っていました。同様に、シャアはシャリアの「はい、大佐!」という一言を聞くだけで、シャリアの全幅のサポートを得られることを知っていた——一瞥一触で、自分の思考や感情が相手に伝わり、それだけで世間の親密さの想像を超えた。ましてや情熱に満ちた深い体交流は、相手の意識と快感が脳内で自分の感覚と絡み合う時、ほぼ二人一体の錯覚を生むほどだった。
まさにこの一体感の錯覚のゆえに、シャリアはソロモンのジェクノヴァの後、シャアが実際に取った行動とその結果、そして彼をそう行動させた理由を理解して、大きな衝撃を受けた。お互いのつながりを過信しすぎたせいで、シャアは5年経っても、シャリア・ブルがこれまでと同じように、100%の支持を与えてくれると誤解してしまったのだ。
これほど滑稽な矛盾はない。
これは、真のニュータイプのあるべき姿ではない。シャリアは、観察力があり、整理力があり、いつも率直に意見を述べる部下が、眉をひそめてそう言っているのが聞こえるようだった。
そこで彼は口を開き、青年が始めた話題に応答した。
「そうですか?知識が浅くて申し訳ありませんが、もう少し詳しく説明していただけますか?」
私の説明に不十分な点があり、補足説明が必要でしょうか?シャリアの突然の発言は、船頭はそれが自分の説明に対するものだと誤解したようで、シャリアはそれが自分の問題ではないことを明らかにし、マチュの方へと注意を戻すと、金髪の男からの思いが再び伝わった。
それは前世紀に遡る出来事だ。この都市は同時に複数の人為的な危機に直面した——過密な人口により淡水の使用量が潟湖蓄えられる量を越え、地下水過剰抽出により、元々砂州上に築かれた都市の地盤が沈下。さらに大気中の気温上昇により極地と山岳地帯の氷帽が溶け、海面上昇が進行した。この都市は、前世紀の終わりに、海に沈むところだった。 青年はそう語ったが、その説明は確かにシャリアが興味を持つ内容だったので、彼はさらに質問を続けた。
「なるほど、では、そのような窮状はどうやって覆されたのですか?
青年は軽く鼻を鳴らして笑った。端正な横顔に、片方の口角がわずかに上がり、眉がひそめられ僅かに歪んだ。
皮肉なことに、ギレン総帥が落下させたコロニーが原因かもしれない。一部の工業地帯壊滅と陸地の消失と、兵器の塵埃による「核爆の冬」が、過熱していた地球環境を冷却させ、極地が再凍結し、海面が低下した。この都市が戦争によって間接的に救われたと言っても過言ではないだろう。
悲しげな表情と、戦争行為を肯するように皮肉が込められた言葉の行間から、シャリアはわずかに眉をひそめた。
「……貴方は本当にこれらのことをよくご存知ですね。」
彼は呟きながら答えたが、何かを察知したのか、握っていた手が急に力を増した。
水面を見つめていた男が振り返り、天藍色の瞳で彼をまっすぐに見つめた。
「——ああ、もちろん、私は勉強をしたんだ。旱魃や洪水に悩まされる地域で、仮設住宅の住民のために常時利用可能な給水施設を建設するため——畢竟、宇宙で学んだ土木工事やエンジニアリング、そして最小限の地理や歴史の知識は、地球ではほとんども役に立たないからね。」
ただ、面白い事実を貴様に伝えたかっただけだ。
相手が突然沈黙を破ったことに、年上の男は驚いてしまった。
彼の言葉と口調が小さくなるにつれて、その鋭い瞳が浅い色のまつ毛に覆われて下を向くのを見て、シャリアは自分が無意識に軽率な判断をしてしまったことに気づいた。
この人は他人を助けるため、自分がやりたいことのために、新たな知識をゼロから得るために努力している。これは本来、称賛に値する行為だ。 おそらく相手も前向きな反応を望んでいたのだろう。しかし、彼の先入観が、純粋な行動と澄んだ瞳に影を落としてしまった。
「私が誤解していました。大変申し訳ありません……そして教えてくれてありがとうございました。勉強になりました。」
この過ちを償うために彼ができることは、率直に謝罪することだけだった。
相手もこのような反応を予想していなかったようで、驚きで目を大きく見開き、再び彼と視線を合わせた。
建物の影に隠れてはいたが、シャリアはそこから輝きを見た。
「…貴様の口からそんな言葉が出るなんて、思いもしませんでした」
若い男は呟き、明らかにリラックスした様子だったが、まだ少し眉をひそめており、その複雑な表情にシャリアは思わず微笑んでしまった。
「それは失礼でした。ところで、貴方はもう拗ねることをやめたのですか?」
彼は皮肉っぽい口調で尋ねると、目の前の整った顔に苦笑いが浮かんだ。
「そもそも拗ねてなどいない、うっ!」
その言葉を言い終える前に、男は突然口を閉ざした。シャリアが何かおかしいと気付いた瞬間、ずっと握り締めていた手が突然離され、男は瞬く間に上半身を船の舷側に身を乗り出した。その勢いは、小さな船を不安定に揺らすほどだった。
青年は船の外に頭を突き出し、その後、咳と吐き気のような音が聞こえたが、シャリアの位置からは様子が見えず。水面に反射する夕陽に照らされた、揺れる浅い金色の髪しか見えなかった。
「…お客様、大丈夫ですか?
「——え?彗星さん、もしかして……船酔いですか?」
船頭とマチュの驚いた声が、船の両端から同時に響いた。
*
途中ちょっとした事件があったものの、顔色をわずかに青ざめた金髪の青年の主張で、彼らは船旅を最後までやり遂げた。
最後尾を歩いていたシャリアは、下船する前に、当初の予定よりも多めのチップを船頭に渡し、相手が喜び以外の感情を抱いていないことを確認してから、他の3人に続いて上陸した。
「ああ、船旅は本当に楽しかったですね。ヒゲマンと彗星さん、ご一緒できてありがとうございました!」 赤髪の少女は、満面の笑みを浮かべてそう言った。シャリアは「どういたしまして。私もこの体験を楽しみましたよ」と笑顔で返した後、2人がニヤリと笑みを浮かべた。
次の行程ではドレスコードが求められますが、お二人の服装で問題はないでしょう。しかし、ニャアンと私はホテルに戻って着替えなければなりませんので、少しお待ちください!マチュはそう言って、2人の男性の返事を待たずに、手を振って、もう1人の少女を連れて立ち去った。
はぁ……2人の少女の背中を見ながら、シャリアはため息をつき、隣で道路脇の石段に腰を下ろしている金髪の青年に目を向けた。
「……くそっ、アマテの奴、こんな行程を企んだなんて……」
青年は長く息を吐き、深呼吸して顔を上げる。片手でシャツの襟元を緩め、もう片方の手で濡れた長い前髪を掻き上げると、美しい形の額が露わになった。閉じられたまぶたを縁取る長く浅い色のまつ毛が、陽光にきらめいていた。
シャリア・ブルは、一瞬息を止め。次の瞬間、彼は頭を下げて、持ち歩いていたバッグから水筒を取り出し、相手の前に差し出した。
「これ飲んでください。そうすれば少し楽になるでしょう」と彼は静かに言った。そして、さらに言葉を続けた。
「もし体調が悪ければ、早めにマチュや船頭に伝えておくべきだった——私にも教えてくれていれば、ずっと不快感を我慢し続ける必要はなかったでしょう?」
そういえば、船の中でずっと手を握りしめていたにもかかわらず、シャリアは男不調に気づかなかった――おそらく、彼から伝わった微かな肉体の波動を、不機嫌だと誤解してしまったのだろう。ああ、それもシャリアの力不足だった。
彼はそう考えながら、青年は小さく礼を言い、シャリアの手から水筒を受け取った。偶然触れた指先から、静電気のような微かな衝撃が伝わってきた。
年上の男性は何もなかったかのように手を引っ込め、相手が頭を上に向けて何口も水を飲み干すのを見て、満足そうに小さく唸り、手を上げてシャリアに水筒を返しながら、再び垂れた金色の髪の隙間から、碧色の瞳で彼と視線を合わせた。
「私は言わないと決めたのだ。もし話したら、彼女たちの楽しみを台無しにしてしまうだろう?それが避けたかった。だから、勝手に自分の責任だと思い込まないでくれ、シャリア・ブル」
行方不明だった5年間と、袂を分かつ2年以上を経て、この人の“人の心を読む力”も、以前よりずっと研ぎ澄まされているようだ。少なくとも、常に一定の防御を維持しているシャリアの考えを、接触の中で読み取るほどには。
シャリアは心の中で密かに評価し、返答を避けるために、聞こえないふりをして黙っていた。
しかし相手は、それだけで諦めるつもりはないようだった。
「ああ、責任といえば――そのとき、貴様は『責任を果たす』のつもりだったと聞いたが、そうだろうか?」
親しみのある、しかしもう上司としての立場からではなく、やや低い声でそう尋ねれた。
シャリアは、わずかに震え、目を伏せた。
「…… さぁ、何のことでしょう?」
「ごまかすな。それが私にとって無意味なのは分かっているだろう?」
男は声を強めた。
「――貴様が負うつもりだった責任とは何だ?ギレン総帥の暗殺か?イオマグヌッソの起動によって引き起こされたア・バオア・クーの崩壊か?それとも、キシリア閣下の艦隊を撃破した罪か?実際には、そのいずれも貴様の手によるものではない。それでも「誰か」の代わりに責任を背負おうとしているようだな。」
「ニュータイプ推進派のキシリアの名声を守るためか?何も知らないまま引き金を引いた新世代のニュータイプたちを庇うため?ジオンの救国英雄シャア・アズナブル、あるいはキャスバル・レム・ダイクンを復讐者にしないため?アルテイシアダをイクンの遺児として、ジオン公国の新たな支配者となる勢いに乗せるため?
」 …本当に、この人がすべてを見抜いているのだろうか?事実を述べたという名目でのオールレンジ攻撃を受けたシャリア・ブルは、無言でため息をつき、唇を噛み締め、口を開いた。
「…貴方の能力が上達したのは、本当良かったですね。それは、あの少女と暮らしていることで変化があったのでしょうか?」
「確かに、ララァの感応能力は強く、私も多少影響を受けたが、先に言っておくが、私は貴様の心を覗んだわけではない——貴様の考えていることは、そのまま顔に表れている。例えば今、話題を変えようとしているのか?相変わらず不器用だな。」
あとは情報収集力ですね。アマテと貴方の部下たちは、まだ連絡を取り合っており、貴方に対する不満をたくさん交換しているようだ。彼は皮肉っぽく付け加えた。
「……わかりやすいのですか?私か?」
最後の情報も無視できないが、相手が彼の意図した答えを軽々と覆したことに、シャリアは思わず呆然とした呟きを漏らした。
木星での事故を経験し、地球圏に戻った後、若い頃、周囲に迎合して行動していた努力を諦めたシャリアは、自分が感情表現が得意ではないことをよく知っていた。実際、言葉や感情を通じて、何度も同じような評価を受けてきた。それは、善意の解釈で「奥行きのある」や「思慮深い」といったものから、否定的な印象を含む「秘密主義」や 「何を考えているのかわからない、嫌だ」など、ほとんどの人にとって、シャリア・ブルは解明されていない謎であるということを証明していた。
感性に優れ、互いに信頼し合う部下たちでさえ、シャリアの説明不足な言動や態度について、時折率直な忠告をする。若い友人は、彼の真意について、遠慮なく質問してくる。
しかし、目の前のこの人にとって、自分はこんなに簡単に読み取られるものなのか?彼は目を丸くして相手を見据え、その星のように輝く瞳と真っ直ぐに視線を交わした。
「『私たち二人は似ている』——貴様はアマテにそう言ったと聞いた。だから、貴様が私の空虚さと危険性を看破した。その点を理解した上で、その後の情報を基に、当時の貴様の考えを推理し、現在の反応を予測することは、それほど難しいことではない——だから、貴方が負おうとしている『責任』について、私は何か間違ったことを言ったか?」
おかしなことに、その時、私は私たちが唯一無二の友人だと思っていたのだ。貴様に排除かされてから、私は「シャリア・ブル」という人物について、本当に理解したような気になったのだ。 金髪の青年は、説明のような口調で答え、そして唇の角を上げて、半ば皮肉、半ば感傷的に付け加えた。
そこまで言われると、シャリアも抵抗をあきらめ、ごくわずかな動きで軽くうなずいた。
「……強いて言えば、イオマグヌッソの実射を除けば、ギレン総帥とキシリア閣下の排除は元々私の計画の中にあった。ただ、情勢が混乱している隙に、これらの『功績』を全て自分のものにしただけだ。」
彼は低く答えたが、目の前の男は間違った答えを聞いたかのように首を振った。
「ああ、独立戦争の英雄、シャリア・ブルは、シャア・アズナブルが将来行うかもしれない大規模な粛清を阻止し、ジオン公国と戦争世代のニュータイプの罪をすべて背負い、軍事法廷で唯一の死刑判決を受けた――それは本当に、貴様が望んだことなのか?
」 「…その通りです。ニュータイプ、そして人類全体の未来のために、私はその時から…貴方と出会った時から、その夢を抱き続けてきました。その目的を達成するために、私は、その夢を与えた者を含め、誰を犠牲にするのかを、おこがましくも自分で判断しました。目的が達成された今、私はその責任、あるいは代償を、喜んで引き受けるつもりです。ただ、それだけです。」
金髪の男は高い鼻かため息をついた。
「なるほど。他者——しかもまだ未熟で空っぽなガキ——から得た空虚な言葉を、前進の目標として掲げ、他者と自身を犠牲にすることも辞さない。そう考えるのは、貴方の『空虚』の表れなのか?」
「……そう思われるのも仕方がないですね。そうしておいても構いません。私はそんな空虚な人間なのです、ようやくお気づきになったのですか?」
シャリアはため息をつき、自暴自棄のように認めたが、相手の口実を与えないよう、当時の決断を補足的に擁護した。
「それでも、私は自分の選択が、あの状況では正しいものだったと信じ、後悔もしていません。」
しかし、相手の次の言葉は、彼の予想外のものだった。
「私の見るところ、貴様は自分が想像するほど『空虚』ではない。ただ、『シャリア・ブルは空虚な人間だ』という自虐的な考えに囚われているだけだ」
もし興味があれば、私がそう考える理由を聞いてみるか?青年は何事もなかったかのように爆弾発言を投げかけ、意図的に謎めいた口調で反問した。シャリアは口を開き、しかし何を言えばいいのか、反論すべきか迷い、ただ曖昧に「どうぞ」とだけ答えた。
「私はこう思う――『何かもどうでもよい』という『空虚な男』は、一見自分にとって何の得にもならないような遠大な目標のために、それほど多くの時間と労力を費やし、さらには自分自身を犠牲にするような真似はしないだろう。結局、本当に何もどうでもよいのであれば、人間、さらにはニュータイプの未来も、どうでもよいことになってしまうのではないか?なぜ元々得意ではない分野に踏み込み、5年間も孤軍奮闘し、危険因子を排除した後も、まだその立場に留まり続ける必要があるのか?もし自分の幸福のためではなく、背後にある核心的な理由がないなら、人はそこまでやるはずがない。」
本当に何も気にしないなら、この全てから逃れる方法は山ほどあるはずだ、と彼は反問した。
「……それは、そのようなことをしなければ、私はこの 世界に留まる動機をなくしてしまうからです。貴方が消えた時や、あの事件の後も。今私がここにいるのは、ただ誰かが私に『責任を引き続き負うように』と求めているからです。」
幸福など、私のような人間には贅沢すぎる話なのです。
彼は呟いた。この言葉は、部下や友人、特にあの時宇宙に漂うキケロガのコクピットを回収するために戦場に留まったエグサベ少尉本人か聞ければ、きっと厳しく非難されるだろう。
しかし、この男の前では、彼は遠慮なく本音を吐き出すことができた。
男は鼻で嗤った。
「あの頃は理解できなかったかもしれないが、今の私はようやく『貴様はそう思っているんだ』と理解できるようになった——『私たちは似ている』と、 これは実に絶妙な評価だ。私もかつてそうだった。生まれてから「ダイクンの後継者」という名前に背負われ、人生の半分近くを「ザビ家への復讐」という目標を追い求めて生きてきた。自分が父親の言う「ニュータイプ」であるかもしれないことを知ったとき、ジオン・ダイクンの理想がすぐに頭に浮かんだ。「私なら、できるかもしれない」――傲慢な考えだろう?だが、最後に残ったわずかな疑念も、唯一無二の同志と出会った瞬間に、完全に消え去った。」
それは、シャリア・ブルにとっても運命の転換点だった――そう言って、2人は沈黙に陥った。 「……貴様にあの不意打ちの一撃を食らわされるまで、私は『自分こそが世界の歪みを正し、人類を導くべき存在だ』と信じ、そして、自分にその素質が乏しいことにすら気づいていなかった。」
だから、何も持たない自由の世界に放り込まれたとき、私は一瞬、途方に暮れてしまった……貴様のレッドラインを踏まないで何ができるか、あるいはもっと根本的に、将来何をしていきたいのか、まったく見当もつかなかった――結局、私は未来に何をするべきか、全てが全く見当がつかなかった——畢竟、これまで全力で追いかけてきた目標、あるいは幻影が、無理やり奪われてしまったからだ。残ったのは、過去も未来も、自分を示す何の標識もない男だけだった。」
「しかし、私はそれでも何とか生き延びた。言葉にできる目的もなく、ただ生き延びるために前進し、 遠く離れた宇宙から、ジオンの新しい女王と新政権のニュースを受け取り、前進するために生き、その道中で偶然ララァと出会い、労働と既存スキル、そして新たに得た知識で人々を助ける充実した日々を過ごした。そして、ララァを通じて、偶然にもアマテたちとの再会を果たし、その5年間のシャリア・ ブルの事情を知った——貴様が最後に下した結論と行動に不満を抱いていないと言うなら、それは嘘だ。しかし、アマテからの情報を共に聞き、事情を整理しようとしたララが、私が一度も考えたことのない見解を提示した。」
――彼女は、こう言った。「あの方は、『薔薇の少女』と似ている」と。
「……え?」
シャリアは自分の耳を疑ったが、青年もため息をつき、肩をすくめた。
「私も、それを聞いたときの反応は貴様とほとんど同じでしたが、彼女の説明を聞いたら、私も少し納得しました。要約すると、貴様と『彼女』の最大の共通点は、『私の周りで起こる災難を事前に予測し、それが起こる前に、どんな犠牲を払ってもそれを阻止しようとした』のことです。ララァの夢の中で、彼女は『薔薇の少女』が何度も『私』の命を救おうと試みるが失敗する過程を見たが、彼女が気づかなかったのは『私』が生き残った後の世界;もし貴方の推測が…… 貴様が目にした『私の未来』が現実になる可能性があるとすれば、『その方はきっと、貴方の優しい心が、過度の期待と失望に磨耗され、取り返しのつかない状態になるのを防いたいだろうね』……これが彼女の言葉です。」
「……それは違う、」
「ああ、そうすぐ否定するな——彼女はその後、さらに衝撃的な言葉を続けた。」
予想外の角度から予想外の答えを得たシャリアは、反射的に反論しようとしたが、金髪の男はそれを止め、彼の顔を見つめて、ゆっくりと話を続けた。
――その瞳に映るのが、あまりにも慌てた表情ではないことを願ったが、ニュータイプである彼らにとって、完璧なポーカーフェイスでもシャリアの心は完全に隠せることができません。
「『あの方があの方なりに、貴方を愛しているのかもしれない』——彼女はそう言った。」
「それは『夢』の予感ではなく、『女性の直感』だそうだ……おい、そんな表情をする必要はないだろ?私も最初は信じられなかったんだ。私の二十年も以上人生を無情に否定し、私を突き放した男が愛?冗談もほどほどに——貴様もそう思ってるだろ?」
男は独り言のように話し、シャリアに同意を求め続けたが、シャリアは、何か言おうと口を開きかけたまま、その口を閉ざした。強烈な衝撃を伴うめまいを抑えるだけで、ほとんどの体力を消耗していた。
「はぁ、」
愛?愛――シャリア・ブルにとって、これほど見知らぬ、遠い言葉はない。
物心ついたときから親類もいないまま、幸運にも養護施設で身を寄せ、そして生活の安定のために軍人としての道に進んだものの、おそらくは目覚めていないニュータイプの特性が、あるいは単に不器用な性格のためが、シャリアは他人と距離感を感じ続けていた。しかし、人混みの中に身を置く中で、彼は他者同士の「愛」と呼ばれる行為や感情——善意、親近感、好意——を目撃し、耳にし、あるいは不本意ながら感じ取らざるを得なかった。こうした人間同士のポジティブな感情は、シャリアが理解できる範囲であり、多少は身をもって経験したこともあったが、「愛」という概念については、文字や言葉による伝聞などの二次的な情報しか持っておらず、理解も経験も欠けており、ただ「最高レベルのポジティブな感情」の存在を無関心で受け入れていただけだった。
自分自身が「あの人」に対して抱く複雑な感情は、この概念で表現できるものなのだろうか?
衝撃で頭を下げ、困惑で眉をひそめたその時、温かく、モビルスーツのパイロットの手には本来備わっているものとは異なるようなたこができた手が、再び彼の手を握った。
その瞬間、シャリアは自分の手のひらが緊張の汗で冷たくなっていることに気づいた。その手はゆっくりと、何気なく彼を屈ませた。シャリアは抵抗する力もなく、相手の引きに身を任せ、膝を曲げて、相手と同じ高さの段階に尻を乗せた。
次に、その手と同じように温かい身体が近づいてきた。
男が口を開いた時、記憶の中の声よりも低く柔らかい、馴染みのある声が耳元で響いた。
「しかし、この前提で振り返ってみると、多くの矛盾点が説明できる——例えば、長年苦心惨憺して人類の未来の障害を排除するため尽力したのに、結局は私という災いの種を残し、全ての身分と使命を剥奪した上で、私に自由を与えたという理解不能な行為; 例えば、私たちがいる難民キャンプの再建基金口座に、宇宙から募金を受けなかったにもかかわらず、ある日突然、ズム市からの匿名の大口寄付が振り込まれたこと; 例えば、5年間、音信不通だった間に、シャリア・ブル中佐がどのようにそ姿を一変させ、不慣れな政治手段を駆使して、「赤い彗星」の行方必死に追いかけていたか。」 「私がいたジオン工科大学ミノフスキー物理学研究室のようなオタクだらけのような場所でも、貴方のあの無茶な功績について人々が議論しているのを聞いたことがあります。もしも私一人を排除するためだけにそう行動したのなら、ほんとうに光栄に思います……」
「例えば、私か戦時中の2ヶ月という短い期間で、シャリア・ブルという男から、これまで経験したことのない安心感と安定感、そして一緒に過ごした時間の中で感じた喜びと満足感を得た。それがすべて、その男の私への愛情から生まれたものなら、私はその記憶が真実であると信じる証拠がある。」
だから、教えろ、シャリア・ブル。私が君から得たすべての素晴らしい思い出、君が私と私たちの夢のために捧げた献身と犠牲は、君の愛情から生まれたものなのか?
若い男囁くような低い声で尋ねた。寄り添う肩から伝わる体温、握る手の力強さ、そして相手から漂う汗麝香の混ざった香り。すべての感覚が、あまりにも親しみのある情報で包まれ、シャリアの心さえも、8年前に戻ったかのような、2人だけがいる、静かで広い宇宙空間にいるような錯覚に陥った。
彼のすべては、この人の前に、何も隠そうともせず、さらけ出されていた。
「…それはすべて、私の自己満足に過ぎなかった」
シャリア・ブルは、鼻声と少し嗄れた声で答えたが、相手がそれに気づかないことを期待してはいない。
「その空虚で、死ななかっただけの惰性で生き延びていた男が、意味の見えない戦争の中で、そのときの貴方に出会った… 生まれながらの輝きと、危うい空虚さを備えた若者が、私に手を差し伸べだ。崇高な理想で私の欠損した心臓を埋め、再び目標のために鼓動し始めた——その時の私は、確かに貴方のために全てを捧げる覚悟だった。しかし、それが『愛』と呼べるかどうか、私の理解で答えることができません。」
「しかし、その後、私は未来の悲劇を強制的に認識させられました——私は、貴方が理想を実現する能力と責任感を持っていることを、疑いません。貴方を最も理解している自負心があり、貴方が傷だらけでも、依然として善良で優しい本質を持っていることもよく知っています。しかし、そのような貴方は神格化され、人々の勝手な期待に縛られた。それでもなお、あまりにも高潔で、潔癖な理想を抱き続け、現実の中で苦闘し戦うほど、より強い挫折と絶望を感じ、最終的に過激な粛清と破壊の未来へと向かっていくのです。私は、貴方が私と似たような、しかし規模がより巨大で、人類全体に及ぶ虚無を経験するのを耐えられませんでした。そして、最も耐えられないのは、私自身が貴方の肩に圧力をかけ、悲劇的な結末をもたらした加害者の一人であること……」
彼は乾いた笑いを試みたが、自分の耳には、ほとんど嗚咽のような不快な音に聞こえた。
「だから、最終的に私は決意した。何年もの間、貴方の接触を待ちました。まだ転機があることを期待していましたが、次第に崩壊していく停戦は、私たち……いえ、私自身に最終的な決断を迫らせました。真の平和を実現し、ニュータイプが自らの選択した姿で宇宙で生活できるように、独裁的なザビ家を排除した後、宇宙の権力の空白を誰かが埋める必要がありました。しかし、神壇に上げられることが貴方の悲劇につながることを知っていたため、その地位にふさわしい別の人物を準備しなければならなかったのです…… 彼女を宇宙で最も自由のない場所に担ぎ上げることに胸が痛むものの、アルテイシア様がこの依頼を引き受けてくださいました。貴方が自分の妹に対し手を引く可能性もあるが、それでも『赤い彗星のシャア』を指導者として支持する者たちは大人しくいられないでしょう。国家や宇宙の情勢にさらなる混乱を招かないため、 何より、私は個人的に、お二人がザビ家のように兄弟相殺の過ちを繰り返すのを絶対に望みません。そのため、『シャア・アズナブル』であろうと『キャスバル・レム・ダイクン』であろうと、舞台から消え去り続ける必要があります……この目的を達成するためには、貴方を『死なせる』以外に方法が思いつきません。そして、『赤い彗星』を殺すことも、少なくとも相打ちをできる人物は、この宇宙において、貴方の『MAV』である私以外にはいない。」
「たとえ他の誰かがそれを成し遂げることができるとしても、私はこの立場を譲るつもりはありません。結局のところ、この計画は、表向きはニュータイプと世界の平和と未来のためですが、その出発点は、非常に利己的で卑しいものです。それはただ、貴方が虚無に飲み込まれ、絶望と破滅の末に至るのを、私が見たくなかったという――それだけの理由です。このような傲慢な想定、このような自己中心的な理由のために、貴方の存在を抹消しようとする行為は、『愛』とは天と地ほどの差があるでしょう?」
「……私が君を、選択を迫られる道へと追いやったんだ。しかし、そのとき、君は『私』を殺さなかった。代わりに、私に自由を与えた。」
男は静かに答えた。その間、相手の体温と脈拍を感じながら、シャリアは苦いながらも、半分は安堵したように、わずかに口角を上げた。
「それは結果論だ。正確には、『私はやはり貴方を殺すことはできなかった』ということです。その過程で、私の浅はかな予想をはるかに超える出来事が多発し、さらにマチュとニャアン、そして『向こう側』からやってきた白いガンダムも加わった。そして、自分の覚悟と能力がいかに不十分であるかを痛感した。数え切れないほどシミュレーションを重ね、甚至にキケロガをあの姿に改造したにもかかわらず、最初の奇襲が効かなかった時点で私は既に勝算を失っていました。その後はただ瀕死の抵抗を繰り返すだけでした。」
もしシムス大尉の意見に従ってコックピットの位置を変更していなければ、あの時私は宇宙の塵埃となる運を遂げていたでしょう。彼は自嘲気味に言い、相手の体がわずかに硬直したのを感じた。
「あの変更はあの技術官のアイデアだったのか?それなら本当に彼女に感謝しなければならない——もしあの時、私の反撃が君のコックピットを貫通していたなら、その場面から生き残ったとしても、『MAV』を自らの手で葬った私は、君が避けようとした道を進むことになっただろう。そして破滅の瞬間まで、心の中のあのヒト型の黒洞が実際は何なのか、決して知ることもなかっただろう。」
私は世界への怒りと絶望を抱え、孤独で悲惨な死を遂げたでしょう——それは間違いなく、君の愛を無下し、気づかずに最愛の者を殺した罰です。
青年は呟いた。
その声に滲む後悔と自責の念に胸が締めつけられる中、シャリアは彼の言葉の真意を見逃さなかった。彼は突然顔を上げ、相手との距離を無理やり引き離した。
「貴方は……何か誤解していないのでしょうか?」
この質問を口にした時、彼は自分でも予想以上に高揚し、焦燥感に満ちた声を発した。
「私の心に抱える感情がどんなものであっても、それはすべて私の一方的な思いです。そして私は……私は貴方から愛されるに値する人間ではありません。 だから、貴方も私に応える必要はありません——どうか、私を再び貴方の負担にさせないでください。」
シャリアの頭には、定期報告書写っていた女性と、そして同じ写真に写っていた、不器用な身振り手振りで恥ずかしさを表現しながら、今まで見たことのないような爽やかな表情を見せた青年が再び浮かび上がった。それは、彼があの人と別れた後、想像された最高の理想的な光景だったに違いない。
「今の貴方のそばには、すでに『運命の人』がいるはずです。……お二人はようやく過去から解放された。だからこそ、大切な人と、本当に意味のある人生を過ごしてほしいのです」
しかし、彼の言葉は何か柔らかい物体に塞がれ、視線も突然近づいてきた金色に遮られた。
温かな息が顔に吹きかけられ、薄い唇が、噛み締められた唇を優しく吸うまで、シャリア・ブルは自分がキスされていることをようやく気づいた――8年ぶりに、彼の手をしっかりと握る若い男からのキスだった。
「こうなるべきではない」と、彼の理性が即座に叫んだ。同時に抵抗を試みたが、相手の握りは予想以上に強固で、もう片方の手を腰に回して物理的な拘束を強化した。
より逃れがたいのは、抱擁の姿勢とキス動作の中で、潮のように押し寄せる意識と情報だった。
光。その日はシャリアの脳裏に刻まれた赤い彗星の輝きほど強烈ではなかったが、その光に包まれるだけで、その中に満ちる喜びを共感することができた。柔軟で厚みのある舌が口腔に侵入し、微かに酸味のある唾液が希釈された悲しみと寂しさを帯びていた。舌先が敏感な上顎を愛撫し、息を吸い込む動作は、隠すことなく激しい情熱と怒りを伝えた。急激に吸い込む鼻腔は特徴的な麝香で満たされ、瞼は長い睫毛に掻きむしられ、抱きしめられた身体は記憶よりも広い肩幅、力強い腕、そして全身から漂う安心感を鮮明に感じ取った。そして、シャリアの身体、意識、そしてシャリアの存在さえも、彼の身体の中に揉みこもうとする、ほのかな独占欲も感じられた。
ーーシャリアの虚無も一緒に。
その瞬間、シャリアは、ぬくもりに包まれていたはずの体を、突然氷の湖へと突き落とされたような心地になった。高まる感情は一気に冷静になった。彼はあまりにも必死に抵抗したため、相手の唇に自分の歯がぶつかった。最後の唾液の中に鉄の錆びた味を感じた。
「おやめください!」
ようやく男を押し退けながら、シャリアは声を抑えて叫んだ。二人の間に入り込んだ手は、相手の胸に押し当てられ、さらに近づくのを阻止した。
彼は息を切らしながら、相手を睨み付けた。視線は水滴で光り、腫れ上がった唇から、同じように見開かれた、怒りの熱を放つ氷のような青い瞳へと移った。
そういえば、表面温度が最も高い恒星は、まさにこのような、心の底を凍らせるような青色をしている。
シャリアが再び言葉を組み立てる前に、金髪の男が先に口を開いた。
「私が誤解している?状況をよく理解していないのは、貴様の方でしょう、シャリア・ブル。」
低い声には、先ほどのキスに込められた明確な怒りと衝動が混じっていた。彼の腰に巻きついた腕は緩めなかったが、もう片方の手は穏やかな握り方を解き、代わりに強引に彼の胸に置かれた手を掴んだ。
「まず、貴様は完全に間違っている。私とララァはそんな関係ではない——彼女が夢で見たのはこの世界の私ではなく、夢の中の『私』に心を奪われたのは彼女ではなく、薔薇の中の少女だ。ある意味、私たちは同じ、他人の夢の中で他人の人生を演じる空虚な存在だった。しかし、貴様の行動によって人生の意味を再考し、その土地で彼女と偶然出会う前に、彼女は既に同じ境遇の子供たちと共に、先に本当の人生を始めている。貴様が言ったように、男は女よりも遅く成熟する。ましてや『普通の人間のように生きる方法』という一点では、私は生まれたばかりの赤ん坊と変わらない……彼女は地球での私の導師であり、最初の友人だった。それ以上でも以下でもない。」
「彼女は私に愛の形を再認識させてくれた——君からの愛だけでなく、私の心の中に隠れていて、私自身も忘れていた愛も……半生を不甲斐ない人生を送ってきた結果、自分を不甲斐ない形に歪めてしまったが、それでも私の感情であり、私自身はまだそれを区別する能力を持っている。これが君の第二の誤解——私が君を愛することは、君が私の心の中の価値を意味する; 私は君の愛を欲している。君が私の感情やその意味を否定する資格はない。ましてや、私が単純に誰かが私を愛すれば、無条件に同じ反応を示すような人間だと誤解するなんて。」
それこそが本当の「空っぽ」ではないのか?
青年はそう反問を残して、口調と表情はようやく少し穏やかになったが、シャリアは彼の先ほどの威圧的な態度と一連の反論の言葉にまだ震え、口半開きで、ぼんやりとまばたきをした。
「他に私が説明し切れていない点はあるか?」
しばらくの沈黙の後、青年は公事のように淡々とした口調で再び尋ねた。年上の男はようやく一部言葉を取り戻した。
「...私のような空虚な人間にとって、貴方のような人はあまりにも輝かしくすぎる...」
だから、私を放っておいてください。彼は目を伏せて、ほとんど懇願のような口調でそう言ったが、この状況では、もはや失うプライドはなかった。
コミュニケーションが取れない幼児の理不尽な反抗を聞いたような、 若い男はため息をつき、シャリアの鼓膜をほぼゼロ距離振動させた。
次の瞬間、彼の手は離され、その代わりにシャリアの顎が持ち上げられた。驚愕する間もなく、非現実的なほど美しい顔が近づいてきた。彼の額は相手の額に、鼻先は鼻先に、瞳は瞳に重なった。
「人の心を覗きすぎるのはよくない…そうは言っても、はっきり見せてあげないと、貴様はまだ諦めず、逃げ続けるだろう、シャリア・ブル」
— 青黄色のオーロラのような斑点が散らばる紺碧の虹彩の奥には、宇宙のような闇。スペースノイドの生命の海であり、それが目の前の男の心だった。
シャリアは息を止めて、無光と無重力に慣れるよう努めた。すると、遠くの星々や、その中に浮かぶ、柔らかな輝きを放つ、ぼんやりとした小さな人影が、徐々に目に入ってくるようになった。
その映像は、まる色が褪せたかのように、セピア色に覆われていたが、彼は一目で、それが幼い頃のキャスバル・レム・ダイクン少年であることを理解した。ダイクン少年は、大きな目をシャリアに向けて、子供特有の丸い頬に穏やかな微笑みを浮かべていた。
しかし、シャリアが何か言葉を口にする前に、 少年は成長し始めた。身体の成長と共に、影が彼の美しい顔薄暗く覆い始めた。まだ幼い顔立ちが硬直し、絶望に染まった一瞬は、シャリアが過去のニュース資料で見た、ジオン・ズム・ダイクンの葬儀で、黒衣をまとったまま、背筋を伸ばし、無表情で立っていた少年の姿を思い起こさせた。
温かい光は暗くなった。いや、正確には小さくなった。少年を取り巻いていた光は、もう一方の手を握るような手の辺りに集まり、警戒するような動きと緊張した表情は、何かを守ろうと必死に奮闘しているようだった——シャリアはランバ・ラルが後悔の念を込めて語った話から、エドワウとセイラ・マスの兄妹の苦難の物語を聞いていたが、彼を痛ませたのは、エドワウ・マスが、彼が物語から得た印象よりもずっと幼く、無力だったことだった。
シャリアは、少年と彼の輝きが、目に見えない刃によって徐々に削り取られていくのを、ただ無力に見つめるしかなかった。少年は歯を食いしばって耐え、頑固な表情は少しずつ無表情になり、優しさはすっかり失われていった。成長中の少年の細長い輪郭と鋭い視線は、彼に近づく者を拒絶するような鋭さだった。
最後の光は輪郭がぼやけた光球となり、少年の胸に潜り込んだ。エドワウ・マスは握りしめていた手を緩め、頭を下げ、宇宙の暗闇に溶け込もうとしたが、再び顔を上げた時、感情を欠いた微笑を浮かべる青年の顔は、復讐の炎の赤色に染まっていた。シャア・アズナブル。まるで戦争の呼び声に導かれるかのように、連邦艦隊を恐怖に陥れた赤い彗星であり、シャリア・ブルを魅了し、彼の空虚な心を再び鼓動させた男だった。
シャリアは敬虔に息をひそめたが、その男は彼に気づき、彼に向かって歩きながら、険しい笑顔を穏やかで自信に満ちたものに変え、無言で唇を動かして何かを語りかけ、彼に手を差し出した――あの艦の部屋でのそのときと同じように。シャリアは、強い重力に引かれるかのように、慎重に手を伸ばした。
彼が若い男の手に触れた瞬間、その接触点からプラズマがシャリアの目の中に飛び込み、一瞬にして目の前の視界が色づいていた 。
火雲のような鮮やかな赤の衣装、朝日のような金色の髪、晴れた空のように澄んだ瞳、そしてその年齢にふさわし輝かしい笑顔。
自由。男の体から放たれる輝きは、そう告げていた。
わかったか、シャリア・ブル?これが、私の世界においで君の意味だ。君は、まだ自分が私にとって価値のない存在だと思っているのか?
ゼクノヴァー中のミノフスキー粒子で構成された輝かしい空間よりも、地球で見られる日の出のような、眩しい仮想背景の前に、金髪の青年は大きく口を開き、爽やかな声で言った。そして彼はシャリアの手を自分の胸に押し当て、鼓動する心臓の上に置いた。
あまりにも強い安心感と喜びが、シャリアの脳を瞬時に満たした。
「君から見れば、私はまだ空虚に支配されるような人間なのか?」
嗚呼、よかった――この人は、今も生きている。元気で。
血縁や理想からくる、本意ではない責任や、シャリアが強いた「自由」に押しつぶされることなく、着実に自分の道を歩んでいる。
彼は相手の言葉に返答せず、ただその事実を深く噛みしめていた。
青年が無音を耐えられずに、やや照れくさそうな口調でさらに反応を求めようとした瞬間、思考よりも早く、身体が動いた。
彼は空いていたもう片方の手を伸ばし、若い男の身体を抱きしめた。男は驚きの声を上げ、その勢いで自分のもう片手を彼の背中に回した。
「これは、私の意見を受け入れたと解釈していいのか?」
青年は彼の耳元でそう囁き、シャリアは不器用に息を吸い込み、相手の肩と首の間に顔を埋めて、うめき声のような長い息をついた。
「……『愛』が何かも知らないおじさんの、重たい執着です。それでも、貴方がまだ望むのなら、受け取ってくれて構いません。」
彼は諦めたように答えた。青年は軽く息を吐き、震えながら抱擁の力を強めた。
「君がそう言わなくても、私は欲しいものを手に入れる——前回は君意思に従ったが、今回は君が私の願いを叶える番だ。『愛』が何か分からなくても構わない。先輩として、君を理解させる責任を負う——おい、何笑ってるんだ?私がやりたいことは、何だってできるんだ!」
「貴方がどれだけの能力を持っているかについては、おそらく世界中で最もよく理解しています……しかし、貴方の口から『やりたいこと』という言葉が聞けるのは、本当に感慨深いものだ。」
「ああ、これは確かに『私がやりたいこと』だ——そして、これ以外にもやりたいことは山ほどある。」
村に戻り、現在の災害基準に合った水利施設を再建する;より多くの場所を旅行し、今回はより北の地域へ行く;村の規模を拡大し、居住区域をもっと多くの子供を受け入れられるようにする;アメリカ大陸を訪れる 、 旧友と会うことにする……若い男は、将来やりたいことのリストを、まるで自分の宝物のように、少し恥ずかしそうに、しかし期待に満ちた口調で挙げた。
シャリアは小さくため息をつき、小さく笑った。
「素晴らしいですね、ぜひ全力を尽くしてください。私のようなおじさんには、それについていくだけの時間と体力はありませんが…」
「馬鹿なことを言うな。君にも君の責任……君のやりたいことがあるだろう? 私は、君に自分の夢を叶える姿を見せたいと思っているが、だからといって無茶をするつもりはない。君は、『ジオンを守る英雄』であり続け、私の大切な妹のため、そして若い世代のニュータイプのために、全力を尽くせ。」
「ただ、たまには今のように、休暇を取って地球に降り立ったり、あるいは私もたまには宇宙に戻ったりしてはどうでしょうか?
それはシャリア・ブル中佐の禁止事項に抵触するのでしょうか?」
青年は苦悩そうに尋ねた。
彼のそれは、皮肉混じりに聞こえたが、国家の安全保障の責任を担う男は、少し考え込んだ。
「……もし貴方がトラブルを引き起こさないことを約束し、単なる慈善活動と研究を行う普通の青年として振る舞うのであれば、宇宙への搭乗に必要な書類と手続きは当方で手配しましょう。地球で有効な身分証明書は持っていますか?」
抱きかかえた男が一瞬で仕事モードに入ったのを見て、金髪の男は呆然と息を吐いた。
「今このタイミングで議論すべきことなのか…… 書類はありますが、そちらで完全な資料一式を作成していただければ、より使いやすくなると思うか。」
「そうかもしれません…では、名前はどうしますか?引き続き「シロウズ」を使用しますか?
「いいえ、その名前は、特定分野ではある程度有名なので、目立たないようにしたい場合には不向きだと思います。また、私は偽名を使うことに少し飽きてきました。
「……では、どのように呼べばいいのでしょうか?」
男が、ここ数年使用してきた名前を意外にもきっぱりと否定し、意味深長な言葉を口にした。シャリアは彼の言葉を受けてさらに質問を続けた。
胸の鼓動が肋骨の内側にぶつかって、鈍い痛みを感じた――シャリアによって名前を奪われたこの男は、いったいどのように自分自身を再定義しようとしているのか。
おそらく彼の緊張が相手に伝わったのか、青年は彼の抱擁を解き、少し距離を置いて、お互いの表情をはっきりと見えるようにしてから、完璧な弧を描いて口角を上げた。
「将来、この名前を最もよく呼ぶのは君だろう——それなら、私の名前はやはり『キャスバル』……貴方に『キャスバル』という名前で呼んでほしい」
「…わかりました、では、ファミリーネームはどうしますか?」
金髪の男、いや、キャスバルは緊張した笑顔でそう言った。その様子を見て、シャリアは太陽に向かって、灰緑色の瞳を細めた。
「うーん…この部分はちょっと面倒ですね。どうしても以前の苗字はもう使えないし、特に好みもない――強いて言えば、短くて、以前の名前と多少関連があり、あまり目立たないものがいいかな?あまり使わなければ、私自身も忘れてしまうだろうから。」
――それなら、貴方が決めてくれないか?短くて覚えやすい、できれば何か追加の利点もあるものがいい。キャスバルは続けて言った。
その口調は純真無邪気なふりをしていたものの、シャリアは彼の真意を確実に理解していた――どう考えても、あまりにも多くの段階を飛び越えているよ?将来、これらの事務を処理する部下たちが発する至極当然の不満の声が、彼の耳には聞こえてくるようだった。 「……わかりました、帰ってから考えてみる……でも、あまり期待はしないでね。行政手続きは、私の手の届かないところだから」
彼は半ば諦め、半ばごまかすように答え、目の前の男が目を大きく見開くのを見た。
シャリアが一緒にいなかった数年間で、その顔は、初めて会ったときと同じくらい美しく、そしてさらに精悍になったことを実感した。
男は自信に満ちた笑顔を浮かべたのを見た。
「君ならできる――それは私の確信だ」
*
「ねえ、ヒゲマン、彗星さん!お待たせしました!」
その声の方向を見ると、シャリアはわずかに目を大きく見開いた。
2人の少女の姿は、別れたときとは見違えるほど変化していた。
先は二人とも、動きやすいようシンプルな服装にサングラスと日よけの草帽を合わせた観光客風の装いだったが、約1時間の間に、マチュは淡い緑色のショートドレスに着替えた。上半身のホルターネックデザインと軽やかで柔らかい生地が、しなやかな骨格と肢体を引き立てていた。腰部以下の立体的なスカートは、軽快な歩調に合わせてリズムよく揺れ動いていた。ニャアンは、優雅な薄紫色のロングドレスを着ており、斜めのネックラインと片方の肩から垂れる小さなケープ、夜のような長い髪をアップにして露出した首筋、そして腰に飾られた華麗な銀の装飾は、おそらく大陸の東南アジアの作風であり、光沢のある生地で構成された直線的なカットが、その細長い体型を際立たせていた。
女性の容姿や服装にあまり興味のないシャリアでも、少女たちの凝った装いの威力を感じることができた。そして、隣にいるキャスバルの感嘆の声から、彼も同様の感想を抱いていることがわかった。
そのため、少女たちが彼らの前に立ち、見下ろすように、何かを期待するように輝く目で彼らを見据えたとき、彼も惜しみなく賛辞を述べた。
「これはこれは……お二人の服装はどちらも似合っていますね、とて綺麗です。もう立派な女性ですね。」
「服の選び方が上手だ。素晴らしい。素材の良さを上手く引き出しています。」
「ありがとう、ヒゲマン!ところで、彗星さんはなぜファッション評論家のような口調なの?」
2人の年配の男性から、それぞれ異なる角度からの賛辞を受けたマチュは、得意と少し恥ずかしそうな表情を浮かべたが、次の瞬間、彼女は頭を傾け、眉を上げた。
「ねえ、2人の雰囲気がさっきとはちょっと違うみたい?私たちがいない間に、よく話し合ったの?」
数年前から、自分と相手との対話を促してきた弟子がそう尋ねた。
さっきの「コミュニケーション」の過程を振り返って、それが「よく話し合った」と言えるかどうか、少し疑問があったが、シャリアはうなずいた。
マチュは眉をひそめ、シャリアをちらりと見た後、彼のそばにいる金髪の青年の顔へと視線を移した。
「どうなの?」
「まあ、見たままだよ」
キャスバルは軽やかな口調で答えた。その瞬間、シャリアは、その青年の手が再び自分の腰に置かれたのを実感した。
「だーかーら、どういうことを聞くのよ!また私たちがいない間に喧嘩をしたの?」
マチュは、その曖昧な答えに不満そうだった。そして、おそらくは、腫れ上がり、小さな傷跡が残っている彼の唇に気づいたのか、ジト目をした。
彼女はさらに2人に質問を迫ったが、そばにいたニャアンが彼女の腕に触れた。
「…2人から、『キラキラ』した匂いがする…」。
「え、なぜニャアンはそれを知っているの…つまり、それはつまり…え?」
え?白昼堂々と?こんな人通りの大通りで?え?
黒髪の少女が呟いた言葉を聞いた親友は、最初は意味がわからなかったが、その言葉の意味を理解すると、突然顔を赤く染め、奇妙な動作をしながら慌てた表情を見せた。
「うわ、ヒゲマン、大胆……」
「そ、そうではありません......」
弟子が何か誤解していることに気づいたシャリアは、反論しようとしたが、その場では適切な言葉が見つからなかった。
その瞬間、そばにいたキャスバルが、一歩前に出た。
「この件については、後でシャリアがゆっくり説明しよう。それよりも、アマテ、次の目的地への時間には間に合う?そろそろ出発したほうがいいんじゃない?」
彼がそう尋ねると、マチュは「あ」と声を上げ、スマホで時刻を確認し、うなずいた。
「そうだった、予約したシャトルボートの時間だ、行こう!」
そういえば、シャリアはマチュが次の旅程をどのように手配したかまだ知らなかったが、先ほどの会話から、キャスバルはそれについて何か知っているようだった。
シャリアが「次の予定は何ですか?」と尋ねた瞬間、少女たちのそわそわした表情から答えを得た。
「……ダメです。」
「えっ——なんて?!」
彼は簡潔に答えると、すぐに弟子の抗議を受けた。
「ギャンブルは良いことではありません。」
「でもここなら合法でしょう?この街に来たのに体験しないのはもったいないのでは?」
「この街では合法だとしても、未成年者はカジノに入れないでしょう?それに、貴方は最初から体験したいだけでなく、ギャンブルで大金を稼ごうとしているのではないでしょうか、マチュくん?」
「うう……でも、カジノはもともとそういう場所じゃないですか?それに、ニャアンも私ももう成人しています!今年、20歳になりました!」
赤髪の少女は巧妙な弁明をしたが、彼女の考えを正しく読み取ったシャリアはそれを信じず、彼女の動機は単純ではないとさらに指摘した。
少女は一瞬、不服そうな表情を見せたが、それでも反論を続けた。
彼女の反論の切り口は、シャリアを驚かせた。
彼は目の前の少女たちを見て、最後にソトンで彼女たちを見た時の姿を思い出し、懐かしそうに目を細めた。
「……そうか、もう20歳か……時間がこんなに早く過ぎるものなんですね。」
彼は感慨深く呟きいた外見は当時とほとんど変わっていないが、表情には確かに自信と成熟が感じられる少女の肯定を得た。
「そうたそうた!ヒゲマンは今でも私たちを子供扱いしているけど、私たちはすでに自分で責任を持てる大人なんだ!」
「同時に、偽の身分を使ていた指名手配犯でもあるけど…」。
「大人とはいえ、20歳は人生が本当に始まる年齢だ。いろいろなことに挑戦して、人生経験を積むことは悪いことではないだろう」。
ちなみに、「あの頃」の私も20歳だった……今では、もう28歳になろうとしているのだ。隣の青年も彼女たちに同調した。が、彼の言葉の裏にある情報を見抜いたシャリアは、ため息をつき、眉をしかめた。
「彼女たちに奇妙な価値観吹き込んだのは貴方でしょう?まったく……貴方の『人生経験』を当然のこととして広めないでください」
「まあまあ、私たちの方が先に彗星さんに『手軽に少額の収入を得る方法はあるか』と尋ねたんだ——だって、コモリンが毎月送金してくるお金と、あちこちでアルバイトする給料だけでは、ジークアックスの定期メンテナンスを行うのは少し厳しいからね。これは彼が私たちに提案してくれたアイデアのひとつに過ぎません。」
「ニャアンも私も、カジノに行った経験がないの。だから、彗星さんがこの地域にいるし、ヒゲマンもたまたま地球に滞在している間に、その様子を見学したいと思ったの。ヒゲマンがいてくれれば、私たちは無茶なことはしないし、だまされる心配もありません……それでもだめなの?」
シャリアがキャスバルに厳しい視線を向けたとき、おそらくは青年の助けを求める気配に気づいたマチュは、シャリアが述べた事実を受けて、彼に感情的な攻撃を仕掛けた。
元はといえば、シャリアはギャンブルについて、確固たる道徳的立場を持ってはおらず、一般的な論理に基づいて否定しているだけだった。そのため、弟子が切実な眼差しで彼を見た瞬間、彼の否定的な主張は瞬く間に崩れ去った。 「…貴方がそこまで言うなら、行きましょうか。しかし、あらかじめ言っておくが、私は賭けには参加しませんよ」
ニュータイプの感応をギャンブルに使うことは不正ですよ。
彼は諦めたような口調でそう言い、座っていた階段から立ち上がった。2人の少女は歓声を上げ、大げさにハイタッチをした後、興奮したマチューが先頭に立ち、皆を交通船の桟橋へと導いた。
「……君は相変わらず、若いニュータイプたちに甘すぎる。私に対しては厳しいのに?」
移動中に依然として肩を並べて、2人の少女たちの後を追いながら、キャスバルは半ば呆然とした、半複雑な表情でそう言った。
「結局のところ、彼女たちはまだ成長段階にある。他者に助けを求め、率直に意見を受け入れ、それに応じて修正できる、真っ直ぐなの子です。貴方のように、優秀すぎるために、他人の助けを求める前に一人で解決策を模索し、結局問題は解決したものの、他の面でくちゃくちゃになるような人に対しては、当然厳しく接するしかないでしょう。」
相手の数々の武勇伝を思い出して、シャリアはため息をつき、キャスバルは小さく笑った。
「君がそう言うなら、それは褒め言葉として受け取ろう。」
「私は褒めているわけではありません。貴方がそこにいる限り、一瞬も安心できないということです。」
「しかし、もし私がこのような男ではなく、ただの空っぽの容器のような存在なら、貴方から『面白い男』と評価されることもなかっただろう?」
男は厚かましい返事を返した。マチュに話した内容だけが、すべて相手の耳に入っていたようだ。
シャリア・ブルは、仕方なく、自分がこの2人の「面白いニュータイプ」に翻弄されているという事実を受け入れるしかなかった。
「…その『誘拐したニュータイプの少女の能力を賭博で悪用した暴力団と高額の賭けを行い、最終的に相手から農作用の土地を取り戻した』の話を、私は貴方から直接お聞きすることができるでしょうか?」
彼は話題をそらした。相手が軽く笑う声を聞き、軽快な口調で答えると同時に、何気なく彼の手を握った。
「ああ、それはちょっと長い話になるね……後であの2人がカシノで大騒ぎしているのを見ながら、話してあげるよ」
数時間後、バーカウンターに座って、テーブルを遠く眺めていたシャリア・ブルは、結局場内の騒音と感情の喧噪と、自分の強すぎる感応の邪魔に耐えきれず、カードゲームで頻繁に不正行為を行っているディーラーの行為を告発した。
それが結局大騒ぎになったことは、その場にいたニュータイプたち全員にとって予想外のことだった。