トーア公国建国記念の鉄血祭は実に華々しいものになった。町では道化師がチラシを配り、屋台が立ち並ぶ。王都行の蒸気機関車が郊外を走り旅人を驚かせていた。トーアはヴァイガルドに産業革命が起きて以来、王都エルプシャフトの砦としてだけでなく最新の技術を持ち合わせた工業国としても名高いものになった。今ではトーアの技術を学びに多くの街や村から人が訪れるようにもなった。
かといってトーアが誇る武術が廃れたわけではない。幻獣の侵攻が止み、世界は平穏を取り戻したものの、ヴィータの悪行や、いつまた起こるかわからない異世界からのヴァイガルド侵攻に向けてトーア騎士団は日々腕を磨いていた。そして鉄血祭では騎士たちにとって自分の腕を試すいい機会、御前試合が行われるのであった。
カラダンダは屋台で南国の芋を蒸したおやつを二人分買い終わると、待っていたコシチェイのもとに向かう。コシチェイは同じく二人分買っていた紅茶をカラダンダに押し付けると空いた手に芋をもらった。
「熱くないか?」
「熱いのがうまいんだろう」
そういってコシチェイは芋をかじったが、しかめっ面をして舌をぺろりと出した。
「…明日は御前試合らしいな」
「ああ。…我が恋人が来てくれないのが残念だ」
カラダンダが大げさにため息をつくとコシチェイは唇を尖らせる。
「席は用意してもらってる…。一番前だぞ。前。ただ、鉄血祭には他の街の学者もわんさか来てるんだ。私も相手せにゃならん。せめて…」
「せめて?」
「決勝まで残ってくれたら間に合うんだが」
ニヤリと意地悪くコシチェイが笑うとカラダンダは苦笑した。
「そう言われると負けるわけにはいかんな…」
「頼むぞ。恋人が無様に負けて帰ってきたら私も悲しいからな」
カラダンダは左腕でコシチェイの顔を隠すとやけどのような痣のある左頬にキスを落とした。
御前試合決勝戦は流浪の旅人とトーアの騎士の対戦となった。もちろんトーアの住民たちは騎士の応援に熱気だった。旅人の細い剣は的確に騎士の弱点をついたが、それを耐えきり、騎士の大剣が旅人をなぎ倒すと、歓声がどっと沸いた。騎士、カラダンダはトーア公の前に跪き、剣と盾を賜る。
「コシチェイ…」
人々に振り向き客席を見回すが、コシチェイの姿はないようだった。間に合わなかったのか。残念ではあったが、この剣を見れば喜んでくれるに違いない。今一度彼は観客に手を振り誇らしげに微笑んで見せた。
急に動きを止めたコシチェイに外国の学者は眉をひそめた。彼はトーアの技術産業を数世代は進めたと言われる麒麟児だ。少し気障っぽいところはあるが話は非常に興味深い。今も魂の話を…そう、魂の話を…。
「魂の操作…魂の操作魂の操作魂の操作魂の操作ァ!?ああァぁ!?!?魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器魂の器
突然狂ったように同じことを叫び始めたコシチェイに学者は一歩後ずさる。街ゆく人々も不穏な目で彼らを眺めていた。喉が枯れないか心配になるほど全力で叫んでいた彼は急にだらんと手を下ろし、くつくつと笑い始めた。大丈夫か、と近づいた学者は彼に突き飛ばされ、彼がふらふらと去っていくのを唖然と見つめるしかなかった。
「コシチェイ、入るぞ」
カラダンダはノックをして部屋に入る。先ほどから部屋の外に騒音が響いている。扉を開けるとカラダンダの頬を何かがかすめ、その数瞬後にガラスの割れる甲高い悲鳴のような音が砕けた。
「カラダンダ…」
真っ暗な部屋の中でコシチェイのアイスブルーの瞳だけが明かりだった。カラダンダはコシチェイに声をかける。
「どうした…何があったんだ」
努めて穏やかに話そうとする。コシチェイはふっと口を歪ませてカラダンダを皮肉気に見つめた。
「ハッ、恋人気取りやがって…」
普段より荒く、悪意のある言葉にカラダンダはごくりと唾をのんだ。コシチェイは壁に飾っていた賞状を引き裂き、びりびりと破り捨てた。
「いらない、こんなもの…」
書きかけのレポートを破く。トロフィーを叩き割る。カラダンダと選んだ鳥の置物も床に投げ捨てた。
「いらん…いらんいらんいらん!!アカデミーの名誉も…パパのくれた帽子も…ママがくれたブレスレットも…いらないいらないいらないぃ!!」
割れ物も手当たり次第投げているせいか、コシチェイの手には切り傷ができ、薄く血が浮いていた。
「コシチェイ、いい加減にしろ!」
声を荒げるとコシチェイはびくりと肩を震わせた。試合後の鎧姿のまま、ガラスの破片の落ちる床を踏みしめる。
「手を怪我してるじゃないか…多分脚も…お前を心配してるのだ。なにかあったのか…」
顔を寄せるとコシチェイは必死に距離を取ろうとする。これ以上コシチェイを自由にするのは彼にとっても危ないと判断したカラダンダはコシチェイを抱きしめ動きを拘束する。
「はな、せ…」
「訳を説明してくれ…コシチェイ…私にも言えないことなのか」
「…………思い出した、んだ……私は、メギドラルにいた…」
「うん…」
「復讐しなければいけないんだ…それが私の「すべて」なんだ…メギドラルも憎い。私をこんなに幸せにしたヴァイガルドも憎い…」
「そうか。…今の生活を捨てなければいけないほど、その「すべて」は重いのか?」
「……はっ…はっ…なんで思い出してくれないんだカラダンダ…。私を一人にする気か?お前も…」
コシチェイは笑ったが目がうろたえている。カラダンダはますますコシチェイを抱きしめた。
「コシチェイ、お前の言っていることが理解できるわけではない。しかし、お前の言うことを否定すまい。もしお前がここにいられないなら、私も連れて行ってくれ」
「わ、わ、私は…もう…お前を恋人には見れないぞ…それでもか?」
「……それでもだ。恋人として役に立たなくても、剣や盾には役立つぞ?なにせ、トーア公のお墨付きだ」
「……」
コシチェイはうつむいてしばらく黙った。カラダンダはコシチェイの金の髪を撫でる。
「あ、明日の朝。ここを出る。行く当てはないが、もうここには居られん…」
「わかった」
「カラダンダ…「ヴィータ」として生きたからわかる…お前おかしいぞ…?」
「そうか」
「しかし…ずっとこう言いたかったのかもしれん…「信頼している」」
「ありがとう」
コシチェイはカラダンダの手をほどくと彼はそのまま部屋の真ん中に立ち尽くし、もう何も話さなかった。カラダンダが部屋を出ていくと、アイスブルーの瞳はゆっくりと閉じられた。
トーア公から賜った剣と盾を置いて、名誉ある騎士が遁走した事件は記憶に新しい。彼と懇意であった研究者も時を同じくして失踪したが、彼らの行方は未だ知れない。