『ミチ』 (2)12月初旬、街では聖夜祭に向けての準備が進む中、書籍化企画の進行もまた、滞りなく行われていた。「学童、学生であれば他の資格は問わない」という今大会での応募数は、例年よりも増加している。というのも、今年は開催10周年を記念し、当選小説数が6作と例年の2倍に設定された。しかし、その門は星を手に掴むような狭き門である。
アルバにとっては最後の大会であり、その想いは何事にも変え難い、熱いものだった。
そしてその結果を知らせる運命の封筒が今朝、なんでもないように届いたのだ。
アルバは、自分の親友であり、家族を除いて初めて夢を語った相手であるユリスの元へと、早朝から駆け込んだのだ。
「アルバ、どうだった?」
震える手で封を切り、真剣な面持ちで紙を見つめる横顔に、ユリスは声を掛けた。
「……ゆりすぅ」
「…アルバ…、?」
アルバは頬を赤らめ、震える唇からは歓喜の声が小さく漏れた
「…生きててよかった…」
ぼろぼろとこぼれ落ちる涙は頬をつたい、小さな手でくしゃりと握りしめられた、その当選を伝える紙を湿らせる。
かつて、生気を失っていた瞳は希望を宿し、緩やかな弧のみを浮かべていた口は夢を語った。
ー「それでも俺は、アルバが生きてくれたら嬉しいよ」忘れもしない、親友でもなんでもないただの他人だった人の言葉。何の力も、何の価値もなかった、ただの壊れたオモチャのようだった自分に掛けられた、死ねない魔法。
「小説書いてで、よがった…」
心の底から出た言葉を皮切りに、アルバは肩を震わしながら嗚咽まじりに止めどない涙を流した。もはやそこに普段の愛らしい姿などはなく、まるで生まれた直後の赤子のように、わんわんと泣くアルバをユリスはそっと包み込むように抱きしめる。
「うん…うん……そうだね……っそうだね…!」
友人や教師、従兄弟や兄、ましてや父や母に、決して見せることのなかったアルバの涙は当分止みそうになく、朝の朗らかな日差しが緩やかなアーチを描き、遠慮がちに2人を包んでいた
ー□ー
男は泣いていた。
その涙を拭ってくれる人はとうの昔に亡くしてしまった、しかし男は嬉しそうにはにかむ。
「俺、やっと、お前が死んじまったあの日から歩き出せる気がするよ。あの日、俺の中の全てが崩れ落ちちまって、抜け殻になっちまって…でも、手紙、ありがとう。…こうしちゃいられねぇよな。見ててくれよ、俺の生き様を」
一緒に居てほしいとはもう言わず、見ててくれよだなんて。小さい頃からとびきり格好つけだった彼が、唯一甘えてくれた愛溢れる思い出。『ずっと見守っているよ』と女は静かに涙を流し、彼の頭を撫でようと、ふわりと手を伸ばす。
決して触れることなどできない、けれど女も、男も、幸せだと謳った
ー○ー
聖夜祭まであと数週間といった今日、自分の書いた物語が初めて本になり、大勢の人へと向けて出版される。という、長年の目標が確実な予定となった今。私はというと、お気に入りのクッションを抱きしめながらぼうっと腑抜けている。
ユリスとはお昼の鐘が鳴る頃に解散し、大泣きしてしまった目が腫れないように処置をするため、まっすぐ自室に帰ったのだ。
「アルバちゃーん!紅茶飲みますか〜?」
「のむぅー」
ふわりとフルーティーな香りが部屋に漂い、私はどこか栓が抜けたように、そのままクッションへと顔をうずめる。
「アルバちゃん、できましたよ〜」
「ん〜〜うぁむあぅーー」
「……なんて言いました?」
目の前の小さなテーブルから、コト、コト、とカップが置かれる音が聞こえ、ちらりと目だけをそちらに向ける。柔らかい湯気が昇っては消えを繰り返し、その間ミリーはテーブルの向かいに、静かに腰を下ろしていた。
ミリーには既に当選したことを報告しており、彼女もまた泣いて喜んでくれた。3年と少し前から同じ部屋に住み、小説家でもなんでもない私をずっと傍で応援してきてくれたミリー。
ミリーがいれてくれる紅茶やカフェオレをお供に小説を書いてきた私は、最早目に見える距離まで来てしまった『卒業』に、そういった面でも寂しさを感じている。
元々は、両親によって無理矢理入学することになったこの学園だが、それだけで片付けてしまうにはもったいないほど、大切な出会いがあった。しばらく思い出にふけるのも悪くない
「…ミリー…。」
「ん〜?なんですかぁ?」
「いつもありがと」
「クスッ、アルバちゃんはいつも唐突なんですから…。どういたしまして」
私たちはこのひと時を愛でるように、ティーカップに口をつけた
ー○ー
アルバは指定された場所へと、緊張した面持ちで足を踏み入れた。そこはとある大手出版社、エントランスには多くの飾り付けがキラキラと輝き、聖夜祭の訪れを物語る。もちろんその中には、『小説家の卵!?聖夜祭で伝説の1ページ目をめくれ!』と書かれたポスターが張り出されている。
「本日はどのようなご要件で?」
「あの…っ!先日、書籍化イベントの当選の手紙をいただいたのですが!」
「かしこまりました。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「あ、アルバ・オノールです」
「あちらのソファにて少々お待ちください」
受付嬢はそのまま受話器をとり、どこかに連絡をする。アルバは案内された通り、ソファへと腰掛けた。身体は緊張によっていつもよりガチガチに固まり、心臓が暴れているのではないかと思わせるほど、鼓動の音がうるさい。
少しの間か、はたまた長い時間か、ソファの上でピンと背筋を伸ばし、待っていると1人の女性が現れた。
「お待たせしました、私、アルバ様を担当致します、ミーティアです。よろしくお願いします」
「アルバ・オノールです!よ、よろしくお願いします!」
ミーティアは優しげに微笑むと、アルバを連れて中へと入っていく。出版に向け、準備を始めるのだと言う。販売はもうすぐそこなのだ。
多くの人々が集まる聖夜祭、幼い頃からずっと夢見た景色がこれから待ち受けているのだと、アルバは心踊り、足もいくらか軽くなっていた。
ー□ー
女は男が心配でたまらなかった。男は自分が亡くなった日から、抜け殻のように魂を失い、ただ時間が過ぎるのを傍観していたのだ。心配するのも無理は無い。最愛の人、きっとこれからも一緒に居られると思っていた。けれど世界は残酷で、彼は私が生きられなかった時間を生きていく。
その世に貴方1人を残して逝くことを、どうか許してほしいと何度も乞うた。そして、私が居ない現実と向き合ってほしいと願った。
女が生前に遺した手紙、男は随分と遅くなったと呟きながら手に取り、封を開けた。
ー○ー
寒さも本格的になり、近頃では時折空から白い雪が降ります。聖夜祭の準備はもうほとんど終わり、街中の人がその時を待っています。
かくいう私も、家から持ってきたドレスを姿見に写し、聖夜祭を待ち焦がれていました。
今日はアルバちゃんの本が初めて発売される日、それが楽しみで仕方がありません。まだ同じ部屋に住んでいる私でさえ、アルバちゃんの小説を読んでいないのですから、(自称)1番の読者である私が、楽しみでないわけがないのです。
アルバちゃんはと言うと、日が昇る少し前に部屋を出ていきました
相変わらず朝に強いお方です。ここ数週間のアルバちゃんは、毎日忙しそうに過ごしていました。担当さんとの電話や打ち合わせに追われ、さらに従姉妹さんとも何かあったそうで、毎日夜に帰ってきては直ぐに眠り、早朝にまた元気に活動を始めていたのです。
とはいえ無意識ながら無理をしていたようで、何度か、バークリーさんから爆睡しているアルバちゃんが届けられましたが。
そんなアルバちゃんが私は大好きなのです。
アルバちゃんの本を並べようと作った、本棚の一角にそっと触れ、また嬉しさが込み上げます。
「早く読みたいなぁ…」
ぽそりと呟いた言葉は、冬の寒気さの中にふわりと消えていくのでした。
ー○ー
怒涛の12月、この忙しさがたまらなく嬉しい。
朝から晩まで小説のことを考える毎日。細かな内容の修正や、表紙のデザイン、インタビューが予定を埋め、私のスケジュール帳はどこかの誰かさんのように真っ黒になっていた
「じゃじゃーん」
「おぉ、多忙だね」
そのどこかの誰かさんは、私のスケジュール帳を見て嬉しそうに微笑む。
「もうすぐだよ」
「……あぁ。」
ユリスはゆっくりと瞳を閉じ、私と同じ喜びを噛み締める。するとすぐにその口がまわりだした。
「…ここ最近、帰り道に美味しそうなお店を見つけたからって俺を外食に呼び出して、そのうえ食べ終わったら寝落ちするもんだから、大変だったなぁ……。」
「あら、こんなに可愛い子とご飯食べれるんだよ??お釣りがきてもいいくらい」
私は出来たてのたまごスープを両手で持ち、やさしく息をふきかけた。
「それを言うならキミだって俺みたいな色男とデート出来てるんだから、帳消しになるよね」
「何言ってんだかまったく」
軽く肩をすくめると、カップに口をつける。
ここは、街中にあるオシャレなカフェ。
アルバは聖夜祭当日の朝にユリスを呼び出し、もうすぐ始まる物販やイベントに向け、緊張をほぐしていた。この男はどんな時でも大抵付き合ってくれるのだから、何かあると、つい甘えてしまう相手なのだ。アルバにとってユリスは、もはや友人や愛する人といった肩書きだけでは足りない存在なのである。
「ねぇユリス!14時から15時までミニイベントやってるから、シシルとルシルと一緒に来てよ!」
「それはもちろん行かせてもらうけど…ミニイベントって?」
「今回販売する小説の前日譚が書かれた冊子があるんだけどね!そこにサインが書いてあるの!わたしの!!…まぁ、メインはインタビューで、冊子は見に来てくれたお礼〜みたいな感じなんだけど…」
「へぇ!アルバのサインか……あの2年くらい前に、俺にくれた小説に書いてくれた、あの??」
アルバは意気揚々と話していた口を止め、ユリスを見た。
「…………覚えててくれたんだ」
「そりゃあ覚えているだろう?」
驚いたと言った顔のアルバに対し、ユリスは当たり前だと言うように小首を傾げる。
「…うん、ふふっ……そうそう、あのサイン!私の力作だから」
「??そうか、じゃあ俺は、アルバのサイン2個目なんだね」
「んふふー嬉しい?」
「あぁもちろん」
「小恥ずかしいやつ!!」
心底嬉しそうに笑う2人はまるで、静かに差し込む冬の朝日のようにささやかで、綺麗だった。
ー○ー
ついに始まった!!聖夜祭!
というわけで私は今、街のブースで人生初の自分の本を売っていた。
つい先日まであぁだこうだと模索していた本は、こうして形になって世界に羽ばたいていく、1冊、また1冊と売られていく度に、その喜びを実感する。
「これからも頑張ってねぇ、次の作品も読ませてねぇ」
「早く読みたいです、楽しみです!」
一部の愛読家達に注目されている企画ということもあり、売り上げは上々だ。次を期待され、温かい言葉を貰い、私はこんなにも幸せで良いのだろうかとつくづく思う。
「アルバちゃん、じゃあそろそろ休憩に行こうか。次は4時間後、城近くで物販手伝ってもらってもいいかな?」
「はい!わかりました!」
この企画のリーダーさんに声をかけられ、軽く腰を浮かす。
「このブースはもうすぐ移動するから、忘れ物とか無いようにね」
「はーい」
さて夕飯はどうしようかと、とりあえず荷物を持って歩き出す。さして意識をしていないにも関わらず、どんどん景色は変わり、自分が浮き足立っていることに気付く。
「ふふ……ふへへ…えへへへ」
自然と口角は上がり、口から言葉にならない声が漏れる。人ならざる者だった私が、こうして人としての生を綴り、他者に認められるという事が、どれほど喜ばしい事なのか、何度でも感じざるを得ない。
さて一先ずユリスに連絡をしようとポケットに手を入れるも、通信端末が見つからない。しまったと思いつつ、カバンに望みをかけて探すが見あたらず、私はガックリと肩を落とした。
「随分とわかりやすく落ち込んでいるね?何かあったのかい??」
「あぁ〜ユリスぅ〜…」
取りに帰らねばと考えていると、いつの間にかユリスがそばに居た。どうやら、休憩入りする時間だろうと、迎えに来てくれたらしい。
「端末向こうに忘れちゃった」
「へぇ…珍しいね。なら、ちょうど向こう側に美味しいご飯屋があるんだ、そこに行かない??」
「悪いねぇ、ぴゃっととってくるね!何系?私ガッツリの気分!」
この男のこういった気遣いもいつの間にか慣れてしまった。女子はユリスのこういう所にキュンキュンするんだろうなぁと考え、少し鼻が高くなる。
ユリスが他の人から好印象を持たれる事は、私にとっても喜ばしいことである。
「ガッツリもあるし、デザートも美味しいところだよ」
「最近クロッフルにハマってるんだよねぇ〜、あるかなぁ」
ユリスと何気ない話をしていると、すぐにブースまで戻って来れた。ユリスをあまり待たせてはいけないので、先程まで自分が本を売っていた机付近へ、小走りで近づいていく。
「すみませーん!私たぶん通信端末をわす…」
しかし、私は目を疑った。
男がいる。
スラリとした高身長、細いメガネ、雪よりも白い髪、そして、深く鮮やかな紅の瞳。
男はこちらに気づき、ゆっくりとその紅が私を貫く
「……アルバ」
「父…様」
「………なぜ今ここにいるんだ?」
父様がいる。
なんで?
なんてこっちの台詞。なんで父様がここに、私は、だって、小説家になりたくて、やっと掴めたチャンスで、初めて自分の書いた本を売って、なんでって、、
私は…
小説家になりたいから。
父様が踏みにじった夢を、もう一度掴みたいと思ったから
兄様が、応援してくれた夢だから
もう、邪魔しないでよ
「…。」
かつては当たり前だった微笑みを貼り付け、勝手に背筋が伸びる。身体は強ばり、明らかな恐怖感に襲われる。喉は蛇にまとわりつかれているようで、発する言葉に選別の余地は無い。
両親に対する怒りの気持ちを沸き立たせ、なんとか自我を保とうとする。もう以前の自分ではないのだから。違う、違うと何度も反芻する
「……まぁいい。」
「…父様」
「なんだ」
「私、書籍を売っているんです。」
小さい頃は、私の夢を応援してくれた両親。
たくさんの本を読ませてくれた両親。
例え全てが変わってしまっても、道具だとしか思っていなくても、どれだけ傷つけられようとも、才能がないと言われたけれど、ここまで来たのだから。小説家まであと少しなのだから、少しは1人の人間として認めてくれるのではないかと思ってしまう自分が、どこかにいる。
嫌いだけど、憎いけど、だけど…
「私、小説家になりたいんです、父様。」
心からの言葉だった。
堂々と、小説家になりたかった。
「…………。」
「あなた、行きましょう。」
「…ヒス。」
「もう無理です。諦めましょう。」
「……あぁ。」
父様は何かを言いかけたすぐあと、母様に促され背を向けた。
「……母様…?」
「アルバ、もうわざわざオノールと名乗らなくても良いわよ」
母様はそう言うと、父様と共に歩き出した。2人の姿はどんどん小さくなる。
「どういうこと?、」
「アルバ、大丈夫かい?」
「もう無理って何よ」
「アルバ?」
「諦めるってなによ」
「アルバ、、!」
「名乗らなくても良いってなによ!!!」
「職人にならないとわかったならいらないって?今まで散々口を出してきたくせに、私が自分の道を歩もうとしたらそうやって捨てるんだ、もう興味もないんだ?!あははっ!オノールに私はいらないんだね!!」
「…、」
「父様と母様は6年前から何も変わらない。…そうじゃん、わかってたんじゃん。」
私は家紋の入ったループタイを掴み取り、そのまま勢いよく地面に投げ捨てる
「……。なら、最初から関わるなよ……。いらないなら、産むなよぉ…!!」
私はどこへかもわからない道を走った。泣きじゃくって、鼻をすすって、どこか希望を感じていた、期待していた自分に何度も悪態をつく。
後ろからユリスの声が聞こえたが、何も考えずに走った。嫌いな両親に勝手に期待して、勝手に裏切られた気になっている自分が、心底嫌だった。元より2人は自分のことなんてなんとも思っていないとわかっていたのに、努力したら認めてくれるなんて思ってしまった。
期待することがどれほど辛いことなのか理解しているのに、信じることがどれほど恐ろしいことなのか知っているのに、この数年間ちゃんと判断してきたのに…!
親だからという理由だけで、こうも簡単に求めてしまう自分が大嫌いだ。
「だいきらい…」
賑やかな街明かりとは対照的に、静かな路地に1人、暗い影が伸びていた。
ー●ー