21年と359日静まり返った部屋で筆をとる。
幼い頃から毎日つけている日記は、既に習慣となっており、慣れた手つきでパラパラと紙をめくる。
冬の夜は冷える。
少し固まってしまった手で使い古した筆を持ち、日付を綴った。
ーーノクス・オノールは迷っていた
もうこの世に意味はあるのかと。これ以上生きていて、何があるのだと。
寝息をたてている小さな彼を起こさぬよう静かに立ち上がり、箱の中から16冊のノートを取り出す。1冊ずつ手に取り目を通した。
《1冊目 4月》
『おとおさまににっきをつけなさいと言われました。しよく人のがっこうにいます。とてもひるくてたのしいです。』
《12月》
『ふゆ休みです。いえにいます。いえはがっこうよりもあたたたかいです。石をみぐのがよくできない。ません。』
《2冊目》
『お友だちときょうしつちがうくなりました。しかし、新しい友だちができました。』
《5冊目》
『妹が花を摘んで来てくれた。嬉しい。母様と公園に行ったらしい。今日は気温が低かったため、体調を崩さないか心配だ。』
《6冊目》
『森で襲われてしまった。けどその時に白蛇が助けてくれた。白蛇のおかげで無事に帰ることができた。気を付けなければいけない。また会いたい。』
《8冊目》
『授業中に騒がしい人達がいる。鬱陶しい。研磨がまったく上達しない。僕は焦っているのかもしれない。認められない。また閉じ込められる』
《10冊目》
『シエルに彼女ができたらしい。嬉しそうだった。妹が小説を書いて読ませてくれた。妹は凄い。とても面白かった。感想を伝えると嬉しそうに笑っていた。可愛い』
《13冊目 4月》
『ニュイの世話を怠る事が増えてしまっている。大学部に入ってから研磨の数が増えている。誰か世話係を見つけたい』
《6月》
『ホープは俺と全く違う。俺の実力を認めてくれた。セアリアス叔父さんは良い父親なんだろう』
《14冊目》
『失明した。これで親から失望されないだろうか。もう捨ててほしい』
《15冊目 5月》
『無理だ。憎たらしい。知らなかった。』
《9月》
『違う、こんなはずじゃない』
《12月》
『俺も自由になりたい』
徐々に書く量が減っていったノートは、どこか悲しげで、表紙だけがみすぼらしい。
何をしても、あの親は俺を捨てることはないらしい。逃げてしまおうか。学園も、研磨も、長男も、何もかもをやめてどこか遠くに逃げてしまおう。
考えて、やめた。
自分の中の何かがその思考を止める。もう正常な判断はできない。
俺が死んだらどうなるんだろうか、学園は何も変わらないだろう、ネーロは、悲しむだろうか、アルバは泣いてしまわないか、ホープはやっと俺と従兄弟だったと気づくだろうか、親は、、哀しんでくれるだろうか。
きっと、怒るんだろう。呆れるかもしれない。ホープやアルバに飛び火するのだろうか。それはーーーーー少し申し訳ないな
開いた日記は、日付だけが記されており他は真っ白のままだった。
ノクスは目を瞑る。
大きな傷跡が遺る右目、痩せ細った身体、真っ白な髪がはらりと流れた。
暗い部屋の中を、ランプの明かりが無機質に照らし、ジジジ…という音が鳴る。ネーロの気配が後方に感じる。
ー静かな夜
《15冊目 1月》
『どうか俺を許さないでほしい。俺を嫌ってほしい。もう俺に、希望を見せないでほしい。手を差し伸ばさないでくれ、温かい言葉をかけないでくれ、放っておいてくれ。先には絶望しかないんだ。ずっとそうだった。希望に触れる度に自分が惨めになる。もうやめてくれ。軽蔑してくれ。なぁ、ホープ』
日記を閉じ、箱の中に手放す。
引き出しの中から数枚の紙を取り出し、また筆をとる。
謝罪と、感謝
ーーー俺は、たった1度でいいから褒めてほしかった。
努力した事を認めてほしかった。
当たり前だと思われるのが辛かった。
幼稚な欲が喉から出かかる。
親が自分の事を息子だなんて思ったことはないとわかっている。操り人形で、道具であることは知っている。そう生きなければいけなかったことも理解している。
なんて俺は
「……弱いんだろうな」
「ノクスお兄ちゃん、どうしたんですか?」
「…ホープ」
「はい?」
「俺はお前が嫌いだ。お前の研磨はみすぼらしい。何も考えずに能天気に笑うお前を見ているとイライラする。腹が立つ。いいなお前は、帰る家があって。愛されていて、応援されて。本当に大嫌いだよ」
「……………ノク」
「お前が幸運っていうことは、お前はその分、周りに不幸を振りまいてるってことだよ」
「、!」
「……なぁホープ、」
「…はい、なんですかノクスお兄ちゃん」
「なんでお前は俺を嫌わない。傍を離れない」
「………好きだからです」
「何度もお前を罵った」
「はい」
「何度もお前を森に置いて帰った」
「はい」
「何度もお前は蛇に、ニュイに噛まれただろう」
「はい、今も少し痛いです」
「………どうして」
「ノクスお兄ちゃんは、優しい人だから」
「嫌いになんてなれません」
死にたい。
ー逃げたいのではなく、死にたい
「俺はもうすぐ卒業する」
「本当ですね!おめでとうございます!」
「もうお前と会わない」
「え……卒業してからは会ってくれないんですか……?」
「お前も俺も、ーーーーもう終わろう」
震える手でホープの身体を押した。
いきなりで驚いたのか、ホープの腕は宙を舞い、小さな身体は、崖へと吸い込まれる
「ノクスお兄ちゃん!!!!!!!!!!」
「なんで!!!」
「待って!!!」
「いやだぁ!!!!!!!!!」
よく聞き慣れた声が叫ぶ。
刹那、もう激しい川の音しか聞こえなくなった。
「……ごめんな」
殺した。殺した。コロシタ。
もう後戻りはできない。なんで殺した?殺す必要はあったのか?あいつは何も悪くない。俺が死んだら矛先があいつに向くじゃないか。いや違うこんなものは言い訳に過ぎない。嫌いだから?本当に??いやもう…
俺も死ぬんだから別になんだっていいじゃないか。
ただ、ただ、死にたかった。
生きたくない、逃げたい、違う。
いつしか彼に聞いたことがある
「シエルさぁ。自殺の方法って何がある?」
「お前頑なにシエル呼びだよなぁーいいけど。えーー自殺の方法?」
「首絞め…薬物、溺死、飛び降り、ガス…辺りが手軽に出来る方法かなぁ。あとは、電流を流したり、もちろん自分で刺して出血多量とか、餓死、、アレルギーとかも最悪の場合はってあるからなぁ」
「……なに、お前死にたいの?」
「ノクスが聞いてきたんだろ!?!」
「……ふーん」
「ノクスこそ死にたいのか?」
「別に」
「そうかー」
「シエルは自殺するとしたら、どんな風に死にたいの」
「俺?俺かぁ………。そうだなぁ…、薬物かな。睡眠薬たくさん飲んで眠りたい。」
「なんで?」
「死ぬのにそんな目立ちたくないよ。俺は」
「…………死ぬなよ。シエル」
「はははっ!!!お前もな!」
「……」
どっちも素直に了承できなくて終わった約束。俺は今から破ることになる。
俺も死ぬのに目立ちたくないよノブレス先輩
1人で、静かに死にたい。ごめん、ノブレス先輩は…死ぬなよ、、結婚式行けなくて、ごめんなさい。
早く、早く、足取りが重い。泥沼にハマってしまったように、ゆっくり、ゆっくりと前に出す。ホープは死んだだろうか。1月の終わり、こんな極寒の中、荒れ狂う川に落とされたら死ぬだろう。いや、どちらでもいい。早く、早く死にたい
森を突き進む。隔離域付近に辿り着き、その時を待つ。もうこの世界に、欠片も残りたくなかった。俺が存在したという事実さえ、残ってほしくなかった。最初から、生まれてきたくなかった。
ガサガサと音がする。大きな生き物がこちらを見つめている。興奮しているようで、ノクスを獲物として捉えたその視線は、普通であれば恐怖し、逃げたいと思うだろう。しかしノクスは微笑んだ。
「しっかり喰えよ」
ーー血飛沫があがった
「…………あんたなら避けれただろ…」
あぁ、最後に会わせてくれるのか、神は
「何してんだよ……ねぇ……早く立てよ、」
もはや痛感は麻痺しており、何も感じなかった。薄く目を開け、彼を見る
そんな顔をするなよ、ネーロ。
俺はもう、ずっと前から、死にたかったんだ
「…………ッ…」
声が思ったように出ない。
勝手で、無責任で、俺なんかが声をかけていいかもわからない、だけど言いたかった。
「…ネーロ…………が…、ん、ばれよ」
「わかってるよ……!」
「言われなくても、あんたを見下せるくらいのアルティザンになるから…」
こんなにもその言葉に、ホッとすると思わなかった。
もう少し、もう少し、話したい。
あれだけ死を望んだのにも関わらず、目前に迫ると、まだ時間がほしいと思ってしまう。
「うん…………ごめん…な。………ありがとぅ…。」
「お前と……ゲホッ……過ごせてよかった」
ネーロの綺麗な黒髪が好きだった、深い青が好きだった、嫌いな色と正反対のその色は、自然と好感を持てたし、安心した。
…いつの間にか俺は小さな身体に覆い被さるように運ばれていた。
もうネーロの声も何を言っているか聞き取れない。
ネーロ、俺の居場所だったあの部屋に、一緒に住んでいた。
生意気で、何考えているかわからないガキ。
けど眩しいくらい前向きで、優秀な、強いガキ。
……ふと、前に聞いた言葉を思いだす。
"1人でも生きられる"
………お前はそうなるなよ。ネーロ、お前は優秀だ。強い、1人でも生きられるだろう。けど、それは、その道は、辛くて、悲しい。
俺じゃない、優しい誰かに出会えよ。
もう俺は、傍に居てやることができない。
寒いだろう、重いだろう、もう降ろしてくれて構わない。俺は生きられない。お前が……………………そうか、お前は俺に生きてほしいのか?
俺はペンダントを握りしめた
「ネ……」
「!おい喋るなよ、無理するな!」
「………れ…」
「こんな時になんだよ!」
「おれ………いも…ぅ…と……わた…」
「あんたが渡せばいいじゃないか!」
「もうちょっとで森を抜ける!」
「ほんとあんた重いんだよ…自分で歩けよ……」
なぁネーロ………
俺も
俺も…家族を捨ててよかったのかなぁ
逃げてよかったのかなぁ
家を継がなくてよかったのかなぁ…
……ペンダント、俺の妹に渡してくれよネーロ。妹は俺によく似ているんだ、きっとすぐわかる。お前宛に手紙も書いたんだ、妹に渡してある。きっと妹も、アルバもお前に気付くよ。あぁあとな、俺の研磨具はお前が使ってくれ。俺の持ってる本も、メモも全部お前の自由にしていい。お前は研磨が上手いよ。
どうして、こんな時にしか素直に言葉が出てこないんだろうな…。もっとちゃんと、伝えればよかった。
…ありがとう、、
…………俺の心の拠り所になってくれて
ノクス・オノールは、生を終える時、優しい笑みを浮かべていた。
たくさんの後悔と、謝罪、感謝を胸に、ゆっくりと瞼をおとした。
ありがとう、ちゃんと渡してくれて