『ミチ』(5)ー□ー
男は声のした方へ振り向く。
そこには綺麗な女性が立っていた。
女性は問う。「お困りですか?」
男は目を奪われた。まるで、彼女の病状の死は嘘だったかのように、瓜二つだったのだ。
「いえ、いや、あなたは」
その時、女性は男のリュックサックを見て驚いた。亡くなった姉が何度も見せてくれた、彼氏とのおそろいのストラップが、ゆらりゆらりと揺れていたからである。
「…そのストラップ、かわいいですよね」
「え?えぇ……はは、そうですね。彼女とおそろいで買ったんです。僕の好みではなかったはずなんですけどね」
「……もしかして、」
「ちょうど、貴女とそっくりなんですよ。彼女」
ストラップが愛らしく揺れる
ー○ー
アルバはまたもや、うんうんと唸っていた
「最近キミ、よく考えごとをしているよね。」
「うーーーーーんわかっちゃう??」
「随分とわかりやすいからね、今度はどうしたの?」
隣で歩くユリスを見上げ、端末を取り出す。
「これ!どうしようー」
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『アルバ・オノール様
聖夜祭では大きな成功を収めました事、おめでとうございます。弊社としても、アルバ・オノール様の次回作を担当させていただきたく、メールを送らせていただきました。
つきましては、著者名をいかがなさいますでしょうか?聖夜祭で使用した本名、もしくは、ご自由に考えていただくことも可能です。
ぜひご検討ください
ミーティア』
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「…なるほど。」
ペンネームを作るか否かについて、アルバはここ数日ずっと頭を抱えている。つい数日前に「オノールと名乗るな」と言われたのだから、アルバ・オノールを名乗っていいものか。と思い悩んでいるのだ。
「自分がどうしたいのか、どうありたいのか、全然見えないんだぁ」
長い年月をアルバ・オノールとして過ごし、オノールであることを求められ続けてきたアルバにとって、名乗るなと言われて簡単に了承できるほど軽いものではないのである。
「オノールじゃなくなった私は、いったい何者なんだろうって」
オノールとして生きる事が、道具にされ続ける事がもちろん嫌だった。しかし、このオノールという名はそれだけではない。シェーンやヴィール、ホープ達との縁がある。兄であるノクスとの繋がりがある。親友と出会わせてくれた、大切な家名だ。捨てるに捨てきれない。捨てたくない、名前。
「……俺は、アルバだから一緒にいるんだよ」
「…うん。ありがとうユリス。」
ここ最近はユリスに甘えてばかりな自分がいる。同じような言葉を何度も求め、不安が積もる度、ユリスのぬくもりを探してしまう。
申し訳ない、なんて思わなくても良いと言ってくれることはわかっている。私はユリスの大事な友達で、ユリスはそんな友達に手を伸ばしてくれることも、わかっている。ユリスは私を嫌わない。それも、わかってる……。
きっと、私は揺れいでる。
ゆらゆらと、私という存在が揺らめいているから、こんなにも不安定なのだ。はやく、早くこのしがらみから逃れたい。
ちゃんと地に足が着く思考に戻りたい。その焦りがまた、自分を苦しめる。
ー○ー
「待たせたな。やっと提出しに来たか。」
ガラガラという扉を開ける音と共に、職員室からシエル先生がひょっこりと顔を出す。
先日という課題が出たため、今回はそれを提出しに来たのだ。中で職員会議があったというシエル先生は、この寒い廊下に私達を十数分待たせた。誠に遺憾である。
カバンの中から提出用の箱を取り出し、シエル先生に手渡す。
実のところ、期限までに全て自分で磨くことは間に合わず、半分ほどはユリスに手伝ってもらった。卒業間近のこの時期に、大胆な行動に出てしまったが仕方がない。もう終わったことだ。
「はい先生、確認お願いしまーす」
シエル先生は静かに箱を開けると、中に入れた宝石達を凝視する。
「…………オノール。」
「はいなんでしょうシエル先生」
「…これは全部1人で磨いたのか?」
きた。この質問が来ることは想定内、けれど私の話術を甘く見てもらってはいけない。なんていったって、幼少期からそういう教育も受けてきた。
「はい!難しい所なんかはユリスにアドバイスを貰いつつ、頑張りました!」
「……。そうか、よく頑張ったな」
ほら、楽勝楽勝。心の中でピースポーズをシエル先生に向ける。学校生活はある程度適当に生きる方が、人生うまい生き方なんだ。
「バークリー、こいつのために磨くんだったら、もう少し雑に磨きなさい。」
「なんでぇ!?」
「おや」
……どうやらシエル先生の方が、1枚うわ手だったらしい。
「はぁ………………。オノールはとことん授業に出席しなかったからな。そのせいで、補習やら補習やら補習が、何故か数学教師の俺にまでまわってきたんだからな??」
「はい……スミマセン」
シエル先生は短いため息をつくと、箱を閉じた。
「まぁよしとしよう。あまりにもひどい所は俺が手直ししておく」
「え〜!ほんとに??!いいの??シエル先生大好き〜!!」
「はいはいわかったわかった」
シエル先生は相変わらず生徒に甘い。というか、以前よりもまた一段と甘くなった気がする。
どこか兄様の面影を感じるシエル先生は、良き生徒の理解者で、私のお兄ちゃんのような人。数ヶ月前まではずっと、どこか思い詰めたような、心がどこかへいってしまったような顔をしていて、それが私達生徒にとっても、シエル先生自身にとっても、普通だった。
けれど、夏の終わり頃から別人のように笑顔が増えた。まるで生徒のようだと感じることさえある。
「シエル先生、笑うようになったよね」
ずっと気になっていたのだ。
こんな世界で、どうしたら絶望した人間が希望を抱けるのか。卒業する前に、せっかくだから聞いておきたい。
「何かあったの?」
ただの世間話のように笑顔で問う。
シエル先生は仲間のように感じていた。同じ人を亡くした仲間、兄様を忘れることの無い、仲間。なのに、置いて行かれた気分だ。
ユリスの心配そうな気配を感じる。たぶん今の私は、笑っているのに、笑えていないんだろう。
「……何かあった……か。皆に聞かれるよ」
シエル先生は困ったように目を細め、私達を見た。
「もうすぐ妻の寿命が尽きそうなんだ。」
「は?」
「え…」
私も、後ろにいるユリスも息を呑む。
「妻はユウェルだからな。私も妻の原石を数えられないほど磨いてきたさ。」
シエル先生は目を伏せ、思い出しながらゆっくりと語った
「夏に有給をとって、ダイ先生とプチ旅行に行ったんだ。そこで色んな人の話を聞いたよ。」
「人は……死ぬんだな。」
「俺が何をしても、どれだけ願おうと、死んでしまう。俺に運命を覆す力は無い。」
「ユウェル。そしてもちろんただの人間も。」
「思ったんだ。なら、目の前のことを楽しもう、今を生きよう。とな。」
「妻は死ぬ。だが今はまだ生きている。死んでしまう未来ばかり見ている方が妻に失礼だ。そう感じたんだよ」
私達が何も言えなくなっていると、それを見計らってシエル先生は話を続けた。
「吹っ切れたんだ。いや、私は逃げたのかもしれない。……傍にいるだけは救いとは言わない。だったな」
シエル先生と目が合う。
『傍にいるだけは救いとは言わない』それは私が以前、シエル先生に言ってしまった言葉。今思うと、それも1種の救いだ。なのに私は、ただの八つ当たりでシエル先生を否定した。
「……。」
ずっと何も言えなくて、目をそらす。
「…そうだと思うよ。傍にいるだけで何もしない事は卑怯だ。傍にいるなら、手を差し出したい。私は、まだ先の未来ばかりを見て、今共に話している人達を何も見てこなかった。」
「今なら思うよ……。あの子達とちゃんと向き合って、今を一緒に生きてあげればよかった。ってな。」
シエル先生は軽く笑うと、肩をすくめた。
「2人とも大学4年生なんだ、慣れているだろう?こういう話」
「……。」
私とユリスはいつの間にか並んで立っていた。
人間という生き物は、なんて
つよいんだろう。
ー○ー
「なぁノクス、お前なんでこの学校来たの?」
シエルは俺の後ろを着いてくる。どれだけ無視しようと、どこかへ行きやしない。以前、何故つきまとってくるのか聞いた事があるが、返答はいたってシンプル。暇だから。こちらは真面目に鬱陶しいと感じているにも関わらず、コイツは笑ってついてくる。俺の妹の方が何倍も聞き分けがいい。
「なーあーノクスー」
だいたい、年上のくせに幼稚っぽいのはいかがなものか。
「お前じつは耳聞こえねぇんじゃねぇーの?」
すぐに飽きるくせに、往生際は悪い。
金に頓着しすぎで、性格も悪い。
授業はサボるし、猿のように飛び回り、頭も嫌に良い。そのくせアルティザンの授業の成績は良いらしく、いつも自慢してくるが、俺にとっては荒っぽくて下手。まったく勘弁してくれ
「……うるさいな」
「おぉ。やっと返事した」
「暇だからと言って俺に喋りかけるな。ウザイ」
「お前もうちょっと年上に敬語使えよ……俺17。お前14。」
「敬語を使うほどでもないな。」
「ひでぇー」
シエルは気の抜けた呑気な笑顔を向けてくる
俺はそんな笑顔に毎度気が抜ける。
ウザイけど、シエルがこの先ずっと、こんな呑気に笑ってられたら良い。なんて思うくらいには、俺はなんだかんだこの人のことを気に入っているらしい
「俺は家がそうなんだ。」
「家?」
「代々職人をやっている。だから、俺も幼少期から技術を教わってきた。」
「ほーん?だからお前上手いのな」
「……。まぁな。」
まだ、父様に褒めてもらえたことなどないが
「なんだよ嬉しくねぇのかよ」
まだ、オノール家に認められていない
「…………」
「お前も大変な」
「それってつまり家業ってやつだろ?終わりなんかねぇじゃん」
そう、これは終わりのない。途方もない戦い。
早く上達して、オノール家に認められ、工房を継ぎ、そして次の代に継ぐまで終わらない。終われない。途切れる事など許されない。よそ者が受け継ぐなんて許されない。これは
……これは俺たちの闘い。
ー○ー
真っ白な雪のような髪に、青の雷が落ちた。
鏡の前で髪に櫛を入れる。櫛は止まることなく毛先へと流れ、髪はふわりと落ちる。目の前には赤い瞳と、白い髪、そして青色のメッシュの女の子が写っていた。その女の子に私は手を伸ばすと、彼女も同じく手を伸ばす。彼女は美しく微笑む、なんてことはなく、強ばった表情をしていた。
「大丈夫。私は1人でも生きられる。」
「親の力なんて借りない。」
瞳を閉じ、大きく深呼吸をする。
私の名はアルバ。
もう一度小さく呼吸を整え、目を開ける。
*
「アルバ、キミ……」
ユリスは開口一番にそう言った
「へへ、染めてみた」
私は青色のメッシュを入れた髪を持ち上げ、くすりと笑う。聖夜祭以降、ユリスのおかげもあり、鏡を見て洗脳される事はほとんど無くなったのだが、白い髪は操り人形の証拠とも言える。それが嫌だった。
家名を捨てる勇気と共に、自由をもっと手にしたい。髪の色も、やりたい事も、自分のしたいようにしたい。少し前に聞いたシエル先生の話が私の背を押した。
私も今を生きたい
「似合っているね」
ユリスも私の青色の髪を手に取り、優しく撫でる
「…でも、どうして?」
こちらを伺いながら、控えめに首を傾げた。相変わらず絵になる男だな、と思う。
「……ユリスこの後時間は?」
「20時までなら空けられるよ」
「ならそれまで付き合ってよ」
もう私はオノールの一員では無い。だから話してもいいのだ。私の事を。私の過去を。1番知ってほしい人に
私はユリスの手を引いて歩き出す。
話していいと言っても無闇に話す事でも無い。話す場所は選ばなければならないとなると、自室が1番好都合なのだ。事前にミリーには出かけてもらっており、私は遠慮なく部屋の扉を開けた。
「ユリスはオノールについてどれくらい知ってるの?」
適当に座るように促し、私は紅茶をいれようと戸を開ける。まぁ、ユリスがどれだけ知っていようとかまわないんだけど。
「そうだな……伝統ある職人の一族…。」
「うん、そうだね。オノール家は100年以上前、神様がまだいなかった時から宝石を磨いてる。もちろん、大昔はユウェルなんていなかったから、文献なんかを見ると貴重な存在だったみたい。オノール製の宝石を購入する貴族はたくさんいたようだし。」
カップを2つ、トレイの上に置くと次はミリーの紅茶箱を物色する。とにかく種類が多いため、美味しそうな物がたくさんある。
しばらくその上で手を彷徨わせた後、ピーチティーを手に取る。
「そうして代々受け継いできたの。私の父は13代目。……でも、神様が現れ、ユウェルが現れ、グランツ学園ができて、アルティザンが急激に増えた。人を魅了するための、幸せにするために磨いてきたオノールの宝石は、ただの献上物の1つになった。もちろん、国からは真っ先に指令が来たらしいわ。ある分だけ宝石を献上しろ。ってね。……献上するしかなかったそう。工房にある、職人達の夢と技術と情熱を込めた秀作は全部、ただの石ころのように扱われた。当然、本来得られるはずの収入もないし、国が閉ざされた事によって鉱石も手に入らなくなった。……宝石職人と言えばオノールと呼んでくれる人達もいたそうよ。でもその時、オノール工房で働いていた職人達の誇りは踏み潰された。この国に。」
お湯を入れるとピーチの甘い良い香りが部屋に広がった。クッキーの袋を開け、小皿に移し、トレイに乗せる。ユリスはずっと、黙って聞いている
「最初の頃は、グランツ学園に講師に来ていたそうよ。だってそんな、宝石職人なんて当時は何百といないんだから。だけど職人がどんどん増えて、始めこそ尊敬されていたオノール工房の職人も、その技術を知らない者には皆同じように見えたんだそう。つい最近始めた職人達と、自分達の技術が同じに見られる事が屈辱的で、何よりも許せなかった。自分達のずっとずっと受け継いできた歴史と技術は、なかった事にされたようで。どうやらこの辺りから、オノールの技術を伝える事をやめたみたい。それに、この辺りの文献も少ないの。おそらく、意図的に捨てられたんだと思う。それか残さなかったか。それほどまでにプライドは傷つけられていたんでしょうね。」
ユリスの前の小テーブルにトレイを置き、ピーチティーとクッキーを差し出す
「どうぞ」
「ありがとう」
「……それからどんどん規模は小さくなっていった。人も減って、名も忘れられていった。……。私が教わったオノールの歴史はこれ。神様なんかどうでもいい。国に負けたくない。こんなユウェルとアルティザンに屈したくない。グランツ学園なんて嫌い。オノール工房は終わらない。負けない。ずっとこの技術を繋げていくんだ……って。何度も何度も、言われ続けた。」
カップに口をつけ、ピーチティーを味わう。
クッキーをひとくち。しっとりとした生地と、甘さがピーチティーによく合っていてとても美味しい。
「でもさ、よくわかんないんだよね。」
「というと?」
ユリスはカップを持ったまま、目線をこちらに移す
「だってその話だと、オノール家はグランツ学園が嫌いじゃない?だけど、私も、兄様も、父も、叔父も、皆グランツ学園に通ってた。従兄弟のシェーン達ならまだしもね。」
「たしかにそうだね。入学する時に何も言われなかったのかい?」
「うん。なんにも。ただここに入学しろーって。」
「それで?髪を染めた理由って?」
「あ、そうそう。そうだったね」
クッキーを1枚、口に運ぶ。日当たりの良いこの部屋にはいつも暖かな陽が差し込む。その陽に照らされて、ユリスのその綺麗な赤髪が輝く。
本当は私も、ユリスのような赤髪に染められたらどれほど良かったか。そうすればきっと、もっと鏡を見る事に幸せを感じられる。
私はユリスの赤に勇気と元気を貰えていただろう。
「ほんとは染めちゃいけないんだ。昔から両親に口酸っぱく言われててさ、白髪はオノール家の象徴だから絶対に手を加えるな。って。私も兄様も。…本当は両親とよく似たこの髪色が嫌な時もあったけど……なんでだろうね、染めようって考えにならなかった。
でも、新しい自分になりたいから。オノールの名を手放して、ただのアルバとして生きるから、オノールである象徴のこの白はいらないの。……ただ、この白は兄様の白でもあるから、全部染めたくはなかった。……だからちょっと中途半端なのかも」
「そっか……」
ユリスはいつもと変わらない、なんでもないような顔で私を見て微笑む。けれど少しだけ、寂しそうな気がしたのは、きっと気のせいだ。
「オノールは結局、技術と想いの継承にしか眼中にないんだよ。だから兄様は耐えられなくなって自殺してしまったし、私だって……ユリスがいなかったら自殺していただろうし。」
ユリスは私の言葉に少し顔を曇らせる。
「…私は、両親を許さない。私がオノールじゃなくなったとしても、私と、兄様にやってきた事実は変わらない。だから、、この事実がある限り、私は2人に復讐がしたい。今夢が叶ったとしても、あの頃の私は報われない。」
テーブルの下で拳を強く握る
「なんで青色に染めたと思う??……この青色は、私の反逆の意思そのものなの。私は両親と闘いたい。赤色に支配された私に、立ち向かう想いと強さをくれる、そんな色に反対色の青を選んだ。ただ、それだけ」
絶対に染めるなと言われていた髪色、手始めにその自縛から抜け出す。赤色の象徴のような人だった父親と真反対の青色を掲げ、ひとつひとつ丁寧に鎖を解いて、いつかは私も、この鳥籠から飛び立ちたい。
カップの底をクイとあげ、ピーチティーを飲み干す。
窓の外でワタリドリが飛び立った