『ミチ』(8)それは雪の降る日だった。
冷たい校舎を歩き、目的の場所へと向かう途中、私はその子に出会う。
淡い桃色の髪が冷たい風にのり、ふわりと揺れ動く。カーマイン色の瞳は私を捉えると、ぎこちなく笑った。
「アルバさん、こんにちは」
衣服の下から包帯はのび、手足は細く今にも折れそうな木の棒のようで、その時のホープはまるで、死者の国から戻ってきたような姿をしていた。
「ホープくん……。何か、あったの?」
「えへへ、それがわかんないんですよね。ついこの間退院したんですけど」
「……記憶が…ないの?」
「そうなんです……1月29日に友人とお誕生日会をした所まではあるんですけど…30日以降が丸っきり……気付くとこんな事になってました。半年くらいは入院していましたし、僕も何が何だか…」
1月、30日
その日付が頭の中で反響する。
それは私が電話をとった日。
それは父が私を捨てた日。
それは兄が、死んだ日。
「……兄様と、その日会ったの?」
「?兄様?とは?」
「私のお兄ちゃんよ、ノクス・オノール。ねぇ、ねぇ会ったの?1月30日、兄様と会ったの!?」
私はボロボロの腕で、貧弱なホープの肩を強く掴み迫る。もしも、もしもこのホープの怪我と兄様の死が関連していたらどうしよう。兄様の死がホープと何か、何かあった時、私はどうしようもなく、、
コイツを殺したくなってしまう
「アルバさん、、痛いょ……」
ホープは顔を歪ませ、離すように私の腕に自分の手を重ねる
「話が見えてこないんですけど、ノクス・オノールってどなたですか…?アルバさんは元々、ひとりっ子ですよね?」
「それに僕……1月29日以降暫くの記憶がないって、さっき言ったじゃないですか、、」
「……?アルバさん?」
「アルバさんどうしたんですか?」
「わっちょっと!アルバさん!?どこに行くんですか!?」
「アルバさん……っ!!」
酷く頭痛がする。頭の中はノイズだらけで、すごくうるさい。不快極まりない。気持ちが悪い。こんな、こんな事があっていいのだろうか。
私は、私は、、、私はどこまで騙されている…?
私は誰に、どれだけ、嘘をつかれ、騙され、真実を教えられているのか。
誰か……誰か助けて
兄様……、、、、、、、、、、
長ったらしい廊下は一瞬のように感じ、引きずる足でなんとか自室に戻る。手荷物など、どこかで置いてきてしまった。自室の床に座り込むと自然と涙が溢れた。
終わりのない恐怖が私を包み、魔物が私を蝕んでいく。
私の中での兄様の姿が揺らぐ。ある時は神様で、ある時は人間の兄、そしてまたある時はいない存在。私は兄様のために生まれたも同然であったのに、その兄様はいつも不確かで、私を惑わす。
ホープは兄様を覚えていないうえに、1月30日、何かがあったらしい。ホープのことは、数年前に兄様から話を聞いていたのだ。オノールの名を持つ従兄弟を見つけたと、工房名を背負うのなら、それ相応の技術を身につけていてもらわないといけない。そう語る兄様は、ホープに研磨の技術を叩き込んでいたらしい。オノールの研磨らしい基礎も身につけぬまま学園に来たホープに、信じられないと悪態をつきながらも、オノールとしての研磨技術を教えた。
それは数回程度なわけがない、何度も何度も、何時間も、何十時間も、兄様はホープに技術を教えた。もちろん、ホープも兄様が自分の従兄弟だと知っていたに違いない。
なのに、なのになんで、知らないだとか言うの…?
私のこの兄の記憶は、どれが本当なの、、?私に兄は存在するの……??
わからない、わからない、わからない!!!!
「私はいったい何者なの……?私はなんで生きてるの?兄様ってなに!?親ってなに!?職人ってなによ、宝石ってなによ!もう意味わかんないよ、、疲れちゃった全部。全部全部全部!!」
「誰か教えてよ真実を!!私がしてきた罪の名前を!ネタばらししてよもう、十分だよ……苦しいよ、逃げたいよ、消えたいよ、、なんで」
「なんで忘れちゃうの?兄様の声も、匂いも、顔も、言葉も、どうして忘れてしまうの……本当に最初からなかったの…?……私も全部、捨てちゃえば楽なのかなぁ」
「私から兄様も、オノールもとったら、何も残らないっていうのに……早く、私も兄様に会いたいな…………。」
「死にたい」
もういいか、そう思ってしまうほどには、兄という存在が揺らぐ瞬間だった。なぜ私は親に怒るのか、なぜ兄を想うのか、この世に生きる価値はいったいいつ見いだせるのか、私を騙し続けてきた世界に、なぜ私は生きなければいけないのか。世界が私を最初に裏切ったんだから、私を止める資格なんて誰にもないじゃない。
だから、
だから。
私は自室の窓を開ける。雪が風にのってヒュウと部屋に吹き込む。今日は風が強い。肌に突き刺さる冷気は凍てつくようで、しかし、そこに兄様が待っているような気がしてならない。私は窓の淵に脚をかける。
「……小さき者、尊き命に順従し、生涯をもって貴方が私の兄である事を誇り、感謝致します。名誉を受け継がれし高貴な人よ、誇り高く清き御心の貴方に笑顔が溢れ、実りある人生を歩みます事願っております。神よどうか、我が兄に幸ありますように」
私ともう一度、会ってくださいますか?兄様。
その時、突風が私を押し戻した。目も開けられないような雪をまとった風は、容赦なく私に吹き付ける。そして私の脳裏に、想像もしなかった、なんでもない他人の言葉が過ぎる
「それでも俺は、アルバが生きてくれたら嬉しいよ」
「ーーーーーーっ!」
綺麗事に過ぎない。人生に絶望した人間を前に出た、ただの言葉じゃないか。お前は私のなんなんだ。お前に何がわかる。私の苦しみが、私の人生が、お前にとっていったい何になると言うのだ。
生きてくれたら嬉しいって何?なんでそんな無責任な言葉を私に言うのよ。どうせ貴方も、私を救ってはくれないくせに
「死にたいよぉ……」
涙が溢れて止まらない。この身体はどれほど涙を流せば気が済むのか。世界よ、私を引き止めて何が楽しい?まだ嘲笑うというのか、
私は重たい足で立ち、この苦しみの矛先を探した。
ボロボロな姿で、泣き腫らした私を衆愚が奇妙な顔で見つめる。私を前に口を開くが、その声は私には届かない。今はあの男の声しか、聞く耳を持っていないのだ。うるさい、黙れ、迷惑だ。
男の部屋番は覚えている。どれだけ歩いただろうか、何人もの偽善者を振りほどき、やっとの思いで男の部屋まで辿り着く。
私は扉を強く何度も叩く。声など出す余裕などなかった、早く出てこいと何度も、何度も叩く。そのうち男は扉を開け、こちらを見ると目を見開いた。
私は男が出て来るや否や、男の胸ぐらを両手で掴み、声を荒らげ詰め寄る。
「アンタのせいよ!!!!!!」
また、涙が零れた
「もう死んでしまいたいのに……ッ貴方が生きてくれたら嬉しいなんて言うから…!!死ねないじゃない…!!」
男は心底驚いた顔をし、呆気に取られたようでほんの数瞬、ただ私を凝視した。
静寂な空間が辺りに広がる。
「…キミにも、もう何もかも捨てたい時があるよね。……俺の言葉で踏みとどまってくれたんだ」
男の声が頭上で切なく、ぽつりと鳴いた
私は思わず顔を上げ男を見ると、その時にはもう、いつもの掴み所のない表情ができあがっている
「部屋、あがっていいよ。紅茶とコーヒーどっちがいい?」
私は男の部屋へと招かれた。
知らない香りが漂うその空間は、爽やかながらも甘い香りで、少しだけ、癒される。
私は適当な所にうずくまり、意地悪な回答をした。
「……。…どっちもヤダ。たまごスープがいい。硬めのパンと金平糖」
数年前、よく兄とたまごスープを飲んだ。少し冷めていて、でも温かくて美味しいたまごスープ。決して柔らかくない硬めのパンを、たまごスープに付けて食べるのが好きだった。
兄はもういないけれど、あの味が恋しい。
「うーん、あるかなぁ」
男は軽く笑いながら、それでも探してくれる。
心がじんわりと、温かくなった。
「今度からたまごスープとパンも用意しておこうかな、金平糖しかなかったよ」
しばらくして、男はお盆を持って帰ってきた。
そこには甘い香りのホットココアと金平糖が乗っており、私の隣に音をたてぬよう置かれた。男も近くに腰を下ろし、こちらを優しく見守っている。
私はマグカップを両手で持つと、立ち上る湯気をぼぅっと見つめた。
「熱いから火傷に気を付けてね?」
「……うざい。」
私は何度か息を吹きかけると、口をつけ、ココアを飲む。
「……熱い。」
「だから言ったのに……」
じろりと男を見つめると、男は肩を竦めた
「……私には、お兄ちゃんがいたの。」
この男は以前、私が残酷な人間だと言うことを語った後も、変わらずに接してくる。私はてっきりこの男も離れていくものだと思っていたのに対し、気付けば男はいつも隣に居た。
最初の時もたしかそうだった、家の話がしたくないという事を察してからは、いっさい触れてこない。他にも私が授業をサボれば、テスト前には要点を教えてくれたり、提出物は代わりに出してくれていたり。なぜそこまでしてくれるのか、意味がわからない。
コイツは私に惚れているのかもしれないと考えた事はあったが、どうも違うらしい。……であれば、そこまでして「オノール」に取り入りたいのか。
「オノール」はアンタが考えているほどいいものじゃない。関わらない方が良い。……だけど、利用できるものは利用した方が良いということも確かだ。
私に近づいたのなら、それ相応の覚悟くらいはあるだろう。それに話を聞くくらい、私がいつもしてやっているのだから、何も言わずに聞いてほしい。
「私は幼い頃から、人々は『役目』を持って産まれてくるって教わった。私のその役目は、兄の味方であり続け、兄を愛すること。」
「…その兄は立派な職人だったわ。当たり前よね、誰よりも原石を磨き続けてきた人だもの。そこらの職人とは格が違う。……本物の職人が指導した、本物の技術。それが兄が持っていたモノ。」
「でもその兄は1年ほど前に死んだ。理由なんてわかりっこない。……私は、役目を失ったの。そんな私を両親はこの学園へと送り込んだ。」
「…ここに来れば、少しは兄様の事を理解する事ができるんじゃないかって思ったけれど……。駄目ね。わからない事ばかりだわ」
「…兄様に会いたい……」
その時の男がどんな顔をしていたかなんて知らないけれど、温かいココアを飲んですっかり暖まった私は、間も無くして眠りに落ちた。
男の香水の香りと、気配が、なんとも私に安らぎを与えなのかもしれない。
ー○ー
月日は流れ、私はいつの間にか高校三年生になっていた。暖かい日差しが辺りを包み込み、花の香りが緩やかに漂う。
そんなある日の朝、一通の手紙が私の元に届いた。
真っ白な封筒のシンプルな手紙。差出人を見ると、どうやら自分の叔父にあたる人だった。
叔父とは何度か会った事があるが、父親から「叔父と関わるな」と口酸っぱく言われていた事もあり、特段印象はない。その叔父がいったいなんのようだと封を開ける。
『Dear アルバ・オノール様
学園ではいかがお過ごしでしょうか。
本件では、1年半ほど前に死去されたノクスくんの埋葬の件について、妹である貴方にも説明したく、送らせていただきました。
以前から貴方の両親には、正式な葬式と埋葬を要求していましたが聞き入れてもらえず、さらにはノクスくんが死亡した事は誰にも言うなと脅されていました。
しかし、ノクスくんの人生を想うと、ちゃんとしたお墓もないまま朽ち果ててしまうのは如何なものかと考え、独断ではありますが、お墓を作らせていただきました。
場所はノクスくんが死亡したと推測される場所付近にある少し拓けた場所に致しました。森の中ですが隔離域とは距離があります。正確な場所の地図を同封しているので、墓参りはご自由にどうぞ
From セアリアス・オノール』
兄様の……墓。
それは兄様がこの世に存在したという証であり、死んでしまったという証明。しかし、予想はしていたが、両親は葬式もお墓の事も何もしなかったらしい。凡そ、兄様の訃報が広がる事を恐れたのだろう。特に父親は、オノール家の情報が洩れることを何よりも恐れていた。
それでも何故、森の中なのだという疑問は残るが、叔父であるにも関わらず、兄様の事を想って作ってくれたのだから、何も文句は吐けない。
……兄様のお墓に、私なんかが会いに行ってもいいのだろうか。
でももし、、それが許されるのであれば、会いに行きたい。花を手向けさせてほしい。貴方が死んだという事実を、貴方の元で受け入れたい。
私は通信端末を起動させる。普段は使うことの無いこれも、何かあれば呼んでほしいと、赤髪の男は勝手に連絡先を登録していた。…まさか自分が使用するとは思っていなかったけれど。
3つしかない連絡先のうち、1つを選択しコールする。正直な所、電話は嫌いだ。あの悪夢を思い出す。早く出てくれと待っていると、3コール目で男は出た。
『もしもし?キミが電話をかけてくれるだなんて珍しい。何かあったのかい?』
「……森って、危険なのよね?」
『そうだね、特に隔離域付近は動物が凶暴化しているから…』
「……森の中に兄の墓があるのだけど、私1人で行けると思う?」
『1人で…かい?…それは、危険なんじゃないかな』
「そう……。ねぇ、頼みがあるんだけど」
こんな事、頼れる人は貴方しかいない。
「私を兄様の墓まで連れてって」
ー○ー
2人は天候の良い日を選び、ノクスの墓参りへと向かった。何度か動物に襲われはしたものの、ユリスの軽やかな身のこなしと、どこにダメージを与えればいいのかを熟知している知識は、アルバの心配などは杞憂に過ぎないと物語っている。アルバにとってユリスは、ただの変な奴だと思っていたがそれも今日までの話だろう。
涼しいそよ風が吹き、2人の髪を揺らす。
「この地図によるともうすぐだよ」
ある程度整備された道を進むと、拓けたスペースに出る。そのちょうど日が差し込む中央に、ノクスの墓石は立っていた。まるでそこに、本物のノクスがいるような、そんな神秘的な空間。
思わずアルバは息を飲んだ。
どうしてこんな場所に、そんな言葉はこの情景を見た者なら発言できなくなるだろう。それほど、この場所はノクスのためにあるようだった。
「ここが……。」
「兄様、、」
アルバはよろよろとその墓石に近づくと、片膝をつく。
「兄様……ここに、眠っていたのですね」
すっと伸びる細く白い腕は、優しく墓石を撫でる。
アルバの赤い双眼からは一筋の涙が流れ落ちた。それはまるで絵画のように、美しい眺めだった。
「…本当に、もう兄様と会えないのですか…?こんなに、こんなに慕っていましたのに、独りで逝ってしまわれるなんて……あんまりです…っ」
アルバは堪えられなくなったように涙を流す。声を上げ、兄の死を受け入れるべく、枯れてしまうのではないかと言うほど泣きじゃくる。その後ろ姿からは「寂しい」「怖い」「つらい」そう聞こえてくるような哀愁を秘めていた。
どれほどの時間が経っただろうか。アルバが兄に別れを告げている間、ユリスはただじっと、見守っていた。この瞬間は決して誰も2人の時間を邪魔しないように、そんな願いを込めて…。
ノクスの墓を綺麗に掃除した後、アルバはユリスの元へと静かに戻ってきた。
「…ありがとう…。」
目を合わせて言うのはどうやら恥ずかしいらしく、ユリスからは目を逸らし、短く感謝を口にする。そして数瞬考え、今度はユリスの目を見て、小さく口を開いた。
「……私もいつか、ユリスの力になるから」
それは、アルバが初めて、″男″の名を口にした瞬間だった。
「どういたしまして。……そんなこと、約束しないでいいよ」
ユリスは自分の名をアルバが口にしたことに対し、嬉しさを隠すまでもなく、自然な素の笑みを浮かべる。その甘い顔は、アルバの頬を染め上げるには充分だったようで、思わずアルバは目線を外した
「〜〜……っ約束じゃないし、宣言だし!!う、嬉しそうにしないでよ…もう!な、なんか恥ずかしいじゃない!!ばか」
「っ、くふ、あはは!そんなに照れなくていいのに〜俺は嬉しいよ?こちらこそありがとう」
そんなアルバを知ってか知らずか、ユリスはその真っ白な可愛らしい頭を撫で、嬉しそうに声を上げて笑う
「…!!……〜…な、撫でないの!帰るよ!!」
アルバはついにいたたまれなくなり、ユリスを置いて先に帰ろうとするが、その心情はここ数年で1番、安らかなものだった。
2人が帰って行った後、ある1匹の白蛇は姿を現した。白蛇は墓石の方へと行き、小さく鳴く。
その時世界で1番優しい風が、2人を送り出すようにそよいだ