今日も明日も来年も「左馬刻って年越しの瞬間にジャンプするやつやったことある?」
「ンだそれ」
尋ねながら予想していたとおり、左馬刻は訝しげに眉を顰めた。しないだろうとは思っていたのだ。〇時ちょうどにジャンプして、その瞬間に地球にいませんでした、なんて遊びは。
「お前はあんのかよ」
「ん? あるぜ。あー、何年前だったかなぁ……」
一郎は、一度だけそれをやったことがある。今まで大晦日の夜もきちんと寝ていた三郎が、初めて「今年は起きています!」と言って頑張って起きていた年。三人で年越しの瞬間を迎えることになり、じゃあ何をしようかと話して、二郎の提案で三人で手を繋いでジャンプしながら年を越したのだ。
懐かしさについ口元が綻ぶ。正面でそれを見ている左馬刻も、やさしい目をしていた。
「まあ、ジャンプしたのはその年だけだったけどな。今はテレビ見たりボドゲしながら年越しって感じだぜ。左馬刻は?」
「うちも似たようなもんだな。……あと蕎麦食ってる」
「食いながら年越すんだ?」
「食わねぇの?」
「いや、風呂上がったあたりで『腹減ったなー』っつってすぐ食っちまうんだよ」
「ハハッ、お前ららしいっちゃらしいな」
クリスマスが終わり、終業式を迎え、ついそんな話題を選びながら帰路を辿る。あっという間の一年だったなぁと、おもむろに空を見上げた。冬の澄んだ空気が、今にも火照りそうな頬を心地よく撫でていく。
あっという間の一年だったが、何があったかを思い出そうとするとたくさんのことが浮かんでくる。その理由は主に隣を歩く男にあった。付き合って約一年半。それだけあれば、思い出も増えて当然だった。
「……今年は」
ぽつりと独り言のように呟いた左馬刻が、そのまま足を止める。同じように足を止めて、一郎は一歩先で振り返った。
「今年は、一緒に年越そうぜ」
「…………………………ジャンプしながら?」
「ちげーわ!」
「ハハッ、ごめんごめん!」
声を荒げた左馬刻の手を慌ててとる。手袋をしていない真っ白な手は、ほんのりと指先が赤くなっていた。
「合歓ちゃん一人にしていいのかよ」
「あんま時間とれねぇのはお前もだろ。日付変わる少し前に待ち合わせしようぜ」
「ん……」
繋いだ手にきゅっと力を込めて「楽しみだ」と素直に伝えれば、左馬刻も同じように指先に力を込めた。
電話くらいはできるだろうかと考えていたところだった。だが、それを上回る提案をされたことに、なんだかいっそう好きを募らせる。きっと来年はもっと好きになるのだろうなと、やわらかな幸せを感じた瞬間だった。
年内の練習は、十二月三十日が最終日だった。練習は午前中に終えて午後は体育館と部室の掃除をして、先生や先輩に「来年もよろしくお願いします」と挨拶をしてから学校を出る。明日は何を食べようかと買い物をしてから帰宅してすぐ、一郎はベッドに横になった。
(あー……これダメそう)
急に襲ってきた倦怠感。喉の不調。学校を出た瞬間に感じた違和感が、今はもうほとんど確信になっている。
本音を言えば見ないふりをしたかったのだが、弟たちに迷惑を掛けるわけにもいかないと、一郎は仕方なく体温計を手にした。脇に挟んでしばらく待って、ピピピと無機質な電子音が鳴る。
(……なんでこんな急に……)
疲労が溜まっていたのか、身体を冷やしてしまったのか、それともこの一年の緊張が急に緩んだためか。原因はわからなかったが、発熱しているという事実は認めなくてはならないらしい。体温計を睨んだところで目の前の数字が変わることはなく、かといって計り直す気力もなく、一郎はおとなしくマスクをつけることにした。
(…………さまとき……)
ぼすんと横になって真っ先に浮かんだのは、楽しみにしていた明日の予定だ。今年最後の、そして来年最初の逢瀬。一瞬外に出るくらいならできなくもないだろうが、万が一左馬刻にも移したらと思うとそれはできない。なにより、体調を崩しているのに無理に出て行ったとバレたら怒られるのが目に見えている。それでは元も子もないのだ。二人で楽しく過ごすことが目的なのだから。
どうしたって落ち込んでしまうのは、予定していたのが年越しの瞬間という一年に一度しかないイベントだったからだ。普段のデートであれば「また今度」で済むものの、この場合の「また今度」は一年後の約束となる。きっと来年もあっという間に一年が過ぎるのだろうとは思っても、そう簡単に諦められるものではない。
「………………」
ベッドに横になりながらスマホを片手にしばらく考えてみたものの、結局これといっていい案が浮かぶことはなかった。悩んだ末に、仕方なく『ごめん、風邪ひいた』『明日無理そう』と短いメッセージを打つ。
「…………あー……」
送りたくねぇなぁ、と。送信のボタンを押すまでに、またしばらく時間がかかった。
家族揃って賑やかに過ごすはずだった大晦日。一郎は一人、自室のベッドで横になっていた。幸い体調はそこまで悪くないため、眠ったりスマホを見たりしながら時間を潰す。こんな理由でなければ年末くらいゆっくりしてもいいかと思えるのだが、いかんせん入っていた予定を蹴って横たわっている状態だ。熱のせいで弱気になっているのか、どうにも寂しさや哀しさが前面に出てくる。
左馬刻は案の定、『ゆっくり休め』と返事を寄越した。当たり前だ。『また今度な』と約束するようなものではないし、ましてや会えなくなったことを悲しんだり責めたりするような男でもない。気を遣ってくれているのかそれ以降は特にやりとりをすることもなく、そんな当たり前のやさしさに、勝手に寂しさを感じたりもした。
二郎から『昼飯食えそう?』とメッセージが来て、『食う』と返事をする。『わかった、持っていくね』という文言を見て、ゆっくりと身体を起こした。普段ほどではないが、食欲はある。昼食はおかゆだろうか。夕飯は年越し蕎麦でも大丈夫だと言っておこうと考えていると、コンコンコンとドアがノックされた。
「……え」
カチャリとドアが開くと、「よぉ」と見慣れた恋人がおぼんを手に目を細めた。マスクをしているせいで口元は見えないが、その声色からニヤリとしているところはすんなり想像できる。
「思ったより元気そうだな」
「な、んで……」
「ちゃんと休んでるか見に来た」
「えー………………」
一郎の頭の中はぐるぐる忙しく回っていた。いつの間にうちに来ていたのか。二郎や三郎も一緒に仕組んだのか。このご飯はもしかして左馬刻が作ってくれたのだろうか。その他、いろいろ。
聞きたいことはたくさんあるはずなのに何から聞けばいいのかわからなくて、一郎はただひたすら左馬刻を見つめた。会いたかった恋人が……会えなくなったはずの恋人が、今目の前にいる。どうしようもなく胸がいっぱいになって、一郎は特にずれていないマスクをおもむろに引き上げた。風邪をひいてよかっただなんて不謹慎なことは思わないけれど、それでもどうしたって口元が緩む。
「……悪い、来てくれるんなら年越し一緒にすればよかったな」
「ばーか、夜は冷えんだろ。ンな時間に外に連れ出すつもりはねぇよ」
ことん、とテーブルの上に置かれたおぼんを覗き込む。おかゆというよりはおじやだろう。たまごとカニカマと青ネギで、彩りの良さが食欲をそそる。
「寝込んでるようならゼリーだけ置いて帰るつもりだったんだけどな。大丈夫そうだって聞いたから、少しだけ上がらせてもらったわ」
「……そっか」
おぼんの上には、多めのおじやが入ったどんぶり。取り皿とれんげは二つずつある。これはつまり、もう少しだけこの部屋にいてくれるということだろう。もしかしたら本来の予定よりも長く一緒にいられるかもしれないと思って、また少し、口元が綻んだ。もちろん口には出さなかったが。
「……ありがと、左馬刻」
その一言にどれほどの感謝が込められているのか、正しく伝わっていればいいと思う。今年も笑顔で締めくくれるようにしてくれた恋人に、来年も傍にいたいと強く思った。