ビター・スイート マイクを用いたバトルをしていた数年で、言葉で伝えることの大切さは十分すぎるほどに身に沁みていた。けれど実際、言葉にせずとも伝わることだってたくさんあるとは思っている。
特にこの男の瞳は雄弁で、まっすぐ見つめてくる赤い視線は、言葉よりもよっぽど素直に感情を伝えてくるような気がするのだ。そういう男だと知っているからというのも大きいのだろうが、熱の込められた視線に見つめられると嘘のない想いが伝わってきて、どうしたってじわじわと頬が熱くなる。伝播した熱のせいで、こちらもまた、息が苦しくなるほどの想いが溢れてくる。そんな日々を繰り返している。
左馬刻の瞳がギラリと火を灯す瞬間も、やんわりと弧を描く瞬間も。そのどちらも、一郎のお気に入りだった。
「けど、やっぱたまには言葉も必要だよな」
「……アァ?」
肌を重ねて熱を分け合った直後。溢れた想いを身体の全部で伝えたはずの相手に、一郎はたいして躊躇うことなく呟いた。当然のように左馬刻の眉は顰められ、薄く開いていた唇が一旦閉じられる。そのまま気怠げに煙草へと手を伸ばし、ゆるりとした動作で火がつけられた。「で?」と問いかけてきているのがやはり視線だけでわかって、思わずふっと息を零す。自分がどんな顔をしているのかはわからなかった。
いちいち言葉にせずとも、今更、左馬刻からの愛情を疑うことはない。だがそれはそれとして、言葉のいらない行為は、きっと好きでもない人とだってできてしまうのだろうなと頭をよぎることがあるのだ。一般論として。
過去の話をあえて聞いたりはしないが、この引く手数多の男がそういったことをまったくしてこなかったなんてことはないだろう。見た目も中身もいい男であることは間違いなく、そして、品行方正とは言いがたい。年齢を考えても、自分が初めての相手ではないことは想像に容易い。
別にそれを悲観しているわけではなかったが、ふと、言葉が欲しいと思った。左馬刻はきっと、適当に肌を重ねることはできても嘘で愛情を紡ぐことはしないから。与えられた言葉はきっと、自分だけが知る特別な音になる。そんな予感がした。
「……別にいいけどよ」
ふぅ、と紫煙を燻らせながら、左馬刻はあっさり告げた。
「お前もだからな?」
「え?」
「たりめーだろ。欲しいっつーならテメェも寄越すのが筋ってモンだろうが」
至極真面目な顔で言う左馬刻に、思わず瞬きを繰り返す。伸びてきた指先がするりと頬を撫で、少し乾いた親指が唇を辿った。ちらりと覗き見た双眸は、随分とやさしく揺らめいている。
「……ふはっ、そうだよな」
肌に触れる指先を掴まえて、己のそれとやんわり絡める。
好きも愛してるも、あまり口に出していないのはお互い様だ。言葉にせずとも伝わっていると思っているのも、たぶんお互い様だった。だからこそ、ふとした瞬間に特別な言葉が欲しいと思うのも、もしかしたら同じだったのかもしれない。
「さまとき」
「おい待て、俺が先だ」
「……ここで揉めるか? 普通」
「ハッ、最初からフツーなんかじゃねぇだろ、俺たちは」
そうして、言葉よりも先に降ってきたのは随分と苦い唇だ。直後、甘ったるく呼ばれた名前に、どうしたって期待で胸が高鳴った。