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    maybe_MARRON

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    左馬一
    ベスバスでキスの日
    診断メーカーより『薄暗い倉庫の中で相手に覆い被さり押し倒すようにするキス』
    珍しくタイトルが気に入っている話です

    ムーンライト・ドロップス マットに跳び箱。ネットや得点ボードに掃除用具。ボールはバスケとバレーの両方があって、あとはなんか、いろいろ。一応きちんと整理されているのにも関わらずごちゃごちゃした印象があるのは、きっとどこの体育倉庫でも同じだろう。ちなみに卓球台は別の倉庫にある。
     この倉庫を使うのは主にバスケ部とバレー部で、鍵は最後に残っていた部員が職員室に返すことになっていた。どちらの部も成績が良い。体育館は広く、基本的には両方の部が平等に半面ずつ使っている。ただし週に一度だけ、火曜日はバスケ部が、水曜日はバレー部が全面使える日と決めていた。要するに、もう一方は定休日なのである。
     今日は火曜日。体育館はバスケ部が占領していた。練習時間が終わり、今は五人だけ。週に一度の贅沢な練習を終えても、スタメン五人は自主練で遅くまで残っていた。
     ダム、ダム、とボールはリズミカルに床を打つ。キュッ、とバッシュが音を鳴らし、放物線を描いたボールが綺麗にネットに吸い込まれた。パサリと乾いた音が広い体育館に静かに響き、落ちたボールがそこにドンと低い音を重ねる。黙々と練習を続け、時計の針が進むごとに、一人、また一人と「お疲れ」とだけ残して帰っていった。
     最後まで残るのはいつも一郎だ。一人になってからの体育館の空気が好きで、ボールと自分だけが響かせる音を楽しみながらしばらくシュート練習を続けている。チームメイトもそれをわかっているため、一緒に帰ろうと誘うことも、早く上がれと急かすことも、無理に遅くまで付き合うこともしなかった。それが心地よい。このちょっとした時間が、山田一郎の毎週火曜日のささやかな楽しみなのである。
     今日もだいぶ楽しんだ。頭の中に先週戦った他校のエースを思い浮かべ、ドリブルからのフェイドアウェイを決める。こうした動きのある練習は、人が減ってからでないとなかなかできない。身長を活かしたダンクやスリーポイントも決して苦手ではないが、どちらかといえばジャンプシュートの方が得意だった。
     満足してリストバンドで汗を拭い、最後に一本フリースローを決めると、一郎は体育倉庫へと向かった。自主練の前に全員で床掃除と片付けは済ませている。あとは使った分のボール磨きと、汗で濡れた床だけもう一度モップがけをすればいい。ちらりと壁を見上げれば時計の針は二十一時を指しており、もう職員室に残っている教員も残り少ないはずだった。
     ガラガラと重い扉を開けると、篭っていた熱気に特有の匂いが乗って押し寄せてくる。ボールの革の匂いは嫌いではないが、そこに汗と埃が混ざるとどうしても顔を顰めてしまうものだ。
     しかし、今日は。いつもはそこにないものがある。――否、いる。
    「……なんで……」
    「やーっと終わったか」
     遅ぇよ、と笑いながらマットの上の左馬刻が身体を起こす。ぽかんとしたまま、こちらを射抜く切長の瞳を見つめた。野球部も部活はあったはずだがすでに着替えは終えているようで、薄暗い倉庫の中で白いシャツがぼんやりと浮かび上がっている。格子の窓からは月が覗いて、まるでアニメか何かのように月明かりが左馬刻を照らしていた。手招きされずともふらふらと近寄ってしまう。同じマットの上にぺたりと腰を落ち着けた。
    「火曜は先に帰ってていいっつったじゃん」
    「別に待ってんのがダメってわけじゃねぇんだろ?」
    「そ、うだけど……待ってんの知ってたらもう少し早く切り上げたのに……」
    「いいんだよ、邪魔するつもりはねぇ。好きなだけやれや」
    「……ん」
     わしゃわしゃと黒髪を混ぜられて、きゅ、と唇を引き結ぶ。
    「いつからいたんだよ」
    「お前とあともう一人だけになった時だな」
    「……え、見張り?」
    「違ぇわこっちが終わったのがそのタイミングだっただけだっつの」
     嫉妬深い恋人のことだからあり得なくもないと半ば本気で尋ねたのだが、どうやらその問いかけは不本意だったらしく、髪を撫でていた手のひらがげんこつに変わる。
    「照明はあっけどよぉ、外だとどうしてもこの時間まではやれねぇんだわ」
    「あー、だよなぁ……」
     火曜日、一郎が帰る時間帯まで外で練習している部活はない。夏でもそうなのだ。まだ初夏のこの時期に、二十一時まで練習するのは厳しいだろう。
     物足りなさを滲ませた声に、少しだけ頬が緩んだ。互いに忙しく、左馬刻が野球をしている姿を見た回数はそう多くないのだが、それでも本気でやっているということくらいはわかる。白い肌はまだ五月だというのに軽く日焼けしており、そしてまだ微かに汗の匂いが残っていた。この倉庫とは違う匂い。――左馬刻の、におい。
    (……俺も早く着替えよ……)
     急に自分の汗まで気になり始め、さっさと掃除を済ませて着替えようと立ち上がる。その瞬間、ぐいっと強い力で腕を引かれ、気づけば背中にマットの感触があった。
    「……は?」
     両腕で囲われ、目の前には左馬刻の顔がある。微かに濡れている前髪が音もなく零れ、ちらちらと時折強い色の瞳を隠した。月光が縁取るようにその姿を照らしている。
     この体勢で何をされるかわからないほどバカではない。困惑と期待でぞくりと背中が粟だった。なんで、と尋ねる前に唇には柔らかな感触が降ってきて、そっと瞼を閉じる。何度も角度を変えて啄んでくる唇はたしかに甘くて、けれど決して深くは重ならなかった。その絶妙な加減はここが公共の場であることを踏まえてなのか、それとも単に焦らすためのものなのか、正解はわからない。されるがまま受け入れて、そしてこちらから強請るようなそぶりだけは絶対に見せないよう頭の片隅だけは冷静なままでいなければならなかった。なんで急にこんなことを仕掛けてきたのかも、そもそもなんでこんなところで待っていたのかもわからないが、どれもこれも嫌ではないから困る。中途半端な背徳感は、興奮を高めるだけだった。
    「んっ……さま、待っ……」
    「……もう少しだけ。な?」
     掠れた声が耳を犯す。湿ったTシャツの上からやんわりと胸を撫でられ、じわりと熱が生まれた。もう少しってなんだよと思いながらも抗えないのは、きっとこのシチュエーションのせいだ。
     宣言通り「もう少し」を堪能したらしい左馬刻は、名残惜しそうに唇を離すと、マットの上ですっかり脱力している一郎を楽しそうに見下ろす。
    「明日休みなんだろ? このままウチ来いよ」
    「……いや、授業は普通にあっから……」
    「つれねぇなぁ……んじゃこのままここでヤってくか?」
    「んなわけねぇだろ! 俺このあと職員室にも行くんだぞ」
     つかぜってー声聞こえるし汚すし匂い残るし、と捲し立てれば、楽しそうだなぁとケラケラ笑われた。楽しそうなのはあんただろ、と思うが声にはならない。
     それこそアニメか何かのように万が一ここに閉じ込められて一晩過ごすなどというふざけた展開であれば、もしかしたら我慢できなくなっていたかもしれない。しかし残念ながら、鍵は一郎自身が持っているのだ。誰かが外から掛けてくれるはずもない。
     ――なぁ、いちろぉ。
     わざとらしく甘い声を乗せた左馬刻に、単純な心はぐらりと揺れる。その瞳で。指先で。匂いで。仕掛けられた罠は甘く、柔らかに絡め取られる。
    「……あんたさぁ、なんでこんなとこで待ってたんだよ……」
    「あ? んなもん会いたかっただけだわ」
     悪いかよ、と完全に開き直っている恋人に敵うはずもなく、降参した一郎は盛大なため息を吐き出した。そのわざとらしさを見抜いた目の前の男は随分と機嫌が良さそうで、一郎は迷った末に「もう少し」だけは今ここで強請ろうと、男の罠に掛かりに行った。
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