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    maybe_MARRON

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    左馬一
    虚実の境も二人の関係も何もかもが曖昧で

    曖昧 その日、イケブクロ西口公園で一曲限りのゲリラライブが行われた。
     雑多に人が集うその場所で、一人の男がスピーカーの準備を始めた。日も沈んできた頃、仕事帰りのサラリーマンや酒を飲もうと繰り出す若者は、素朴な青年がせっせと何かを準備している光景など気にも留めない。小さなライトで足元を照らすだけの簡易ステージが組まれ、指先一つで曲が流れ始める。ドラムが一定のリズムを刻んでいた。
     通りがかった人たちはちらちらとそちらに視線をやるが、その多くは足を止めることなく目的地へと歩み続けていた。当然だ。曲をかけた青年はマイクを握ることもギターを鳴らすこともなくそのままスピーカーの傍に立ち、ただ行き交う人々を穏やかに見つめているだけなのである。曲はなかなか始まらず、同じリズムのドラムの音だけが誰もいないステージの横で流れ続けていた。照明が当たっていないせいで、青年の顔はよく見えない。
     聴き覚えのあるリズムに初めて足を止めたのは、駅に向かっていた二人組の女性だった。ねぇ、と二人で視線を交わした後、スピーカーと青年、そして空っぽのステージを交互に見つめる。
     煌びやかなステージセットなんてものはない。DJもいない。だが、このリズムを知っている。もしかして、そんなはずは、なんて呟いている間に、同じ想いを抱えた人が次第に足を止め始めた。ぽつりぽつりと人がまばらに集い、騒めく。
     多くの期待と戸惑いの視線を浴びた青年は、それに動揺することなく視線の先をゆっくりと変えた。微笑んだまま向こう側にいる誰かにむけて小さく頷いたかと思うと、やがて暗いステージの上には男たちが現れる。足元しか照らしていない照明だが、四人分のシルエットだけでその場には悲鳴のような声が上がった。人数とシルエットだけでわかったのだ。――目の前に、再び伝説が現れたのだと。
    「C'mon」
     淡々と流れていたドラムの音に音が重なる。照明が上を向き、四人を照らす。上がったボリュームに歓声が上がり、四人の声が重なった。
     披露されたのはたった一曲だ。だが、その一曲を誰もが待ち望んでいた。四人を知る者は自然と手を上げ声に応え、当時を知らない少年少女も興味深そうに立ち止まって同じように声を上げる。時間にして僅か五分と少し。視線を交わし、楽しそうに歌い自由に動く四人に、気づけば公園には人が溢れていた。
    「みんな、ありがとな!」
     曲が終わり、鳴り止まない拍手と歓声の中で言葉を発したのは一郎だ。
    「あー……別に何があったってわけでもねぇんだが、またやりてぇなって俺たち全員が思って、じゃあやってみるかって……本当に、それだけで」
     興奮で息が上がっている一郎の言葉を、ステージ上の三人を含めその場にいる全員が静かに聞いていた。
     伝説というのはチームの話であって、四人が健在であることは誰もが知っていた。だが同時に、彼らがもう再結成することはないだろうということも知っていたのである。彼らに何があったのかをすべて知っているわけではないが、全国を制覇した四人がその後あっという間にチームを解散し、新たなチームメイトとともに戦ってきたことを知っている。今日のステージも本当に今日だけの特別なもので、新曲が出るわけでも、また四人で活動するわけでもないのだろうと、一郎の言葉で理解した。それでも不満や悲しみの声が上がることはなく、ただじっと耳を傾ける。
    「生きてりゃこういうこともあんだなって……たぶん俺たちが一番びっくりしてるし、今楽しんでんじゃねぇかな」
     な? と一郎が三人の顔を順番に見回していく。力強く頷く乱数。左馬刻は口元に薄く笑みを浮かべ、寂雷が「そうですね」と言いながら観客を見渡した。
    「だからまた、こういうことがあるかもしんねぇし、ないかもしんねぇし、先のことは何もわかんねぇけど……少なくとも俺たちは、今日が楽しかったし元気をもらった。みんなも楽しいことがあった時に全力で楽しめるように、元気に過ごせよ!」
     またな、という不確かな約束はないまま、四人はライトに照らされた場所から去っていく。伝説が、新たな伝説を残して去っていく姿を、その場の全員が目に焼き付けた。
     その途中で、不意に足を止めたのは左馬刻だった。
     くるりと身体の向きを変え、一郎と向かい合う。一瞬目を丸くした一郎は、しかし視線を交わすとへらりと表情を緩めた。観客に見守られる中で二人は一言二言交わし、それからゆっくりと、互いの背中に腕を回した。二人とも、穏やかな笑みを浮かべていた。
     その光景に人々は悲鳴を上げ、あるいは涙を流し、拍手を送る。続いて乱数も寂雷の腕に自らの腕を絡め、さらに湧く観客に手を振りながら去っていった。呆然と立ち尽くし、余韻に浸っている観客の前で、青年だけがテキパキと片付けを行っていた。

      ◇

    「なんだったんだよ、あれ」
     一郎が左馬刻に声を掛けたのは、それから一週間後のことである。あの日はライブの余韻もあって、なんだか気持ちが昂っていて。掛けられた言葉に嬉しくなってそのまま受け入れてしまったのだが、よくよく考えれば左馬刻は人前でああいった行動をとるような男ではない。それこそTDDを組んでいた頃であればまた違ったかもしれないが、しかしあの頃はあの頃で、よくやったと勢いよく肩を組むことはあれど、あんなふうに正面から優しく抱きしめられたことはなかったように思う。思い返す度に混乱し、だが直接聞くのも変だろうかと悩み、とはいえ一週間経っても気になってしまうので、とうとう根負けして酒の席に誘ったのである。
     やさしく力強い腕も、ふわりと漂ったあの頃とは違う香水も、穏やかな言葉も。すべてが頭の片隅に残ったまま、どうしても忘れられずにいる。
     乾杯をしてビールを勢いよく喉に流し込んで、一郎は一言目で単刀直入に尋ねた。左馬刻はそんな目の前の男をじっと見つめ、面倒くさそうに息を吐く。
    「……別に、なんでもねぇよ」
    「なんでもねぇってことはねぇだろ」
    「ンでだよ。お前だって『別に何があったわけでもねぇけど』っつってライブやったじゃねぇか。同じだろうが」
     自分自身が発した言葉で返されると上手く躱せる答えは見つからず、一郎はグッと堪えて仕方なく再びビールを飲んだ。今度はちびちびと口をつけるだけにする。
     あのゲリラライブは、本当に何があったわけでもなく行われたものだ。H歴が終わり、ヒプノシスマイクが回収され、誰かがなんとなく話の流れでやりたいと言ったのをきっかけに四人全員に話が行き渡り、最終的に「やりましょう!」と諸々の手筈を整えたのは衢である。衢が各所に許可を取り、スケジュールを調整してくれたおかげで無事に終えることができたのだ。
     あの場で話した通り、次があるのかどうかは誰にもわからない。絶対あるとも絶対ないとも言いきれないのは、それだけ四人の関係が曖昧だからだ。良くも悪くも人生何が起きるかわからないことを、たった二十年と少ししか生きていない一郎は身を持って知っている。変な期待はしないようにと、無意識に抑圧してしまうのだ。
    「…………嫌ならもうしねぇ」
    「あ?」
     普段よりも低く小さな声で呟かれた言葉は聞き逃した。視線を上げれば赤色の瞳は不貞腐れていて、しかしこちらを捉えたまま離さない。
    「わざわざ呼び出してまで言うほど嫌だってんならもうしねぇよ」
    「はあ? 誰もンなこと言ってねぇだろ」
    「…………」
    「俺はただ――……」
     まっすぐこちらを見つめたままの左馬刻に向けて、開いた口から何かが出てくることはなかった。
    (ただ、なんだ……?)
     投げかけたい言葉はどうしても見つからず、またぐるぐるとあの日の記憶だけが頭の中を支配する。目の前の瞳はあの日のように柔らかな光を浮かべてはいなくて、じっと射抜くような視線にたじろいだ。
    「……ただ……」
     次第に加速する鼓動は、きっとアルコールのせいではないのだろう。さすがにもう、それくらいはわかる程度に飲み慣れている。この男のせいで。
    「一郎」
     誰かと一緒に酒を飲む機会のうち、半分くらいはこの男だ。そういえば、また一緒にラップしてぇなと最初に持ちかけたのも、一郎から左馬刻に対してであった。一緒にいる楽しさを思い出してしまって、一緒にラップできたらもっと楽しいんだろうなと思って、気持ちよく酔いが回っているのをいいことについ口から零れ出たことを思い出す。それがどうしてか乱数と寂雷に伝わって、衢が手伝ってくれて、実現して。
    「………………なんだったんだよ……」
     言葉は振り出しに戻った。頭の中もまた、ぐるぐると同じ記憶をリフレインする。
     楽しい時間の終わりにあんなふうに優しくされて、ただでさえ顔を覗かせていたあの頃の綺麗な思い出に、今の左馬刻が積み重なっていく。どうしたらいいのかわからなかった。胸の奥底で燻っていた何かが少しずつ解けていく感覚に、どうすることもできないままでいる。解けて見え始めた何かが、少しずつ溢れて心臓を捕まえにくる。
     そっぽを向いた左馬刻が、小さく「……ガキ」と零した。
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