そしてこの先も　年越しそばは毎年あの緑色のやつで、ダラダラ飲んだり食べたりの大晦日の夜、ほろ酔い気分にあの塩気がちょうど良かった。
　けれどなんとなく今年は作ろうかって話になった。
　一緒に暮らすようになって数年経ち、お互いの料理スキルがそこそこ上がったから、ともいえるし、単に暇だから、ともいえる。だから別に本当になんとなくで、理由らしい理由なんてない。
　そば打ちからやろうなんて話じゃないし（ヒル魔さんは意外とまんざらでもなさそうだったけれど）、生麺を茹でて、めんつゆをかけてネギをのせたシンプルなものをイメージしていた。お酒の量は抑えるけれど、素面で作るわけじゃないし、そこまで手のかかるものを用意するつもりはなかったのだ。
　だから、ネギを切る僕の横でヒル魔さんがエビの下処理をやり始めて、ちょっと、いやかなりビックリした。
　そもそも冷蔵庫の奥にエビが隠れていたなんて気が付かなかった。戸棚のどこにいたの天ぷら粉くん？
「ヒル魔さん、それ……」
「ケケケ、エビに衣つけて油地獄に落としたやつだ」
「て、天ぷらなんていつの間に」
「レシピ見りゃできんだろ」
　いやできなくない？　天ぷらって揚げ物の中じゃかなりハードル高くない？　少なくとも僕にとってはトンカツやからあげの方が挑戦しやすい。実家では食べていたけど。家を出てからは天ぷらは外で食べるか、買ってきた方が美味しいから作ろうなんて気にならなかった。繊細で難しそうなイメージしかない。しかもエビ。
　ただヒル魔さんの手際は恐ろしく良かった。下処理もなんのその。適切な量の衣をつけられ、温度もバッチリの油地獄でエビが踊る。ヒル魔さんが見極めたタイミングで引き上げられたエビは、カラリと揚がっていて見るからに美味しそうだ。
「もしかして、修行してたとか……天ぷら屋さんで」
「んなわけねーだろ」
「で、ですよね……」
「テメー好きだろ。エビ天」
　……こういう時、ヒル魔さんといると命がいくつあっても足りないって感じる。急に殺しにくるのやめて欲しい。
　年越しそばを作るのに理由らしい理由はいらないのに。ヒル魔さんがトッピングのエビ天を揚げる理由は、僕のため。僕が喜ぶだろうと思って、エビをこっそり用意しているところが。
「ヘンな顔してねぇで、さっさとネギ切っちまえ」
「いまちょっとむりです……」
　エビのしっぽくらい顔が赤いので。モニョモニョしてしまう口を引き結ぶのに忙しくて手元が狂うので。ネギが全部くっついちゃう自信しかないので。
「そういや大根残ってたろ。これ終わったらおろすか」
「え！　あっ、やります！　僕おろします！」
「へえ？　今日はいいとこ見してくれんだろうな、ダーリン」
「はい！　エビ天のお礼に頑張ります！」
　鼻息荒くザクザクとネギを刻んでいく僕の手付きがどうにも危なっかしいらしく、ヒル魔さんから「とりあえず落ち着けバカ！」と叱られてしまった。
　
　日付が変わるまであと数時間。テーブルには、丼が二つ。
　茹でたそばにめんつゆをかけて、僕が切った不揃いなネギと、ヒル魔さんが器用に揚げたエビ天、そして大根おろしがのった、男の二人暮らしにしては十分すぎる年越しそばが出来上がった。
　大根おろしはまあ、僕がヒル魔さんにときめきすぎたあまり力が抜けてしまったこともあって、ほとんど共同作業だったけれど。
　美味しいですねって笑い合いながら、二人ですすったそばはすっごくあったかかった。
　エビ天を一本多く僕の丼に盛ってくれたヒル魔さんの優しさに惚れ直した僕は、案外現金かもしれない。
　天ぷらを頬張る僕の顔を見て、ヒル魔さんが「ガキみてえ」って笑うから。
　その顔があんまりにもいとおしさに満ちていて、こんな風に、ずっと二人で新しい年を迎えられたらいいなって思った。
　ずっとずっとこの先も、この人といられたら。こんなに幸せなことはないだろう。