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    narita_121

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    narita_121

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    バレンタインデーヒルセナ
    年齢とくにきめてない、同棲済み
    愛が重い男&愛が深い男

    #ヒルセナ
    hircena

    愛はどこだ チョコレートを嬉しがるような人間だったらどんなに良かっただろう、と思う。
     いや、やっぱり特には思わない。好きでもないしもらったところでどうせ食べない。そんなものを渡されたって、ありがとう嬉しいよ、なんて社交辞令すら返す気がないのがヒル魔であった。
     周囲から恐れられる男には不思議な魅力も確かにあって、引き寄せられる者──猛者は今も昔もほんのわずかながらちょくちょくいた。
     だからバレンタインに下駄箱や机にチョコが忍ばされることは以前からあったし、中には直接渡してくる勇者もいた。その場で断るか栗田のカバン行きのチョコレートの行方など、ヒル魔の知るところではない。
     これから先もずっと、チョコレートやバレンタインというものとは無縁の人生を送る、そのはずだった。なにしろ興味がないもので。
     しかし人生とは不思議なものだ。今や恋人がチョコレートを持ち帰ってくるかどうか、心をざわつかせながらソファに座っているのだから。
     高校時代の後輩と、紆余曲折を経て恋愛関係になったヒル魔の悩みは目下、人当たりのいい恋人の押しの弱さである。
     ヒル魔の恋人はもともと気が小さいせいか頼まれたら断れず、困っている人を見たら放っておけない。人の好意を無下に断るということができないたちなのだ。そういったところが好ましいからこそ、腹立たしくもあり愛おしくもあり。悪魔と恐れられた男が聞いて呆れる、と、旧友に何度笑われたか知らない。
    「帰りました!」
     リビングのドアを開けた恋人の鼻頭はほんのり赤く、外の寒さを物語る。マフラーをほどきながら「今ごはん温めますね」とへらりと笑うので、こちらの毒気も抜けるというものだ。
    「今年の収穫は?」
    「へっ? ……あはは、ご覧のとおりです。ちゃんと断りました。あ、栗田さんにあげたりしてませんからね!」
     なんなら聞いてみてください、と恋人は焦りもせず、胸を張って答えた。付き合い始めてから毎年毎年、このやり取りが繰り返されてきた。
     背負っていたバッグの口をばかりと開けて、中身も確認させて、コートのポケットもひっくり返して見せる。別にそこまでしなくともいいのに、ヒル魔を安心させられるならお安い御用だと恋人は笑うのだ。
     恋人の気持ちを疑うことはない。
     隠れて受け取ることも、甘い物好きの先輩に押し付けて証拠隠滅をはかることも、知恵は浮かんでも実行するような人間じゃないことはヒル魔が一番知っている。
     そうは言っても、恋人に──この男に、自分以外の好意が向けられることに胸がさざめき立つのを抑えるのは、どうにも難しい。
     彼はいい男だ。優しく、芯が強く、気が弱いところもあるが穏やかで、人の悪意を許さない。昔は後ろ向きだったが、成長した彼は両足でしっかり踏ん張って、前を進むエネルギーに満ちている。誰からも慕われる。好かれる。異性から。同性から。そして、重く激しい愛に身を焦がす悪魔のような男からも。
    「大事な人がいるから受け取れません、って伝えてきました」
     だから、大丈夫ですよ。そう言って、まだ外気の冷たさを残した彼の身体が、ふわりとヒル魔を抱きしめる。冬の空気にさらされた、ひんやりとした彼の上着にヒル魔の熱が滲んでいく。嫉妬に火照る身体が、恋人のすべてを焼き尽くさんばかりに。
     自覚はある。毎年毎年、いつもこの日は朝から落ち着かない。ポーカーフェイスを気取っても付き合いの長い彼にはお見通しだ。
     不思議なことに、付き合って初めてのバレンタインデーも、彼は手ぶらだった。彼のプレーに惚れるファンは多い。恋愛感情を抱く者も多い。きっとプレゼントは紙袋いくつぶんにもなっただろう。けれども恋人は、今日と同じ、朝出かけた姿のまま帰ってきた。
     ──大事な人がいるから、断りました。
     照れながら、けれどもそれが当然のように。彼はヒル魔に言った。義理も含めたらどれだけの数だか知れない。気持ちの軽重に関わらず、彼は等しく丁重に断ったのだ。ただ一人、恋人であるヒル魔の存在を想って。
     それがヒル魔をつけあがらせるのならば良かったのに。欲深な男は、満たされることを知らないまま、毎年毎年、彼の成果について報告を聞くのだ。
     そして、毎年毎年、同じ答えを聞いては彼の想いに安堵し、顔も知らない連中に嫉妬し、己の愛情が泥のように重いことを思い知るのである。
    「ヒル魔さん、ごはん食べましょう。今日はカレーです! 朝のうちに作っておいたんで、すぐ温めますね」
     ぽんぽん、とヒル魔の背を優しく叩いて彼は離れていった。その背を目で追いながら、どこにも行かせたくないとも思うし、どこへでも進んで行って欲しいとも思う。ヒル魔にとっての彼は、愛おしい人である前にプレーヤーとしてかけがえのない存在であるから。眩しいほどに。

     カレーライスを盛り付けた皿が並び、食卓で向かい合う。時間をおいたルウはとろみが強く、野菜も肉も大きめで、成人男子の食欲を満たす。
     ヒル魔好みに辛口にしてあるカレーはいつもどおり美味く、みるみるうちに減っていく。悪くないというヒル魔の褒め言葉(のつもり)に、恋人は破顔する。良かったです、と彼は笑う。
    「実は隠し味に入れたんです、……チョコレート」
     いつもとなにが違うか、繊細な舌を持ち合わせないヒル魔に感じ取ることはできなかった。けれど言われてしまえば不思議なもので、ほんのり後味が甘いような気がしてくるから単純だ。
     チョコレートをありがたがる人間であったなら、きっとこれまでの人生で色恋に触れる機会は多かっただろう。それならどんなに良かっただろう、と思う。いや、やはり思わない。興味のない人間からもらう興味のない食べ物ほど無意味なものはないのだ。お互いにとって何も生まない。社交辞令すら返す気のない、恋人と料理にすら素直に感想を伝えられない男は、愛が重いくせに不器用で自分本位である。その自覚は十分にある。
     ヒル魔がチョコレートを好まないことを知っている恋人は、バレンタインデーに甘いものを用意しない。酒のつまみやワインなどに代えることが多い。ヒル魔もまた、お揃いで使えるようなものや、ちょっとしたプレゼントを選ぶように自然となっている。
     だから、今年、恋人が初めてヒル魔に対し、隠し味とはいえチョコレートを出してきたことは意外だった。
    「これが、僕からのバレンタインプレゼント、ってことで、その、……どうでしょう」
     どうもこうもない。頬を掻くその手を取って今すぐテーブルに押し倒したいくらいだ。
     しかしヒル魔の目の前には、寛大な心を持つ恋人が作った、隠し味入りのご馳走がある。この皿を綺麗に片付けて、さらには鍋と炊飯ジャーの中身を空っぽにしなければならない。ホワイトデーを待ち切れない、今すぐできるお返しときたらそれくらいだ。
    「……残りは全部俺が食う」
    「え」
     ヒル魔の意図は正しく伝わったようで、恋人はますます顔を赤くさせた。最上級の賛辞であることを、付き合いの長い彼はよく分かっている。ヒル魔を理解し、受け止め、包み、それだけでなく愛を込めて胃袋を温める。
    「へへ、いっぱい食べてくださいね」
     ポジティブな言葉が返ってきて、安堵したのだろう。緩みっぱなしの恋人の頬はかぶりつきたいほど美味そうだ。しかしヒル魔は我慢した。すでにみっともないほど愛に狼狽えているというのに、格好をつけたがる。
     毎年恋人が受け取るチョコレートの数にやきもきし、清くも美しくもなんともない己の愛情の重さに打ちのめされるのに。
     向かい合えば、愛しい恋人は全身からヒル魔への愛を発している。目から、表情から、仕草から、声から。大事にされていると感じる。ヒル魔と同じように、彼もまた、唯一無二の存在である恋人を──ヒル魔のことを愛していると。それが分かる。どんな言葉よりも雄弁にヒル魔に語りかけてくるのだ。
     隠し味だと彼は言った。そう笑う彼からは、ヒル魔への愛がだだ漏れなのだ。
     生まれて初めて、チョコレートを、バレンタインデーをありがたいと思った。恋人からの隠しきれない愛を浴びることができる、欲深な男にはこれ以上ないイベントではないか。
     この胸に溢れる想いを、伝えきるには身体も時間も足りない。ヒル魔が百人いても伝えきれるか分からない。いつだって彼の波立つ心を鎮めるのは、純粋でおおらかな恋人の愛だ。
     鍋と米を綺麗に空にしたあと、ありったけの愛を込めて恋人を可愛がった。
     そして、恋人もまた。
     決して多くはないが、ヒル魔がこの日にプレゼントを差し出されることを知っている。恋人になるより前からの付き合いだ。そして、そのどれもすげなく断ることを知っている。チョコレートを好まず、恋愛に興味がないからだ。ただ、付き合って初めて迎えたバレンタインデーのことだ。うっかり目にした。
     ──付き合ってるヤツいっから。
     端的なその断り文句に胸が打ち震えた。
     それまでこんなクソ甘えもん食えるかと一蹴していた男が、牽制している。相手が淡い期待を抱かないように。
     その日、自分にも義理本命問わずチョコレートが届いた。気持ちだからとこれを受け取ったら、ヒル魔が悲しむ。そう思った。だから受け取らない。手ぶらで帰るとヒル魔はほんのわずかに目元を和らげた。ああ、彼を安心させたい。僕はあなたが考えているよりずっと、ずっとずうっとあなたのことを愛している。それが伝わるなら、いつだってあなたの前で丸裸になれる。
     そうして何年か経ち、ほんの少し欲が出た。
     チョコレートを好まないヒル魔は果たして、自分からのものなら受け取るだろうか。喜ぶだろうか。浮かれて、舞い上がって、甘い夜に溶けることはできるだろうか。
     その思惑は無事成功した。
     ヒル魔の不安や嫉妬心はきっと、すぐには消えることはないだろう。言葉で言い表せることができないほどの激情を、肌で感じる。同じだけ返せないことがもどかしい。けれど、少しずつでも。愛していることを、伝え続けることはできる。
     だからどうか、チョコレートはふたりの間だけで。隠し味程度の、せいぜい一つや二つの欠片だけれど。ふたりで味わうチョコレートは、それくらいでちょうどいい。だから他の誰からも受け取らずに、来年もこの場所に帰る。
     隙間ないほど身を寄せても、チョコレートのようには溶けてしまえない。別々の人間に生まれたふたつの身体を恨む。
     けれど、いつだって心は一つだ。
     愛はここにある。
     重さもかたちも違うけれど、互いにだけ向けられた、歪なまでの愛が。
     だだ漏れの愛に抱かれて、今夜もふたりは眠る。
     
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